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月の章

 *


 これは一人の少年のはなし。

 かつて、一人の愚王が遺した落胤である彼。

 十二番目の継承者として拾い上げられた少年の母は、彼を生むことと引き換えに命を失くした。

 転がる石のように彼は最下層での暮らしを余儀無くされた。

 赤子の頃に命を繋げたこと自体が、奇跡ともいえる環境で。

 下町で、大勢の名も無い子供に混じって乞食として幼少期を生き延びた。

 転機は、十四の頃。

 あともう僅かでも下町にいる時間が長ければ、恐らく彼は男娼になっていた。

 気まぐれに拾い上げられ、王宮の端で身綺麗にされた彼は。

 周囲が目を瞠るほど、それは美しい白磁の肌と王家の血を示すウィステァリアの色彩を持つ美しい少年であったからだ。


 彼は、この造形と色彩が自身を守るものではないことを僅かな日数で学び取った。

 下町とは異なる闇色の中で、長く命を繋いでいく為には不向き。

 そう察するや、幾度となく自傷を繰り返す様になった。

 周囲が彼を追い落とす動きも、この異様が目立つにつれて減少していった。

 しかし、彼は異なる闇色の更に深い部分までは計り切れなかったのである。


 毒を杯に盛られ、生死の淵をさまよって以来。

 彼は同じ月の夜には、決まって覚めぬ悪夢に苛まれる様になっていった。


 この頃には生への執着も薄れ、衛士も連れずにふらりと出歩くようになっていた。


 幾度も暗殺者と邂逅し、しかし彼が殺されずに生き続けた理由。

 血塗れになり、もういいと命を手放そうとする度に。

 響くのは決まって、自分を殺そうとした暗殺者の断末魔。


 そのからくりを知ることとなったのは、朧月の夜。白い丘の上だった。




「君は、何をしている」

 そう問い掛けた自分に。

「父の罪過は、娘の私が雪ぎます」

 幼い少女は、そう言って血塗れの刃を白い丘に垂らした。




 月明かりが陰り、刃が紅く汚れたあの夜。

 雪の街グルーデンベルグに、王族の招待という名目で訪れていた彼の下にやはり暗殺者は送られてきた。

 特に、二年前を契機として。

 病弱であった王太子の死により、空いた空席を巡って血みどろの抗争を繰り広げていた王宮内。

 差し向けられる暗殺者の数も、その年には二桁を軽く超えていた。



 宿の裏口から、駆け上がった先が白菊の丘だった。



 そこで対峙することとなった暗殺者は、今まで送られてきた誰よりも桁外れに強かった。

 ああ、これは死ぬな。

 序盤からそう悟りながらも、幾らかは抵抗してみたのは。

 最後の場所が、寄りにも依って墓地というのも捻りが無い。

 そんな、どうでもいいような感傷が過ったからだ。



 しかし、その時は訪れる。

 護身用の剣を巻き上げられ、身を守るモノが何一つ無くなった。

 その瞬間に容赦なく振り下ろされる刃風が、頬を掠めて首へと落とされる。


 首を刎ねられ、丘を転がる――――筈の軌跡。


 だが、やはりそうならない。

 ぶわり、と舞った鮮血は彼のものでは無かった。

 こと切れる寸前に、暗殺者が呟いた言葉が彼の耳に届いた。



「………やはり、貴女が………」



 月が雲に遮られ、よく見えなかった。

 しかし、頸動脈を正確に刎ね切られた暗殺者の身体が丘の上に跳ねたのは分かった。


 またこれか。


 彼は今回こそ、その何者かを見極めるべく渾身の力を振り絞って半身を起した。

 薄ぼんやりと立つ陰に向け、誰何する。



「其処にいるのは、誰だ」



 まるで、図った様に月明かりが戻ってくる。

 同時に照らし出された人物に、全く思考がついていかない。


 なぜならば。




「君は、何をしている」

「父の罪過は、娘の私が雪ぎます」




 問い掛けよりも、呟きのようになったのは。

 其処に立ち、不釣り合いな鋭い刃を事も無げにぶら下げている影。

 滴る血の色が、その手を真っ赤に染め上げているその人物。

 それが明らかに、彼よりも遥かに幼さの残る少女だったからだ。



 身長自体、恐らく彼の半分程しかない。

 そんな少女が何故、こんな夜半に丘の上に居合わせたのか。



 馬鹿馬鹿しいとは思いながらも、思わずといった形で零れ出た言葉は戻らない。



「君も、暗殺者か……?」

「貴方を殺す予定はないです」

「……答えになっていない」

「あなたは、何を知りたいのですか」



 月の下で、ぼんやりと首を傾げた彼女はどこか人として欠落しているようだ。

 不思議そうに。モノを見るのと同じ色で彼を見詰める。



「今まで自分を助けてきたのは、何故だ?」

「助ける………そう、なりますか? 私は父の代わりに貴方が殺されない様に見てきただけです」



 少女は、淡々と彼に告げた。

 自分の父は、暗殺者同士の抗争に巻き込まれて死んだのだと。

 話を聞いてみれば。

 その父は国内でも双頭として数えられる暗殺一派の首領であったが、もう一つの頭として数えられる義理の弟に殺されたそうだ。

 その父親が残した遺言により、少女は今まで彼を狙う暗殺者を粛清してきたのだと、そう言う。



「父は死の間際に後悔したようです。要するに信頼したものに殺され、悟ったんですね。自分が広げてきた一派と自分を殺した義理の弟とその一派。残すものに、責任をとれないまま死にゆく己の業を。だから彼は、ただ一人血を残した娘に願ったのです。………全て、殺せと」


 そこまで聞いた彼は、思わず本心から呟きを零した。


「………狂っている」と。


 しかし当の少女自身は、それに対して反論する訳でもなく。まして、共感もしないのだ。

 彼女は言った。


「……そう、思われますか? 私は、せめてもの父の良心……いえ、愛だったと考えました。元々不器用な人でしたから。殺さなければ、生きられない程に。そして私も、あの父の娘です」



 そう言って、微笑んだ少女は幼さと老成。まるでその矛盾を併せ持つような横顔で、静かに対話を締めくくった。



「これは一夜の夢。あなたと私は昼と夜ほどに違う。……もう、顔を合わせることはないかと思いますが……そうですね。もし、私が父の罪過を全て雪げたその時は、ご報告程度に何か知らせを残しましょう」


「夢、か………。もし、君が宣言通りに結果としてでも僕の命を守るなら……何か、君の望むものを与えても良い気がするよ」


「………それは、本心から?」


「無駄な嘘は付かないよ。うん、もし君が宣言通りに父親の罪過を全て雪げたその時には――」



 彼がその後続けた言葉に、ゆるゆるとその瞳を丸くした少女は。

 暫くの間、彼の表情をじっと見詰めた後に綻ぶような笑顔を見せた。

 それは今までの表情が全て偽りだったのではと思わせる程の変化だった。

 白い丘の上で、昼と夜の住人は互いの存在を知った。

 白い貴族の少年と、黒い暗殺者の少女。

 まるでチェスの盤面のように、彼らは対極の存在。

 月明かりの下で、彼らは出会い。

 月明かりの下で、彼らは来るかも分からないその時までの別れを告げた。



 それが少女と彼の終わりであり、全ての始まりでもあった。


 そして月日は巡り。

 月と太陽が空を交互に往き来した後に。


 白百合の花が咲く。


 最後の血が、流されて。


 *




 こうして、変わらぬ朝がやって来る。



最後は、夜の章です。


今暫く、お待ちいただけると幸いです。

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