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黒の章


三話にて、完結となります。


ここまで読んで頂いた方々へ、感謝の気持ちを込めて本作を捧げます。



 *



 あの日、囮となって残党を根こそぎ狩り終えた私は数年ぶりに深く息を吸い込んでいた。

 ああ、今日はなんて美しい夕空。

 そして、最後の最後に垣間見えた冷たい横顔が薄汚い血を全身に浴びたままの自分にほんの僅かな希望を残してくれる。



「ああ………やっと貴方に会いに行けます」



 黄金色と茜の混じる西日が、血塗れの路地にまでも差し込んでくるのに。

 ふわり、と煙る様な長い睫毛を瞬かせながら黒い少女は笑った。

 その微笑みは、血を浴びて尚も妖しく美しい。

 こつこつ、と靴音を響かせて夕闇に紛れて歩き始める少女の周囲に人気はない。

 それもその筈。

 雪の街グルーデンベルグの治安はとても真っ当とは言えないもの。

 普通の人間は日が落ちた後、中央通り以外は歩かない。

 従って、彼女が今日処分し終えた彼らの遺骸も発見は早くて明日の朝以降になる。


 黒い少女は、幼い頃から人を殺す術を持っていた。

 彼女の父親は、暗殺を生業にしていた。

 既に亡くした父親の望みを叶えたら、少女はずっと願い続けてきた死をようやく迎えられる。


 そう。彼女は、自らに死を与えられる人間をずっと探して生きてきた。

 数年前にようやく出会えたその人に、ようやく会いに行ける資格を得たのである。


 今日ほど、彼女は生きて来て幸せだと思えた日は無い。


 父が過去に育てた暗殺一派の血は、自分を残してすべて途絶えた。

 自らの手を血に染めて、ようやく少女は安堵のため息を付いたのである。

 復讐では無い。

 それは、彼女が死ぬまでにやり終えておかなければならない作業でしかなかったから。


 もし、死の間際に父が遺言を残してくれなかったなら。


 時折考えてみるその問いに、少女自身答えを出せずにいる。

 案外その場で自刃していたような気もする一方で。

 やはり諦めきれずに、今のように探し続けていた気もするのだ。


 だがしかし、遺言があって良かったと思う。


 きっと、あれが無かったなら指針を見つけるまでに時間が掛かった事だろう。

 その時間のロスで『彼』が命を落としていたなら、と思うとぞっとしない。



「ふぅ、取り敢えず白菊の丘で挨拶を済ませてから行きましょうか……」



 宵闇を軽い足取りで進む少女は、生前に父が遺していた地下坑道からの抜け道を通って隠れ家に帰宅した。

 一見すると物置小屋にしか見えない空間も、彼女にとっては大切な場所だ。

 母を知らぬ彼女にとって、父と生前に暮らしたのはこの小さな隠れ家一つ。

 他は、既に焼き払われて残されてはいないからだ。



「父さま、もしかしたら明日には向こうでお会いできるかもしれませんよ」



 貯蔵庫から出したクラッカーをつまみに、片手で赤ワインを注いで月へと掲げた。

 月明かりが、孤独な少女を照らしていた。




 そして翌朝。

 元々目覚めは良い少女は、隠れ家の窓と入口に鋲を打って家を出た。


 もし彼が、彼女の望みを今日にも叶えてくれるなら。

 二度と戻らない大切な場所に、区切りを付けておきたかった。

 薄暗い坑道を出て、裏通りに近接した細い道を進む。

 行く先は白菊の丘。雪の街グルーデンベルグの共同墓地である。


 そこで、生前に父と親交のあったヴェーリン公爵家の白十字に挨拶を済ませておきたいと思ったからだ。



 早朝の白菊の丘には、流石に人影も無い。

 辿り着いた後、祈りを捧げながら生花を持たずに訪れた自分の不手際を合わせて詫びていた。



 初めに響いたのは、足音。続く音、何かがこすれ合う様なそれは薫りで分かる。

 白百合の、独特な香りと共に。

 まるで、運命のように『彼』はそこに現れた。



 白い人。

 また昇り切っていない陽光に照らし出され、長い白髪を靡かせて立つ青年がそこにいた。

 その双眸の、色。

 相変わらず、美しいものだと思う。



「貴方を、お待ちしていました。クルル=ヴェーリン公爵様」

「なぜ、自分を知っている……?」



 不快そうに向けられる視線に、ああ……やはり彼はもう覚えてはいないのだと苦笑した。

 それもその筈。

 彼と出会い、別れてから既に六年近い歳月が流れている。

 そして唯一顔を合わせたあの日は、月が出ているとは言っても朧月であった。

 微かな月光で視認した顔など、数年も記憶として持つ訳も無い。

 その点で言えば、目を合わせただけで鮮明に過った自分はやはり異常だと思うばかりだった。


「あら、もうお忘れになってしまったのですね。クルル様」

 とりあえず過去に会ったことがあるのを、匂わせてみる。


「……君と面識はない」

 やはり彼は、変わらずに素気無い。

 これは大いに期待の持てる展開だった。


「ふふ、やはり貴方は私の期待通りの方」

 そう、思わず零した自分へ半眼になる彼が紛れもない彼なのだと。

 改めて確認出来たことは、とても嬉しい成果だった。


「……僕の話を聞いてるかな、君?」

 疲れた様な彼の声に、早々に本題を提示すべく。

 徐に口火を切った少女の選択が正しかったのかどうかは、彼の返答に現れている通りだ。



「貴方に、私を殺して頂きたいのです」


「…………ごめん、君ちゃんと睡眠は取った方がいいと思うよ」



 やはり冗談だと受け取られてしまったようだ。

 誤算とまでは言わないものの、まずはこの発言が全くもって冗談どころか本題であることを認識して貰わねばならない。



 そこから、彼女の十二日間に渡る序盤戦の幕が上がった。



 結論から言いたい。

 彼は、手強かった。

 まさかここまで素気無くされると、想定していなかったと言えば嘘になるものの。

 それにしても、彼は今まで彼女が関わって来た誰よりも真っ当で意外と我が強い。

 これは紛れもない誤算である。

 途中から、正攻法だけでは何年掛かるか分かったものではないと判断。

 客間からの侵入もとい朝ご飯を準備してアピール作戦まで開始してみたものの……。


『彼』は一向に揺らがない。

 思い出してもらえないのは、それはそれで構わなかった。


 ただ。


 時には、貴族の矜持にまで触れて煽ってみたのに。

 尽く温厚で、矜持を自己顕示に置き換えた事すらないのだろう彼は溜息一つで流してしまった。


 私室に引っ張り込まれた時はとうとうこの時が来たと安堵と喜びに思わず抱きついてしまったというのに……。

 上に圧し掛かるという、これ以上無いほどの失礼な状況にさえも。

 彼は酷く醒めた目をしただけで。

 持ち上げられた時には、きっと駄目だろうなと思いつつも駄目押しをしてみたが。

 やはりどこまでも、彼は彼らしく揺るがなかった。




「クルル、私を殺してくれる気になりましたか……?」




 二月後のあの日を選んで切り出したのには、理由があった。

 それは要するに期日と言ってもいい。


 まるで『呪い』のようだと称されてきたそれは、抗う術の無い殺人衝動。

 それはエリノアが十歳を迎えた頃に発現して以来、二月に一度程度の等間隔で彼女の手を血に染めてきた。


 彼女は、快楽殺人者(シリアルキラー)ではない。

 それでも、定期的に手を血に染めなければならないほどの衝動は。

 二月を越えても我慢し続ければ、理性に影響を及ぼすほどになる。

 終いには家族と他人の区別なく、手に掛けなければ儘ならなくなる程の強烈な衝動は。

 いつしか、少女の心に諦念を植え付けていった。




 父が、母と共には在れなかったように。

 自分も、きっと望んだ人と共に生きる生は全う出来ない。


 せめて、愛した人に殺されてこの生を終えたい。


 いつしか、それだけが彼女の生きる目的に置き換わっていったのだ。




 だから、この二月は彼女の望みを叶える最後の賭けの日々だった。




 けれども、彼が彼女に返した返答。

 それは、やはり揺るぎないもので。



「僕は、君を殺す労力が惜しい」



 そう、告げられた時。

 やはり彼は優しい人なのだと、思いながら。

 どうしようもなく、溢れそうになるそれを堪えるのだけで精一杯だった。



 事情を話せば、彼は自身の意思を曲げてでも……刃を向けてくれたのかもしれない。


 けれどもそれは、自分が望んだものではない。


 彼が望んで刃を向けてくれないのなら、それは死んでも死にきれない枷になる。


 我儘だと、本当はずっと分かっていた。


 分かっていると、思ってきた。


 けれど、想定を越えて愚かだった自分。


 これほど、儘ならないとは。


 こんなに酷い願いを、聞き続けてくれた『彼』をいつしか本心から愛してしまった。


 初めから、勝算の無い賭けだった。


 それでも私は、『彼』に殺して欲しかった。

『彼』に私を、愛して欲しかった。


 けれども。

 賭けの刻限は、こうして終わりを告げたのだ。



「貴方に出会えて、私はとても幸福です。……幸せな時間を、ありがとうございました」


「…………エリノア?」



 暇の挨拶を言葉に残し、背を向けようとした寸前。

 耳に滑り込んで来た、それに。

 とうとう零れてしまう。



 最後の最後で、名前を呼ぶとか。

 貴方は本当に、残酷で優しい人だね。



 惚れた弱みって、こういうことだ。

 苦笑しながら、手を振って素早く客間に滑り込む。


 後方から響いた足音に、零れ出した涙が止まらない。



 あと一月くらい、期限を伸ばせていたのなら。

 もしかしたら『彼』は自分を殺してくれたのかもしれない。


 引き止めて、くれたのかもしれない。




 共に生きる道はないのに、ふと浮かんで来たそれは。

 打ち消そうとするほどに、際限なく増えていくばかりで。

 溢れだすそれに、繰り返される仮定が虚しくて。

 邸の外へ出た後も、行く先も無く彷徨った挙句。

 結局最後に辿り着いた場所は、既に終わりを迎えた始まりの場所だった。




 それからの半月を、正直なところ少女はあまり記憶していない。

 要するに、失恋の痛みは尋常ならざるものがあった。

 身体をまともに動かす事すら億劫で、日がな一日中ぼうっとして過ごしていた。


 月が綺麗で。

 明け方の空が優しい色をしていて。

 昇り切った日差しが眩しくて。

 木漏れ日を見上げて。

 傾いて来た日ざしが柔らかくて。

 夕暮れの色が、どうしようもなく涙で歪んで。


 そんな繰り返しの果てに、少女はある日丘の上に見つけてしまう。

 その白い花弁。

 その独特な香り。

 たった一輪で風に揺れる、白百合の咲き始め。



 もう、終わりにしなければ。

 ふいに込み上げた思いに少女はとうとう決意を固めた。



 街の宿に一拍だけ願い出て、今持ち合わせのあるだけのお金で旅支度を整えた。

 久方ぶりにクリアになった思考を、長風呂でゆるゆると纏め上げる。



 もう、この雪の街には戻らない。

 此処から先は南下して、この足で進める先まで向かおう。

 もしかしたら東の王都まで足を伸ばせる機会もあるかもしれない。

 幸いにも自分には、暗殺術もとい身を守る術もある。

 途中で終わるなら、それはそれでも構わない。


 此処に留まることは、もう自分には望めない。

『彼』が住む街で、以前のような生活をする自分が考えられなかった。

 ここに思い至るまでに、半月もの日々を消費した自分に苦笑しつつ。


 思い立ったら吉日。

 明日には、ここを起とう。

 バスタブから、自然と掲げた手の平を夕陽に透かして微笑んだ。



 髪を乾かした後に、宿屋の窓辺から中央の通りを見下ろしたのは。

 そういえば今夜から収穫祭が始まるのだったかと、普段以上の賑やかさの理由に思い至ったからだった。

 改めて思い返せば、祭りにまともに参加した覚えが無い。

 その実感と物珍しさから、思わず宿の主人に言い置いて外の通りに出ていた。


 幾重にも連なるランプの灯りと、それに照らし出される露店は街の住人たちだけではなく、立ち寄った商人や旅人たちの人波でごった返していた。

 辺境の街とは言え、祭りの時期くらいはそれなりの賑わいを見せる様だ。

 露店を回りがてら、同じ年頃と思われる少女たちが踊る様子を端の方から眺めてみた。

 ここぞとばかりに着飾って、生花を髪に編み込んだ少女たちは誰もが可愛らしく見えた。

 きっと彼女たちのその手は、自分よりも遥かに綺麗で尊いのだろうな……。

 不意に物憂げな感傷が過り、内心で慌てて抑え込む。

 明日には、この街を出る。

 今夜くらいは、それなりに明るい気分を保ちたい。



 そんな思いから、ほんの少し花酒に手を出したのが思えば失敗だったのだろうと思う。



 普段はけして狂わない方向感覚が、その僅かなアルコールによって異変をきたしたらしい。



 いつしか閑散とした通りを歩いていた少女は、縫い止められたように動けなくなってしまっていた。

 来た道を戻れば、あの喧騒に戻ることが出来る。

 分かっているのに、見上げる事をどこかで望んでいたのを否定できない自分の弱さ。

 白百合の芳香に包まれたその邸は、この雪の街でこう呼ばれている。


白百合邸(リリー・ベルグ)』。


 邸の周りに生い茂る緑の囲い。

 二月の間、一方的に通い詰めた邸の間取りは元々の生業の事もあり、ほぼ完ぺきに頭に入っている。

 中庭のハーブがもうすぐ摘み頃になることも。

 裏庭に通じる小道が、白菊の丘へ繋がっている事も。

 恐らく客室の状態については、邸の主である『彼』よりも把握していると自負できる。



 苦笑した。

 本当に自分は、彼が言う通りどうしようもない。

 これほどに、恋しいと思う気持ちが厄介なものだと知らないで生きてきた。

 緑の垣根を越えるのに、躊躇いが無かったと言えば………それは嘘。

 月が、とても綺麗で。

 だから。旅立ちの前に、一目見ておきたかった。



 月明かりに出会い、月明かりの下で別れを告げて去ることが叶うなら。


 そう。結局『彼』はまだ私の望みを叶えてくれていないから。



 あの朧月の下で『彼』が約束してくれた言葉。

 それが今まで、少女にとってどれほどに大きな支えになってきたのかを。

 今までも。

 そしてこれからも『彼』が知ることはないだろう。



 客間の中に、一部屋だけ緊急用の脱出路が裏庭へ伸ばして造られている事を結局『彼』には伝えていない。

 元々は屋敷内からしか開けられない仕組みになっていたものを、手を加えて此方から開けられるようにした手前、取り敢えず戻った後に元の仕組みへ戻しておこうと思う。

 そうすれば『彼』は再び元の平穏な暮らしへ戻ることが出来るだろう。

 まるで冬眠するクマのように、眠りを中心に暮らしている『彼』はあまり邸の間取りや隠し扉に興味はない様子だ。

 把握することに、きっと意味を見いだせないのだろう。

『彼』が少女に出入り口を問うのも、それ単体への興味というよりか。

 そう。彼の平穏を脅かすものは最低限対応しておきたいということに尽きるのだろう。


 直接伝えることはもう無いけれど、その不安だけは除いて去っておきたい。


 裏庭の、白百合の群生が夜風にざあざあと花弁を揺らしている。

 その中を進んでいくと、嘗ては薔薇を象っていたのだろう鉄のアーチが視界に入って来る。


 鉄のアーチの、斜め後方。

 地面に埋め込まれた隠し扉を引き上げて、少女は白百合邸に歩を進めた。


 夜半の邸の中に、明かりは一つも見えない。

 そもそも住人が主でもある『彼』一人である為、主が寝付いている間は邸に明かりは必要ない。

 必然的に、白百合邸に明かりが付いていること自体が殆ど無いと言っていいだろう。

 真正の怠惰、とも渾名される『彼』。

 彼の生活リズムは睡眠に始まり、睡眠を挟み、睡眠に終わるのだから。



 足音を一切させずに、立った扉の前。

 毎朝のようにノックをしていた頃が過って、思わず無意識に伸ばしかけた手を辛うじて留める。


 真夜中に扉を叩くとか、それなりのホラーだ。


 可能な限り、音を殺して開錠する。

 この辺りになって大分犯罪臭が強くなる。

 そう、あの頃でさえいつも扉は『彼』が開けていた。

 開けて貰う為に、途中から連打のようになるノック。


『彼』の眠りの深さを、当初は甘く見ていた。


 全ての部屋を確認し終えて、最後に残ったその部屋にいる筈と。

 確信を持って叩いたのに……

 一向に中からは反応が返らないのだから。

 ノックをしながらも、半ば頃には半信半疑になったものである。



 だから、不信感の塊のような返答だけでも安堵したことを昨日の事のように思い返せる。

 扉を開けて貰えた時には、開かずの間が開かれた様な衝撃と喜びがあった。


 きっと、生涯忘れることはない。

『彼』に一方的にでも関わることで、自分は随分人間らしくなったと思う。



 月明かりの差し込む寝室の、中央に据えられた寝台の上。

 そっと歩み寄った先で、少女は珍しい光景に遭遇する。


 眠りを最上と断言して止まない『彼』。

 そんな彼が、悪夢に魘されている様だった。

 只でさえ日中の外出を好まない彼は、普段から雪のように白い。

 それが青白いほどに血色を失って、その肌を伝う汗がそのまま苦しみの大きさを物語るようで。


 ……これは、大丈夫なのだろうか。


 少女はこれまで朝の彼の様子しか、知らない。

 これが、毎夜の事なのかそうで無いのかさえ、判断に窮した。


 とりあえず様子を見ていたが、その間にも苦悶は増していくようだった。

 これは少女にとって、まさに想定外と言っていい状況。

 静かに眠る『彼』を確認して、小声で別れを告げて戻るだけのつもりでいたのに。



 伸ばされた手を、思わず握り締めていたのは。



 重ねたからだ。

 まだ、殺人衝動を認められずにいた幼かった少女。

 そんな少女が眠れない夜を過ごす度に、血の香りを纏って帰って来た気配。


 朝になると、必ずその手を握り締めて眠っていた父。


 あの、泣きそうな気持と共に。

 重なった手の温もりが、蘇る。



 重ねたからだ。

 父を失う寸前の、あの濃密な死の気配。


 その時に手を伸ばさなければ、二度と目が覚めない様な鮮明な予感と共に。

 重ねた手が、その後の少女の命運を左右する分かれ目となった。



『彼』が目覚める筈が、ない。



 弾かれた様に、開いたウィステァリア――――――藤色の双眸が少女を射抜く。

 その長い白髪に巻き込まれる様にして、少女の黒髪が絡み合う。



 気付いた時には、寝台の上に引き摺り込まれていた。

 僅かな隙間も許されぬ、絶対の檻のような拘束を受けて。

 少女は思う。



 きっと『彼』は寝ぼけているに違いない。



 そう、二月の後に彼女が実感として得ていたのは。


 自分は、『彼』を愛してはいても。

『彼』は、自分を愛していない。


 だからこそ、その低められた声に込められていた意図を解することなど到底叶わない。



「君、今まで何処にいたの?」

「………あの、クルル? 何時になく怖い目をしている気がするのですが……ん」



『彼』もまた、少女を愛していること。

 それに思い至ることが出来なかった少女へ、残酷な温もりが落ちてくる。

 それは、欠片の容赦も無く。

 それは、僅かな慈悲も無く。


 辛うじて、絞り出した声を………思いがけない形で塞がれた。


 その時になってようやく、少女は遅すぎる後悔を抱く。



 血は見慣れている。

 死体に慌てる繊細さも既に失った。

 一度切り替えたら、命を奪うことに躊躇いは持たない。



 そんな少女ではあったが。



 同時に少女は、こう言った場面への耐性を一切と言っていいほどに持たない。



 ようやく恋心を自覚した時には、全てが終わった後だった。

 それが、少女の認識。

 それで良かった。それで、終わらせられた筈だった。


 少なくとも、その時までは。


 込み上げた、熱。

 その起因など、その場で拾い上げられたら目も当てられない。



 こんな恥ずかしさに、耐えられそうにない。

 温もりから解放されるや否や、必死に露わにされたままの表情を隠すべく足掻いた。


 それが、逆効果であったことなど気付けない少女は。



「待たないから」



 耳元に落とされた声によって、背筋が粟立つ。

 ―――性急で仄暗い。

 ―――甘い闇に、堕ちてゆく。




 結果、全てを白状させられた。



 月明かりを背に、酷薄に笑った『彼』を見上げて告げる。

 その長い髪が、巻き付く様に広がった寝台の上で。



「クルル………生殺しなんて、酷いです」



 けして叶うことの無い願いを、抱かせる貴方。



「………貴方は、本当に残酷です」



 自分は、きっと死の瞬間まで後悔し続ける。



「あの時の君は、まだ幼かった。………夜に逢いに来なかったのは、最後まで気付かせずに『夢』のままで終わらせるつもりだったから、だろう?」



 そう、すべては『夢』のままで終わらせなければならなかったのに。

 触れてしまえば、それは終わりの合図。



 *



「死ぬことなど、赦さないよ。……だから、諦めて一緒に眠って?」


「私と共に眠ったら。………いつか、本当に目覚めない時が来るかもしれなくても?」


「もともと、君が生かしてくれた命だからね。……君の手で終わらせるのもまた一興だろう。ただ、君のその様子を見る限り……当面は僕を殺すゆとりなど持てないのではないかな?」


「………性悪」


「………今更だね。だからもう、諦めなさい」



 月明かりに照らされて、今日も彼らは囁き合う。


 *


 こうして、変わらぬ夜がやって来る。



某少女の視点から、一話の流れを補完的に振り返っていくことで物語全体の歪な部分が少しでも滑らかな形に纏められたなら……(^-^;


と、願わざるを得ません。


まだまだ不明瞭な部分は、幾らもあるかとは思いますが…


『白百合邸』を巡る、彼らの今後については其々に想像を巡らせて頂けると幸いです。


改めまして。

今この場をお借りして、最後に一言。


ありがとうございましたm(__)m

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