妹思いは姉の情 その二
生徒達が再び響動めく前に、校長がマイクを構える。
「……はい。本人が仰った通り、西口先生は若干十七歳です。
彼女は、幼少の頃から非常に穎脱した頭脳を誇っていました。
飛び級でアメリカの大学へ入学し、優秀な成績で卒業。
そして今、こうして教壇に立つ事を望まれたと言う訳です。
当然ながら、色々と問題がありました。
しかし、彼女の教育に対する情熱は、昨今の教師に決して劣りません。
同年代の教師を導入する事により、生徒と教師が互いに成長出来る。
そう判断し、卓越した成績をと併せて採用を決定しました」
校長が一通りの説明を終え、その後に続く様に夕が口を開く。
「校長先生の御言葉、誠に光栄です。
……確かに、私の様な若輩は、本来教壇に立つ事を許されません。
しかし私には、教える立場に値する教養と情熱が有る、そう自分では思っています。
この明草高校に採用させて頂いた事、心から感謝しています。
それに応えるべく、今日からは教師として、日々精進していきたいと思います。
余り話が長引くのも良くないので、以上で。重ね重ね、宜しくお願いします」
話を終えると、夕は頭を下げた。
静寂から、再び響動めきに変わる。
その日の明草高校は、新任教師の話題で持ち切りだった。
藤原のクラスも、決して例外ではない。
まして、間も無く彼女の授業が始まるのだから、尚更だった。
チャイムが鳴り、教室のドアが開く。
サイドポニーの少女が、授業用のテキストを持って、教室に入ってきた。
同時に、教室がざわめき始める。
その後ろから、馴染みの教師も入ってきた。
恐らく、初日の授業なので、色々と見なければならないのだろう。
少女が教卓のポジションに着き、教師が教室の最後列に座る。
やや緊張した面持ちだが、それに押し潰されている様子は無い。
余所のクラスで、既に何度か授業をしたのだろう。
「では……改めまして、西口夕です」
まずは、改めて頭を下げる。
そして、黒板に自分の名前を書いた。
練習の跡が伺える、とても綺麗な字だ。
「私の様な若輩が教師になる事に、驚いている方も多いと思います。
ですから、まずは自分の身の上を、簡単に話したいと思います」
そう言いながら、夕は正面に向き直った。
「私は、幼い頃から、大抵の勉学に対して、並々ならぬ才能を持っていました。
……自分で言うのも何ですが、でないとこの様な場所に立てる訳が無いので。
両親にそれを見出されてからは、その才を伸ばす為に時間を費やしてきました。
結果を残す度に両親が誉めてくれるだけで、頑張る理由には十分でした」
そこまで言って、夕の表情が少し沈む。
「そんなある日、色々とあって、自分の在り方について疑問を抱きました。
このまま、親の言う通りに生きていて良いのか、と。
……勿論、勉学に対する気持ちが揺らいだ訳ではありません。
只、本当に……言われるがままに生きていて良いのか、と。
そう思うと、言い様の無い恐怖感に見舞われました。
その頃、海外の大学に入学する話が持ち上がっていましたから、尚更でした」
彼女にも、悩んでいた時期があったと言う事だろう。
声が明るさを取り戻して、更に続ける。
「そんな私に、私にとっての恩師は言いました。
『例え宛われた道でも、歩き方は幾らでも在る』と。
その一言のお陰で、私は更に教養を深める事が出来ました。
そして、十分に勉学を修めた時、私は決意しました。
この知識は、新しい可能性を教え導く為に使おう、と。
嘗て私が、恩師の一言に救われた様に、今度は私が未来の希望の為に尽くそう、と。
様々な誘いがありましたが、どれも私の決意が揺らぐ程のものではありませんでした。
そんな訳で、私はここに居ます。大勢の人に支えられて、ここに立っています」
そう言いながら、夕は胸に手を当てた。
一見堂々としている彼女だが、様々な支えがあっての事なのだろう。
だが、それこそが本当の意味の『強さ』なのかも知れない。
「英語を選択した理由は、如何な道に進むにせよ、英語を避けては通れないからです。
大抵の大学は、受験科目に英語が在ります。
情報化や国際化が進めば、尚更国際語である英語は必須となるでしょう。
英語と言う科目を通して、なるべく多くの生徒を、なるべく望み通りの未来へと導く。
それが、私の現在の目標です。……少し、話が長くなりましたね。
さっきのクラスの時よりは、要約したつもりだったのですが……」
黒板に書いた自分の名前を消すと、夕は早速授業に取りかかった。
将棋部は、今日も緩る緩ると、空き教室で活動していた。
藤原と堀は対局しているが、
「堀、王取られたんだから、素直に負けを認めろ」
「王制から、民主主義に変わりました」
「…………」
やはりまともな対局ではなかった。
秋原は、ギャルゲーの雑誌を読みながら、
「なんと、これ程の美少女がサブ扱いとは……。
恐らく、家庭用ゲーム機への移植でメイン昇格であろうな。
更に、Hシーンを追加して逆移植、と言う事態も有り得る。
売り上げの為とは言え、やはり一発で完璧な物を作って欲しいものだな」
一人呟いていた。
いつも通りの、部活風景。
只、ツインテールの背が低い少女が、少し前から加わった。
とは言っても、正式に入部した訳でも、将棋をする訳でもない。
藤原に逢いに来ているだけだ。
何度か藤原が追い払おうとしたが、今では黙認している。
「……西口先生の事だけどさ……」
そんな彼女が、話の発端だった。
「うむ。俺も気になっていた」
秋原も、雑誌を閉じて話の準備に入る。
堀がようやく負けを認めると、二人も駒を片付けた。
「やっぱりあの人は、アカリンの……」
アリスが、早くも核心に触れる。
この四人にとって、彼女の年齢は大した問題ではない。
只、余りにも明に似ている事だけが議論の対象だった。
「でも、苗字が同じなだけで決めつけるのはどうかと……」
そんなアリスに、堀はやんわりと反論した。
確かに……と呟き、アリスは考え込む。
「そもそも、明さんに妹がいるのか?」
「ああ。年齢とかは全然知らないけどな」
藤原が答えると、秋原は暫く腕を組み、
「では、まず、明さんとの共通点を挙げていこう」
それ程掛からずに提案した。
最初にアリスが挙手する。
「やっぱり顔だよね。ちょっとアカリンの方が柔らかい感じかな?」
三人共頷く。
続いて堀が手を挙げた。
「割と背が高いですよね。先生の方が、数センチ低いでしょうか。
でも、四捨五入すれば、百七十くらいありますよね」
やはり三人共頷く。
今度は提案者が手を挙げた。
「教育実習生ならともかく、本当に教師とはな……。
教師は、大体三種類に分けられるのだ。
まず、エロス振り撒く妖艶なお姉さん。これは、保健婦に多いな。
次に、友達感覚で付き合える若い教師。体育教師の傾向がやや強い。
そして、どうやって教壇に立てたんだと言わんばかりの子供先生。
夕先生の場合、若い教師寄りの子供先生だな。
若い教師とするには幼いし、子供先生とするには大きい。
どちらでもないが、どちらでもある……これは、今までの歴史と伝統を覆すかも知れん。
ふっ、明さんと同じく、萌えのツボを刺激する才能を持ち合わせている様だ」
アリスだけが頷いた。
秋原の発言が無かったかの様に、藤原が口を開く。
「確かに、明さんにそっくりだよな。
明さんと同じ家で生活している俺でさえ、そう思う。
考え方とかも、明さんと同じでしっかりしてるし……。
強いて言えば、違うのは髪型と胸くらいじゃないか? けど、それくらいは違って当然か……」
藤原の発言に、三人が暫く沈黙する。
議論が盛り上がっていた筈の空き教室は、水を打った様に静まり返った。
何のリアクションも無い事に、藤原が戸惑いを感じ始めた時、
「ふっ……まさか藤原が、その様な箇所に目を付けていたとはな……」
「よかったぁ、お兄ちゃんも、ちゃんと女の子でハァハァ出来るんだね♪」
「藤原先輩……見損ないました」
三人が思い思いに感想を述べた。
「え……何? 何か不味い事言ったのか、俺?」
理由も判らないまま、藤原は戸惑うばかりだった。
議論の最中、部室のドアが開く音がした。
四人の目線が、一ヶ所に集まる。
「こんちわっス―♪」
ポニーテールの少女が、元気に挨拶をしながら入ってきた。
同時に、アリスは部室の隅の方に移動する。
「何か用か、真琴? 取材の予定は聞いてないけど……」
「いえ、特に用は無いっス。強いて言えば……」
藤原の質問に答えながら、真琴は周囲を見渡す。
そして、教室の隅でうずくまっている、ツインテールの幼女を見付けた。
それに向かって、真琴は一直線に駆けていく。
激しい足音に気付き、アリスは逃げようとしたが、既に二百七十度は阻まれている。
残りの九十度で右往左往している間に、全ては終わった。
「幼女分の補給っス♪」
「うわあああぁぁああぁっ!?」
心底嬉しそうな顔で抱擁する真琴とは対照的に、アリスは阿鼻叫喚の声を上げる。
もうお馴染みの光景なので、見て見ぬ振りをする事にした。
「ところで真琴、西口先生の話をしてたんだけど……」
流石に哀れになってきたので、藤原が真琴に話を振る。
それと同時に、真琴の表情から笑顔が消えた。
「よく訊いてくれたっス……」
アリスを解放すると、真琴はゆっくりと中央へ移動する。
その表情は、非常に厳かだった。
丁度真ん中で立ち止まり、四人の目線が集まる。
「新任の教師……結構っス。天才先生……尚更結構っス」
真琴は、呟く様に話を始める。
すると突然、胸の前で拳を強く握り締めた。
そして、拳の通り力強く、咆吼する。
「でも! 新任の天才先生と言えば、十歳の子供と決まってるっス!
あんなに身長が高いのは認めないっス! アンダー百五十当たり前っス!」
「……もう、ツッコまなくて良いか?」
そんな真琴に、藤原は最早何も言えなかった。
構う事無く、真琴は続ける。
「これからの時代は、子供が必要っス!
ちょっとおちょくるだけで目をウルウルさせたり、台座が無いと黒板に手が届かなかったり……。
そう言う無垢な子供が、今の荒んだ社会には必要っス! 現代社会には癒しが足りないっス!」
既に教師とは何の関係も無くなっているが、それに言及する者は居ない。
「解る! 解るぞその気持ち! 幼女を愛でる心こそ、現代には必要なのだ!
今、子供相手に犯罪を犯す愚者共の所為で、ロリ系のギャルゲーは危機に立たされている……。
しかし、それは大きな過ち! ロリ系のゲームを通じて、人は子供を愛でる心を育てるのだ!
地位ばかり立派な連中は、我々の様な者の事など知ろうともしない……嘆かわしい事だ」
甚く共感している者が居るが、やはり誰も言及する事は無かった。
胸の奥から湧き出る、ぶつけ様の無い気持ちを抑えられず、真琴は窓際へ走る。
窓から半身を乗り出し、
「ストップ少子化――――――――――!!!!!」
彼女は力の限り叫んだ。
青春真っ只中の若さ故の、清純な雄叫びだった。
「な……何? 今の大声……」
真琴の咆吼からそれ程掛からず、部室のドアが再び開く。
教師になるのが七年遅かった夕が、戸惑いながら入ってきた。
「に、西口先生!?」
余りにも急な出来事に、一同驚きを隠せない。
「この高校について少しでも知る為に、部活動を見て回っているんです」
どうやら各所で同じリアクションをされたらしく、夕は平然と答えた。
藤原達の近くの椅子を、適当に選んで座る。
藤原達全員が同じ事を尋ねようとしたが、全員が同じ様に躊躇った。
「ここは、確か将棋部ですよね?」
「あ、はい……」
逆に尋ねられる始末である。
「全部で五人?」
更に尋ねられ、
「いえ、私は新聞部っス」
「この小さいのは『侵入部員』です」
やはり答えざるを得なかった。
「むぅ。お兄ちゃん、怒るよ!」
「怒りながら言うな」
藤原の発言に、アリスが激しく噛み付く。
『小さい』の方か、『侵入部員』の方か、或いは両方かは定かではない。
そんな光景を、
「…………」
夕は不思議そうに見つめていた。
「……貴方達、兄妹? あんまり似ていませんけど……」
そして、やはり不思議そうに尋ねる。
この光景を見れば、そう思っても仕方無いだろう。
「いや、こいつが俺の事をこう呼ぶだけなんで……」
「あ、そうなんですか。ごめんなさい。
この前読んだ文献に、興味深い事が書いてあったから、つい……」
藤原が否定すると、夕は丁寧に謝った。
「……文献?」
しかし、今度は藤原が怪訝な表情を浮かべる。
二人が兄妹である事が関係する様な文献が、想像出来ないからだ。
「私がアメリカに居る間に、日本も結構変わったとい思いますから。
日本に帰国する前に、日本に関する情報誌を買ったんです」
どうやら、前もっての準備も怠らなかったらしい。
だが、日本以外の場所で買ったと言うのが、少々気になる。
「それの百十八ページによると、最近の日本は、兄妹が恋人同士になる事が多いそうです。
数年離れている間に、色々変わったのですね。しかし、今のところ、そう言う人は……」
その不安は、早くも現実の物となってしまった。
――これは、早いうちに直しておかないと……。
藤原がツッコむ前に、秋原が立ち上がる。
「その通り! 妹萌えこそ、日本の誇る新たな文化!
今は義妹が主流だが、最近実の妹も攻略出来るようになり、更なる発展を遂げている!
日本の文化、確かに異国にも伝わっている様だな……!」
「いや、明らかに湾曲して伝わってる」
言っても無駄な事が判りきっている上に、夕の前なので、藤原は控えめにツッコむ。
彼女は、本を盲信してしまう癖があるらしい。これは恐ろしい事だ。
その後、どうにか彼女の誤解を矯正する事が出来た。
しかし、これが氷山の一角に過ぎない事は、まだ誰も知る由が無かった。
「あの、ところで、先生にお訊きしたい事があるんですけど……」
「……? 何ですか?」
堀が、とうとう勇気を振り絞り、夕に尋ねる。
その瞬間、部室の空気が一気に緊張を孕んだ。
堀もそれを感じて、物怖じするが、どうにかそれを振り切ると、
「先生って……姉妹とか居ませんか?」
未知の領域へと踏み込んだ。
予想だにしなかった質問をされた所為か、夕は一瞬言葉を詰まらせる。
「姉妹ですか……。私には姉が……姉が……姉さんが……姉……」
夕は答えようとするが、何故か続きが出てこない。
表情も次第に曇っていき、声も小さくなっていく。
気が付けば、彼女の瞳には大粒の涙が浮かんでいた。
どうやら、地雷を踏んでしまったらしい。
堀がそう自覚した時には、既に幾つかの冷たい視線が集中していた。
人生には、往々にして理不尽な事がある。
良かれと思ってした事が、自分を追いつめることも多々ある。
今の堀が、まさにそうだった。
結局、夕の事は何も解らないまま、部活は終わった。
――まだ初日だし、焦る事でも無いだろ。
そう思いながら、藤原は日が沈んだばかりのスーパーに居た。
明が米を買うと言うので、自主的に荷物持ちとして参加したのだ。
「あの……本当に宜しいのですか? 別に私一人でも……」
当の明は、未だに遠慮がちだった。
「どうせ特にする事も無いし、遠慮しなくて良いよ。……それに、ここまで来て手ぶらで戻るのもな……」
「そうですか……ありがとうございます」
ショッピングカートを押しながら、明は頭を下げる。
米以外の品は既に済ませてあるので、あとは米を積むだけだ。
程無く、二人と一台は米が陳列されている場所に着く。
様々な銘柄の米が在るが、袋の柄以外で見分けられる人は、果たしてどれ程居るのだろうか。
「これをお願いします」
「判った」
明に指示された米を、藤原は抱えた。
その気になれば、ボディービルにでも使えそうな重さである。
それをショッピングカートに積み、目的の物は一通り揃った。
「では、行きましょう」
「ああ」
そして、一番空いているレジに並ぶ。
すぐに、明の順番が回ってきた。
店員がレジ打ちをしている間に、後ろに人が並ぶ。
「あ、藤原君……でしたっけ?」
「せ、先生!?」
それが夕である事に気付き、藤原は心底驚いた。
「藤原君も、この近くに住んでいるんですか?」
「は、はい。歩いて二十分くらいの場所です」
「そうですか。でしたら、割と近くですね」
「先生も、この辺りですか?」
「はい。一人暮らしを始めたばかりなので、色々と苦労しています。……誰かの付き添いですか?」
「そ、それは……その……」
そんな遣り取りをしているうちに、明はお金を払う。
「光様、お知り合いで……!?」
そして、藤原の方を向いた途端、顔色が変わった。
明の顔を見て、夕も同様に驚愕の表情を浮かべる。
「……姉さん? 姉さん、だよね?」
暫しの沈黙の後、夕は恐る恐る尋ねる。
「……貴女……夕……ですか……?」
動揺を隠せないまま、明は質問で返した。
「やっぱり姉さんだ……本当に……姉……」
感極まったらしく、途中で言葉が途切れる。
そのまま、大量の涙が夕の額を伝った。
「姉さん!」
それを拭おうともせず、夕は明の胸に飛び込んだ。
両腕を背中に回し、ギュッと抱き締める。
「姉さん……姉さん……会いたかった……五年間ずっと……!」
嗚咽を漏らしながら、夕は涙声で言った。
明は、戸惑いを払拭すると、夕を優しく抱き返す。
しかし、その瞳は、夕の様な喜び一色ではなかった。
騒ぎに気付いた人達の視線が、二人に集まる。
それでも、夕は明の胸に顔を埋めたままだった。
どうすればより面白く書けるかと模索しながら、
そもそも読者はどうして欲しいのかと悩みながら、
結局は自分の書きたい様に書く今日この頃。