夢か現か猫耳か その一
「光様、起きて下さいニャ」
「……ん……?」
明の声が聞こえて、藤原は目を覚ました。
目を開けると同時に、明の顔が見える。
いつも通りの、一日の始まり。
しかし、今日は何か違和感を感じる。
「今日は日曜日ですが、もう十時ですので……。
外は、今日も良い天気ですニャ♪」
眠気をどうにか振り切って、藤原は改めて明の顔を見る。
物腰柔らかそうな大人の顔に、完成美を誇る長い黒髪。
ヘッドドレスに隠れる様に、猫耳が頭に乗っかっている。
「……え?」
藤原は己の目を疑い、再び明の顔を確認する。
しかし、明の頭の上には、間違いなく猫耳がある。
黒い髪とは対照的に、白い毛の生えている柔らかそうな猫耳だ。
思わず藤原は、その猫耳に手を伸ばす。
見た目通り柔らかくて、人肌よりも温かい。
「あっ……光様、何を……」
「ご、ごめん……」
しかも、神経が通っているらしい。
「すぐに朝食が出来上がりますので、早く降りて来て下さいニャ」
「あ、あぁ……」
その上、語尾が大変な事になっている。
混乱する藤原に気付かず、明は部屋を出て行った。
藤原は起き上がると、真っ先に携帯電話を手に取る。
「何いいいいぃっ!? 明さんが猫だとおおぉっ!?」
藤原の報告に、秋原はメイドカフェ中に響く声で叫んだ。
店中の視線が、一ヶ所に集まる。
「……猫耳と、語尾に『ニャ』だな?」
それを気にも留めず、秋原は藤原に確認する。
「それは恐らく……読者によるものだ」
「……は?」
そして、至って真面目に話し始めた。
「小説だの漫画だのは、読者の一存で全てが決まる。
雑誌の後ろの方にあったつまらん漫画が、
かなり無茶な展開で終わった事があろう?
あれは『打ち切り』と言い、読者人気が無いから無理矢理終わらされたのだ。
他にも、余りにも唐突な展開は、著者の意志によらない場合が多い。
無理矢理にでも読者に注目される為の、苦肉の策なのだろうな」
「……で、それが明さんと何の関係があるんだ?」
「解らんか? 俺達とて例外ではないと言う事だ。
読者が望めば、明さんが猫化しても何ら不思議ではない」
真剣な表情で言い、秋原はホットコーヒーを一口飲んだ。
特有の上品な苦味が、休日で緩んだ心を引き締めてくれる。
「あのな……」
溜め息を吐きながら、藤原は紅茶を喉に流し込む。
明が煎れるそれには遠く及ばないが、格調高い香りが鼻を抜けていった。
「信じないのなら、それはそれで構わん。
今は理屈をダラダラ述べている場合ではないからな。
……まずは、現場に向かうべきだな。話はそれからだ」
次の行動が決定すると、秋原は残りのコーヒーを一気に飲み干す。
胃が焼けるように熱くなり、激しく悶絶した。
「不安な事がある……」
藤原の家へ向かう途中、秋原は呟いた。
「……何が?」
「変わったのは、明さんだけではないのではなかろうか?
読者の願望は底無しだ。他にも異変があるかも知れん」
「勘弁してくれよ……」
秋原の言葉に、藤原は目眩がした。
そうでなくても訳が解らないのに、これ以上悩みの種が増えて欲しくない。
どうか、杞憂であって欲しいと切に願った。
「お兄ちゃん、どしたの?」
最も不安な人の声が聞こえ、二人は声が聞こえた方を向く。
「あぁ、ちょっとな……アリスは?」
「ちょっとおでかけ♪ お兄ちゃんが望むなら、一泊しても良いけど……」
「野宿しろ」
「初めてだから……優しくしてね……♪」
「聞いてねえし……」
そんな遣り取りをしながら、藤原はアリスを見る。
百四十センチ有るか無いかの身長。
その割には長めのツインテール。
ブラウンなのは地毛だ。
今でも半額で電車に乗れそうな童顔。
左目は碧眼だが、今はカラーコンタクトで黒い。
服は暖色で揃えており、スカートは程々に短くしている。
「良かった……普通だ……」
藤原は、思わず安堵した。
「ふっ……お前は何を見ている?」
「……えっ?」
しかし、秋原は既に異変に気付いたらしい。
秋原の視線の先を見て、藤原は頭を抱えた。
「ランドセルって……」
「それだけではない。良く見てみろ」
「…………?」
「ふっ……気付かんか? 縦笛だ」
「……は?」
秋原に言われて改めてみると、確かに赤いランドセルから、
茶色い縦笛が顔を覗かせている。
「ランドセルと言えば縦笛だ。
地味だが、大事なポイントを確実に押さえているとは……」
秋原は感心し、藤原は彼の人格を疑った。
「……で、これも読者の仕業なのか?」
「否、これは著者の趣味だ」
アリスばかり構う訳にもいかず、二人は先を急ぐ。
「まったく、明さんと言いアリスと言い、どうなっているんだ……」
「望みが叶わないからこそ、今の世は平和なのかも知れんな……」
誰にでもなく、二人は呟いた。
「先輩、どこへ行くんですか?」
後ろから聞き慣れた声が聞こえ、二人は足を止める。
振り向く勇気は、すぐには沸いてこなかった。
「……堀だ」
「堀だな」
「どうする?」
「ふっ……男を弄って、何が楽しい?」
「それもそうだな」
精神を落ち着かせると、二人は同時に振り向く。
その瞬間、二人は凍り付いた。
「どうしたんですか? 僕の顔に何か付いてます?」
「……これは無いだろう……」
信じられない光景に、藤原はその場に崩れる。
肩まで伸びたセミロング。
紺色のカチューシャ。
黒い服に茶色のスカート。
見れば見る程、普段の堀とは似ても似つかない事が判る。
「くっ……元々女っぽい顔立ちで、髭は未だに産毛一本すら生えず、
異様に肌が白くて、女性声優が演じる男性キャラの様な声。
加えて中途半端に背が低いから、女装したら似合うとは思っていたが……ッ!」
流石の秋原も、動揺を隠せない。
「どうかしたんですか?」
様子がおかしい二人を、堀が心配そうに見つめる。
背丈の関係で、自然に上目遣いになった。
「や……止めろ……! 俺をそんな目で見るなっ……!
男に……も、も、萌え殺されるなど……俺のプライドが……ッ!」
堀の視線に、秋原の顔色が見る見る変わっていく。
その場に座り込み、頭を抱えた。
「いかんいかんいかん! 今はともかく、元は男!
男色は人類最大の過ち! フィクションの世界に葬り去らねばならんのだ!
衆道に堕ちては、兄者に合わせる顔がっ……!」
どうやら、かなりの葛藤が起きているらしい。
「だ、大丈夫ですか? 僕で良ければ、何でもしますけど……」
堀も同じ様に座り、心配そうに秋原の顔を覗き込んだ。
「う……ぐぅ……ぐああああぁぁぁぁっ!!!!!」
堀の健気な行為に、とうとう秋原は発狂した。
脱力し、両手を地に付き、そのままの姿勢で暫く時間が過ぎる。
「先輩……?」
堀が声を掛けると同時に、秋原はゆっくりと立ち上がった。
何かを悟った者の顔をしていた。
「……堀」
「は、はい」
秋原に呼ばれ、堀は反射的に立ち上がる。
それと同時に、秋原が堀の両肩に手を置いた。
少し驚いて見上げた堀と、秋原はしっかり目を合わせる。
息を大きく吸って、吐いて、また少し吸い込み、間を置く。
「……結婚してくれ」
そして、秋原はハッキリと言い放った。
「えっ……?」
突然の告白に、堀は呆然とする。
辺りが水を打った様に静まり、微風が堀の髪を揺らした。
「……嬉しいです……」
沈黙を、堀が破る。
「嬉しいです……秋原先輩が、そんなに僕を思って下さるなんて……。
でも……秋原先輩は、まだ結婚出来る年齢じゃありませんし……
まずは、恋人同士から始めませんか?」
頬を紅く染め、指をモジモジさせながら、堀は答えた。
「何だこれ……」
二人の一連の遣り取りに、藤原はゲンナリしていた。