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暑さも寒さも彼岸まで  作者: ミスタ〜forest
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藤原を我が物と思う望月の その八

 時は遡り、アリスが藤原宅に潜入する少し前。

 この日も、藤原はいつも通りの朝を迎えていた。

 明に起こされ、着替えを済ませ、リビングのドアを開ける。

「おはよう、明さん」

「おはようございます、光様」

 朝食を作っている明に挨拶をし、テーブルに着く。

 程なくして、今日の朝食が運ばれてきた。

 美味しそうな焦げ目の付いたトーストに、添えられたジャム。

 白と黄のコントラストが映える目玉焼きには、軽く塩が振られている。

 飲み物は、最早お馴染みの紅茶だ。

「いただきます」

 手を合わせ、まずは目玉焼きから手をつけた。

 箸で白身を一口大に裂き、口へと運ぶ。

 その様子を、明は向かいの席でじっと見ていた。

「どうしたんだ、明さん? 心配しなくても、良い塩加減だけど」

「あ、いえ、大した事ではないんですけど……」

 視線を感じ、藤原が尋ねると、明はばつが悪い表情を浮かべる。

「その……目玉焼きの食べ方って、人によって全然違うんだな、と」

「ああ、なるほどね」

 少し恥ずかしそうに話す明に、藤原は納得した。

 確かに、自分とは違う食べ方をする人がいると、つい見てしまうものだ。

「でも、そんなに変わってるか? 普通の食べ方だと思うけど」

「塩を振っただけですから、光様が仰れば、他の調味料も用意しようと思っていたのですが」

「そうか? これで充分だと思うけど……明さんは?」

「私は、胡椒を少々振るのが好きです。こればかりは、人それぞれの好みですよね」

「そうだよな。ソースや醤油を掛ける人もいるし」

 明の話に頷きながら、更に白身を口にする。

「もう一つ気になったんですけど、光様、先程から白身しか口にしていませんよね」

「ん? ああ……そうだな。白身を先に食べて、黄身を最後に食べるから」

「そうなんですか。私は、黄身を裂いて、白身を浸けて食べますけど……何か理由があるのですか?」

「理由……理由、か……」

 明に問われ、藤原は言葉を詰まらせてしまった。

 今までずっと、当然の様にしてきた事の理由を訊かれても難しい。

 暫く唸り、藤原が出した答えは、

「黄身が好きだから。……かな」

 少々頼りないものであった。

「そうなんですか。私も、黄身が好きなのでこの食べ方なのですが……。

同じ食べ物で、同じ好みでも、食べ方は異なるのですね」

「不思議だよな。単純な食べ物だからこそ、食べ方は多様化した、ってところか」

 考察しながら、藤原はトーストにジャムを塗る。

 紺色に近い藍を持つ、ブルーベリーのジャムだ。

 昨晩、宿題にてこずって、余り眠れていないのを察しての事だろう。

 そんな気遣いを知れる事もなく、明は向かいで微笑んでいるだけである。

「夕の前では、目玉焼きを単純な料理だとは言わない方が良いですよ」

「何でだ? 卵をフライパンで焼くだけだし、流石に俺でも出来るぞ」

 やんわりと忠告する明に、藤原は首を傾げた。

 明は言うまいか少し悩み、やや躊躇いながら話す。

「夕は、卵を割るのが苦手だったんです。

何回割っても黄身が潰れてしまって、綺麗な目玉にならない事を気にしていました」

「ああ、そういう事か」

 確かに、それならば『苦手』と言うのも頷ける。

 黄身を潰さずに卵を割るのは慣れが要る上、ある程度運も絡んでくるのだ。

 特に、殻にひびを入れる為の力加減は、大切なのに難しい。

「夕が小学校に入学して、すぐの事でした。私が趣味で料理をしていた時に、自分もやってみたいと言い出したんです。

私も、夕くらいの年頃から料理を始めたので、姉という立場も手伝い、教えたくなってしまいまして」

「教えたくなるものなのかな……」

「長兄長姉は、弟妹の成長を親の次に喜ぶものですよ。光様も、思い当たる節があると思いますが……」

「……まあ、あるにはあるな」

 明が言っているのは、近所に住んでいる耳年増な幼女の事だろう。

 藤原も、かつては人を遠ざけていた彼女の為に、色々と気を揉んでいたものだ。

 それを思えば、友達が何人もいる現在は、確かに喜ばしい。

 惜しむらくは、あの頃に彼女の料理の『才能』に気付けなかった事か。

「それで、まずは目玉焼きをと思ってさせてみたのですが……。

スクランブルエッグや玉子焼きにしなかったのが、私の失敗でしたね。

気付いた時には遅くて、出来るまで止めないと言って聞きませんでした。コツを教えて、やって見せて、ひびを私が入れて……。

ようやく綺麗に割れた時には、夕以上に私が喜んでいました。……もっとも、それは十秒と続きませんでしたけど」

「どうして? そんなに嬉しい事なのに」

「それが、その……」

 続きを促す藤原だが、明は言葉を濁らせる。

 ここまで言いたがらないという事は、夕だけの問題ではないのだろう。

 恐らく、明自身にとっても恥ずかしい話なのであろうが……。

「……家中の卵を全て使ってしまった事に、気付いてしまいまして」

「やっとかよ」

 思わずツッコんでしまう藤原。

 やけに気前よく卵を割る事を不思議に思っていたのだが、まさかそんな漫画みたいな事になったとは。

 完璧に見えてどこか抜けている所は、姉妹共々昔から変わらないらしい。

「あの時は、二人一緒に怒られてしまいました。責任を取って、割った卵は全て調理して食べましたよ。

夕にも手伝って貰ったので、卵料理がすぐに得意になったんです。割る事以外は」

「失敗は成功の母、か……ちょっと違うけど」

「それでも、黄身を潰さずに割るのには時間が掛かりましたよ。

殆ど失敗しなくなるのに、かれこれ二ヶ月は掛かりました」

「なるほど……確かに、夕にとっては大変な事だったんだな。

それにしても、明さんは凄いよな。小学生でそこまで料理出来るなんて」

 過去の話を聞いて、藤原は尚更明に尊敬の念を抱いた。

 同じ『小学生』でも、どこぞのツインテールとは月とスッポンである。

「私も、決して初めから出来た訳ではないんですよ。

何度も失敗して、時に投げ出しそうになっても、師匠が手取り足取り教えて下さいました。

ですから、私も夕に何でも教えてあげたいんです。

教える事は学ぶ事よりも難しいですけど、師匠がそうであった様に、私も決して諦めません。

私は、両親の次に……世界で三番目に、夕を愛していますから」

 明の言葉は、いつも温かさに包まれている。

 身内を『愛している』とはっきり言える人は、そういないだろう。

 どれ程の愛を受けて育てば、ここまで慈愛に溢れた性格になるのだろうか。

「……なんか、夫婦みたいだな」

 この話を聞いて率直に感じた事を、藤原は述べた。

 明と夕程に愛し合っている仲は、恋人同士でも滅多に無いだろう。

 それによって互いに堕ちていく訳でもなく、更に高め合っているのだから尚更だ。

 もし、二人が異性であれば、少なくとも血縁者でなければ、ほぼ確実に結ばれていただろう。

「えっ!? あ、あの、その言い方は……」

「端から見れば、明らかに仲の良い夫婦だろ」

 顔を真っ赤にする明を、藤原は更に一押しする。

 普段からあれだけ見せ付けておいて、否定されても説得力が無い。

「そ……そうなのかも……知れませんね」

 思いの外あっさり認められるのも、それはそれで困るのだが。

 この家が二人の愛の巣にならない事を祈りつつ、藤原は黄身を口にした。



「そ、そんなぁ……お兄ちゃんが好きなのは『黄身』で、夫婦なのはアカリンとゆーちゃんだったなんて……」

 真相を聞いたアリスは、脱力して項垂れた。

 一方の藤原も、溜息を吐かずにはいられない。

 今日の事の発端が、こんな勘違いからだったとは。

 そして、屋上の出入り口に目をやる。

 恐らくアリスを焚き付けたであろう変態共がいると思われる方を。

 案の定、段ボール箱三つが、足を生やして逃げていった。

 ――今日の部活が楽しみだな……。

 またしても彼らに振り回されたと思うと、再び溜息が漏れる藤原であった。

「じ、じゃあお兄ちゃんは、ボクの事が好きなの?」

「二元論で話せる事じゃないと思うけど……まあ、嫌いとは言わないな」

 潤んだ瞳で見上げるアリスに藤原は渋々答える。

 『好き』とまでは言っていないし、この言葉にも様々な捉え方があるから、嘘にはならないだろう。

 何でもかんでも惚れた腫れたで語らされては、堪ったものではない。

 目を輝かせるアリスを見ると、流石に良心が痛むが。

「良かった……お兄ちゃんがアカリンを選んだと思って……ボク……ボク……!」

 安堵の声を漏らすアリスであったが、次第にそれが嗚咽に変わる。

 藤原が何か言おうとする前に、アリスが胸に飛び込んできた。

 戸惑う藤原の胸に顔を埋めて、すすり泣く声が聞こえる。

「結局泣くのかよ。何がしたいんだお前は」

「だって、ボクは本当に……真剣に……!」

 張り裂けそうな声で答えるアリス。

 少なくとも彼女自身は、至って真剣だったらしい。

 その原因の一端は、故意ではないとは言え藤原にある様だ。

 それに、事を大きくした我が部の変態達の責任を、部長として取らなければならない。

 だから、藤原はアリスの背中に腕を回し、そっと抱きしめた。

 途端に、栓を締めた様にアリスが黙り込んでしまう。

「まあ、勘違いさせて悪かったよ。心配掛けたな。

でも、俺はお前に笑って欲しかったから、あの時に面倒見てやったんだぞ。

お前は笑ってる方が似合ってるんだから、そろそろ泣き止めよ、な?」

 頭を撫でながら、優しく声を掛ける。

 心なしか、アリスの体温が上がった気がした。

 暫くの間、アリスはそのまま抱きつく。

「お兄ちゃん、ズルいよ。そんな事言われたら、もう泣いてられないでしょ」

 次に顔を上げた時には、その言葉の通りになっていた。

 残った涙が、雨上がりの水溜りの様に輝いていた。



「結局、望月さんの誤解に、僕達は付き合わされていたんですね」

「ふっ……まだまだだな、堀。俺は始めから、アリス嬢がいつ気付くのかと内心ニヤニヤしておったぞ」

「えっ……それってまさか……」

「普段なら断られそうな事も、たくさんして貰ったっスね。私、もうお腹いっぱいっス」

「新谷さんも!? じゃあ、僕達がしてきた事って……」

「しかし、ここまで予想通りのオチがつくとはな。この手のコメディではよくある事だが」

「この際何でも良いっスよ。コスプレと言い寸止めシチュと言い、良い物を見させて貰ったっス!」

「然うですか。其れは良かったですね」

「……あれ? この声は、もしかして……」

「貴方達が矢面に立たない様に、色々と手を回して差し上げたのですが。

私が無駄骨を折っている間に、貴方達は年端も行かぬ幼女を弄んでいたと」

「やれやれ、口煩い姑が来おったか」

「いやはや、畏れ入りますよ。……さて、今回の手間賃、其の身を以て払って頂きましょうか」

「先輩! エアガン構えてますよ! 明らかに殺る気ですよ! どうするんですか!?」

「かつて、中国には三十六の兵法があった。その中の最上策を使うとしよう。……散!」

「此のロリコン共め! 待ちなさい! ……ま、私が巻き込まれない為にした事ですし、勘弁してあげましょう。

果たして、思い出という詛いで睡る姫を、小さな王子は如何為るのか……ふふ、精々愉しませて下さいな」



「じゃあお兄ちゃん、お弁当食べてね」

 すっかり笑顔を取り戻したアリスは、せっかく忘れかけていた『哀の手料理』を差し出してきた。

 もう少しで綺麗に終われたのに、余程死体を転がしたいらしい。

「勘弁してくれよ……誤解も解けたんだし」

「だからこそ、仲直りに激しく燃え上がりたいんだよ。授業をサボってお兄ちゃんと……想像するだけで興奮しちゃうよ。

それとも、またボクを泣かせる気? そんな訳ないよね。ついさっき、あんな事言ったのに」

「ぐぅ……」

 アリスを宥めた言葉を思い出し、深く後悔する藤原。

 口は災いの元とはよく言ったものだが、遅効性とはやってくれる。

「……あ、そっか。ボクとした事が、大事な事を忘れてたよ」

 そう言って愛嬌を振り撒く様に舌を出すと、アリスは弁当箱の蓋を開いた。

 想像を遥かに超える魔界が、弁当箱の中でとぐろを巻いている。

 恐らく、草木の一本も生えなくなる程の威力があるのだろう。

 アリスは、それの一部を箸で摘み上げた。

「こーゆー時は、ボクが食べさせてあげないとね」

 どうやら、バカップルでも気取りたいらしい。

 昼休みの屋上。ロングヘアを風に靡かせる幼馴染み。

 ここまではともかく、食べさせようとしている物が、何もかも台無しにしている。

「ほら、あーんして、あーん」

 阿鼻へと誘う禁断の扉が、目の前に迫る。

 逃げるべきだろうか。否、その場しのぎではジリ貧だ。

 叩き落としてしまおうか。否、嘗ては食材だったそれらに申し訳無い。

 進退窮まった藤原が、土壇場で選んだ道。

「必殺、あーん返し!」

 それは、まさかのカウンターだった。

 アリスの箸をひったくり、彼女の口へと突っ込む。

 始めは驚いていたアリスであったが、もごもごと口を動かし、その細い喉を上下させ、自分の料理を飲み込んだ。

 その瞬間、アリスの顔から血の気が引いていく。

 満足にリアクションをする暇すら、『それ』は与えなかった。

「か、かゆ……う……ま……」

 言葉になっていない何かを発し、アリスはその場に倒れる。

「味見すらしていないのかこいつは……」

 何もかもが空回りしているアリスに、藤原は思わず溜息が出る。

 巨悪の失墜にほっとする一方、自分がこうなる筈だったと思うと、恐怖を禁じ得ない。

 ――流石に、悪い事したかな?

 うなされているアリスを見て、少し良心が痛む藤原。

 自業自得とは言え、多少やり過ぎた気もする。

「うぅ……お兄……ちゃん……」

 アリスが、苦しそうに自分を呼ぶ。

 恐らく、夢の中で助けを求めているのだろう。

 手を握ってやると、少しだけ表情が和らいだ気がする。

 ――笑って欲しいって、言った矢先だもんな。

 自分の水筒とアリスの弁当箱を出入り口付近に置き、藤原はアリスを負ぶった。

「一日で二度も保健室に行くとはな……」

 面倒臭そうに呟くと、藤原は屋上を後にする。

 アリスを背負うその姿は、面倒見の良い兄に似ていたのであった。

「……それにしても、本当にぺったんこだな、こいつ」

やっと終わった……今の私は、この言葉しか出てきません。

一年以上引っ張って、ようやく完結しましたよ。

まさに予想外。私の遅筆が予想外。


結局、藤原と明はいつも通りでしたよ、と。

至って普通の会話を久しぶりに書けた気がするので、私は満足です。

この二人でないと、当然の様にボケが発生しますから。

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