マネージャーになりたくて
明草高校将棋部一同は、今日も部活に勤しんでいた。
放課後の空き教室で、いつも通りの過ごす一同。
「王手。これで詰んだな。堀は、良くも悪くも堅実過ぎる。
穴熊だけで充分堅いんだし、攻めあぐねている隙に派手に攻めた方が良いんじゃないか?
守るのが遅いのに攻めるのも遅いんじゃ、と金攻めや地下鉄飛車で突破されるのが先だぞ」
「何勘違いしているんですか……僕の手は、まだ終了していませんよ!」
「いや、どう足掻いたって、もう詰んでるだろ」
「いえ、まだです。僕の編み出した秘策……これです!」
「……何で、お前の手に二つ目の玉があるんだ?」
「盤上の玉は影武者! 本物はここです!」
「暴力で決着を着ける気か、お前は」
奇策を弄する堀に、藤原は翻弄されていた。
二人が技を高め合う一方で、秋原は携帯ゲームをしていた。
将棋のゲームならばともかく、ギャルゲーでは藤原も黙っていられない。
「秋原、余ったからってそれはないだろ。副部長なんだし、詰め将棋でもしてろよ」
備品として購入したハリセンで堀を殴り倒し、秋原に注意する藤原。
しかし、秋原はどこ吹く風だ。
「ふっ、判っておらんな。俺は現代美術研究部の部長でもある。
粒揃いの同志達の陣頭に立つ、リアル将棋の日々を送っているのだぞ」
「だったら辞めろよ……」
無茶な理論を振りかざす秋原に、藤原は頭を抱えた。
そんないつも通りの日々に、新しい彩が加えられて、しばらく経つ。
「お兄ちゃん、見て見てー!」
その一つが、この部に入り浸るようになったアリスである。
部員でもないのに居座り、対局の邪魔をしたり、備品で遊んだり、真琴を引き寄せたりと、堪ったものではない。
アリスの呼び声に、藤原はやむを得ず彼女の方を向く。
そこには、嬉々とした表情で立っているアリスがいた。
ルールを憶えさせるべく、初心者向けの本を読ませていた筈なのだが……。
呼んだ理由を訊こうとした藤原だが、わざわざ尋ねるまでもなかった。
アリスの周りには、四十枚の駒が浮かんでいる。
「ファンネル!」
そして、得意気に叫ぶアリス。
どうやら、魔法で駒を浮かべている様だ。
「ほう、アリス嬢はニュータイプであったか」
言葉も出ない藤原に代わって、秋原が反応する。
藤原は、手に持っていたハリセンで、アリスのどや顔を軽く叩いた。
「うわぁ!?」
アリスが驚くと同時に、駒が一つ残らず床に落下する。
プラスチック製の駒は床で弾け、四方八方に飛び散った。
「ふむ。長時間は活動出来ない辺りが、本家に忠実で結構だ。安物の駒故に量産も可能であろう」
妙なところで感心する秋原。
「ひ、ヒドいよお兄ちゃん! ウケたら良いなって思って、一生懸命練習したのに!」
「他人に認められない『一生懸命』なんて、単なる自己満足だっての」
頬を膨らませるアリスを、藤原は溜息混じりに往なした。
こんな事に一生懸命になられても、この部に何のメリットも無い。
第一、万が一他の人に見られたら、どうするつもりなのだ。
この程度であれば適当に誤魔化せるであろうが、軽率なのは考え物である。
真琴と一悶着あった事も、すっかり喉元を過ぎてしまったらしい。
「ったく……ルールも憶えないのに、入り浸るなんて許さないからな」
「ボクはマネージャーだから、対局しなくて良いんだもん」
「マネージャーでもルールくらい知っとけよ。第一、お前をマネージャーと認めた事なんて無いぞ。
どうしてもそうだと言い張りたいなら、マネージャーとしてお前が今まで何をしてきたか、言ってみろよ?」
「う……そ、それは……」
痛いところを衝かれ、アリスは言葉を詰まらせた。
「ま……マスコット……かな」
胸の前で両手の人差し指同士を何度も付けながら、若干俯いて答えるアリス。
その直後に、頭にハリセンの一撃が決まる。
「うにゃ!?」
「この先、一回ボケる毎にツッコミ十発な」
「貿易摩擦!?」
思わぬ宣告に、戸惑いを隠せないアリス。
ツッコミにハリセンを持たせただけで、こんなに危険な存在になると、誰が予想しただろうか。
「ち、ちょっと待って。マネージャーの仕事、マネージャーの仕事……」
復唱しながら、アリスは部室を出て行く。
一抹の不安を抱きつつ、藤原は待つ事にした。
このままドアの鍵を閉めてしまえば万事解決するのだが、流石にそれは後が怖い。
数分後、アリスが部室に戻ってきた。
その手には、薬缶とハンドタオルを携えていた。
「お兄ちゃん、お疲れ様!」
「運動部でやってこいよ……」
自信満々にそれらを差し出すアリスに、藤原は頭を抱える。
「まあ良いではないか。薬缶とタオルと労いの言葉。これぞマネージャーの王道であろうに」
「将棋部に必要な要素が殆ど無いんだけど」
秋原は寛大だが、彼の基準を当てにしてはいけない。
萌えれば何でも良いという危険思想に頼れば、この部は二分で崩壊するだろう。
「じゃあ、藤原先輩は、マネージャーに何をして欲しいんですか?」
「そもそも、この部にマネージャーなんて要らないだろう」
堀の問いに、藤原はきっぱりと言い放った。
元々この部にマネージャーはいなかったし、雑務は部長である自分が全てこなしている。
試合への参加申し込み、備品の購入、顧問に将棋とチェスの違いを教える……。
一部を除き、先代から続いている伝統を、今更変える必要も無い。
「まあ、確かに藤原にマネージャーは必要無かろう。何を持って来たところで、先代部長には代わるまい」
「!?」
秋原の言葉に、藤原の背筋が凍りついた。
開いてはいけないアルバムが、こじ開けられる音がする。
「それってどーゆー事、アッキー? 『センダイさん』って誰?」
「僕も知りたいです。僕が入部する前の将棋部って、どんな感じだったんですか?」
「良かろう。ここは一つ、藤原の痛し恥ずかし黒歴史を」
「待て待て待て待て待て待て待て待て!」
三人の間に、叫びながら割って入る藤原。
こういう事があるから、秋原に弱みを握られるのは怖い。
油断すると、勝手に回想に突入されそうだ。
こんなスリルを生涯味わなければならないと思うと、溜息すら出ない。
「判ったよ。簡単な試験を出すから、それが出来たらマネージャーとして認めてやる」
「やったぁ!」
どうにか話の軌道を戻し、アリス達の注意を逸らす事が出来た。
代わりに、余計な仕事が増えてしまったが。
「じゃあ、俺とアリスが平手で対局するとして、二人分の駒を並べてくれ。
言っとくけど、これは最大限の譲歩だからな。出来ないなら、しばらくは下積みだ」
「ふふん、ボクだって遊んでばっかりじゃないもん。これくらい……」
アリスは、意気揚々と駒を並べ始めた。
「結局追い出したりはしないんですね。流石は先輩」
「五月蝿い」
堀と藤原は小声で会話しながら、秋原はアリスの一挙一動に萌えながら、それを見守る。
藤原の懸念は、飛と角、もしくは王と玉を逆に配置してしまう事だ。
間違いやすい上に、特に前者は致命的である。
一応、駒を置く順番も無くはないのだが、ルールではないので、学生の将棋で求める事でもないだろう。
――まさか、龍やと金が並んだりしないだろうな。
何だかんだで心配しているうちに、アリスが最後の駒を置く。
「出来た! どう、お兄ちゃん!?」
「お、これは寸分違わぬ……金矢倉だな」
斜め上を行く展開に、藤原はツッコむ事すら出来なかった。
盤上では、本に載っている通りの金矢倉が睨み合っている。
確かに囲いは大切な技術だが、出題を無視しては元も子もない。
「不合格」
「え!? 何で!?」
「訊きたいのはこっちだ。何でこれが出来て、最初の配置が出来ないんだよ」
「えーっと……将棋の本読んでて、この辺が出題されるかな~って思って」
「どういう山の張り方だ。第一、ルールに山も何もあるか」
不真面目な学生の様な事を言い出すアリスに、藤原は溜息を吐いた。
「あと、王と玉が逆だぞ。将棋が上手い方や、目上の人が王なんだ」
「あ、そーなんだ。ボク、てっきり男女で決めると思ってたよ」
「新しい発想だな。何で男が玉なんだ?」
とてつもなく嫌な予感がするが、敢えて藤原は尋ねた。
『言わなきゃダメ?』とでも言いたげな視線と表情で、予感が的中した事を察する。
「だって、女のコに『玉』なんて無いもん」
「堀、野球部でバット借りて来い。出来れば金属で」
「玉だけにバット、ですか」
「誰が上手い事言えっつった」
「しかも、『金』の付く『棒』とは卑猥な」
「秋原、アリスの次はお前だ」
ハリセンでは済まないボケの連発に、藤原は爆発寸前だった。
神聖な部活をこうも汚されては、先代に合わせる顔が無い。
それとも、先代ならば、笑って見ていただろうか。
「でも先輩。これからは、こういうのもありではないでしょうか」
「はあ?」
またもや頓珍漢な事を言い出す堀に、藤原は心の底から呆れながら訊き返した。
「試合が始まる前から始まっているのが勝負です。
相手の情報を得て、対策を練り……その中の一つに、予め囲いを作っておくという手があっても良いと思うんです!」
「そういう話は、将棋連盟に直訴した方が良いんじゃないか?」
将棋のルールを根底から覆す提案に、藤原は気だるげにツッコむ。
囲いと称して相手の玉の頭に金でも置くようになれば、既存のルールでは勝負にならないだろう。
これでアリスの不合格は決まった……と思った時、部室のドアが開いた。
「こんにちは、皆さん。……あれ、何しているんですか?」
現れたのは、補習を終えた夕だった。
夕が担当する補習は、生徒からの人気が非常に高く、ダフ屋が発生する程である。
授業が解り易い事や、夕が担当するクラスの成績が伸びた事が話題を呼び、担当していないクラスの生徒が殺到するのだ。
美人教師の居残り授業というシチュエーションや、今宮に強制されるコスプレに魅せられた者も多いが。
余りの人気に、『西口先生の個人レッスン』なるDVDが職員室から発売され、しかも予約の段階で完売してしまった。
「アリスがマネージャーになりたいって言うから、入部試験をしたんだよ。結果は散々だけどな」
「それで、望月さんはマネージャーになれないんですか?」
「まあ、勉強くらいはして貰うつもりだけど」
藤原の答えを聞くと、夕は軽く溜息を吐いた。
「藤原君。入部のハードルを上げるのは、余り良くないと思いますよ」
「それはそうだけど、こいつが真面目に活動するか?」
「これから指導すれば良いじゃないですか。今までは入部していなかったんですし。
藤原君も、初めから将棋が上手かった訳ではないですよね。
ルールすら知らなくて、誰かに教えて貰った頃があるんじゃないですか?」
「そ、それは……」
夕の問いに、藤原は言葉を詰まらせる。
確かに、誰もが最初はルールすら知らない。
入部前から熱心とは限らない。
それを理由に弾き出していては、誰も集まらない。
自分が将棋を始めたのも……。
――教えてあげるね。将棋の指し方も、面白さも、全部。
「そもそも、部活はエリート集団を作る場所ではありません。
活動を通じて友情を培ったり、自己を高めたりするのが本懐ではありませんか?」
「ま、まあ、そうなんだけど……」
珍しく部活で教師らしい一面を見せる夕に、藤原はたじたじだった。
普段は、クイーンが無いだのナイトと桂馬がどうだのと、迷惑ばかりかけているのに。
夕の言葉にも一理あるし、何よりも……。
――藤君と秋君が入部してくれたら、もっと楽しくなると思うの!
「部長の方針には逆らえない、か」
入部した当初の事を思い出し、藤原は自嘲気味に言う。
「判ったよ。今日からアリスは、正式にうちのマネージャーだ」
「やったぁ! お兄ちゃん、今日から毎日イチャイチャしようね!」
ついに公認マネージャーとなり、アリスは飛び跳ねた。
――これで良かった、かな。
抱きついてくるアリスにハリセンを決めながら、藤原は先代の事を偲んでいた。
今のこの部は、先代の思い描いた部とは違うのかも知れない。
しかし、先代の一番の願いは、きっと実現出来ている筈だ。
いつか先代と会えた時に、胸を張ってこの部を見せたい。
その為に、藤原は今日も部長としての職務を全うするのであった。
「ゆーちゃん、ありがとう! 流石はナイチチ同志!」
「な、ないちち……」
藤原が入部届けを調達しに行き、アリスは夕に飛び付いていた。
当の夕は、複雑な気分の様だが。
「でも、本当に良かったんですか? ルールも知らないのに入部させて」
ルール無視の行為を頻発する堀が、夕に尋ねる。
「ルールを知らないからこそ、ですよ。
望月さんがいなくなったら、その分私が怒られる時間が増えてしまいますから」
「あ、そっか。ゆーちゃん、未だにチェスと混同してるもんね」
「そういう事です。お互いが弾除けになって、怒られる時は一緒。
あわよくば、顧問の権限を利用して、望月さんと一緒にこの部をチェス部に……」
「時に西口先生。聞かれては困る話は、背後を確認してからの方が良いぞ」
「え?」
秋原の言葉に、夕は首を傾げながら振り向く。
そこには、入部届けを持った藤原が立っていた。
笑うでも怒るでもない表情が、却って重圧を与えている。
「……あれ?」
その日、ハリセンの快音と夕の悲鳴が止む事は無かった。
久しぶりの投稿です。
四ヶ月も空いてしまったんですね……。
大学受験の時は三ヶ月しか空かなかったのに。
そんなテキトーな私が書くテキトーな小説ですが、これからもよろしくお願いします。
今回は、タイトルがなかなか決まりませんでした。
結局、プリンセス・プリンセスの「パイロットになりたくて」から頂戴しましたが。
正直、無理矢理感が否めないです。
まあ、その辺もテキトーという事で。