哲哉秋原のあじきない話 その四
秋原が次に出した数字は、三だった。
「物が飽和した現代社会に於いて、不必要な物が存在するのは致し方ありません」
「また哲学的な切り出し方だな……」
小難しい話を始めた棗に、藤原は思わず呟く。
棗は残っていたココアを飲み干し、ガラスのコップを音を立てずに置いた。
残った氷が、照明に照らされ、宝石の様に儚く輝く。
「例えば、此の無意味な程に多い氷。アイスココアと云えど、冷やすのに此処まで必要ありません。
明らかな嵩益し。見栄えの為丈に在る、云わば無用な存在です。……紫さん、何時もの。お願いします」
通りかかった店員のトレイに、空いたコップを置き、追加注文する棗。
店員を名前で呼び、『いつもの』で通じる辺り、このメイドカフェの常連らしい。
「ふむ。要するに、堀の様な存在、という事だな」
「な、何で僕なんですか!?」
「ふふ、理解して戴けた様で何より」
「合っているんですか!?」
「なるほど、解り易い喩えだな」
「藤原先輩まで!?」
こうして、堀は『飲料の無駄に多い氷程度の価値』の称号を手に入れた。
「必要無いと言えば、街頭のビラ配りも要らないよな。
朝から五月蝿いし、ビラ貰ったって、その店に行ったりしないし」
「其は云えてますね。ビラが両面印刷ですと、メモにすら使えませんし」
藤原の喩えに同意する棗。
ビラをメモ代わりに使う辺り、なかなか庶民的である。
物書きなので、尚更紙が欲しいのだろう。
「堀。実は俺の知り合いが、人手不足に喘いでおってな」
「僕に何を配らせるつもりですか」
不名誉な称号を手にした手前、堀は警戒していた。
秋原を振り払うべく、堀は藤原の話に乗っかる。
「でも、ティッシュ配りはありがたいですよね。わざわざ買う手間が省けますし。貰い物で殆ど賄えるお陰で、家計に優しいですよ」
「然し、其はティッシュが有難い丈であって、本懐である宣伝は果たせていませんね。……どうも」
追加注文のココアが届き、棗はそれを受け取る。
「じゃあ、何を配れば宣伝になると思います? ……あ、お冷下さい」
立ち去ろうとした店員を呼び止め、水を頼む堀。
あくまでも、この店で水しか飲まないつもりらしい。
「流石に其は、店に依るでしょうね。少なくとも、ティッシュさえ配れば宣伝に成るという考えは革める可きでしょうけど」
「逆に、ティッシュ配ったら宣伝になる店ってどんな店なんだ?」
「然うですね……ティッシュが手元に在る事で行きたくなる店、或いは欲しくなる物、でしょうか」
藤原の問いに、棗は腕組みをして少し考え込み、少し迷いつつも答える。
ティッシュの使い道といえば、鼻かみが殆どだが。
果たして、そこからどう宣伝に繋げるべきだろうか。
三人が頭を悩ませていると、秋原が話し始めた。
「この前、いつの間にか貰っておったティッシュが、テレクラの宣伝でな。もしや、あれは店で」
「言わせるかよ!」
結末は明らかなので、藤原は躊躇い無く言葉を遮る。
下手に沈黙すると、秋原を喋らせてしまうから恐ろしい。
「ふっ、まあ良い。必要無い物の典型は、やはりネット上の利用規約であろう。
特に、基本プレイが無料のネトゲで、わざわざあれを読む者はおるまい」
「慥かに、チートやマクロを使わない善良な利用者には、無縁の内容ですからね」
藤原の睨みが効いているからか、秋原はまともな話題に戻った。
棗も同意しているという事は、恐らく読み飛ばしているのだろう。
「ネットゲームと云えば、広告をクリックすると飛ばされるディザーサイトも必要ありませんね」
「それもそうだな。大人しく公式サイトを表示させて欲しいものだ。……ふむ、こうして考えると、ネトゲには不要な物が多いな」
「ま、ネットゲーム自体、コミュニケーションと引き換えに、クリアという目標を失ってしまいましたからね。
達成感を失ったゲームに、果たして存在価値があるのでしょうか。
周回要素の無かった世代たる我々からすれば、エンドロールの無いゲーム抔、異文化に等しい代物です」
「ならば、クリアが存在するネトゲが良いという事になるのか」
「其は其で難しいでしょうね。ネットゲームの特徴を殺し兼ねません。
やはり、据え置きとの住み分け、差別化の徹底によって、独自の地位を築く必要があるでしょう。
健全な業界で在る為に、所謂廃人を生み出さない仕組みも作らねばならないでしょうし、クリックのみの単純作業化も改善しなければなりません」
「なるほど。やはり思うのだが、敢えて明確な終わりを設けてはどうだ?
一つのネトゲを、長くて数年で使い捨てるのだ。PK中心以外ならば難しくあるまい。
これならば廃人を減らせる上に、クリックゲー化も緩和出来る。
最近は、家庭用ハードでネトゲっぽいゲームも出回っておる。その逆があっても良いではないか」
「云われてみれば、大手を除けば、ネットゲームの寿命は数年が精々。
終わる機会を失った少年漫画の様な最期を迎えるならば、いっそ自ら幕を下ろす方が良いかもしれませんね。
然し、家庭用ゲームのネットゲーム化は盲点でしたね。ネットゲームの領分は侵されつつありますか。
要求スペックの低さを謳うネットゲームは数多ですが、其ならば家庭用ゲームで済む話。
其すら買えない乞食が、ネットゲームに金銭を払うとは思えません。
敢えて要求スペックを引き上げ、金持ちの道楽に特化する可きか……」
「手軽さの家庭用ゲームに、クオリティで対抗するつもりか?
家庭用ゲームですら、開発コストの高騰に悩んでおるのだぞ。不可能に決まっておる」
「八方塞、ですか。家庭用ゲームが、ネットゲームの個性を次々と奪っているのが問題ですね。
最早ネットゲームは、我々が想像し得ない何かを生み出す他、生き残る道は……」
「盛り上がってるところ悪いけど、ネトゲ業界の展望を話すのは別の機会にしないか?」
すっかり二人だけの世界を構築している棗と秋原に、藤原が割って入った。
同じ部の部長と副部長だからか、この二人はいつもこうなるのだ。
四人で会話しているのだから、除け者にされるのも困る。
校内の腐女子の餌食になり、大変な事になったのは忘れていないだろうに。
「えっと、僕が思う要らない物はですね」
「貴方自身が最も不要でしょうに」
話を変えようとした堀を、棗が一撃で沈めた。
「では、本題に戻りましょう。私が思う無意味な物は、『店長のお薦め』ですね」
「確かにあれは要らないよな。買いたい物くらい、自分で決めるっての」
棗の話に、藤原は素直に同意した。
あの手のものは、元々人気のある物か、在庫を片付けたいだけとしか思えない物にしか付かない気がする。
「店員が要りもせぬ解説を付けておる事もあるな。自分の性癖は、自分が最も理解しておるというに」
「誰が卑猥な同人誌に限定しましたか」
勝手に性的な話に切り替えようとする秋原を、棗が冷たくあしらう。
「ちなみに、俺は和姦が好きだが、『嫌がりつつも体は正直』なシチュエーションも好みだ」
「訊いてない!」
頼んでもいないのに性癖を暴露し始めた秋原に、藤原と棗が同時に叫ぶ。
ここで止めなければ、こちらにまで飛び火するに決まっている。
これ以上の介入を避けるべく、棗はさっさと話を進めた。
「行き付けの本屋がありましてね。狭い割に珍しい本を揃えているので、重宝しているのですが。
其処の店主……御歳を召した翁ですが、彼が中々の曲者でして。
私が敢えて店長のお薦めを避けている事を知った途端、店中の本をお薦めに挙げて下さいました。御丁寧に、総ての本に書評まで付けて」
「何て店だ……」
店主の執念に、藤原は呆れながら呟いた。
そこまでして、自分が薦めた本を買って欲しいというのか。
わざわざお薦めを避ける棗も大概だが、彼一人の為に労力を惜しまない店主にも脱帽である。
「御令閨に先立たれ、本人も棺桶に片足を突っ込んでいるのに、見上げたものですよ。
その前からずっと、『藪の中』の推理を競い合っていますし。
私の説の方が正しいに決まっていますが、彼の説も、まあ、聴くに値する程度ではあります」
まるで仇敵の様な言い回しだが、彼の話をする棗は、どこか楽しそうでもある。
意地っ張り同士、何だかんだ言って仲が良いのだろう。
宿敵と書いて『とも』と読む、という言葉が相応しい。
「ついでに、その店主が体調を崩した時、棗が献身的に看病した事も補足しておこう」
「な!? あ、あれは違います! 彼自身ではなく、書店が潰れる事を心配して……」
お約束とも言える棗の『デレ』を秋原が暴露し、棗は耳まで赤くなる。
必死に弁明するが、逆効果である事は言うまでもない。
「はっはっは。なっちゃんはこうでなくてはな。さて、次の話だ」
「僕は……僕の存在は一体……」
堀の傷が癒えるのも待たず、秋原はサイコロを振った。
秋原が次に出した数字は、五だった。
「やっと出たか……」
思わず呟く藤原。
十一回目にして、ようやくの五である。
ここまで特定の数字が出ないと、何か作為めいたものすら感じてしまう。
「で、五は誰が話すんだ? 俺達は四人しかいないけど」
「五は、読者から送られた葉書の内容に沿って、会話を行う」
「葉書!?」
「ラジオ番組みたいですね」
思わぬ展開に、藤原は思わず声を上擦らせる。
一方棗は、秋原と付き合いが長いだけあり、至って冷静だ。
ひとまず落ち着いた事を確認すると、懐から一枚の葉書を取り出す秋原。
「今回は、予め募集しておいた葉書を読み上げるとしよう。
ラジオネーム『女子のスカート捲ったら裁判沙汰になったでござる』君、九歳からのお葉書だ」
「本当にあり得そうだから怖いな……」
生々しいラジオネームに、思わず呟く藤原であった。
アリスも、そろそろ真琴を訴えても不思議ではない。
「『秋原さん、藤原さん、棗さん、その他の皆さん、こんにちは。突然ですが、僕の悩みを聞いて下さい。
僕の学校では、トイレで大きい方をすると、クラスを挙げての大事件になってしまいます。
先立っていったクラスメイトの末路を思うと、怖くてトイレにも行けません。
何か、安心して大きい方が出来る良い方法はないでしょうか』追伸、棗さん、僕と結婚して下さい」
「勝手に付け加えないで下さい」
「……もしかして、僕の事ですか? 『その他の皆さん』って」
棗は追伸に即答し、堀は挨拶に落ち込む。
「ふむ。確かに、小学校では、大きい方をすると祭り上げられるという謎の風習があるな」
「下ネタが一番面白い世代だからな。仕方ないと言えばそうなんだけど」
「そんな下らない風習の為に、健康を阻害される筋合いは在りませんね」
「そういえば、この前テレビで見たんですけど……」
目立つ為か、堀が真っ先に手を上げる。
積極的に前に出る姿勢は、さながら若手芸人だ。
もちろん、大抵は秋原や棗によって潰されるのだが。
「手洗いを全部個室にして、この問題を解決した小学校があるそうですよ」
「なるほど。小便器を無くせば、大か小か判るまい」
「ま、学校を工事する権限が、此の小学生に有るとは思えませんけど」
秋原は納得するが、棗が現実的な意見をぶつける。
この案では、問題に直面している少年を救う事は出来ないだろう。
「そう考えると、女子は羨ましいよな。全部個室だし」
「言われてみれば、この手の祭りの被害者は、男子ばかりであった記憶がある」
「其は、男性である貴方達から見た側面に過ぎません。女性は女性で、音抔に結構気を遣いますからね。
其の癖、御手洗いには友達同士で行かなければなりませんし」
藤原と秋原のやり取りに、棗が異議を唱えた。
その堂々とした振る舞いに、暫しの沈黙が訪れる。
そして、秋原が口を開いた。
「貴様の意見は解った。確かに、女子が必ずしも楽とは言えまい。しかし、一つだけ、貴様に尋ねなければなるまい。
……何故、貴様は女子の事情に詳しい? まるで実体験の様に語っておるが」
「え!? い、いや、それは、その……」
秋原に突っ込まれ、棗は目を泳がせる。
これまでも何度も突っ込みどころを晒してきた辺り、反省という言葉を知らないのだろうか。
ココアを一口のみ、平静を取り戻して一言。
「人伝に聞いた話です」
かなり苦しい言い訳である。
そもそも、最初のリアクションがあれでは、如何に上手く取り繕っても無駄だ。
こういうところが、彼の人気の所以なのであろうが。
流石に見ていられないので、藤原が助け舟を出す。
「俺の所は、普段あんまり使われない手洗いがあって、そこにこっそり行ったりしたな」
「ほう、その手があるか。確かに、教室から最も近い手洗い以外は、余り使われん。
どの学校にも、一箇所くらいは、穴場と化している手洗いがあろう」
どうやら、上手く話を逸らす事が出来たらしい。
棗が方を撫で下ろしている事が、容易に判る。
「しかし、だ。昼休みの様な長い休憩時間ならばともかく、短い休憩時間は、皆が教室にいる事が多い。
その様な状況で、長い間消息を絶つのは、疑われかねんと思うのだが」
「僕も藤原さんと同じ手段を使いましたけど、大丈夫でしたよ」
「貴様は欠席したとて気付かれまい」
最早定番と化した、堀への強烈な一撃が決まる。
「まあ、その辺りは、もう仕方ないだろ。朝行っとけば、昼休みまでは大丈夫なんじゃないか?」
「ならば、朝のうちに確実に手洗いに行かねばなるまい」
「朝食を食べなければ、腸は眠った儘という話を聞いた事があります」
「ふむ。話をまとめると、『ちゃんと朝食を食べ、朝のうちに手洗いに行き、昼休みに穴場へ行く』という事か」
秋原がまとめに入り、反対する者はいない。
――この面子でも、案外議論になるんだな。
今まで散々、話をあらぬ方向へ飛ばしてきただけに、藤原は少し驚いていた。
「裁判沙汰の少年、これが我々の答えだ。胸に刻むが良い」
「勝手に略すな」
反射的にツッコむ藤原。
ラジオネーム自体に問題があるとはいえ、秋原の略し方も大概である。
「葉書が採用された貴様には、粗品を送ろう。こっそり手洗いへ向かうのに役立つ、スパイ御用達の段ボールだ」
「余計目立つだろ」
再びツッコむ藤原。
配達は大抵段ボール箱に入ってとどくが、まさか箱自体が贈り物とは思うまい。
粗末どころではない粗品である。
「とまあ、こんな具合に我々が語るのが五なのだが、そのテーマを、感想欄にて募集する。
内容は自由だが、必ずしも採用されるわけではない事を、予め了承して頂きたい」
「……本当に募集するのか?」
無茶な振りが来ない事を願う藤原を余所に、秋原はサイコロを振った。
書くだけ書いて、公にするのを忘れていた分です。
半年以上のタイムラグとなりましたが……まあ、そういう事もあるという事で。