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暑さも寒さも彼岸まで  作者: ミスタ〜forest
32/68

明なら働いてみよ光なら学んでみよ その四

 部屋の掃除もひとまず終わり、藤原は窓を拭いていた。

 それぞれの窓を、絞った雑巾で入念に拭いていく。

 内側を拭き、身を外に乗り出して外側も拭く。

 もちろん、桟の手入れも怠らない。

 雲の隙間から覗く太陽の光が、綺麗になった窓から差し込み、藤原を照らす。

 そろそろ雑巾が汚れてきたので、足元に在るバケツにそれを浸した。

 両手を水の中に入れると、ひんやりとした感覚が肘まで伝わってくる。

 雑巾の両端を掴み、ジャブジャブと水音を立てながらそれを洗った。

「……明さん、大丈夫かな……?」

 心の中に溜まった感情を吐き出す様に、藤原は漏らす。

 まるで、我が子を初めて学校に送り出した親の様な心情だ。

 明は、学校が初めてという事は無いだろうが、明草高校もまた、普通の高校ではない。

 確かに、形式上は学校に違いないのだが、教師陣の癖が強過ぎる。

 『十七歳の貧乳教師』すら、霞んで見えてしまう程だ。

 明は良くも悪くも寛大なので、彼らから変な影響を受けるかも知れない。

「次は梅田うめだだったな……。夕まであと半分……頑張ってくれよ」

 窓の外を眺めながら、藤原は祈る様に言った。



 チャイムが鳴ると同時に、白衣を纏った教師が生物学室に入ってきた。

 正確には、『入ってこようとした』であるが。

 何故なら、

「ふぇ!?」

 扉の桟で躓いてしまったからだ。

 為す術も無く、彼女はつんのめって倒れた。

 ベチッと鈍い音がした事から、その痛さが窺える。

 数秒の間、そのまま何もかもが止まった。

 そして、梅田はゆっくりと立ち上がる。

「いたたた……」

 打ったらしい鼻を押さえながら。

 ようやく教卓の前に立ち、

「じゃあ……授業を始めます……礼」

 半泣きの顔で言った。

 そこら中から『大丈夫ー?』『可愛いよー』といった声が聞こえる。

 堪えようとした笑いが漏れ出す音も、同時に。

「そ、そんなに笑わないで下さいよー!」

 小学生の発表会の様な目で見られていると感じたのか、梅田は恥ずかしそうに顔を赤くして怒る。

 赤くなっていた鼻が、更に赤くなった。

 身長は百五十前半くらいだが、童顔なので、幼く見えない事も無い。

 さっきの転倒で乱れた髪に気付き、手櫛で整えると、元のセミロングに戻った。

 どうにか生物学室に静寂が戻り、改めて授業が始まる。

「……という訳で、前回話した通り、今日は再生についてです。

ですが……その……皆さんに……残念な話が……」

 だが、数分も経たないうちに、梅田は言葉を濁した。

 言葉通り残念そうな声に、生徒達は怪訝な表情を浮かべる。

「他の生物教師の皆さんと……散々話し合ったんですけど……」

 段々、消え入る様になってくる声。

 聞き耳を立てる生徒が、波の様に広がっていった。

「私は……最後まで……反対……したんですけど……」

 少しずつ、声が涙声になってくる。

 目尻に涙を湛え、握った拳は震えていた。

 どこから始まったのか、生徒間でざわめきが広がる。

「……プラナリア……切る事になりました……!」

 そして、絞り出す様な声で、梅田は述べた。

 とうとう涙が溢れ出し、一筋の光になって頬を伝う。

 それと同時に、生徒達は安堵にも似た溜息を吐いた。

「な、何ですかそのリアクション!? 私は、私は……ッ!」

 そんな生徒達を、梅田は信じられないといった目で見る。

 それすらも、生徒達は愛玩種を見る様な眼差しで見ていた。

「はうぅ……だって、再生するとは言え、身体をちょん切るなんて……」

「あの、先生……」

 ふと、一人の生徒が呼び掛ける。

 数秒遅れて、梅田が涙目を向けた。

「今回は、何で買収されたんですか?」

「…………」

 その質問に、梅田は言葉を詰らせる。

 どうやら、買収を否定するつもりは無いらしい。

 少し経って、彼女は両手で両目の涙を拭いながら、

「だって……イチゴタルト奢ってあげるって言うから……」

 自分の意見を千円未満で百八十度変えた事を告白した。

 暫くの間、呆然とも慈愛とも受け取れる視線が、梅田に浴びせられる。

「……先生、誘拐された事ありますよね?」

 生徒から飛び出た言葉は、質問と言うよりも断定であった。

「な、何でそうなるんですか!? いくら何でもヒド過ぎますよ!」

 当然の様に、梅田は激しく反発する。

 そして、とうとう嗚咽を上げて泣き出してしまった。

 梅田の幼い応対を楽しんでいた生徒達も、空気が一変する。

 周囲の冷たい目線と、臨戦態勢になり始めた秋原に気付き、

「せ、先生。ギザ十あげますから泣き止んで下さい。お願いします」

 彼は冷や汗を流しながら梅田の機嫌を直そうと試みた。

「ほ、本当ですか?」

 一瞬にして彼女の口元が綻び、生徒達は胸を撫で下ろした。



 こうして、生徒が実験をしている最中、教師がギザ十に目を輝かせるという異様な光景になった。

 梅田は、心底嬉しそうに、ギザギザの側面を指で撫でている。

 少し得した気分になるのは解るが、ここまでの反応を示す人は、滅多に居ないだろう。

 その様子は、海で拾った普通の貝殻を大切にする少女と何ら変わらない。

「先生」

「はい」

 生徒に呼ばれ、梅田はギザ十をポケットに仕舞った。

 そして、呼んだ生徒の席へと歩いていく。

「何ですか?」

「これで良いんですよね?」

「……そ、それは……」

 生徒に確認を頼まれ、梅田は止むを得ずシャーレを覗き込んだ。

 そこには、三つに切断されたプラナリアの姿。

 頭部にある目が、こっちを恨めしそうに睨んでいる様に見えた。

「は、はい。それで良いです。再生には数日掛かるので、何日かに一回観察して下さいね」

 少し顔を青くさせながらも、梅田はどうにか平静を保つ。

 急いでプラナリアから目を離し、元の位置に戻ろうとしたが、

「お、おい、それはヤバいって」

「大丈夫だって。こんなモンじゃ全然……」

 別の席が騒がしいので、溜息を吐きながらもそこへ向かった。

「どうしたんですか?」

 そう尋ねた次の瞬間。

 シャーレの中で行われた惨劇の跡が、梅田の目に飛び込んだ。

 さっきのとは比べ物にならない位に、梅田の顔から血が引いていく。

「な……な……な……」

 余りの衝撃に、梅田は次の言葉が出なかった。

 代わりに、そのシャーレを震える指で差し、生徒に目で尋ねる。

 その生徒は、至って平然とした表情で答えた。

「普通に三等分するのも芸が無い気がしたので。

これは二十に分けたんですけど、とある研究者は四十以上に切って、それでも再生したそうです。

細かく分けた分、再生に時間は掛かりますけど、ちゃんと観察はしますから」

「…………」

 それさえも、今の梅田には聞こえていない様だった。

 彼女の目線の先には、原型が判らない程に切られたプラナリアの破片の数々。

 梅田は、何かを叫ぼうにも声が出ず、そのまま固まっている様な表情だ。

 そして、次第に身体から力が抜けていき、その場に崩れる。

 床に打ち付けそうになった頭を、近くに居た生徒がギリギリで支えた。

 既に梅田は気を失っており、起き上がる気配は無い。

 生徒達の間に、響動めきが走った。

「お、おい……もしかして、『アレ』が目覚めるんじゃないのか?」

 そんな生徒の一言で、更に響動めきが大きくなる。

 今にもパニック状態になりそうな状態だ。

「静まれ! 授業中だぞ!」

 秋原の一声で、全員が一斉に静まり返った。

 そして、意見を仰ぐ様に、視線が秋原に集まる。

 秋原は何度か咳払いをして、いつになく荘厳な表情で口を開いた。

「もし、仮に『アレ』が目覚めたとしても、それは止むを得ない事だ。

これは……祟りだ。自然を敬い、愛でる心を忘れてしまった我々に、山神様がお怒りなのだ」

 秋原の言葉に、誰も、何も言えなかった。

 ツッコむ事すら、出来なかった。

 藤原が『藤原』でなければ、ツッコんでいたかも知れないが。

 生徒達が、『アレ』を怒らせたと思われる張本人から離れていく。

 戸惑いと恐怖で身動ぎすら出来ない彼の肩を、秋原は二、三度叩いた。

 まるで、上司が部下に解雇を告げているかの様な光景だ。

 秋原も退避し終えた直後、梅田は目を覚ました。

 ゆっくりと起きあがり、未だ動けない生徒の方を向く。

 その瞳は、普段の無邪気な幼いそれではなかった。

 数々の死線を乗り越えてきた、戦いに飢えた猛獣の様な目だ。

 それと同時に、生物学室の空気が一気に張り詰めるのを、室内の全員が感じた。

「おい、小僧……」

「は、はい!」

 声もまた、普段の明るい声ではなく、厳格すら醸し出している。

 彼は、上擦った声で答えた。

 梅田は、彼の目前まで近寄り、彼の胸座を掴む。

 彼は抵抗する事すら出来ず、その場で膝を付いた。

 梅田の方が十センチ以上背が低い事など、微塵も感じられない状況だ。

「若いからって調子乗ってると……痛い目に遭うぜ。

何なら……俺が直々に、このプラナリアみたく粉々にしてやろうか?」

「い、いえ! 滅相もない!」

 それだけで人が殺せそうな程の声に、彼は涙目になって訴えた。

 梅田は見下す様に笑い、

「けっ……解りゃ良いんだよ」

 胸座を掴んでいた手を離した。

 彼はその場に崩れ、正座の様な体勢になる。

 梅田は姿勢を低くして、彼の耳元で囁いた。

「次に俺の目の前でそんな事したら……そのタマ、遠慮無くるからな」

「…………!」

 彼の全身を、戦慄が駆け巡る。

 それに耐えられなくなり、彼はその場で意識を失った。

 同時に、梅田もそこに倒れ込む。

 一連の流れを、残りの生徒達は、遠巻きに眺めていた。

 猛獣の前に逃げるしか術の無い草食動物の様に。

 誰もが言葉を失う中、

「このギャップ……イイ……!」

 秋原だけは、相変わらずであった。

書き終えてから思った。大変なキャラが出てきてしまったと(ぁ


基本的にPCユーザーを想定して書いているのですが、携帯から読んで下さっている方の方が多いのは事実。

なので、携帯ユーザーの方の意見を、ひっそりと募集します。

こうした方が読みやすい、あの書き方は読みにくい等、可能な限りお応えしたいと思います。

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