気局へと進む
響いた声が流される。
風を切る音だけが聞こえる中、声を発したのは疾走している獣であった。
「罪科系スキル?」
聞きなれない言葉だったのか、疑問としてその言葉が口に出される。
「そう、罪科系スキル。これは行動に伴い上昇したカルマの数値が一定に達したとき、その行動を見定められ、贈られてくる。それが罪科系スキルだ」
私の様子を見れば、少しうとうととまどろんでいた。よくこんな状態でと、我ながらに感心してしまう。
獣の方を確認してみる。
変わらずに走り続けながら、押し黙っていた。
なにやら深く考えているよう。
しばらくして、もう一度、彼へと質問を重ねる。
「カルマ……というかこの値に、そんな意義があったとは驚きだ。そうだとしてもこの値、最近は全く上がらんのだが? それに見定めるとはどうやってだ? そもそもどういう基準だ?」
「悪いけど……、そこらへんは話しちゃいけないことになってる。それよりも今は、【執着】について話した方がいいと思うんだけどね?」
畳みかけるような問いを、彼は取り合わずに流してしまう。
そんな彼の声色からは、まともに答えなかったことによるものなのか、若干の後ろめたさが……。
だがそれよりも、――焦り、そして苛立ちのようなものの方が強く感じ取れてしまう。
その様子に、彼を主と呼称しているこの獣は、口を閉ざし、それ以上の質問を重ねることはない。
私の眠気は頂点を過ぎて、収まりつつあるところだった。
「わかったね? じゃあ、話すよ」
沈黙を肯定と受け取ったのか、彼は語調を強く話し始める。
その様子からは自ずと、機嫌のよくない。という彼の心情が受け取れた。
それを、どこか私は彼らしくないと思わさせられる。自然に感じ取れてしまう。
「【執着】。これは使うと、その使用者が固執する一つの対象の近くに、どんな障壁も越えて辿り着くことができるスキルだ」
言い切られた概要。それが真実なら、アレからは逃げられないということになる。
どんなに、どこに逃げたとしても、私のもとへと辿り着いてくる。
つまりはこの逃亡劇も、まったくの無意味であるということ。
そして私は息をのむ。本当に当たっていたのならば、恐ろしいことでしかない。
さらに彼はこのスキルの説明を続ける。
「欠点としては、対象を同時に二つ以上にすることができないこと。そして、再度の使用には間隔が必要ということだ」
彼の表情はとてつもなく苦々しいものだった。
最初のものは、現在の状況では私たちにとって利点はない。
後半のものは、先ほどのことを考えれば、大した時間がかからないと思った方がいいのであろう。
「それで主、どうするんだ?」
「そうだね、予定変更だ……。こうなった以上は……この子を安全なところに、なんてのは無理だ……。連れていくしかない……」
おそるおそるといった様子で、獣の口が開かれた。
それに対して彼は、気の抜けた声で応答する。上の空といった様子である。
どうしてかその声、その表情から、彼が彼自身を責めているのだと感じてならない。
私はそんな彼の顔を無理やりに覗き込もうとしていた。
すごい体勢をしている。今にも落ちてしまいそうである。
「姫、危ないぞ?」
獣からも警告がきた。
どうやって私の体勢を把握しているのであろうか。
単純に重心の移動からか、単に視野が広いからか、それともなにかのスキルを持っているからか。
不意に彼と目が合った。
「え、ちょっと……えっ!? どんな体勢してんのさ!? 危ない、危ないから……っ!」
獣の声で、私の状態にようやく気がついたのだろう。こちらにようやく目を向けた彼が、慌てるように声を発する。
彼の行動は迅速で、すぐさま私は安定した体勢へと戻されてしまった。
「ふふっ……」
もうこれ以上ないってくらいで、私は思わずといった感じに吹き出してしまった。
彼はどうしようもなく、やれやれといった仕草をする。
その後に、うつむいて。暗い表情をして。とても小さな声で――
「……本当に……ごめん……」
――そう呟いたような気がした。
私はその言葉に対して、一切の反応を示さない。
聞こえていなかったのであろうか、それとも何も言うべきではないと思ったのであろうか。
……いや、ただ。かけるべき言葉が見つからなかっただけなのかもしれない。
彼は気がついていない。けれど私は、悟られないようにしているが、どこか悔しそうにしていることが分かってしまう。
だって私なのであるから、私が一番よくわかる。
「主、姫、しっかりつかまっているのだぞ?」
そんなとき、獣が注意を促してくる。
なぜかと思ったのか、私は前を向いた。それでも特に異変のようなものは感じとれずに首をかしげる。
「ん? え……!? ひゃっ!!」
しばらくは理解できていなかったが、塔に獣が突っ込んでいた。
普通、避けるか何かするであろうところを、躊躇なく突っ込んでいる。
それに気がつかなかったのは、まさか突っ込んでいくとは思わなかったからである。
もの凄いの勢いのまま進んでいく。
そしてその塔にぶつかる直前に地面を蹴る。屋根ではなく、地面をーー。
獣はそのまま跳躍する。
真っ直ぐに進んでいた力を、地面と垂直に進むための力に変えて。
私にかかる重力が増す。
それは彼も同様で、私を落とさないように手助けしながらも、彼自身、落ちないように獣にしがみついている。
重力に逆らい、獣は塔を駆け上がる。
垂直に、上へ上へと、登っていく。
空に向かって進むその様は、浮世離れしているよう。
ふと、目を向けると、夕陽が見えた。
普段な壁に隠れて見えない夕陽が、ここからならば顔を出す。
海に沈みかける夕陽が、幻想的で、神秘的で、衝撃的で、こんな状況だというのに、私は心奪われてしまっている。
「綺麗……」
そうであるから、思わず私は呟いたのであろう。
この日に起こった、非現実的な出来事。これはその中の一つであって、心に焼き付くべき光景なのであろうか……。
まだ塔を登り切ってはいない。獣は走り続けていた。
――この夕陽が沈み切るまで、まだもう少しの時間がある。
***
「ぐすん……っ、シクシク。ひどいです、光穂ちゃん。もうお嫁にいけません」
どこかから持ってきたタオル一枚で、身体の大事な部分を隠しながら、部屋の隅っこで泣き真似をする女性。言うまでもなく、無表情だ。
ぐすん……っ、シクシクって、はっきりと発音しちゃってるし。
絶対にふざけてるだけだ。
まあ、私はこの女性の全身を、舐め回すように見つめた後だ。
もう服を着てもらって大丈夫なはず。
私は冷たい目でコイツの奇行を眺めながら、周りに散乱している服――黒いスパッツと黒いタンクトップを、その女性に向かってポイッとなげる。
そういえばこの女性、下着つけてなかった。
いや、強いて言えば、あのタンクトップとスパッツが、下着なのだろう。
ずいぶんと薄着なものだ。
普段はその上に、武器こそ装備してあれど、白衣一枚ということである。
なんか心配になってくる服装だ。
すごすごと私の放り投げた服に近寄って、着用を始める。
別に邪な目で見ているわけでもないのに、堂々としていればいいと思う。
ただの悪ふざけだろうか?
言ってしまえばこの女性のスタイル。多分良い方だ。
うん、そうなんだけど……。上には上がいるもので、私はベッドでスヤスヤと眠りにつく白い人に目線をずらす。
私的には、白い人のスタイルが完璧だと思っている。それに比べてしまえば、いくらか見劣りしてしまうのだ。
残念だね。
そういえばこの白い人、スタイルが完璧だし、顔も常軌を逸して整っている。
ついでに言うと、私と過ごす限りでは家事もできていたし、性格も抜けているところはあるがそんなところこそ魅力的だ。
そして何よりも、強い。ものすごーく、強い。
お嫁さんにしたい人ランキングに出たら、一位取れるんじゃないかと思う。
いや、龍なんだけど。
じゃあ、お嫁さんにしたい龍ランキング?
……なんか問答無用で一位な気がするわ。
「さて、光穂ちゃん。じゃあ行きますよ?」
うわあ、びっくりしたあ。
いつの間にか、床に散らばっていた武装が全部なくなって、白衣姿の無表情な女性がいた。
とてつもなく早いお着替えだね。
なら、私も準備をしようか。
「なにやってるんですかー? 光穂ちゃん」
私はガサガサと部屋の収納スペース内を漁る。
中から引っ張りだしたのは、顔を見せないようにするためのあの上着だ。
ちなみに洗濯済みである。
これがなければ、私は人目を集めてしまい、外を出歩けたようなものではない。
バサッと羽織れば、どことない安心感を与えられること間違いなしの代物だ。
準備完了とばかりに、私はこの女性の腕を引いた。
「さあ、行きましょうか光穂ちゃん。名こそはあげられませんが、龍退治です。これで心踊らないといったら嘘になりましょう、ええ。ですから、この人を助けるために、いざ、です」
うーん、龍なら、もう二体倒してるんだけどなあ。彼女が倒した分を含めるなら三体か……。
それにしても、やけにこの女性のテンションが高い気がする。無表情なんだけど。
こうして、私たちの穢龍退治が始まったのであった。