宵闇に沈む
長いです。いつもの二倍くらいの文字量です。
鎖に捕らえられた彼。
抵抗を試みるが、虚しくも金属の擦れるような音だけが鳴り響いた。
鎖が動く。
彼にはもう成す術がなく、勢いよく引っ張られ、壁にへと磔にされる。
「ぐ……っ、ふ……」
したたかに打ち付けられ、彼は息を詰まらせた。
鎖に縛られ不自由であり、満足に受け身も取れなかったからか。
わけがわからない。
何が起こっているというのか。
これはあの獣が操っているのではないか。アレが何か干渉をしている?
「何をやってる……っ!! どういうつもりだぁああっ!!」
彼は大声を張り上げる。裏切られたような、怨嗟の混じった切ない怒号が響く。
それはあの獣に向かったものであった。
アレが何かをしているというわけではないのか。
というかなぜ、あの獣がこんなことをしなくてはならないのであろうか。
私は困惑することしかできない。
彼はまだ、動きが封じられているだけ。
『永久封印』が完全に作動してしまえば、動くことも、スキルを使うことも、喋ることも、見ることも、何も感じることすらもできなくなる。
普通なら、そのまま狂いながら、永遠にそこにいるだけの状態となる。
本来なら、すぐさまそうなるはずであるが、ただ動きが封じられているだけ。
つまりは、ある程度の手心が加えられているわけである。
「どういうつもりか……。それはこちらの台詞だが?」
ソレの前に、彼の代わりに獣が立った。
静かに、それでもどこか苛立ちを隠しきれていないような声である。
ソレは警戒するように獣を見つめていた。
「……っ!? ふざけるな……。ぜんぶ……っ、ぜんぶ上手くいくはずだったんだぞ……?」
確かにこの獣の行動は、ふざけているとしか思いようがない。
それでも、この獣の言葉を想起する――。
さっき、窓際で呟いたあの一言、あれには嘘偽りなんて感じられずに。
であるから、この行動にもなにか理由があるのかと勘繰ってしまう。
「それは違うだろう? 吹っ切られたときほど、開き直られたときほど、困ることはないのだよ。主は、自分自身の価値を蔑ろにしすぎだ」
「……っどういう意味だよ!! わけがわからないっ……!」
諭すように、上手くいくはずだった、という言葉を否定した獣。
そこに彼は感情を剥き出しにして、打ち消すように言葉を重ねる。
いかにも必死に、見栄を張るように出された大声は空間中を満たすには十分なほどであった。
油断なくソレと睨み合う獣にも、届くには満足すぎるほどでもあったはず。
「ならば聞くぞ。【執着】、このスキルで『永久封印』は破れたのではないか?」
そう、彼はこのスキルの説明をするときに、確かどんな障害も超えてと言っていた。
単純なことで、『永久封印』もその障害に含まれてしまうということ。
「……」
彼は答えない。
いや、この沈黙こそがその返答なのであろうか。
もちろん、それは肯定と取られた。
「一度、『永久封印』で封じた後に、私に姫を送り届けさせる。そしてその間、コレがまた【執着】を使えるようになる前に、主がトドメを刺す。という算段だった。違うか?」
さらに獣は畳み掛ける。
そうだとしても、スキル『永久封印』はそんなに簡単にどうにかできるものではない。
スキルの使用者でない限り、解除なんてことはできないはず。
「これは主の術式だ。今みたいに縛られてでもない限り、いくらでもいじりようはあるしな」
追い討つように、獣は言葉を続ける。反論をされないように、根拠を明確にする。
今回も彼は答えない。
けれども、軋りと歯を食いしばっていることがわかる。
私にはその心中に渦巻いているだろう複雑な感情を、推し量りきることができなかった。
ただ、私の中で疑問は残る。
彼にアレが倒せるというのか。というか、倒してはいけないのか。
けれど、そんなささいな心懸かりは置いていかれ、会話はさらに進んでいく。
ようやく、意を決したように、今にも泣きだしそうな表情ながらも、彼は言葉を吐き出していく。
「……なら、なんでっ! 思うようにさせてくれないっ……!! わかってるんだろ――」
「わからない。わかるわけがない。私にとって、主は主でしかないんだ。代わりなんていない」
続くはずのそれを遮って、獣は答えを被せた。
子どもを宥めるような声色で、それはとても温かく感じらる。
彼は苦々しい表情をしながらも、台詞を途切れさせざるを得なかったのであろう。
そこまで聞いた彼であったが、まだ腑に落ちない表情をしている。
それはどこか、なにかに囚われ続けているかのようであった。
訴えかけるように、もう一度。彼は口を開く。
「だけど……っ、お前がやろうとしていることは――」
感情に任せ、発せられた彼の言葉。
それがなぜか、途中で止まった。止められた。今回こそは、違う声に遮られたわけでもない。
ならどうしてか。他でもない、彼自身が止めたのである。
表情を伺えば、困惑したような、なにか嫌気のさしたような、そして懊悩するようなものでもあった。
「分かっている……」
獣は言った。
さも当然といった声で、力強く。若干だけ、呆れるような色を混ぜながら。その言葉は聞かずとも、理解していると。
彼は目を伏せた。
もう言葉を発せないというように……。
果たしてなにを思っているのであろうか。
彼らの関係をあまりよく知らない。
そんな私にはとうてい理解できるほど単純な感情ではないはずで、理解していいほどに簡単な感情ではないことは明確である。
そんな彼の姿を知ってか知らずか、一切を確認せずに、ソレと睨み合い続けながら――
「幼体でこそはあるが、龍と闘うんだ。これで心踊らないといったら嘘になる。そう、ただ一人。他でもない。――主を助けるためにな」
――そんなことを、尊大に宣ったのである。
その宣言を皮切りに、まずは龍が動き出す。
翼を広げ、塔の外で放ったときと同じように、無数の尖った白い半透明のなにかが、獣だけを狙い、襲う。
それを獣は、避けはしない。
迫り来るそれらは、獣に触れる瞬間に散り、儚い白い光を伴いながら消えていく。
「効かないな」
いつの間にか、白銀の光を纏う獣。散っていく光を背景に、その姿は映え、心に感銘をもたらす芸術のような光景が創り出される。
瞬間、獣が消える。
その脚力は重力に逆らい、この塔を登れるほど。
ここに来るまでは、私たちが乗っていたことにより、少なからず気を使わせていたはずである。その証拠に、あの獣は息一つ切らしていなかった。
けれど、今は違う。
その最高速は計り知れない。
肉薄する。あの龍へと。私の目では捉え切れないほどの速さで。
強打。
反応のできない龍。
白銀の光が左前足に集中され、強化された一撃が当たる。当たったはずであった。
しかし、白い半透明の膜のようなものが龍の体を守っており、損害を与えるには至らない。
獣は咄嗟に龍から離れる。
直後、そこに白い半透明のなにかがばら撒かれた。
さらに今度は、龍の翼は形を崩し、あたり一面に飛び散っていく。
不規則に降り注ぐ、そのなにかであるけれど、獣には当たらない。
身軽な動きで、ときには床を跳ね、ときには壁を蹴り、空間を自由に使い避けていく。
隙間と隙間をかいくぐり、龍への次の攻撃を繰り出す。
絶えず白い半透明の塊を吐き出し続けるこの龍に、数十回と突撃を繰り返す。
速度では獣の方が上。
圧倒的なこの獣の最高速。明らかに龍は捉えきれていない。
機略では獣の方が上。
縦横無尽に駆け回る獣に翻弄されながら、龍はただ単調に白い半透明の塊を放出しているだけである。
技術では獣の方が上。
繊細に、白銀の光を身体の一部一部、時には前足、時には後脚、そう切り替えながら纏わせている獣へ向かって、龍は力任せに攻撃をばら撒いていた。
それなのに龍が負けることはない。
せれはなぜか。獣の攻撃では決して貫けないのである。あの龍を守る、膜のようななにかを。
じわじわと、獣に限界が近づいてきている。徐々に獣が追い詰められていることがわかる。
まだ躱しきれないほどではないが、動きが鈍りはじめていた。
当たり前である。
こんな一挙一動に緊張し、神経をすり減らすような戦法を取っていれば疲労もたまる。
今度もまた隙を見つけ、獣が龍に攻撃をしかける。
やはりこの一撃も、膜のようななにかに阻まれた。
白い半透明の塊の攻撃を受ける前に、獣はその場を離脱する。
「くっ、きりがないな」
恨み言を漏らしたくなるのも理解はできる。獣の攻撃はこれで二十を超えたところ。
であるというのに、龍には消耗をした気配さえなかった。
このままでは駄目だと判断したのか、覚悟を決めたように立ち止まる。
そこに狙いを定めるように、白い半透明の塊が降り注いでいく。
――刹那、白銀の稲妻が周囲にほとばしった。
それは龍の攻撃をかき消し、獣へと収束する。
今までのものよりも数倍の出力はあるであろう光であった。
そしてそのまま、獣は脚に力を込めて、――跳んだ。
それはもう、今までと比べものにならないくらい早く。目に捉えられないなんてものではない。目に見えないほどの高速。空間を飛ばすかのような移動。
それに当然、反応できる龍ではない。
轟音が響いた。
白銀の稲妻が散り、白い半透明の塊が弾ける。
空気を揺らし、世界に響くような衝突が巻き起こる。
これはきっと、獣の全身全霊を込めた一撃だったのであろう。
凄まじいほどの余波が辺り一帯に伝わっていく。
激しい光量が収まった。
ふと、辺り一帯が暗くなっていることに気がつく。夕陽はもうほとんど沈んでしまい、空に僅か一筋ばかりその光を伸ばすだけであった。
私は、獣のもとへとかけよっていく。
床に崩れ、その出で立ちはもはや美しさの欠片なんかもなくボロボロであった。
「すまないな……姫……」
罪悪感を滲ませるような声が私に届けられる。
龍を見れば、損害こそ負っているものの、倒され切ってはいない。この様子なら、もう少しでまた襲い来るであろう。
私は首を振った。
謝ることなんかない。
一生懸命に闘ったなら、それはしかたないことのはず。
「消耗をしすぎた……。それに、最後……手痛く押し返されてしまったよ……」
最後の一撃。あれは確かに龍へと届いたはずである。
けれど龍は、最初こそ反応できなかったものの、なんとかしのぎきり、獣にここまでの痛手を与える反撃を行ったよう。
「最期に一ついいか……?」
私を見つめ、獣は伝える。
よくないわけがない。
私は頷く。今にも流れそうな涙を堪えながらも。
「これから、辛いことがあるだろう……」
私の未来を予見するような獣の言葉。
それを固唾を呑んで聞き入る私。
さらに言葉は続けらていく。
「私を、いつまでも赦さなくたって良い。いくらでも怨んでもらったって構わない。どんなに憎むんでくれたってそれは当然だ……。けれど、主のことだけは――」
そこに続く言葉。それは言わなくたってわかるはずである。
獣は、ありったけの力を振り絞って立ち上がろうとする。二度、三度と失敗しながらもようやく成功した。
「――姫は主の全てだからな……」
獣は歩いていく。
龍に向かって。
龍はもう既に回復し、いつでも戦闘に移れる体勢であった。
「やめろぉおおっ! 冗談じゃない……っ!!」
振り絞るような彼の声が聞こえてくる。
それは無論、獣の耳にも入っているはず。それでも止まることはなかった。
「悪いな……主。最期まで恩知らずで……」
密かに呟いたように耳に届いた一言。
そこには果てしないほどの後悔がこもっていたような気がした。
獣は走る。
限界に達した身体を酷使しながらも。その姿はお世辞にも綺麗とは言えない格好であるが、しかし、どこまでも印象に残り、感慨深い感情が湧き上がってくるのであった。
最初ほどの速度なんかない。
それでも、龍に向かって走っていく。真っ直ぐに、ただひたすら。
龍はもちろん妨害する。それなのになぜか、それは獣の走りの邪魔をしてしまうことはなかった。
獣は跳んだ。勢いよく。
ぶれることなく龍を捉えて、死力を奮った突進が行われた。
その攻撃に、技術はなく。その攻撃に、速度はなく。その攻撃に、威力はない。
ただ、意地だけが込められた一撃であった。
その意地だけで、龍へと至った一撃は、理の如く一切の手傷を龍に負わせることができない。
龍の放った白い半透明の塊が、獣を覆っていく。
体力の消耗し尽くした獣に、それを避ける術はない。
これ以上の抵抗は無意味と、獣は目を閉じる。
ドサッと獣が床に落ちた。
最後に残った、夕暮れの一筋の光も、陽が沈むと共に消えていく。
辺りが暗闇に包まれる中で、かの龍だけが、白くボウッと光って見えた。
彼の方向から、金属が擦れるような音が何回も聞こえてくる。
獣が最後に緩めでもしたのであろうか。
龍が、私の方を向いた。
狙いを定めたということか。
ゆっくりと、私に向かって進んでくる。
彼は必死に鎖をどうにかしようとしているようであるが、もう遅い。
龍は、手を伸ばせば届くような距離にまで迫ってきていた。
龍が私に触れる。いや、入っていく。
その大きさは、私の中に入るようなものではないが、圧縮されるようにして侵入していく。
その巨体が私の中に収まり、私はふらついてしまう。意識を失ってしまう。
その直前に、鎖が切れるような音が周辺に響いた。
「最悪だ……――」
私が最後に聞いた言葉は、そんな世界に不幸を嘆くようなものであった。
***
「えっと、ここですよ。光穂ちゃん」
ギィッと扉が開かれるが、私はその建物の前で様子を伺う。
建物とは言っても、外観は洞窟の入り口に扉を設置しているようなだけだ。
私は扉の中を覗き込む。
「……」
思わず無言になる私。
いや、だって、ガチにウイルス研究やってそうな施設って感じだったもん。
扉を見る。一枚で大丈夫なのか?
あ、防護服。防護服が欲しいなあ。
「行きますよ」
無表情な女性に手を引かれて、私は足を踏み入れていく。
なんかよくわからない器具が大量に規則正しく置いてある。
しかし、私の目を引いたのはそれらではなかった。
私の目に留まったそれ。
白銀の毛並みをした狐みたいななにかである。サイズは私の膝くらいまでで、それほど大きくはない。
「おや? 主について行ったわけではないと。珍しい」
そう言いながら、無表情な女性はしゃがみこみ、手を広げて、その狐みたいななにかを呼び寄せようとする。
そして、それに応じるように、その狐みたいななにかは近寄ってきた。
「あ痛て……っ」
近寄ったのだが、抱きしめられる前に華麗にジャンプ。その女性の頭を踏み台にして飛び越える。
開いたままの扉から去って行った。
「全く、酷いですねぇ……」
頭をさすりながら、文句を漏らすが、その無表情ではどんな動物も寄り付かない。と思うのは間違っているだろうか?
それにしても、こんなところに動物がいて良かったのか。
「お、これだこれだ」
そんなことを考えている間にも、無表情な女性は器具を物色し、なにかを懐にしまっていた。
私が疑惑の目で見ていることを気にせずに、この女性は、入り口と違う扉の前に立つ。
「さあ、光穂ちゃん。この扉の中に件の龍は閉じ込められています。開けてしばらく進んだら、きっといるはずですよ?」
閉じ込められている?
それなら倒すのも簡単なんじゃないか?
こう、なんか一方的に攻撃できそうじゃん。
というか、この施設の主。
おそらくは噂のあの人だろうけど、どうしてるんだろ。絶賛逃亡中だったりしてるのかな。
後はもう捕まって、どうにかされてるとかか。
国一つ滅ぼした馬鹿らしいし、まあ、出会わないにこしたことはないね。
「閉じ込められているといっても、封じられているわけではありません。普通に反撃はするでしょう」
うまい話はないってことか。でも、なんで出てこないんだろ?
龍なんでしょ。捕らえられてるとか、屈辱の限りなんじゃないかな。
「では、一緒に行きましょうか」
あっ、付いて来るんだ。
まあ、戦力は多いに越したことはないか。
女性によって、その扉が開かれていった。
汚染されたような空気が溢れ出してくる。
これから始まるは、龍同士の戦いである。
覚悟はできたか? 私はとうの昔にできているはずだ。
私は踏み出していく。ここからは相手のテリトリーか。