恐らくは仁義無き戦い その四
「……ん……さん……望月さん……!」
「う……ん……?」
明に声を掛けられながら揺さぶられ、アリスはようやく目を覚ました。
「あれ……ここは……?」
状況が解らず、アリスは辺りを見渡す。
どうやら、公園のようだ。
お昼時だからなのか、アリスと明以外は誰も居ない。
すぐ傍に、大きな樹が悠然と構えている。
そして足元には、箒が真っ二つに折れて横たわっていた。
「あっ……そっか……。ボク……あの時我を忘れて……コントロールし損ねて……」
どうにかここに居る理由を思い出したアリスは、
改めて今の状況を理解し、真っ青になった。
――迷惑を掛けてしまった人が、目の前に居る。
――傷付けてしまった人が、目の前に居る。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
必死に連呼しながら、アリスは明から逃げる様に樹の裏へ走る。
背後を樹に委ね、その場に崩れ落ち、自分が犯した罪をまざまざと思い出した。
「大丈夫ですか、明さん?」
明が、心配そうにアリスの方へと回り込む。
アリスは、目を合わせる事が出来なかった。
「これ……望月さんのですよね? 傍に落ちてたんですけど……」
そう言って、明は手を差し出す。
その手には、黒いカラーコンタクトレンズが乗っていた。
「か、返してっ!」
それを見て、アリスは明からコンタクトを引ったくる。
慌ててそれを青い左目に填めようとするが、
「だ、駄目ですよ望月さん! 汚れているかも知れません!」
同じく慌てて明が止めた。
アリスは少し抵抗したが、観念したのか、グッタリと腕の力を抜く。
そして深く溜め息を吐いて、
「もう……隠しても無駄だね……。
ボクは……普通の人間じゃないんだよ……」
呟く様に言った。
「光様から、大体の話は聞きました。
俄には信じ難いですけど……目の前で見た以上は……」
明には、まだあの時の光景が信じられなかった。
アリスが我を失うと同時に、室内で暴風が吹き荒れたなんて。
これ程に自分の目を疑う事は、後にも先にも無いだろう。
アリスは小さく息を吐いてから、ゆっくりと話を始めた。
「……ある所に、一人の女の子が居たんだ。
その娘は、魔女狩りから逃げ延びた西洋魔術師の末裔で、
生まれつき魔法の才能があったんだ。
髪がブラウンで左目が碧眼なのも、欧米の血が混じってるからだと思う。
そんな訳で、その娘は親にいつも言われていた。
『科学は、窺知出来ない魔法を恐れて、殆どの魔術師を殺してしまった。
でも、自然を“押さえつける”事に長ける科学だけでは、必ず限界が来る。
だから、自然と“同調する”事に長ける魔法の時代が再来するまで、
魔術師の血を守り続けなければならない』って。
……早い話が、その娘は魔術師の血を繋ぐ為に生まれたんだよ。
魔術師の技術を繋ぐ為に、魔法の練習をさせられたんだよ。
いつか来る、魔術師の時代の為に。
……でも、だったら『ボク』は何の為に生きれば良いの?
ただ血を繋いだだけじゃ……『魔術師』として生きただけじゃ、
『ボク』は存在していないも同じじゃないか!」
最初は『その娘』として話していたが、
感極まったのか、いつの間にか自分の事として話していた。
更にアリスは続ける。
「だからボクは、魔術師である事を隠さなきゃならなかった。
魔術師だと知られたら、ボク達も狩られるかも知れないから。
つまり、誰に対しても嘘を付き続けなければならなかった。
……でも、嘘を吐いて人と付き合うなんて、ボクには耐えられない。
だから、ボクはずっと独りで居たんだ。
独りは辛かったけど、人に嘘を吐くよりはマシだと思ったから。
……でも、六歳の時にお兄ちゃんに出会って、何もかも変わったんだ。
お兄ちゃんは、ボクにハッキリと言ってくれた。『秘密は悪い事じゃない』って。
実際、お兄ちゃんは一度もボクの『秘密』に言及する事は無かった。
色々とあって、最後にはバレちゃったんだけどね……」
そう言って、アリスは少し間を置く。
「そして、ボクは悟った。
誰にも大切に思われていない人は、死んでいるも同じなんだって。
お兄ちゃんの居ない八年間は、
お兄ちゃんがボクを想ってくれていると信じていたから頑張れたんだよ。
だから、ボクはお兄ちゃんが好き! 誰よりも! 心から!
ボクが好きでいれば、お兄ちゃんも好きでいてくれる筈でしょ?
そう言う訳だから、絶対にキミにお兄ちゃんを渡す訳にはいかないんだよ。
キミにお兄ちゃんを取られたら……ボクを大切に想ってくれる人が……
ボクの存在意義が無くなっちゃうんだよ!」
そう言い切ると、アリスは大きく息を吐く。
明は口を出す事無く、最後までアリスの話を聞いていた。
「そうですか……望月さんも『枷』に填められた人だったんですね……」
そして、囁くように明は言う。
「えっ……?」
訳が解らず、アリスはキョトンとなった。
そんな彼女の隣に、明は座る。
アリスは、少しだけ距離を置いた。
「私も……そうでした。
子供の頃の私は、『枷』に填められて『生かされて』いました。
『枷』を外したくて、今の貴女の様に藻掻いていました。
ですから、貴女の気持ちは、痛い程解ります」
そう言って、明は一息吐く。
「……でも、『枷』に惑わされないで下さい。
周りを見渡す事を、忘れないで下さい。
一人が愛するのは、一人だけではありません。
一人を愛するのも、一人だけではありません。
光様を大切に思う人は、一人だけではないでしょうし、
貴女が大切にすべき人も、一人だけではない筈です。
……私は、その事に気付くのが、少し遅かったんですけどね……」
明は、優しく諭す様に言った。
微風が、二人の髪を緩やかに揺らす。
アリスは、明の言葉を頭の中で何度も繰り返していた。
確かに、ずっと藤原に固執してばかりで、他の人の事など考えもしていなかった。
自分を大切に思ってくれていた人は、藤原だけではなかったかも知れないのに。
藤原を純粋に愛していたのは間違いない事実だ。
でも、少なからず強迫観念に駆られていたのは否めない。
「でも……ボクは……もう……。
あんな事しちゃったら……合わせる顔が無いよ……。
お兄ちゃんだって……きっと……ボクを……」
アリスは、今にも泣き出しそうな声で言った。
例え反省しても、壊した物は戻らない。
それぐらいの事は、判っている。
「あら……この音……」
明は、遠くから近付いてくる足音に気付く。
同時に、笑みが浮かんでくる。
「良かったですね。……貴女を最も心配している人が来ましたよ」
「えっ……?」
アリスが気付いた時には、その足音の主はすぐそこまで来ていた。
彼はアリスの前で立ち止まると、荒い呼吸を少しだけ整える。
「あ、アリス……!」
「お兄ちゃん……」
目の前の藤原に、アリスは目を合わせる事が出来なかった。
――きっと、お兄ちゃんはもう……。
そう思うと、この上無い恐怖を覚える。
最も大切に想っている人に見捨てられたら、元も子もない。
それでも、せめて謝らなければ。
「その……ごめ」
「まったくお前は! 白昼堂々空を飛ぶ奴があるか!
俺達がどれだけ心配したと思ってるんだ!?」
一気に捲し立てる藤原に、アリスは思わず言葉を引っ込める。
そこまで言って、藤原は少し言葉を詰まらせ、
「ま、まぁ……その……お前が無事で……本当に良かったよ……」
しどろもどろになりながら続けた。
「……頭ぶつけたのか? まだ痛いか?」
そして、とても心配そうな顔でアリスに尋ねる。
「う、うん、大丈夫。でも、もうちょっとだけ休ませて」
藤原の気持ちが判ったアリスは、目頭が焼ける様に熱くなった。
それをどうにか堪えて、気丈に振舞う。
「私、外しますね」
「えっ? あ、明さん、居たんだ……ありがとう……」
ようやく明の存在に気付いたらしく、藤原は戸惑いながら応えた。
明は微笑んで会釈すると、踵を返して、出口の方へと歩いていく。
微風が、長い髪を優しく揺らした。
明が居なくなり、二人の間に少しだけ気まずい空気が流れる。
「お兄ちゃん……その……ごめんなさい……」
アリスは、さっき遮られて言えなかった言葉を、改めて言った。
「その……もう怒らないの?」
そして、少し怯えながら尋ねる。
「もう良いよ。これ以上怒る理由もないし」
藤原はアリスの傍に座り、草臥れた声で答えた。
そして、アリスが持っているコンタクトに気付く。
「やっぱりコンタクトか。おかしいと思った」
「う、うん、これ付けてれば怪しまれないと思って……思ってたのに……」
次第に、アリスの声が嗚咽を孕んでいく。
色々な思いが頭の中を渦巻き、涙が堪え切れなくなる。
何かがはち切れ、最初の一筋が流れると、最早止めようが無かった。
「お、おい、何も泣かなくても……」
突然泣き出されて、藤原は狼狽する。
「だ、だって……ボク……!」
泣きたくて泣いているんじゃない、と続けようとしたが、
しゃくり上げる度に言葉が詰まり、なかなか言葉が出ない。
「仕様が無いな……」
藤原は溜め息混じりに呟くと、アリスを抱き寄せ、
彼女の顔を自分の胸に押しつけ、頭をグシグシと手荒く撫で付けた。
突然の出来事に、アリスは一瞬言葉を失う。
どうにか自分の状況を理解すると、心臓が一気に跳ね上がった。
泣いていた事も半ば忘れて、自分の顔が紅潮していく感覚を覚える。
「お、お兄ちゃん……!?」
「ほら、『あの時』はこれで泣き止んだだろ? ……それとも、子供扱いは嫌か?」
「……ううん、もうちょっと」
自分から抱き付いた時よりも温かい気がして、アリスは藤原に身を委ねた。
八年ぶりの感覚に、アリスの涙が徐々に引いていく。
「……空、飛べるようになったんだな」
「うん。あちこちぶつけて痛かったよ」
「今も、魔法の修業しているのか?」
「風以外の魔法も、少し使えるようになったよ」
「例えば?」
「手を触れただけで新聞紙を燃やしたり、洗面器に張った水を渦巻かせたり」
「……あんまり大した事無いな」
「ひ、ヒドいよ! 結構大変だったんだから……」
八年ぶりの邂逅には似合わない、たわいの無い遣り取り。
それでも、アリスの涙を止めるには十分だった。
「……もう、いいな?」
「うん。ありがと、お兄ちゃん♪」
アリスが顔を離した時には、笑顔が戻っていた。
それを見て、藤原は安堵する。
「でも、皆は……ボクを……」
「ま、『気にしない』事が出来ないから、差別が生まれるんだけどな……。
大丈夫だよ。あいつらは、お前の事を口外したりしない……筈だから。
きっと三人とも、お前と友達になろうと思っている。
だから、あとはお前次第だ。……じゃ、帰るか」
「うん!」
藤原の言葉に、アリスは満面の笑みで返した。
吹き込んできた新しい風は、手厚い歓迎で迎えられる事になりそうだ。
「藤原先輩からメールで、望月さん見つかったそうです」
「判ってたさ……何もかも……そう……判っていたのだ……」
四回に及んだ「仁義無き戦い」も、どうにか終わりました。
次回もまったり且つマニアックな話をご期待下さい。