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ひまわりの夏

作者: ナツ

 朝、まだ覚めきらぬ目をこすりながら、ご飯と漬物にインスタントのお味噌汁という朝食を食べていると、テレビに映し出された天気予報士が嫌味なほどに爽やかな笑みを浮かべながら「今日はこの夏一番の暑さとなるでしょう」と言った。


 僕の住むこの家は三年前まで僕の祖母が住んでいた。古い日本家屋の家で庭が驚くほどに広く、知らぬ人が外から見れば森のようだと思うことだろう。

 祖母は三年前に亡くなった。以来この家は空き家になっていたのだけれど、就職して一人暮らしを始めようと思っていた僕にとっては非常に好都合だった。だから僕は親に頼みこんで亡くなった祖母の家に住まわせてもらうことになった。

 それが去年の正月の話。だから僕はこの家に住み始めてから一年と半年が過ぎようとしていた。

 祖母がまだ生きていたころ、僕は必ず夏休みになるとこの祖母の家で数日間かを過ごした。祖母はこんな時代になっても死ぬまで着物を着続けていたような人で、価値観や考え方も全く違ったし、孫である僕に対しても決して甘い顔を見せる人ではなかった。僕にとって祖母はある意味で理解の及ばない存在だった。ただ、古い日本家屋で一人暮らす祖母の後姿が僕は好きだった。

 この古い日本家屋にはいまだ祖母の息遣いが残っているようで、ときどきふとした瞬間に昔の思い出がよみがえることがある。

 祖母は庭をいじるのが生きがいのような人だった。いつも長い時間庭で過ごし、草花を愛でていた。

 そんな祖母を見ていたからなのか、僕もそういうのが嫌いじゃなくて今はキュウリやナス、トマトにシソ、そしてゴ―ヤなんかを自分で育てていたりする。まあ、根本的なところで祖母とは違うけれど。そして僕も祖母がよくそうしていたように、縁側に座って長い時間、広く鬱蒼とした庭を眺めるのが好きだった。

 だからその時も僕は特に目的があるわけでもなくただ一人縁側に座って庭を眺めていた。

 虫よけに焚いた蚊取り線香の煙が真っ直ぐに上に登っていく。

 ときおり風がふくと風鈴が鳴った。縁側は深く生い茂った庭の木々のおかげですっぽりと日陰に入っているため、へたに中にいるよりもよほど涼しかった。僕はこの家を気に入っているのだけれど唯一クーラーがないのがつらかった。そしてもちろん僕には自分でクーラーを買う余裕なんてない。

 団扇を片手に冷やしておいた麦茶を飲みながら、僕はなにをするでもなくだらだらと縁側で時間を過ごした。久しぶりの長期休暇だというのにこんなことをして過ごしているのは僕くらいなものだろう。

 それにしても、暑かった。どうやら腹立たしいことに予報士の言っていたことは本当らしい。日陰に入っているというのにじっとしているだけでも汗をかく。それに追い打ちをかけるかのようにびっくりするぐらいの数の蝉が鳴いていた。「蝉時雨」とはよく言ったものだ。文字通り雨のように音が降ってきて、僕の身体に当たっては弾けた。どうやら蝉たちにとっても緑の深いこの庭は居心地がいいのだろう。

 それでもこんな五月蠅さの中、僕の隣では飼い猫のマルがすやすやと眠っていた。いや、飼い猫というのは正確ではない。勝手にこの家にすみついている猫だ。そして僕が勝手にマルという名前を付けた猫。

 風鈴が涼しげな音を立てた。僕は無防備に眠りこんでいるマルのおなかを指でつついてみたりして遊んだけれど、マルはちっとも反応してくれなかった。

 午前中の夏の空はびっくりするくらい青くて、冗談みたいに大きな入道雲が一つ浮かんでいた。

 ふと僕の隣でマルが目を閉じたままぴくんと耳だけを立てた。何だろうと思っているとマルは大きなあくびをして、ゆっくりとめんどくさげに起き上がり歩いてどこかへ行ってしまった。マルが居なくなってしまうと、不覚にも僕は少し寂しくなった。

 その時、不意に生垣がごそごそと不自然に揺れた。猫か狸だろうと僕が考えていると、生垣をかきわけて現れたのはそのどちらでもなかった。

 そいつはきょろきょろと庭を眺めまわすと、勝手にいろいろと歩きまわり始めた。どうやら縁側の僕には気が付いていないみたいだ。しばらくあっちに行ったりこっちに行ったりしたのちに見るからにがっかりした顔でわざとらしいため息をついた。

「なあ。なんか用か?」

 僕がそう声をかけると、そいつはびくっと漫画のように飛び上がった。それをみて僕が思わず失笑すると、そいつは怒った顔で僕を指差した。

「がっかりだ!」

唐突に、そしてはっきりとそいつはそう言い切った。当然僕には意味がわからなかった。

「はあ? がっかりって何がだよ? お前迷子か?」

「まいごじゃない。ヨータだ!」

「ヨーダ? あのちっこくて緑色の? まあ確かにお前、ちっこいけど緑色じゃないな」

僕がふざけてそういうと、いまいち通じなかったのか大真面目な顔で首をぶんぶんと横に振った。

「ちがう! ヨータだ!」

ヨータと名乗ったそいつは八才位の子供だった。服や顔が土で汚れていて小汚く、こっちが笑ってしまうほどに活発で元気な子供だった。不法侵入なんて言葉、聞いたこともないんだろう。子供は怖いもの知らずで、それだけに一番自由な生き物かもしれない。僕は愉快になって尋ねてみた。

「ヨータか。じゃあ、ヨータ。がっかりって、何ががっかりなんだ?」

「こんなでっかいにわなのに、ヒマワリがないからがっかりだ」

「なんだ、お前向日葵探してんのか?」

「ちがう。でっかいヒマワリをさがしてるんだ」

ヨータはそういうと胸を張った。よくわからないけれどこいつはとにかくでっかいひまわりを探しているらしい。

「だれだ。おまえ?」とヨータは僕を指差して言った。

「だれって、この家に住んでる人間で、名前は慶司っていうんだ」

僕がそう名乗ると、とたんにヨータは目を輝かせた。

「ケイジなのかおまえ? 知ってるぞ。ケイサツのひとなんだろ。わるいやつつかまえたりする。ケンジュウとかもってるのか?」

「違う、違う。その刑事じゃない。名前が慶司なんだって」

僕がそう弁明するのもむなしくヨータはにこにことしながら、僕の隣に腰を下ろした。こちらがびっくりするほど無邪気で無防備だった。初対面の人間にこんな簡単に近づくなんて、僕には理解できない。

「なあ、ケイジだったらさがしものとかもとくいなんだろ?」

「だから、刑事じゃないって。慶司って名前なんだよ」

「え? ケイジでなまえがケイジなのか?」

「違う! 俺は刑事じゃなくて、名前が慶司だっていってんだろ?」

僕が必死になってそう説明してもヨータはぽかんとした顔をして理解できていないようだった。なるほど、どうやら子供だとかなんとか言う前にこいつの頭が特別残念なようだ。

「はー、もうなんでもいいよ別に」

僕は疲れを感じてあきらめることにした。ヨータは何をしていたのか汚れていたし汗もすごくかいているようだった。だからとりあえず僕はグラスを持ってきて麦茶を注いでやった。するとヨータはパアっと顔を明るくさせると、考えなしに麦茶を一気に飲み干した。冷たくしていたものだから頭がキーンとしたようで、がんがんと自分の頭をたたいた。

「ばーか」

呆れたように僕がそういうとヨータは恥ずかしそうに、にししと屈託なく笑った。本当にころころとよく表情を変える。口が悪いし頭も悪いみたいだけれど、くりくりとした目をしていてなかなかに可愛いし愛嬌がある。そしてびっくりするほど人懐っこい。僕は気がつくとすっかりヨータに好感を抱いていた。

猫みたいなやつだなと、僕は思った。きっとどこへ行っても人から愛される。そんな存在なんだ。僕には少しうらやましくすらある。

「ケイジならいっしょにでっかいヒマワリさがすのてつだってくれよ」

 ヨータはいきなりそんなことを言ってきた。初対面の赤の他人である僕に、だ。

「はあ? ちょっと待て。どうなったらそういうことになるんだよ? お前の思考回路どうなってんだ?」

 思わず素でそう言い返してしまったけれど、思考回路なんて言葉、案の定ヨータに分かるはずもなく再びぽかんとした顔をした。

その顔が余りに間抜けで僕はまた思わず吹き出してしまった。ヨータは何故笑うのかわけがわからないようで口を開けたまま首をかしげた。それがまたどうにもコミカルで僕は再度収まりかけていた笑いの波に飲み込まれた。そんな僕をみて次第にヨータもつられて笑い始めた。そして二人して炎天下の中で蝉の声に負けないくらいに馬鹿馬鹿しいくらいに笑い続けた。

 こんなに笑ったのはいつ以来だろうか。しばらくして笑い疲れてしまった僕はヨータに向かいなおった。

「ふー。いいよ。まあ、どうせ暇だしな。そのでっかい向日葵? 探すの付き合ってやるよ」

 僕がそういうと、ヨータは見ているこっちが楽しくなってしまうほどに喜んだ。

「ほんとうか? ほうとうにか?」

「男に二言はないからな」

 僕はそう気取っていってみた。まさか自分がこんな臭くてレトロなセリフを吐くことになるとは思わなかったけれど、言ってみると案外に気持ちよかった。

「ケイジ。おまえ、いいやつだな」

 しみじみと感心したようにヨータはそういうと、僕の目を正面から覗き込んできた。澄んだ瞳と言うけれど、僕は実際にそんな瞳を見るのは初めてだった。

「呼び捨てすんな。「さん」をつけろ「さん」を」

 僕はそういうと、ごしごしと乱暴にヨータの頭をなでた。ヨータはくすぐったそうにしたけれど、それでもどこか楽しそうだった。

 そうして僕とヨータのひまわりの夏が始まった。


 ヨータは気が向くままに町を歩き回った。仕方なく僕もその後ろをついて行くのだけれど、子供だからか通る道がふだん僕が通ることもないような狭くて急な坂道や草木に覆われた階段、竹藪に陰る古道などで僕にとってはちょっとした冒険だった。

 さながら野良猫の後をついて歩いているような気分だった。けれど正直に言うとすごく楽しかった。僕もわりと散歩はするのだけれど、ヨータの後を歩く道は僕がいままで見落としていたような小道や裏道ばかりで、それまで知らなかった町の違う姿が見えたような気がした。

 子供の視点は常に僕とは違うものをとらえているのだと思う。ヨータの後ろを歩いていると思わぬところにロマンが転がっていた。久しく忘れていたあの好奇心や冒険心がくすぐられる独特の心地よさを僕は思いだした。

「なあ、ヨータ。お前は向日葵を探しているんだろ?」

 少し息が上がり始めたころ僕はそう問いかけてみた。それにこたえてヨータは振り向くことなく力強くうなずいた。その間も真剣な目できょろきょろと周りを見渡している。

「だったら、さっきから何本か向日葵見かけてるじゃないか」

「だめだよ、ちっちぇえのばっかだったもん。でっかいヒマワリじゃなきゃだめなんだ」

 ヨータは真剣にそういうと、どんどんと歩を進めた。

「でっかいって。どんくらいのでかさじゃなきゃ駄目なんだ?」

 続けて僕がそう尋ねると、ヨータはくるりと振り返った。

「これくらいでーっかいの」

 そういってヨータは背伸びをして限界まで自分の腕を上に延ばした。

「おれくらいの高さか」

「ケイジちっちぇえもん。もっと、でっかいやつじゃなきゃダメだ」

 若干イラッとしてしまったけれど、相手は子供なのだからむきになるのも馬鹿らしいと思いつつも気がつくとぽかりとヨータの頭を叩いていた。まあ、無意識の行為なのだから不可抗力だろう。

 ヨータはわけがわからないといった顔で頭をさすっていたけれど、理不尽なことはこの世の中に溢れ返っているわけで、それを人よりもほんの少し早く体験させてあげたわけだからむしろ憎まれ役を買って出た自分に感謝してほしいくらいなものだ。

 とまあ、冗談はさておいて、僕は具体的にどのくらいの高さのひまわりを探しているのかを聞いてみた。

「んー。父ちゃんよりもでっかいやつじゃなきゃだめなんだ。だから。これくらいだな」

 そう言ってヨータは横の壁をぱしぱしと手でたたいた。その壁は二メートルくらいの高さの壁で、僕が手を伸ばしても届く高さではなかった。

「お前の親父は巨人なのか?」

「ああ、おれの父ちゃんはすっげーでっかかったんだぞ!」

 ヨータはそう自慢げに話した。ということはこいつも将来はでかくなるのだろうか。僕はヨータを見ながらそんなことを考えたけれど全然想像できなかった。

「だけど、言われてみると二メートルくらいの向日葵なんてあんま見かけないよな。品種よっちゃあそのくらいまで育つって聞いたことあるけど、実際探してみるとこんな住宅地じゃあ、なかなか見つかんないもんなんだな」

 思ったよりもめんどくさいことを引き受けてしまったかもしれないなと思ったけれど、不思議と後悔はなかった。

「だったらもっと、河原とか探した方がいいんじゃないか。よくは知らんが向日葵って日のあたる場所に生息するもんだろ」

 僕がそう提案すると、ヨータは驚いたように目を見開いた。

「ケイジ。おまえヒマワリくわしいんだな! さすがケイジだな」

 聞いてるこっちに頭がこんがらがってくる。

「あー、もうややこしいな。俺も別に詳しいわけじゃない。それとちゃんと「さん」をつけろっていったろ?」

「なんでだ? ケイジはケイジだろ?」

 びっくりするほどまっすぐ過ぎるセリフに僕は言葉に詰まってしまった。やたら深いセリフにも聞こえなくはない。もっとも実際はただの言い逃れに過ぎないのだけれど、子供が言うと何やら考えさせられてしまうから不思議だ。無邪気というのはある意味不気味である。

「とにかく、河原に行ってみよう」

 僕はいろんなことをあきらめつつ、そう提案した。


 僕らは河原に行くと、しばらくあたりを気ままに散策した。河原は川が冷たい空気を運んできてくれるのか、涼しい風が吹いていた。

 ほどなくして幸運にも群生したひまわりを見つけた。それを見つけたヨータは大喜びでかけて行った。 

 だが、多く生えているように見えたのだけれど、二メートルの高さのあるひまわりはそのうちの数株だけだった。それでもヨータはその数株を真剣な目つきで選び出すとポケットから剪定鋏を取り出して、根っこの近くでその太い茎をバッサリと切った。

「でっかいな」

 思わず僕はそう漏らしていた。それほどにひまわりは大きかった。考えてみればこんなに間近でひまわりを見ることなんて最近なかった。ヨータと並んでみるせいかひまわりは余計大きく見えた。

 小さなヨータが両手で抱きかかえるようにして背の高いひまわりを持っている絵はなんとも可笑しくて可愛いらしかった。

「よかったな。見つかって。まあ、それにしても結構よく歩き回ったな。うちで茶でも飲んで帰るか?」

 僕がのんびりとそういうと、ヨータは眉を寄せながら強く首を振った。

「なにいってんだ? もっといっぱいヒマワリなきゃだめなんだぞ」

「なんだ。いっぱいって? それじゃ、ダメなのか?」

 ヨータが抱えているひまわりを指差して僕はそう聞いた。するとヨータはいったんヒマワリを置いて、またごそごそとポケットを探ったかと思うと紙切れと鉛筆を出して線を描き足した。

「んーと。あと、50本くらいだな」

 そうヨータはあまりにも平然と言ってのけた。

「50本って、この大きさの向日葵をか? あと50本も集めようってのか?」

「そうだぞ」

 当然だろうという顔でヨータはうなずいた。

「ちょっと待て。お前あと50本って言ったがな。じゃあ一体全部で何本集める気なんだ?」

「100本あつめる」

 これまた平然とした顔でヨータは言ってのけた。

「おれがもう50本くらいあつめたからな。あと、はんぶんだな」

 その時の僕はさぞや頭のわるそうな顔をしていたことだろう。驚きのあまり声を失ってしまった。 

 50本? こんな小さな子供が? 二人でさんざん歩き回ってようやく見つけたひまわりを一人で50本も集めたのか?

 僕には想像もつかない。こいつは一体どのくらいの時間を、そしてどのくらいの労力を費やしたのだろうか。きっと僕と出会う前からこうやってずっと一人で歩き回って、服を泥だらけにして、でっかいひまわりを探していたんだ。

「・・・・・お前。なんでそうまでして向日葵を集めるんだ?」

「父ちゃんにやるんだ」

 ヨータは短くそういうと僕に向き直った。その目を見た瞬間、僕は鳥肌が立った。

 いろんな感情がごちゃごちゃになって、それがまとまりきらないまま混在して、すごい熱量を持った瞳が僕を見据えていた。

「・・・・・ヨータ?」

 僕はなぜだか心がざわめいて、気がつくとヨータに手を伸ばしていた。だけどその手が触れるか触れないかのところで、ヨータは僕の手から逃れるように一歩下がると土手を駆け足で登って行った。仕方なく僕もその後を追った。

「ケイジ。ホリオしっているか?」

 唐突にヨータはそう僕に聞いてきた。

「ホリオ?」

「父ちゃんがな、ホリオってやつがすきだったんだ。ゆーめいなサッカさんなんだって。それでな、そのホリオのヒマワリのハイクが父ちゃんすっごくすきで、おれにおしえてくれたんだ」

「向日葵の俳句? どんなやつなんだ?」

「なんかな、ヒマワリはガイジンよりもでっかいんだぞー! ってハイクなんだ」

「なんだそれ?」

「おれもなんだそれっておもった」

 そういうとヨータはにししと照れくさそうに笑った。

「父ちゃんはな、ホリオはでっかいガイジンよりももっとでっかいヒマワリをみて、かんどーしたんだろうっていってた。そんで、そのきもち、父ちゃんもよくわかるんだって。父ちゃんもでっかかったから、じぶんよりももっとでっかいヒマワリがだいすきだっていってたんだ」

 いつの間にか日は傾き、雲が綺麗に茜色に染まっていた。ひまわりも僕らも温かく柔らかな光に包まれて、僕らの影はずっと後ろまで驚くほど長くのびていた。

 鼓動の打つ音がうるさいほどに感じられた。 

 なんで、なんでこいつは親父さんのことを話す時、昔のことみたいに喋るんだろう。

 思えば最初からずっと違和感は感じていた。けれどその時僕はそれを聞いてしまうのが怖くて、結局聞くことができなかった。

「だからな、おれはいっぱいヒマワリあつめて父ちゃんにやるってきめたんだ」

 そういったヨータは笑顔だった。だから僕も頑張ってヨータと同じような笑顔を作った。

「そうか。だけど日が暮れてきたから今日はここまでにしよう。あんまりお袋さんに心配かけんなよ?」

僕がそういうと、意外にもヨータは素直に聞き入れた。

「わかった。けど、かえるまえにヒマワリおいてくからケイジもついてきて」

 そういうと、すたすたとヨータは歩を進めた。

 言われてみれば、ヨータはひまわりをどこに集めているのだろうか。この大きさのひまわりを五十本も置いておける場所なんて僕はとっさに思いつかなかった。

 僕は黙ってヨータの後をついていった。途中、先ほどの疑問が何度も頭によぎって、そのたびに息が苦しくなった。

 結構な時間がたった。日が沈むと、驚くぐらいの速さで夜が来た。僕はしだいに少し不安になった。こんな時間までヨータみたいな子供が外を出歩いて、ヨータの母親は心配しているのではないか。しかしそんな僕の不安もヨータにはどこ吹く風だった。

 さすがに声をかけようと思ったところで、ヨータは立ち止まった。

「ここなんだ」

 ヨータが立ち止まったのは小学校の裏の通りだった。何だろうと思っていると、止める暇もなくヨータはひまわりを持ったまま器用に学校の塀をよじ登り始めた。ちょうど塀に寄り掛かったように置いてある看板を足場にして慣れた様子でヨータは軽々と塀を越えた。

 僕はどうしようかとしばらく迷ったのだけれど、ここまで来てしまってはもう開き直るしかなく同じようにして塀を乗り越えた。塀の向こうでヨータは僕が乗り越えるのを待っていて、僕らは目が合うとお互いに、にやりと不敵に笑った。

 それから僕はできるだけ音をたてないようにしてヨータの後を追った。夜の学校に忍び込むなんてすごいドキドキ感だった。しばらく暗闇の中進むとフェンスに突き当たった。僕はどうするのかとヨータを見ていると、ヨータはごそごそと足元の乱雑に伸びた雑草を掻きわけた。するとその個所のフェンスに穴が開いていて、ヨータはその穴をくぐってフェンスを抜けた。その穴はいささか僕には小さかったが四苦八苦した末どうにか僕も抜けることができた。

 フェンスを抜けた向こう側はプールだった。僕はヨータが何を意図してここに連れてきたのかがよくわからなかった。しかし、雲に隠れていた月が顔を出した瞬間、僕ははっと息をのんだ。

 月明かりに照らされたプールの水面には何十本ものひまわりが浮かんでいた。その数はたぶん五十本ほど。そしてそのすべてはヨータの言うでっかいひまわりだった。

「きれいでしょ? このプールにヒマワリをあつめてるんだ」

ヨータは自分の秘密基地のことを話すかのようにちょっと自慢げにそういった。

それは美しく、幻想的な光景だった。

深淵なる闇のようなプールに浮かぶ月明かりに洗われた何十本ものひまわりは、さながら闇の中に浮かびあがり、淡く発光するいくつもの黄色い太陽だった。

「綺麗だ」

 僕はため息をついて、そういった。それを聞いてヨータは満足したのかにっこりと笑うと持っていたひまわりをやさしくそっとプールに浮かべた。

「なんかね。このプールのやね、ローキューカがすすんでて、あぶないからとりこわしちゃうんだって。だからいまはかぎがかかってて、ひとがはいってこないし。それにここはそとからじゃみえないんだ」

 ヨータはそういうと上を見上げた。僕も習って視線を上に向けるとなるほど一応申し訳ない程度の屋根が付いているのだけれど、真中にぽっかりと大きな穴があいていてそこから月明かりがさしこんでいた。

「よく考え付いたな、こんな場所」

「ほら、みずあげないとヒマワリしんじゃうでしょ。ほかにおくところもないし。だからここがいいなーっておもったんだ」

 ヨータは恥ずかしそうに、少し自慢げにそう語った。僕は素直に感心した。案外頭はいいのかもしれない。小学生がよくこんなことを思いついたものだ。そしてそれを実行に移してしまう大胆さに僕は舌を巻いた。

 ヨータはおもむろに履いていたサンダルを脱ぐと、プールサイドに腰をおろして水に足をつけた。そして音をたてない程度にゆっくりと足を動かした。

「あのさ・・・・・」

 ヨータは珍しく恐る恐るといった感じで口を開いた。ちらちらとこちらの顔を窺うようにしているのがわかった。

「なんだ?」と僕は促した。

「あのさ、ケイジ。あしたもいっしょにてつだってくれるか?」

 不安そうな目でこちらを窺いながらヨータは小さな声でそう言った。その様子が可笑しかったものだから、僕はちょっと意地悪をして考え込むふりをした。すると、ヨータはますます不安そうに顔を曇らせたので、僕は笑って答えることにした。

「しょうがないな。まあ、いいもの見せてもらったし、借りは返さなきゃいけないからな」

 僕がそういうと、ヨータはパアっと顔を明るくさせて飛び跳ねるようにして僕に抱きついてきた。

「ただし条件がある―――」

といって僕はヨータに、夜になる前には必ず家に帰ること。そしてお母さんに謝って、事情をきちんと説明することを手伝いの条件として約束させた。


 次の日から、ヨータは毎朝早く僕の家にやってきた。そして僕らはおそろいの麦わら帽子をかぶり、冷やした麦茶を入れた水筒を肩に下げ、ひまわりを探す旅に出るのだった。

 僕らは朝から夕方までいろんな所を歩き回った。お昼になるといったん僕の家にもどって、氷をたくさん浮かべたそうめんを二人ですすった。

 日によっては数本しか見つからなかったり、いくら歩きまわっても1本の収穫もなく終わる日もあった。さすがに近隣のひまわりはもうないかと思い、電車を乗り継いで隣町に行くこともあった。それでも毎日が楽しかった。笑わない日はなかった。

 そして確実にプールに浮かぶひまわりの数は増えていった。


 僕がヨータと出会ってから五日目のこと。

「かあちゃんが、ケイジにひるごはんたべにこいって」

 朝、開口一番ヨータはそう僕に告げた。どうやらヨータは僕との約束をちゃんと守ったらしい。だがそのおかげで少しばかり面倒くさいことになった。僕は断るわけにもいかずしょうがなく承諾した。

 僕らは昼になるまで、また昨日と同じように町を歩き回ってひまわりを探した。すると運よく早速ひまわりを見つけ、高さの条件を満たすひまわりを数本選び、またいつもと同じようにヨータがハサミでバッサリと切り取った。

 そうこうしているうちに、太陽は僕らの頭上高くに登っていた。

 ヨータの家はマンションだった。玄関で僕は少し緊張して待っていると、ヨータの母親は明るく出迎えてくれた。

 ヨータのお母さんは僕が思っていたよりもずっと若く、僕より五歳くらい年上の女性だった。

「あなたが、陽太のお友達の刑事さん?」

「いや、えっと、ケイジっていうのは名前で、別に刑事なわけじゃないんですけど」

僕がそうしどろもどろに答えていると、冗談だったのかヨータのお母さんはいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「どうぞ上がって」

「・・・・・おじゃまします」

 ちょっとドキドキしながら僕は家に上がらせてもらった。すると、美味しそうな匂いがしてきて、そして初めて自分がひどくおなかが減っていることを知った。

「スパゲティーを茹でたのだけれど、食べられる?」

「あ、はい。大好きです」

 ヨータのお母さんは、僕に席に着くように促すと自分は向かい側に腰を下ろした。ヨータは僕の隣に座って三人で「いただきます」をすると、僕らはスパゲティーを食べ始めた。

 軽く会話を挟みつつ、時折ヨータのお母さんが質問をして僕がそれにこたえた。ちなみに言うとヨータのお母さんのスパゲティーはびっくりするほどおいしかった。

 昼食が済んで、一息ついたころヨータのお母さんが紅茶をいれてくれた。僕らはリビングに移るとソファーに座った。

「母ちゃん。ケイジ、ホリオのこと知らないんだって」

 ふと思い出したのかヨータはそうお母さんに言った。するとお母さんはびしっとヨータの頭をはたくと少し怒った顔をした。

「陽太。慶司さんでしょ? ちゃんと敬語を使いなさい。ごめんなさい。ホントにこの子、生意気で」

 ヨータのお母さんは困ったような笑みを浮かべて僕に頭を下げた。

「あの、別に僕は構いませんよ。それよりホリオって誰のことなんですか?」

 僕がそう尋ねると、ヨータのお母さんは少し考えるようしてから楽しそうに答えた。

「ああ、きっと堀辰雄のことだと思います。主人が好きで」

「堀辰雄って、あの「風立ちぬ」とか書いた人ですよね?」

 僕が自信なげにそう聞くと、ヨータのお母さんはこくりとうなずいた。

「違うよ、ホリオだよ!」

ヨータは頬をふくらましてそう一人反論した。

「ほら、ホリオのヒマワリのやつあったじゃん。ヒマワリの、父ちゃんがすきだったやつ」

「ああ、あの俳句ね」

 そういうとヨータのお母さんは懐かしそうに目を細めた。

「堀辰雄の書いた面白い俳句があるんですよ。主人もこの子も気に入っちゃって。そういえば軽井沢に行った時にあの句が書いてあるポストカードを記念に買ったんだけど、どこにしたかな?」

「あ、いえお構いなく」

 僕がそういうと、ヨータのお母さんは可笑しそうに笑った。

 それから僕らは他愛もない話をした。僕らは父親の話に触れることはしなかった。ヨータのお母さんはよくしゃべる人で、話も面白く時間が進むのが早かった。

 気がつくと、僕の隣でヨータはすやすやと眠ってしまっていた。ヨータのお母さんは立ち上がるとそっとヨータに毛布をかけた。そして再びお湯を沸かすと紅茶をいれてくれた。

 僕は勇気を振り絞って、尋ねてみることにした。

「あの、ヨータが向日葵を集めているのは親父さんのためだと聞きました」

「陽太はあなたに父親のこと、話したの?」

 なんでもないような軽快な口調でヨータのお母さんはそう尋ねてきた。ただ口調とは裏腹にヨータにそっくりなその瞳はまっすぐで真剣だった。

「いえ、ヨータからは何も」

「そう」

 そう答えたヨータのお母さんは少し疲れた顔をしていた。

「陽太から話を聞かされて驚いた。あの子が主人のために向日葵を集めていたなんて全然知らなかったの。最近私自身仕事で忙しくて朝から夜まで家を空けていたから。あの子がそんなことしているなんて夢にも思わなかった」

 そういって手で顔を覆うと深く息を吐いた。

「あなたには感謝しています。主人が居なくなってから、仕事のせいであまりこの子の面倒を見てあげられていなかったから、寂しい思いもさせていたと思う。相手をしてくれてありがとう」

「それじゃあ・・・・・・」

「死んだの。主人・・・・・陽太の父親は去年の夏、交通事故にあって」


 予想してはいた。だけれどそれが事実として突き付けられると、やっぱり重かった。

「暑い日だったな。アスファルトが溶けそうに熱くてね、陽炎のせいで景色が歪んでた。熊みたいに丈夫で大きな人だったんだけど。人なんて呆気ないんだよね」

 ヨータのお母さんは軽い調子でそういった。別に強がっているようでもなく、特に感情の揺らぎはなかった。ただ、淡々と語る彼女は、どこかに消えていなくなってしまいそうなほどに存在が儚げだった。

「けど、あなたも変わってるわね? 子供とそんな真剣に付き合えるなんてなかなかできないわ。一種の才能ね」

 賞賛するようにヨータのお母さんはそういった。

「いや、おれが勝手に楽しんでるだけですから。ヨータの見ている世界をちょっと横から覗き見させてもらえるだけで、すごく楽しいんです」

「それは、うらやましい」

 ほっと息をつくと、本当にうらやましそうに笑った。

「ホント、せっかく仲良くしてもらっているのに、残念ね」

 そういうとヨータのお母さんは軽いため息をついた。僕はその言葉の意味が分からなかったので聞き返した。

「どういうことですか?」

「あれ? 陽太から聞いてなかったの? 私たち引っ越すの。来週の主人の誕生日を待ってから」

「引っ越すって、どこに?」

「北海道。私の実家があるの。だから、もうこの街にはなかなか来ることができなくなるわね」とヨータのお母さんは寂しそうに言った。

「そう、なんですか」 

 僕はしばらく声を失った。そうだ、いつも別れは唐突なものだった。


 来週になればヨータは北海道に行ってしまう。僕らに残された時間はあと四日しかなかった。

 ヨータが付けていたひまわりの記録を見ると、目標の百本まであと20本ほどだった。はたして間にあうのだろうかと自分に問いかけた。分からない。だけど、僕はできるだけのことはしたかった。

 僕とヨータは二人で相談して、おにぎりを持っていくことにした。それならばお昼は歩きながらでも食べられるし、いちいち僕の家に帰る手間も省ける。おにぎりはヨータのお母さんが快く二人分握ってくれた。

 そうしてそれまで以上に僕らは頑張ってひまわりを探した。さすがに連日長い距離を歩いているものだから、身体のあっちこっちが痛んだし、足に出来た豆はつぶれたりしていた。しかし、それでも僕らは足を止めることはなかった。

 時間は誰にでも平等に流れる。だけど僕らには時間の流れが残酷なほどに早く感じた。


「ケイジ、おこってるか?」

 ヨータはそんなことを質問してきた。

「怒ってるよ。なんで、引っ越すことおれに黙ってたんだ?」

「だって、いったらケイジてつだってくれなくなるとおもったんだ」

 麦わら帽子を深くかぶって、ヨータはそういった。

そうか、こいつ意外に臆病な奴だったんだ。僕はそう思うと少し笑ってしまった。

 夕日が川の向こうに沈んでいく。明日はヨータとの別れの日だった。ヒマワリはあと1本で目標の100本になる。だけど、その1本を朝からずっと探しているうちに気がつくともう時間が来ていた。

 いつの間にかヒグラシが鳴きはじめていた。うだるような暑さも消え、風もどこか涼しさを増した。

言いようのない物悲しさに僕の心は揺れた。

 夏の終わりも近い。

「あと1本だから。今日は特別夜まで探そうか?」

夕日が川向うに沈むと、暗闇があっという間に街を呑み込んでいった。僕がそう提案するとヨータはうなずいた。けれど、その横顔にはいつものような明るさがなかった。

 僕はヨータのお母さんに電話をかけて事情を説明して、いったん家に戻り懐中電灯を二つ持ってきた。

 しかし、懐中電灯の光は僕らの前に横たわる茫漠な暗闇を照らすにはあまりに儚すぎた。永遠と広がるように思える夜の闇の中で僕らは黙々と歩いた。

「見つからないな」

 空気を重く締め付けていた沈黙を破りたくて、僕がそう話しかけると前を歩いているヨータは振り返らずに黙ったままうなずいた。

 月は今にも消え入りそうな繊細なカーブを描いていて、月の光も夜の闇の前では頼りなかった。

 僕らは再び沈黙の中に身を置いた。そしてあてもなく夜の河原を歩き続けた。朝からずっと歩き続けて、僕の身体は疲労で悲鳴を上げていた。ヨータも同じなはずだ。むしろ僕よりも疲労は小さなヨータの身体に重くのしかかっていると思う。それなのに、ヨータは不平の一つも洩らさなかった。

 深夜を回って、それでもまだ僕らはひまわりを探し続けていた。お互いに、口をきくことも出来ないほどに疲れきっていて、ヨータはもうとっくに限界だった。

「ヨータ。もう帰ろう」

 僕がそう声をかけると、ヨータは振り返って懐中電灯の光で僕を照らしてきた。

「疲れたよ、俺。もう一歩も動けん。家に帰ろう」

「そうか。わかった。ケイジはもうかえっていいぞ。きょうはありがとな」

「そうじゃなくてだな・・・・・」

 頑固者め、と心の中で毒づいた。

「あきらめよう。今日はもう無理だ。お前のお母さんと約束した時間も過ぎたし、一緒に家に帰ろう」

「だめだ。まださいごのヒマワリをみつけてない」

「いいじゃないか。99本も集めたんだ。十分だよ。親父さんも絶対に喜んでくれるさ」

 僕は自分がずるいことを言っていることを分かっていた。

 ヨータがひまわりを100本も集めようとしている理由。きっとそれは死んだ親父さんを喜ばせようとしてだけではないと思う。ヨータは親父さんのためにひまわりを100本集めることで、一つの区切りをつけようとしているのだと思う。

 ヨータは親父さんの眠る土地から離れて、新しい土地で生きていこうとしている。二つの意味での別れを前に、ヨータは親父さんと、そして自分自身と向き合っている。そのために無茶な課題を自分に出した。

 すごく不器用なやり方だ。けれど不器用なりにも向き合うために努力しているヨータに僕は心を動かされたから、今もこうやってひまわりを探す手伝いをしている。

 だからこそ、最後の1本は大きな意味を持つ。それは分かっている。けれど、今にも泣き出しそうな顔をしながら必死になって懐中電灯を振りまわしているヨータの姿はもう見ていたくなかった。

「・・・・・・あと1じかんだけさがさせて。そしたら、かえるよ」

 そういったヨータの声は意外にも力強くて、大人びて聞こえた。

「わかった」

 絶対にまた駄々をこねると思っていた僕は少し驚きながらそう答えた。それからヨータの頭にぽんと手を置いた。けれど、それだけではなんだか気が済まなくてヨータのほっぺたを引っ張ったり、顔を両手で挟んだりしてみた。あまりに僕がべたべたしすぎたらしくヨータは本気で切れて、「うがー」などと奇声をあげながら懐中電灯を手に殴りかかってきたのだけれど、あと一歩というところで唐突にピタッと止まった。

「ケイジ」

「なんだよ」と僕は怯えた声で聞き返した。

「ほしがおちてきそうだ」

 そう言ってヨータは夜空を指差した。それに導かれて僕も空を見上げた。

 暗幕にちりばめられた数えきれないほどの光の点。夏の大三角をまたぐようにして、天の川の流れが僕らの頭上で世界を二つに分けていた。

僕は信じられない思いで、その星空を見上げた。

 僕らの目に映る星たちの光。その一つ一つが何光年という時間を旅している。僕らはその、終わりがあるのかも分からない旅の途中を垣間見たに過ぎない。その想像も出来ないほどに巨大な時間を思うと僕は圧倒された。彼らの旅に比べてしまうと、僕とヨータが過ごした時間はどれほどに短いものだろうか。

 けれど僕らはそのわずかな瞬きに等しい時間の中で、いろいろな感動を共有した。そして今もまた僕らは時を共にして同じ夜空を見上げている。

「なあケイジ。ほしはおちてくるのか?」

 そう不安そうにヨータは僕に尋ねてきた。

「ああ、落ちてくるとも」と僕は真顔で答えた。

「それはこまるぞ! ちきゅーはどうなっちゃうんだ?」

「そしたら地球は粉々になって、俺らも宇宙の塵になるんだ。もしかしたらその塵が軌道から外れて、月とか火星とか木星に隕石になって降ってくかもしれないな。それでもしかしたら太陽系を離れて人間がまだ知らない宇宙を旅するのかもしれない」

 僕の言葉を聞いて、何を考えたのだろう。ヨータは難しそうな顔をしながら腕組みをした。

「ちりになるのはやだな」

「同感だよ」

「けど、それもたのしいかもな」

 ヨータはそう言って、夜空に光る星たちに手を伸ばした。僕はこいつだったら本当に星を捕まえられるんじゃないかと思った。

 僕とヨータの最後の夜はそうして過ぎて行った。塵になった僕らが行きつくかもしれない遥か彼方の名前もない星に思いを馳せながら。


 朝。僕が布団を押し入れにしまってると、家の前で車のクラクションが鳴った。僕は返事をしながら玄関を開けると、軽トラックが止まっていた。

「よお」

 アンダーシャツ一枚にタオルを首に巻いた男が窓からこっちに手を挙げた。

「言われたとおり、車出したてきてやったんだ。今度なんかおごれよ?」

 タバコをふかしながら、飄々とそいつはそういった。僕の数少ない友人の一人で今は親父さんの骨董品屋を手伝っている。

「サンキュー。それで、頼んどいたものは?」

「ちゃんと荷台に積んである。本当は一応売りもんなんだぜ? 親父にばれたら殺されちまうよ」

 大げさにぶるぶると身震いすると、そいつはからからと笑った。

 早速僕らは小学校に向かった。まさか昼間に忍び込むわけにはいかず、当直の先生に素直に事情を説明して通してもらった。たまたまその先生はヨータの担任の先生だったらしく、プールに浮かぶヒマワリを見て呆れた顔をしたものの、引き上げるのを手伝ってくれた。

 僕と友人と先生の三人で、でっかいヒマワリをどうにか軽トラの荷台に乗せると、先生にお礼を言ってから僕らはヨータの待つマンションへと向かった。

 マンションに着くと、すでにヨータとお母さんは表で待っていた。お母さんは荷台に積まれたヒマワリを見て目を丸くした。それを見て、僕はすこし誇らしげな気持になった。たぶんヨータも同じ気持ちだと思う。

「すごい。こんなにいっぱい集めたんだ」とお母さんは感嘆の息を漏らした。

「さあ、あまり時間がないから。行きましょう」

 僕がそういうと、ヨータのお母さんは素直に従った。

残念ながら僕は自動車の免許を持っていなかったので軽トラックの運転は友人に任せた。助手席にはヨータのお母さんが座り、僕とヨータは並んで荷台に座った。

「立っちゃダメだぞ」

ヨータは荷台に乗るのが初めてだったらしくはしゃいでいたため、僕はそうヨータに釘を刺した。

 それから、僕らは一時間ほど車で移動した。着いたのは見晴らしのいい高台だった。そしてそこにこじんまりとヨータの親父さんのお墓があった。

「いい眺めですね」

 そこからは遠くに海が見えた。風が強く吹いていて、髪がかき乱された。僕らはお墓に着くと、水であたりを清めてから荷台に積んであったものをせっせと下ろしては運んだ。

 僕が友人に頼んだのは、たくさんの花瓶と壺だった。それを友人に店にあるかぎり持ってきてもらった。それらを次々にヨータの親父さんのお墓に並べていった。そしてそれが終わるとその一つ一つになみなみと水を注いだ。

「よし。ヨータ。向日葵だ!」

 僕はそう声をかけると、僕ら四人は荷台のひまわりを花瓶や壺に添えていった。ヨータのお母さんも楽しそうに手伝った。そして二十分ほどして、僕らはひまわりを全て添え終わった。 

 一面に黄色い花が咲き乱れた。まるでひまわり畑だった。ヨータの親父さんのお墓はでっかいひまわりに埋もれるようで、僕らはそれを見上げることしかできなかった。

「ほんとに、どれもあの人より大きいのね」

 そうヨータのお母さんは呟く様に言った。

「父ちゃん。たんじょうびおめでと」

 ヨータはそういうと、親父さんの墓の前でしゃがみこんで手を合わせた。

「ごめんな? ほんとは100本あつめるつもりだったんだけど。さいごの1本、みつかんなかったんだ」

 手を合わせたまま、ヨータは静かに毅然とした面持ちでそう謝った。

「こういう時はビービー泣いた方がガキっぽくて可愛げがあるんだけどな」

 僕は悔しくて、憎まれ口を叩いた。ヨータにじゃなくて神様に、だ。

 そういって僕は後ろからひょいっとヨータの両脇を持ち上げて肩車をしてやった。ヨータは突然のことで戸惑いの声を上げたが、それは直ぐに歓声に変わった。

「で―――っかいな!」

 ヨータははしゃいだ声でそういった。僕が肩車をしてやると、ヨータの頭はひまわりよりも少しだけ高くなった。

「おれ、いま父ちゃんよりでっかいぞ」

「でっかいよ。それでお前がいつか自分自身ででっかくなってさ、ここに並んでる向日葵なんかよりももっと、ずーっとでっかくなればいいんだ」

 途中から自分でもなにを言っているのかよくわからなくなって、僕は恥ずかしくなった。

 だけど、ヨータはなにも言わなかった。ふいに頭にぽとぽとと水滴が落ちてきて、僕が上を向こうとするとヨータが上から押さえつけてきてそれを阻んだ。

 だから僕はもうしばらくそのままにさせておくことにした。

「鼻水はつけんなよ」

 そういうと、上から思い切り頭を叩かれた。

ずずず、と盛大に鼻をすする音が聞こえた。そしていつの間に拭きとったのか、涙の跡もなく上からヨータは逆さになって僕の顔を覗き込んだ。

「ありがとうな。ケイジ」

 ヨータは揺るぐことのない瞳でそういった。それから笑った。

 その時の笑顔を僕は忘れることはないだろう。

 ひまわりのような、あの笑顔を。


 夏の終わりと共にヨータは去って行った。

 そして僕とヨータの物語も幕を下ろした。

 

 一週間後、郵便受けに北海道からポストカードが届いた。それはへたくそな字で書いてあって、僕はそれをまだ残暑が残る縁側に座って読んだ。

 手紙にはひとこと「ほりおのひまわりのしだ」と書かれていて、その裏を見てみると

「向日葵は西洋人より背が高い 堀辰雄」

 と俳句が読まれていた。

 まるで小学生の子供がかいたような句だ。

 その句を見た瞬間、僕は発作のように笑いが止まらなくなってしまった。隣に寝ていたマルはびっくりして目を覚ますと気持ち悪いものでも見るかのように冷たい視線を送ってきた。


 そうだ。来年の夏にはひまわりを植えよう。

 この庭の一番日当たりのいい場所に、でっかいひまわりを。


 夏生まれなので夏が好きです。

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― 新着の感想 ―
[一言] 爽やかさと切なさが混在する夏。その言いようのない独特な雰囲気が上手く描き出されていると思います。 物語も文体も簡潔で読み易く、読み手を気持ち良く読了まで押し流す手腕はお見事です。 とても好…
[一言] 何十万もあるなろう作品から、この物語を見つけられた事に感謝したくなりました。 濃密で単純な話には簡単に引き込まれ、静かな文章は読んだ後に清々しさを感じました。 凄く面白いです。
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