藤原を我が物と思う望月の その四
「……新品だよね!? これ、新品だよね!?」
先程の件が余程ショックだったらしく、次の服に着替えたアリスは、涙目で秋原に詰め寄っていた。
そんなに嫌なら帰れば良いのだが、頭に血が上ったアリスに、冷静な判断など不可能だ。
秋原が用意した服は、単純明快なワイシャツ一枚。
アリスの身の丈には明らかに大きく、袖がかなり余っている。
下半身まで覆う一方、横から露出する生足は眩しい。
上のボタンはいくつか外されており、いっそ下の方まで外したい衝動に駆られそうだ。
胸元に谷間は一切見受けられず、果てしない平地が続いていた。
人前に晒すには充分恥ずかしい姿なのだが、スクール水着を着せられたアリスは、感覚が麻痺してしまった様だ。
「あの……先輩。望月さん、上半身しか着ていない気がするんですけど」
アリスに視線を向けるのを躊躇いながら、堀は秋原に尋ねた。
セックスアピールの欠片も無いとは言え、十六歳の少女にさせて良い格好ではない。
本当はもう少し強めに言いたいが、やはり控えめになってしまうのが地味キャラの性だ。
「服なんて飾りっス! 偉い人にはそれが解らないっス!」
そんな堀に、真琴が答える。
ワイシャツ姿のアリスに興奮気味で、デジカメのシャッターを惜しみなく連打していた。
「着こなしの練習じゃなかったんですか……?」
趣旨を根本から否定する真琴の発言に、堀は呆れるしかなかった。
結局のところ、自分達の欲望さえ満たせれば、アリスの件はどうでも良いらしい。
「まあ慌てるな、堀。これも立派な着こなしだ」
飴玉でアリスを宥めた秋原が、堀に反論する。
当のアリスはすっかり飴玉の虜で、舐め終わるまで会話に参加しそうにない。
至福のイチゴ味に浸り、恐らく声すら届かないだろう。
「これは俗に裸ワイシャツと言い、ワイシャツ一枚で完成するのだ。
例えば、ミロのヴィーナスは両腕が欠けているにも拘らず、至高の彫刻として名を馳せている。
ならば、裸ワイシャツがスカートやパンツを履かなくとも不思議ではあるまい」
「後者は警察沙汰ですけどね」
ここが公の場である事が一番の問題なのだが、その辺りに触れるつもりはないらしい。
向こう見ずな秋原の話は、まだまだ続く。
「これの良いところは、果てしなく見えそうなのに見えないところだ。
しかも、前後が長いという形状のお陰で、横から太股を大胆に見せる事が出来る。
同じ事をワンピースでやろうとしたなら、丈が短くなり過ぎて、どうしてもあざとくなる。
恐らく、ワンピースがあくまで上下共に隠す為に作られた物であるからであろうな。
だが、ワイシャツは本来上半身のみを隠す物。しかも男物だ。
スカートとしての丈が短くとも、文句を言われる筋合いは無い。
故に、スカート以上に丈を削る事が出来、究極のチラリズムを求める事が出来る」
「……そもそも、ワイシャツ一枚って時点で充分あざと」
堀は何か言おうとしたが、どこからか凄まじい殺気を感じ、息と共に言葉を飲み込んだ。
どうやら、これは声優の年齢に並ぶ禁句らしい。
「美少女が男物の服を着ているという点も着目すべきだな。
先程も言ったが、かつて自分が着ていた服を、美少女が着るというシチュエーションは実に良い。
だが、同姓はともかく、我々漢がそれを実現するのは困難だ。
その中で、ワイシャツは現実味を帯びた数少ない服。
言わば、これは漢のロマン。裸エプロンと並び、嫁に一度は着せてみたい夢なのだ。
それをアリス嬢が着たとなれば、藤原も嫁にせざるを得まい」
「既成事実でも作るんですか……」
ツッコミどころ満載な秋原に、堀は却ってツッコむ事が出来なかった。
ワイシャツに思い入れがある事は充分解ったが、それが倫理的に認められるかは別問題だ。
しかし、世の常は多数派によって決まるものであり、現在のそれは秋原である。
「うーん……先輩の意見には概ね同意なんスけど……」
どこか納得のいかない様子の真琴が、アリスに歩み寄る。
飴玉に夢中で、無防備な姿をさらすアリス。
そんな彼女を狙う真琴は、さながら獣だ。
それも、爪と気配を隠し、音も立てずに忍び寄る猫である。
飴を舐め終わり、ようやくアリスが気づいた時には、既に手遅れであった。
無防備なまま、真琴の射程圏内に入ってしまったのだから。
「私は、こっちの方が良いと思うっス」
「え……う、うわああああああああああ!?」
ワイシャツのボタンを外し始めた真琴に、アリスは悲鳴を上げる。
そんな事はものともせずに、真琴は手馴れた手つきでボタンを外していった。
最後の一つが外れ、全てが露になろうとした時、アリスは慌ててワイシャツを手で押さえ、真琴を突き飛ばした。
「な、な、ななな……!?」
言葉にすらならないらしく、アリスは涙目を真琴に向ける。
「突き飛ばすなんてヒドいっスよー。私はただ、上より下のボタンを外した方が萌えると思っただけっス」
「だったら、せめて先に上を留めてよ! 何で全部外すの!?」
「一瞬のエロスも乙なものっスよ」
あくまで反省しない真琴に、アリスは爆発寸前だった。
貞操の危機に直面しただけあって、飴玉では済みそうにない。
一方真琴は、アリスの膨れっ面に萌えていた。
「まあ待て、二人共。焦りは禁物だ」
それを知ってか知らずか、秋原が二人の間に割って入る。
「真琴嬢……俺もその気持ちは解るぞ。下のボタンを外せば、臍と下半身が露になる。
平らな胸元も捨てがたいが、人の考えというものは、結局下半身に直結するもの。
しかし、欲望に流されるままに脱がすは尚早。頭の悪いAVがする事だ。
例えば、今、アリス嬢の下半身を露にし、下着が見えたとしよう。
確かに、パンチラに興奮するは世の理。実に自然な事だ。
しかし、裏返すと……『穿いてない』という可能性の否定に他ならぬ」
「あっ……!」
秋原の言葉に、真琴ははっとさせられていた。
一触即発の危機も、秋原にとっては大した問題ではない。
アリスの戦意を削ぎ取りながら、秋原の話は続く。
「穿いてない……何と甘美で趣深い響きであろうか。
聖地と俗世を隔てる物が、布一枚でしかないとなれば、誰もが覗いてみたくなる。
しかし、手に届きそうな星が遥か彼方にある様に、その一枚が越えられない。
近過ぎる故に遠い距離、なればこそ沸き起こる探究心……。
例え証拠が無くとも、それを想像するだけで堪らぬ。
一時の快楽の為だけに、その可能性を否定される事が、俺はとても悲しい。
漢とは、いつまでも浪漫と美少女を追い続ける生き物。
スカートを穿いている美少女全てが、実は穿いていないと信じているのだ」
「アッキー……流石にそれはちょっとヒクよ……」
秋原の衝撃発言に、アリスは思わず一歩下がる。
自分も含まれているかも知れないのに、真琴は共感するのみだった。
「かつて、イギリスのネス湖にて、ネッシーを求め大規模な調査が行われた事があった。
しかし、ネッシーは見つからなかった……果たして、一体誰が得をしたであろうか。
世の中には、有耶無耶にしておいた方が良い事もある。
『永遠の十七歳を自称する声優は本当に十七歳か否か』等が、その際たるものだ。
事実か否かが問題なのではない。信じるか否かが肝要なのだ。
それを弁えず、全ての事象に答えを求める……まさに愚か者の極みなり」
「先輩は、そこまで考えて、上のボタンを外したんスね。人類最後の秘境を見たいばかりに、私は……」
秋原の深謀遠慮を前に、真琴は打ちひしがれていた。
聳え立つ二人だけの世界に、アリスや堀は近づく事さえ出来ない。
「そう落ち込むでない、真琴嬢。パンチラを全否定する程、俺も無粋ではない。
この話は、裏返すと、真琴嬢の肩を持つのだからな」
「と、言いますと……?」
「下着が見えると『穿いてない』という浪漫が消えてしまう……。
言い換えれば、下着を見せる事で『穿いてない』という不健全な発想を排除する事が出来るのだ」
「あっ……あぁあああああああああッ!」
秋原が提示した逆転の発想に、真琴は全身に稲妻が走るかの様な衝撃を受けた。
一見不健全と思えるそれが、実は健全な描写だった。
真琴にとっては、人生観さえ変えかねない発見だ。
「少年漫画でよくあるパンチラは、確かに少年には充分な色気だ。
スカート捲りという伝統が廃れた今、リアルでは滅多にお目にかかれんからな。
しかし、それは同時に『下着を穿いている』という健全性を主張している事にもなる。
そもそも、下着とは本来見えても大丈夫な物であった。
本のカバー宜しく、見えてはならん物を覆うのが役目であるからな。
海外の際どい下着の普及や、ミニスカートの流行によって初めて、パンチラに恥じらいや価値が生まれたのだ。
これを否定するという事は、五十年以上に及ぶチラリズムの歴史を否定するに同じ。
それに何より、マリリン・モンローや小川ローザに度肝を抜かれた漢達への侮辱だ」
「わ、私は一体どうすれば……」
決して相容れない二つの要素に挟まれ、真琴は弥次郎兵衛の様に揺れていた。
『穿いてない』という優しい嘘か。『パンチラ』という大衆受けか。
外食先で注文に迷う、などといったレベルではない。
べらぼうに高いが特典が魅力的な初回限定版を買うか否か、に匹敵する究極の選択だ。
「さあ、悩むのだ若き者よ。浪漫と健全、選べるは片方のみ。
考え抜いた末の決断なれば、健全を選んだとしても文句は」
「言うから! ボクが言うから!」
勝手に話を進める二人に、アリスはようやく割って入る事が出来た。
当事者を無視してそんな判断をされては、堪ったものではない。
結局、アリスは怒るタイミングを失ってしまった。
この二人の前では、誰もがそのペースに振り回されるのみである。
「正しい事は一つにあらず……真琴嬢が理解すれば良いのだが」
秋原の呟きは、誰の耳にも届かずに消えた。
「でも、望月さんも望月さんじゃないですか?
言われるままに、そんな服ばっかり着て……嫌なら断った方が良いですよ」
見かねた堀が述べたのは、至って正論だった。
当たり障りの無い、地味キャラらしい発言である。
「だって、アッキーやマコちゃんが、こんなに興奮するなんて思わなかったもん。
ボク、いつもこの格好で寝てるのに、そんな目で見られるなんて……」
言い訳の最中、アリスは妙な沈黙に気付いた。
ふと見ると、三人が石の様に固まっている。
時間が止まったのではと錯覚するが、外からは部活の掛け声がする。
――ボク、スタンド使いじゃなくて魔法使いなんだけど……。
それでもやはり、皆の時間を消し飛ばしてしまった気がして、戸惑うばかりだ。
「なん……だと……!?」
秋原の時間が、僅かだが動いた。
信じられないといった表情で、額には汗が浮かんでいる。
一体、彼らは何を驚いているのだろうか。
「もしかして、ボクが男物の服を持ってる事?
お兄ちゃんの着古したワイシャツを処分するって言うから、アカリンから貰ったの。
ダボダボした感じが丁度良くって、ぐっすり眠れるんだよ」
「な、なんだって――!?」
三人が、誂えた様に合わせて叫んだ。
秋原や真琴は疎か、堀までもが驚きを隠せない。
アリスがそれを不思議に思う間も無く、秋原と真琴が詰め寄る。
「俺も、たった今ワイシャツを着古してな……アリス嬢に差し上げよう」
「是非とも私の下着も!」
「ふ、二人共、どうして脱ぎながら迫って……うわぁああああああああああああああッ!?」
「さて……これでアリス嬢に着せたいコスプレは終わった訳だが」
「望月さん、勢い良く女が上がっているっスよ。まさに鰻登りっス!」
「どうもありがと……って言ってあげれば良いのかな」
乱れた服を整えている二人に、どうにか守り切ったアリスが、敵意剥き出しで言った。
好きな人以外の人が脱いだばかりの服なんて、着たい訳が無い。
藤原が嘗て着ていたワイシャツだからこそ、喜んで貰い受けたのだ。
毎晩、彼の残り香に包まれて眠る為に。
もちろん、それが本物ならば尚良い。
眠れない夜になれば、それこそ幸福の極みだ。
その為にも、明から藤原を奪い返さなければ。
「こうなったら、ボクの魅力でお兄ちゃんを誘惑するんだから!」
「え、もう!? 魔法少女補完計画とかしないんスか!?」
「悠長な事言ってられないの! お兄ちゃんの操は危ないし、話の尺の問題もあるし!」
真琴が文句を垂れるが、もう聞いていられない。
彼らが好き勝手振舞ってくれたお陰で、そろそろ尺が厳しいのだ。
魔法少女の設定を忘れられようが、知った事ではない。
自分の望みは、藤原ただ一人なのだから。
「ふっ……ならば尚更我々が必要であろう。
数多の恋を成就させた我等の策を以てすれば、藤原など千五百秒で落ちる」
「今、『恋』に『フラグ』って振り仮名があった気が……まあ、良いや」
こうして、女を磨いた(つもりになっている)アリスが、間も無く藤原に襲いかかろうとしていた。
まだだ、まだ終わらんよ!
……という事で、半年振りの更新は波状攻撃でした。