話し合い
「それじゃあまず、適当に腰をかけてもらえないか?」
男はそう、私に椅子を勧めてくる。
「いいえ、ここで結構。そんなに長い話をするつもりはないわ」
椅子があるのは部屋の中。座るためにはどうあろうとこのドアをくぐり、中に入らなければない。
そうなれば、この男との距離も縮まる。
できればそれは、遠慮したい。
ただ、長話をしたくないというのは本音である。
あの子は本当に心配そうにしていた。それはもう、肌で伝わってきた。
できる限り早く、安心してもらいたい。
男はどこか落胆するように肩を落とす。
「そうか。なら無理強いはするべきではないか……」
そう呟いて、頷いた。
この男は正直なところ、よくわからない。わからないが、関わってはいけない。
そんな第一印象を受けた。
それではなぜ、この話し合いを受けたのか。
それは、この男の雰囲気が、彼とどこか似ているから。同じものを感じたから。
「では、本題に移ろう。少し伝言を頼まされていたんだ」
伝言。だれから。
そもそも、なぜ私のことを知っている。
いくつかの疑問が沸き上がるが、考えても答えは出ない。
大人しく、次の言葉を待つ。
私の反応を確認しつつ、男はゆっくりと次の言葉を口に出す。
「龍が共存することはあり得ない。私が直々に殺しに行くぞ? とな」
ああ、あの祖龍。
でもなんで、こいつにこの言葉を託す。
私がここに来ることなんて、分かっていたと。そういうことなのか。
龍とは本来、龍同士が出会えは戦うもの。
ただ私は、スキルを使用することにより、その衝動を完全に抑えられている。
このスキルは、あの城で、あの国で、私の教育の一環として身につけられたものであった。
冗談じゃない。あの子と殺し合うなんて、できるはずない。
それに私たちは玩具じゃない。
絶対にあいつらの言いなりにはならない。
「来るなら来なさい。返り討ちにしてあげるわ。そう伝えてもらえる?」
「正気か? 今回は龍纏が分散している。前回は、一体に収束しても勝てなかったと聞いた。増えた二体も、まだ生きているのだが?」
確かに前回のことを聞いている。
あれは……そう。寝物語に聞いた話。
あと一歩まで、古の龍を追い詰めた話であった。
この男は言外に、祖龍打倒は無理と私に告げている。
それでも、私に選択肢なんかはない。
祖龍を倒すか、戦って死ぬか。
『不死身』は、正直なところ役に立つかはわからない。
このスキルで慢心をしていたら、なにかの抜け道があり、簡単に倒されてしまう可能性もある。
それほどまでに、相手はスキルに精通しているはず。
希望があるとすれば、罪科系スキル。これしかない。
彼の驚きようからして、龍が持っていたことは、ないことが推測できる。
まだ効果を把握していないが、これを使うしか今のところ思い浮かばない。
「やるしかない。それ以外に、私が生きている意味がない……」
「はぁ……。これは強く出たものだ。だが、私としては、祖龍にこれ以上力をつけてもらっては困るのだよ?」
呆れたようにため息をつきながら、落胆をするように肩を落とし、男はそう遠回しに戦うなと要求してくる。
けれどそんなもの、私には関係ない。
この男の目的がなんなのか。そんなものは知らないし、興味がない。
その事情を心遣う理由は、全くと言っていいほどないのである。
わずかの間が置かれた。
こちらの表情がうかがわれる。
そうして男は、もう一度、先ほどの言葉に続いて、こちらの返答を待たずに口を開く。
「こちらの都合を押し付けるものではないが、考慮してもらえるかな……? できる限り、あなたには死んでほしくないんだ」
あたかも私の身を案じているかのような一言が、平然と嘯かれた。
私を見抜くその鋭い眼には、憂いの色が感じられる。
本当に、私のことを慮っているのであろうか? いや、それは違う。
この男には、何か遠い望みがある。無望と言ってもいいような、とうてい叶いそうもない願い。
それがこの男の全て。それが、生きる意味であるかのような眼をしている。私と同じような眼をしている。
私の行動でそれが左右されてしまう。それを憂いているだけであろう。
なのであれば、私が協力する義理もない。
「ええ、なるべく死なないように頑張るつもりよ。もう、用がないなら、私は帰るけど?」
要望を突っぱねる。
男は見るからに気を落とすが、早くも諦めがついたように顔を上げた。
「リチィなら、右へと三つ、向かい側の扉に入った。……せいぜい、ご武運を祈らせてもらおうか」
白々しい。
最後の台詞には、もはやなんの感情もこもっていない。
ただの社交辞令といった様子であった。
「ええ、なら心強いわ」
そうであれば、こちらもそれを述べるのみ。
すでにこちらへの興味を失ったようで、鋭い目付きは、もう私を射抜いてはいない。
男へと背を向け、言われた扉を確認する。
確かにそこは使われたようであった。
その証拠に、開きっぱなしのまま放置されているのである。
あの子は……なんと言うか、自由である。少なくとも、ミツホちゃんに負けないくらいには。
最初こそ、油断ならないように思えてしまったが、もうそんなことはない。
今日、部屋を貸すと言ったはずなのに、廊下で寝ていて驚いてしまった。
放っておけなくて、自分の部屋に運び込んでしまったけれど、今度は無力にもミツホちゃんにいじり倒されていた。
自分のやりたいことに、他を容赦なく引っ掻き回す。そんな性格をしていると思う。
それなのに、嫌いになれない。
その無表情の奥底には、言い知れぬ寂しさ、もの悲しさ、そしてどこか果てしない憧憬が、嫉妬が感じ取れた。
いけない。
ミツホちゃんのことだけでも、手一杯だというのに、あの子のことまでは構っていられない。
それに、男の言う通りならば、時間がない。
あれは今の私が倒せる相手ではない。
早く手を打たなければならない。
「あぁ……。父親というのは、ままならんものだな……」
私の思考に割り込むように、後ろから、前触れもなく声が聞こえた。
その言葉に、当然ながら無視を決め込む。
開いたままの扉を目指し、一歩一歩、歩みを進める。
けれどやっぱり、先の言葉は、私の胸にのしかかり、深く、重く、突き刺さったような気分になる。
最悪だ……。
***
無機質な廊下を私は引っ張られていく。
「そう気を落とさないでください。きっと、すぐに戻ってきますよ」
その無表情ながらも思慮深い言葉が、私を慰めるために、優しく言い聞かせられる。
無表情な女性は淡々と扉を開けて、迷路のように入り組んだ、この廊下を進んでいく。
私はただ、寄り道をする気力もなく、手を引かれていくのみだった。
通った扉は閉めないで、開けっ放しで放置する。
これなら白い人も、私たちがどこをどう通ったか一目瞭然だろう。
気分はさながら、ヘンゼルとグレーテルである。
「それにしても、困りましたね。ここがどこだかさっぱりですよ」
すると突然、無表情の女性は足を止めて、そんなことをおっしゃりなさったのである。
迷いなく進むもんだから、道が分かってるのかと思ってたわ!
ちょっと信じられない。
驚愕に目を見開いて、私は無表情な女性を見つめる。
すると、無表情な女性は無表情なままに、にこやかな雰囲気で、それなのに淡々とした声を出しながら、私のほおを撫でる。
「やっと顔を上げてくれましたね。冗談ですよ。お菓子はありませんが、ここが目的地です」
ビックリした。心読まれたかと思った。
単純に、言葉通りにとっていいはずだ。
私をもてなすお菓子がないってことでね。
艶消しをされ、光沢の鈍った金属に囲まれた無機質な部屋。
開け放たれたままの金属製の扉、机に、硬そうな椅子まである。
しかしその中には一つだけ、似つかわしくなく、この部屋では否応なく目立ってしまうものが置いてあった。
それは箱だ。
黒光りをするニス塗りのような光沢を放ったそれ。
この部屋の中央に鎮座しており、いやでも目に入る。
この無機質が占める部屋。色彩が乏しい中で、やはりそれも色彩を放たない。
しかし毛色の僅かに違うそれに対して、しばしの間、目を奪われる。
長方体で、人一人入らないくらいの大きさだった。
私は誘われるように、それへと近づいている。そうすれば、必然的に無表情な女性を連れて行くことになる。
私が引っ張ることもなく、無表情な女性は進んだ。私を止めることはない。
歩いていく。近づいていく。箱の中身が見えてくる。
それならば、前言を撤回しよう。
人一人、入らないくらい。先ほどはそう表現をした。してしまった。
けれど、違う。そうじゃなかった。それは、大人ならばの話である。
箱の中には、子供がいた。
背の高さは、私よりも少し高いくらい。
安らかに眠っている少女の姿が、箱の中に、箱に貼られたガラス越しに、確認できた。
私はガラスに手を触れる。
目を閉じ、微動だにしない。それからは自ずと死が連想される。
果たしてこの子供は何者だろうか。私は無表情な女性の顔を見上げた。
「どうしましたか? 光穂ちゃん」
とぼけたように、無表情なまま首を傾げ、私に問いかけてくる。
そのわざとらしい仕草にもめげず、私は声を発した。
「……だれ……?」
簡潔に一言。
しかし、この言葉だけで訊きたいことは概ね、答えてもらえるはずだ。
無表情な女性は、私に対して向き直った。
「そうですね。強いて言うなら……所長の娘と言ったところでしょうか?」
私の疑問は、疑問のままに返された。
あの男の娘? なんでこんなところに。それにしては、背が高いんじゃないだろうか?
わからない。
わからないけど、やはりこの箱は、棺桶、もしくは柩のような、死を閉じ込めておく箱のように思えてくる。
「……しんでる……?」
この言葉は、箱に向かって私が一言。独り言のようなものだった。
それでも、無表情な女性は拾い。丁寧にもその疑問へと言葉を返す。
「いえ、死んではいませんよ? 生きてさえいませんから」
さらにわけがわからなくなった。
なんだよ、そう哲学みたいに言い切……ああ、くそっ! そうか!
わかった。わかってしまった。
全部は無理だ。まだ一つ、わからない点がある。それでも、大方理解はできた。
この所長と呼ばれる男は、どうしようもないやつだということがわかった。
「い、痛いですよ? ミツホちゃん」
私の手の握る力が、強くなってしまっていたようだ。無表情な女性は、手を引っ込めようとする。
しかし、私の握力に阻まれて失敗に終わった。つまりこれは、私にこの手を離すつもりはないという、意思表示になってしまうのであろうか。
抵抗を断念した無表情な女性。このまま続けたのでは、引き止めるために、私がもっと強く握ってしまうことになるからか。
無難な選択肢だろう。
「二人して、何やってるの?」
白い人の声が聞こえた。
私は急いでその元へと走り寄っていく。
「え、うわっ! ……ちょっと!?」
もちろん、無表情な女性はついていけずに引きずられる形になってしまった。
白い人は律儀にも、扉を閉めて中へと入って来た。
そこから私に手を差し出してくれる。私は遠慮なくその手を掴んだ。
白い人の表情は優れない。
一体何をあの男と話してきたのだろうか。
地面に伏せた体勢のまま、無表情な女性は白い人に向かって話しかける。
「それにしても、早かったんですね?」
「……ええ、大した話はしなかったから」
白い人の表情は、心なしかくらいように思えてしまう。
本当に、大した話をしていないのだろうか。
疑っても、きりがないか。
「じゃあ、帰ろう?」
よく考えれば、下見という名目でここに来たんだった。
あの男に見つかった時点で、下見というのは失敗だったんじゃないのかな。
もう、ここにいる意味がないはず。
「そうですね。帰りましょう……と。扉、全部閉めて来たわけじゃ、ありませんよね?」
無表情な女性は、ふと思いついたように白い人へと尋ね訊く。
白い人は不思議そうに、首をかしげた。
「閉めないわけないじゃない」
そうきっぱりと言い切られてしまう。
どうやら白い人は小鳥だったようだ。大丈夫なのか? これ。
いやいや、無表情な女性はここに迷わず来れたんだから、帰り道がわからないはずないか。
「所長のやつが、改装をしたところがあったっぽくてですね。一部、適当に進んだんですよ。だから、もしかしたら迷うかもしれませんが、ご容赦を」
そう言って、立ち上がり、扉を開けて進んでいく。
ものすごく、不穏なんだけど。行きのあれ、迷いなかったけど、開き直って適当だったんだ。
私も扉をくぐっていく。
「道なら、憶えてるから……」
扉を閉めた白い人が一言。
無表情な女性は思いっきり振り返る。
白い人が、とても頼もしかった。
塩、脂質、砂糖、茶素、酒、煙草。
とりあえず、砂糖依存症が治らない。