妬けたアリスに止め処無し
「はい、どちら様ですか?」
夕方の藤原宅。
チャイムの音が鳴り、明は玄関のドアを開けた。
そこに居るのは、背の低い少女。
ダークブラウンのツインテールと、暖色系で揃えた服が特徴的だ。
「やっほー、アカリン♪」
アリスは、軽快な声で挨拶をする。
私服と言う事は、もう学校から帰ったのだろう。
「お兄ちゃんに逢いに来たんだけど」
「光様でしたら、まだ帰っていませんけど……アカリン?」
自分の名前である事に気付き、明は尋ねる。
「えっと……明だからアカリン……ダメかな?」
そんな明に、アリスは怖々と尋ねた。
明は、何度かそれを噛み締める様に繰り返して、
「ええ、構いませんよ」
快諾した。
「光様が帰られるまで、中で待ちますか?」
「うん、そうする」
頷くと、アリスは家の中へと入っていった。
「……アカリン……ですか……」
初めてのあだ名に、胸の奥が少し温かくなる。
「お掛け下さい」
「ありがと」
藤原家のリビング。
明に勧められ、アリスはテーブルを囲んでいる椅子に座る。
それ程掛からずに、テーブルに紅茶の入ったカップが置かれた。
煎れたばかりのミルクティーから、湯気と香気が放たれる。
「お茶菓子を取ってきますので、ごゆっくりどうぞ」
「うん、ありがと」
アリスの返事を確認すると、明はリビングを出ていった。
「……望月さん、猫舌なんですか?」
お茶菓子を取って戻ってくると、アリスはまだ紅茶に手を付けていなかった。
「あはは……判る?」
明の問いに、アリスは苦笑いで答える。
「氷を入れますか?」
「別に良いよ。そのうち飲めるから」
「そうですか……」
一通りの対応を終えると、明はアリスの向かいの席に座った。
どうやら、丁度お茶の時間だったらしい。
自分の紅茶をキッチンから持ってくると、お茶菓子を皿の上に置いた。
「わぁ〜、カステラだ〜!」
それを見て、アリスの目の色が変わる。
明の変わりぶりに、明は少し驚いた。
「……そう言えば、甘党でしたね」
「うん! 甘い物って良いよね〜♪
口の中一杯に甘味を感じてる時って、スゴく幸せになるもん!
甘い物は別腹って言うけど、まさにその通りだと思うよ!」
かなり幸せそうな顔で、アリスは捲し立てる様に言った。
よっぽど、甘い物が好きなのだろう。
当初は、特別な生まれ故の暗い部分が目立ったが、本来は普通の少女なのだ。
「光様と甘い物でしたら、どちらが好きですか?」
明は、軽い気持ちで尋ねた、筈だった。
しかし、その言葉と同時に、アリスは笑顔のまま固まった。
そのまま、暫しの沈黙が訪れる。
それは、明が、禁断の扉を開いてしまった事を悟るには十分過ぎる長さだった。
「……や、ヤダなぁアカリン。もちろんあま……お兄ちゃんに決まってる……よね……?」
ようやく、さっき以上に苦味が増した笑みでアリスが答える。
日本語として少々危うい部分が在るが、言及する者は居なかった。
「新しい学校は、如何ですか?」
ティータイムの途中、明はアリスに尋ねた。
カステラに夢中になっていたアリスは、少し経ってから気付く。
「ほひふぁふぁひ……」
一度声を出そうとして、出せない事に気付き、頬張っていたカステラを飲み込んだ。
「お兄ちゃんが居るなら、どこでも楽しいよ♪」
大体予想通りの答えだった。
更にアリスは続ける。
「それに、堀君は親切にしてくれるし、マコちゃんも……」
そこまで言って、暫く沈黙する。
少し経って、
「……うん、だいじなともだちだよ」
こう言い、小さく溜め息を吐く。
明らかに発音がおかしかった。
どうやら、それなりに大変らしい。
「……そろそろ飲めるかな……アチッ!」
「……ゴメンね、アカリン」
「…………?」
突然アリスが謝り、明は怪訝な表情を浮かべる。
判る事と言えば、口の中には何も入っていない事くらいだ。
「ほら……色々あったでしょ? 魔術の事とか、マコちゃんの事とか……。
アカリンにも一杯迷惑掛けちゃったし、謝っておこうかな……って」
アリスは、躊躇しながら言った。
明は微笑んで、
「そう言う所が、貴女の好かれる理由かも知れませんね」
呟く様に言った。
「……ところで、望月さん」
「何?」
アリスが訊き返すと、明は頬を紅くして躊躇した。
どうにか決心すると、周囲に聞こえない様な声で、
「……今度、箒に乗せて頂けませんか?」
「…………え?」
「そう言えば……アカリンって、どうしてメイドになったの?」
唐突にアリスに尋ねられ、明は少し驚いた。
「一応、何か理由は有るんでしょ?
天下りしてメイド喫茶やりたいとか、コスプレプレイが好きとか」
「私は……」
アリスの偏った例示を無視して、明は言い難そうにする。
どうやら、余り触れられたくない話題らしい。
流石に、アリスもそれを悟った。
「言いたくないんだったら、ボクは別に良いんだけど」
「……すみません」
そんなアリスに、明は頭を下げる。
「……憧れの人に近づく為。私が言えるのは、これだけです」
「ふーん……そっか」
明が言えたのはそれだけだったが、アリスは十分納得した様だった。
「ねえ、お兄ちゃんの部屋見ても良いかな?」
三度突然、アリスが明に尋ねる。
もう何度もこの家に来ているが、藤原の部屋はまだ一度も見ていないのだ。
秘密を覗くつもりは無いが、やはり好きな人の事は気になってしまう。
「光様の部屋ですので、私の一存では……」
が、丁寧に断られた。
当然の結果と言える。
「そう……じゃあ、どんな部屋なのか、ちょっとだけ教えてよ」
それでも、アリスは食い下がった。
明は仕方無く、少しだけですよ……と前置きした。
さっき言及を断ったばかりなので、無下に断るのは気が引けたからだ。
「ほぼ毎日掃除していますけど、いつも片付いているので楽ですね。
本棚には、将棋の本が主に並んでいます。将棋関係のゲームも多いですよ」
そこまで言って、言い過ぎてはいないか……と言った表情になる。
だが、アリスは余り満足していない様だ。
「う〜ん……そう言うのもアリなんだけど……。
ボクが知りたいのは、AVとかの事なんだよ」
そして、何の躊躇いも無く言う。
「A……V……? AV機器の事ですか?」
どうやら、明には意味すらも解らないらしい。
――ボクでさえ見てるのに……。
潔癖過ぎる明に、明は驚愕の念すら覚える。
それと同時に、アリスの中で、小悪魔的な感情が芽生えた。
最近は、真琴のセクハラ紛いの行為ばかり受けている。
着替えの時にハァハァ言いながら凝視されたり、会う度にバストが成長していないかチェックされたり……。
それらが、アリスを後押ししたのかも知れない。
「教えてあげるから耳貸して♪」
不敵な笑みを浮かべながら、アリスは明の隣の席に移動した。
そして、とても公には出来ない耳打ちをする。
「…………?」
だが、明に遠回しな表現は通じない。
知らない国の、知らない言葉を聞いた様な表情を浮かべた。
業を煮やしたアリスは、更に具体的な言葉を使う。
流石に明も理解し始め、頂点に達すると同時に、顔が燃える様に紅くなった。
「な、無いですそんなの! 光様の部屋には! 一つたりとも!」
予想以上のリアクションに、アリスは込み上がってくる笑いを必死に抑えた。
「ベッドの下や、本棚の裏も見た?」
「在りませんでしたっ!」
アリスの追い打ちに、明は真っ赤になって言い返す。
「むぅ……お兄ちゃんの好きなプレイとか体位とかシチュとか知りたかったのに」
この様子だと、本当に無いのだろう。
アリスは残念そうに溜め息を吐き、元の席に戻る。
一度紅潮した顔はすぐには戻らず、
「そ、そう言う破廉恥なのは、いけないと思います……」
明は愚痴る様に言った。
「済みません、つい平静を失ってしまって……」
どうにか顔が元に戻った頃。
明は、取り乱してしまった事を謝った。
「い、良いよ別に……元々ボクの所為なんだし」
流石に、アリスも狼狽する。
「あ、もう紅茶飲めるかな……」
そして、話題を紅茶に逸らした。
カップを手に取って、そろそろと紅茶を注ぐ。
十分冷めた事が判ると同時に、独特の上品な風味が、口一杯に広がった。
甘党好みのまったりとした甘さだが、それは決してくどくはない。
およそ完璧と言えるその味に、アリスは感嘆の声を漏らした。
「はぁ……本当にこれがティーバッグなの?」
「お誉めの御言葉、ありがとうございます」
そんなアリスに、明は深々と頭を下げる。
「お望みでしたら、煎れ方をお教えしますが……」
「う〜ん……」
明の誘いに、アリスは腕を組んで考え込む。
「……やっぱり止めとく。ゴメンね、アカリン」
先日の料理対決での惨状を思い出し、アリスは断った。
「そうですか……残念です……」
言葉通り残念そうに、明は呟く。
少し経って、アリスは紅茶を飲み干した。
「それにしても、アカリンってスゴいよね〜。
結構可愛いし、料理も紅茶も上手だし、それに……」
そう言いながら、アリスは明の胸を凝視する。
「……胸も大きい」
最後は、少し嫉妬を孕んだ声だった。
明は思わず頬を赤らめ、両腕で抱く様にして胸を隠す。
しかし、良く熟れた果実の様に豊満な胸は、二本の腕では隠し切れない。
それに、アリスの嫉妬の眼差しは、ほぼ全身に及んでいた。
テーブルの下に在る腹や腰、脚までもに視線を感じる。
だが、それも仕方の無い事だ。
秀麗なボディラインと言い、引き締まった脚と言い、羨望の眼差しは避けられない。
特に胸は、アリスには皆無と言っても言い過ぎではないのだから、嫉妬はやむを得ないだろう。
「大きければ良い、と言う物でもないですよ」
明は冷静に対処するが、
「アカリンが言うと、当てつけみたいだよ」
アリスには通じなかった。
「望月さんも、きっと将来大きくなりますよ」
それでも大人の対応をするが、
「アカリンは、高校の頃にどれくらいだったの?」
違う角度から攻められ、明は言葉を詰まらせる。
躊躇いつつも、明はアリスに耳打ちした。
「え――――――――――!? 八じゅ」
「あ、あまり大きな声は……」
心底驚くアリスの口を、どうにか明は塞ぐ。
「……今は?」
今度は小声で、アリスが尋ねる。
引き際を失った明は、正直に白状した。
暫くの沈黙の後、
「え――――――――――!!!? き」
有無を言わさず、明は口を塞いだ。
落ち着いたのを見計らって、明は手を離す。
アリスは、失った酸素を必死に補給した。
「はぁ……はぁ……はぁ……。アカリン、それ本当なの?」
「望んで……大きくなった訳では……」
明は、少し沈んだ声で答えた。
どうやら、明は明で苦労しているらしい。
そう悟ったアリスは、これ以上の言及は止める事にした。
「……でも、素直に羨ましいよ。無い物ねだりなのは判ってるけど。
そんなに大きければ、××××も出来そうだし……」
「……××××?」
当たり前の様に、アリスは公に出来ない言葉を使った。
やはり、明は意味を解する事が出来ない様である。
「えっと、××××って言うのはね、胸の間に」
明が黒く汚されそうになったその時、チャイムの音が家中に響いた。
「きっと、光様でしょうね」
そう言って、明が席を立った時には、既にアリスは玄関に走っていた。
ドアを開ける音が聞こえ、
「ただい」
「お兄ちゃん、おかえり!」
「な!? アリ――がッ!」
何かが打ち付けられる音が聞こえる。
「……あれ、お兄ちゃん!?」
どうやら、後頭部辺りの様だ。
明は溜め息を吐き、
「これも、長所の裏返しでしょうね……」
タオルを水で絞って、玄関へ向かった。
「キスしたら、目が覚めるんだよね?」
「性別が違うと思いますが……」
『家政婦を見られた』から数日後、と言ったところです。
今までずっと平静だった明が、初めて取り乱しましたね(汗
これがアリスの力でしょうか。恐るべし。
こうして書くと、明とアリスは、容姿・性格共にほぼ対極ですね。
サブヒロインはヒロインの対極と言いますし……どっちが対極と言う訳でもないですけど。
どっちが好きかでアンケートとったら、面白そうな気がします。