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暑さも寒さも彼岸まで  作者: ミスタ〜forest
22/68

妹思いは姉の情 その四

「では、そろそろ帰るとしよう。いつまでも居ては邪魔になるからな」

「じゃあ、ボクも」

 どうにか夕とアリスの傷が癒え、秋原とアリスは帰る準備を始めた。

 大した荷物も無いので、すぐに準備が整う。

「ふっ……お前もこれから大変だな、藤原。

明さんと夕嬢……どちらを選ぶか、精々悩むが良い。

なに、いざという時はハーレムエンドを選べば良いのだ。

双子のヒロインに多いのだが、あの二人なら在っても不思議ではない」

「何の話だよ……」

 藤原と秋原がそんな遣り取りをしている間、

「良い、ゆーちゃん? お兄ちゃんと既成事実を作る様な真似だけはしないでね」

「き、きせーじじつ……?」

「じゃ、ナイチチ条約締結♪」

「な、ないちち……?」

 アリスは夕に一方的な約束事をしていた。

 こうして、不法侵入者二人が帰っていく。

 人数が四十%減っただけで、喧騒が八十%は削減された気分だ。

「夕はどうしますか?」

 まだ残っている夕に、明が尋ねる。

 余り遅くに帰らせるのは、十七歳の少女には少々危険だ。

 ちゃんと予定を聞いておかなければ、後で面倒になる。

 夕は腕を組んで、暫く考える。

 その表情は、数多の選択肢から選んでいる最中のものではなく、

既に決めた何かを実行するか否かで迷っている時のものだった。

 そして、組んでいた手を解く。

「今晩、ここに泊まっても良いかな? 姉さんと一緒に居たいんだ」

「ダメです」

 夕の頼みを、明は一蹴する。

 基本的に寛容な彼女にとっては、珍しい対応だ。

「ここは光様の家です。私達の都合で、迷惑を掛ける訳にはいきません」

「…………」

 明のもっともな言葉に、夕は何も言い返す事が出来なかった。

 今日から、自分も社会人なのだ。

 公私を混同してはいけない事は、ちゃんと理解しなければならない。

「……ま、別に良いんじゃないか?」

 そんな二人に、藤原が割って入った。

 夕も明も、驚いて藤原の方を向く。

「し、しかし光様……」

「折角会えたんだ、積もる話も有るだろ? 部屋ならどうにかなるだろうし」

「うん、うん!」

 明を説得する藤原に、夕は嬉しそうに同意する。

 その表情は、十七歳の少女のそれだ。

「俺は気にしないから、少しくらい甘えさせてやっても良いんじゃないか?」

「……光様が……そう仰るのでしたら……」

 とうとう、明は折れた。

「やったぁ! じゃあ私、泊まる準備してくるね!」

 言葉通り喜びを露にしながら、夕は藤原宅を飛び出していく。

 自分が買った物を置いていく程だから、余程嬉しいのだろう。

 明が追いかけようとしたが、既にその背中は見えなくなっていた。



 あっと言う間に二人になり、藤原家に静寂が戻る。

 だが、それも夕が戻ってくるまでの、束の間のことだろう。

 藤原は大きく息を吐いて、椅子に座った。

「紅茶、いかがです?」

「ああ、頼む」

 明は、湯を沸かすべくキッチンに向かった。

「嬉しそうだったな、夕」

「ええ。食生活が偏っている様ですし、丁度良いのかも知れませんね」

「お袋の味ならぬ姉の味……か」

 その遣り取りの後、暫くは静寂がリビングとキッチンを支配する。

 藤原は特に何をするでもなく、明は薬缶と火を見ていた。

 水が湯に変わる間際の音がし始めた頃、明が口を開く。

「……何故、夕の宿泊を許可したのですか?」

「夕の為と、明さんの為だ」

「私の……為……?」

 藤原の言葉を繰り返しながら、明は首を傾げた。

「夕に会った時の明さん、嬉しいと言うよりも戸惑ってるって感じがしたから。

それからもずっと……何となくだけど、様子が変だった。

昔、何かあったのか? 再会を素直に喜べなくなる様な何かが」

「…………」

 藤原の問いに、明は沈黙する。

 どうやら、黙認と解釈して良さそうだ。

 藤原がそう思い始めた時、明は再び口を開いた。

「……ある所に、一人の女性が居ました」

 物語調だ。

「その女性は、紆余曲折あって、中学卒業後は実家を離れる事になっていました。

理由は、言葉通り色々あるのですが、今は置いておきましょう。

旅立ちの日、私はとても早く起きました。暁よりも早起きでした。

時計がデジタルなので、見た時に四時十八分三十六秒であった事は、今も覚えています。

起き上がろうとした時に、身体に何か温かい物が纏はりついている事に気付きました。

それ程掛からずに、すやすやと眠っている女の子の顔が目に映ります。

昨晩、一緒に寝たいと泣きついてきた妹でした。

十二歳にもなって……と女性は思いながらも、彼女の意を汲んでそれを許可したのです」

「明さんと夕……って事か?」

「……御想像に任せます」

 藤原の問いに、明は暗い表情で答えた。

 恐らく、肯定と思って良いのだろう。

 更に明は続ける。

「抱き枕の様な状況にあった彼女は、妹を起こさないように腕を解きました。

……とは言っても、妹は寝起きが悪く、多少の事では起きないのですが。

目覚ましが鳴らないようにすると、女性は着替え始めました。

パジャマを脱ぎながら、彼女は思います。

あと数時間で、妹ともお別れなのだと。

服を着ながら、彼女は思います。

妹を起こしてしまったら、お互い別れが辛くなる、と。

着替えが終わり、身形を整えた頃には、彼女は決めていました。

このまま、妹を起こさずに発とう、と」

「つまり……夕が『号泣した』って言ってたのは……」

「……今は……何も訊かないで下さい」

 明は言及を拒んだが、想像は容易だ。

 夕が『号泣した』本当の理由は、恐らく……。

「まだ十分に時間が有るので、女性は妹の隣に、顔を合わせるように寝転がります。

十センチ程の空間を隔てて、妹の寝顔が見えました。

女性は、妹の頭をそっと撫でてあげます。

まだ一緒に寝ていた頃から、よくこうしてあげていました。

妹が何かを成し得た時にこうすると、更に嬉しそうに笑ったからです。

妹が泣き出した時にこうすると、少しそれが緩和したからです。

妹の顔を見ながら、女性は色々な事を思い出します。

勉強ばかりの妹に、その他の大切な事を、知り得る限り教えました。

綺麗な髪を切らせたくなかったので、勉強時は私の余りのリボンで結ってあげました。

雷の夜に、泣き叫びながら妹に抱き付いていた時、妹の頭を撫でられました。

世話ばかり掛かる妹だと思っていましたが、実は同じくらい支えられてもいました。

その事に気付いた時には、女性の瞳からは涙が溢れていました。

自分が妹から逃げる様に発ってしまう事が、とても甘受出来なかったからです」

 少しずつ、明の言葉が感情を帯び始める。

 薬缶から湯気が噴き出し、明は火を止めた。

 湯をカップに入れ、カップを温める。

 少しして、カップの湯を捨て、ティーバッグと新しい湯を入れた。

 じわりじわりと、湯が紅く染まっていく。

 紅茶特有の高貴な香りが、少しずつ部屋を泳ぎ始めた。

 そして、明は更に話を続ける。

「……しかし、もし妹を起こせば、どうなるでしょう。

別れの際、きっと泣き付いてくるでしょう。離れたくない、とも言うでしょう。

そうなった時、女性は強く突き放す事が出来ると言い切る自信が有りませんでした。

それでもやはり、妹から逃げてしまうのです。妹の涙から逃げてしまうのです。

その事実は、如何な理由であれ変わりません。

自分は何て弱虫な人間なのだろう、と強く自分を責めました。

もう少し強ければ、自分は勿論、妹も泣かせない方法が在るかも知れないのに。

そう思うと、尚更涙が溢れてきました」

「そこまで解っていたのに……どうして……」

「…………」

 藤原の言葉に、明は何も答えなかった。

 只、沈んだ表情で淡々とそれを受け止めた。

 恐らく、本人が最も自覚しているのだろう。

 だからこそ、尚更辛い。

 如何な感情も、認識する事から始まるのだから。

 尚も明は続ける。

「……ふと、女性はある事を思い出しました。

立ち上がり、髪を結っていたリボンを解きます。

代わりに、妹が最も好んで使っていた、純白のリボンで髪を結いました。

そして、ついさっきまで自分の髪を結っていたリボンで、妹の髪を結いました。

……妹は眠っている状態なので、結構苦心しましたが。

これが、女性が妹にしてあげられる精一杯でした。

妹なら、きっとリボンの意味を理解してくれる。

そう確信し、女性は荷物を持って、部屋のドアを開けました。

廊下への最初の一歩を踏み出す前に、女性は言います。

……さようなら、と。そして、その時になってようやく気付きました。

自分は、この一言を、面と向かって言う勇気が無かったのだ、と。

溢れ出す涙を拭わずに、女性は部屋から出ていきました。

それ以来、女性は一度も妹に会う事がありませんでした……今日まで」



 話を終えると、明はカップからティーバッグを出した。

 砂糖を入れ、スプーンで掻き混ぜ、リビングに持ってくる。

 既に置いてあったコースターの上に、カップを置いた。

 藤原は無言でカップを手に取り、紅茶を啜る。

 今の明の心情を映した様な、ほろ苦い味だった。

「……さっきまで、ずっと嘘吐いてたって事か」

「はい。……彼女を傷付けたくありませんでしたから」

 明の答えに、藤原は小さく溜め息を吐く。

「私は、もう彼女の姉を名乗る資格なんて無いんです。

彼女の思いから逃げて、傷付けてしまった私には、もう……。

ですから、身体の代わりにリボンを預けたんです。

あの娘の中に居る『私』は、私よりも心強くて、頼りになる筈です。

思い出に住まう人間は、持ち主の思い通りに美化されますから。

何も告げずに逃げる様な軟弱さなど、持っている筈がありませんから」

 明は、感情を押し殺す様に淡々と述べた。

 それは、まるで自分に言い聞かせている様でもあった。

 藤原は少し黙った後、

「本当に……本当に、そう思っているのか?」

 咎める様に言う。

 明は何も言い返さず、俯いたままだった。

 そんな明を見て、藤原は再び溜め息を吐く。

「夕が本当に望んでいるのが何か、まだ解らないのか?

思い出と戯れる事が夕の幸せだなんて、本当に思っているのか?

……結局、明さんは逃げているだけじゃないか。

自分が負い目に感じている事を、突き付けられるのが怖いだけじゃないか。

すぐに、必ず勘付かれるぞ。上っ面だけの対応なんて。

そうなれば、夕は尚更傷付く。大切な人に避けられているなんて知ったら、当然だ」

 そこまで言って、藤原は紅茶を少し飲む。

 明は、ずっと黙ったままだ。

 更に藤原は続ける。

「本当に夕に悪い事したって思っているなら、他にする事があるだろ。

大切な人に居て欲しい場所は、思い出の中なんかじゃない。

呼んだらすぐに応えてくれる様な、いつでも互いの気持ちを確かめ合える場所だ。

夕は、自分からそこに行こうとしているんだ。明さんに近付こうとしているんだ。

それくらい、あの様子見たら判るだろ?

……夕が来るまでに、その辺り考え直した方が良い」

 藤原はそう言い放つと、残りの紅茶を飲み干し、リビングを出ていった。

 階段を上る音がしたから、自分の部屋に戻ったのだろう。

 藤原が去った後も、明は暫くその場に立ち尽くす。

 時計の秒針が動く音だけが、部屋に響いた。

「……夕……私は……」



「ただいま!」

 一時間も経たないうちに、玄関から元気な声が聞こえた。

 チャイムも鳴らさずに入って来られたので、藤原と明は慌てて迎える。

「は、早かったな……」

「帰りは自転車で来たんだ。通勤も自転車だよ」

 どうやら、ここから通勤するつもりらしい。

 そして、藤原はある事に気付く。

「お前、『ただいま』だの『帰り』だの……」

「…………? 何かおかしい?」

「いや……もう良い……」

 当たり前の様にここを自宅扱いする夕に、藤原は言及する気すら失せた。

 破損物さえ出さなければ、秋原達よりはマシだろう。

 姉が居る手前、勝手な事はするまい。

「……夕」

「何、姉さん?」

 明に声を掛けられ、夕は目を合わせる。

 明は何か言おうとしたが、少し躊躇った。

 夕は、じっと明の言葉を待っている。

 どうにか体勢を整えると、

「……お帰りなさい」

 優しい声で言った。

 いつも通りの、曇りの無い声だ。

 夕は嬉しそうに笑って、

「姉さん、ただいま♪」

どうやら、今月(三月)は今までで一番多くの人が読んで下さった模様です。ありがとうございます。

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