家政婦を見られた その四
結局、真琴のインタビューが終わると同時に部活は終わった。
山崩しで、藤原が鍵閉めをする事になる。
真琴は他の仕事へ向かい、秋原と堀は先に帰った。
秋原と堀は、すぐに家に来るらしい。
いつまでもベタベタしてくるので、アリスは部室に閉じ込めた。
「……何で、山崩しで決めたんだろう……?」
赤く染まった空を見上げながら、藤原は校門を通過する。
それとほぼ同時に、後ろから誰かに目隠しをされた。
不意を突かれ、藤原は少し戸惑う。
「だーれ」
「アリスだろ?」
「ま、まだ言ってないのに……」
が、すぐに正体を当てる事が出来た。
少し驚きながら、アリスは藤原の横を歩く。
何故、部室から脱出出来たかは、敢えて訊かない。
「何で判ったの?」
「こんな事、お前しかしないだろ」
「あはは、そうだね……」
藤原に言われ、アリスは苦笑する。
幼い頃から甘えさせて貰っていた藤原にとって、アリスの行動は筒抜けなのだ。
だが、それは同時に嬉しくもあった。
例え照れ隠しに部室に閉じ込めても、八年前の『アリス』をちゃんと覚えていてくれたのだから。
「一緒に帰ろ、お兄ちゃん♪」
弾んだ声で言って、アリスは藤原の腕に縋り付く。
藤原は溜め息を吐いたが、
「……ま、それも判ってたけどな……」
拒否の態度は見せなかった。
そんな二人の遣り取りを、ポニーテールの少女が観察していた。
すぐには察知出来ない距離、且つ、向こうの声が聞こえる距離を保って。
「先輩と望月さんには悪いっスけど……私は……」
真琴は、今も自分の行動に疑問を抱いていた。
確かに、藤原とアリスの関係は気になる。
アリスが藤原に好意を抱いているのは、誰が見ても明らかだ。
藤原は冷めた対応をしているが、男性は公の前でベタベタする事に抵抗がある筈。
――もっとも、最近は『バカップル』とか言う連中が、公私問わずイチャイチャしているが。
だから、こうして尾行すれば、部長に言われた『裏』のネタが見つかるかも知れない。
しかし、それではパパラッチになってしまう。
他人のプライバシーに土足で踏み入る様な愚考は、記者と言えども許されない。
それくらいの事は、真琴も十分判っている。
それでも、真琴は二人を追いかけていた。
部長に言われた一言が、ずっと頭の中を過ぎっていたからだ。
――汚れた仕事も出来てこそ。違う?
受け入れるには抵抗があるが、どうしても否定は出来ない。
集団の一員になった以上、その集団に従うのは義務だ。
それが出来ない者は、異端として切り捨てられてしまう。
例え望まない仕事でも、我儘を言う訳にはいかない。
それが、個人の都合を顧みない『大人』の世界なのだ。
二種類の『正義』が頭の中でぶつかり合いながらも、真琴は二人を追いかけていった。
「どうだった、転校初日は?」
朝に歩いた道を戻りながら、藤原は尋ねる。
アリスの歩幅に合わせる為に、ゆっくりと歩きながら。
「あはは……スゴく緊張しちゃったよ……」
朝の一連の事件を思い出し、アリスは苦笑した。
『緊張した』などと言うレベルではないのだが、その辺は敢えて割愛する。
「ま、そうだろうとは思ったけどな……。友達になれそうな奴は居たか?」
「えっとね……新谷さんと、友達になれそうだよ♪」
「お、真琴か……。あいつは結構しっかりしてるし、お前には丁度良いな」
「むぅ、どう言う意味?」
藤原の言葉に、アリスは頬を膨らませる。
その仕草は、幼い子供と大して差異は無い。
「そのまんまの意味だ」
藤原は、顔がにやけるのを、どうにか堪えながら答えた。
どんなに背伸びをしても、この辺りは八年前のままの様だ。
「ふ、膨れっ面……可愛い過ぎるっス!」
真琴は二人に気取られないように、デジカメでアリスを撮る。
こう言う表情は、カメラを向けられると、なかなか出来ないものだ。
隠し撮りとは、被写体の自然な姿を撮影する為の技術の一つであり、決して犯罪ではない。
それが、真琴が幾多の子供を撮影する中で覚えた事である。
「はわぁ……撮ってしまったっス……」
デジカメの中に収まった幼女に、真琴は思わず呟いた。
無邪気な幼女が機嫌を損ねた時の表情は、いじらしくて可愛い。
暫くの間、真琴はそれに見入っていた。
「…………。『友達になれそう』……っスか……」
色々と話をしながら、帰路の真ん中辺りまで来た時。
「お兄ちゃん、あの娘……」
アリスと藤原の前で、一人の少女が泣いていた。
歳は、恐らく小学生未満。
小さな手を、清水溢れる瞳に擦り付けて、声を上げて泣いている。
「つい最近、似たような状況に遭った気が……」
少女の泣き声に、藤原は蹌踉めいた。
「どしたのかな? ボクで良ければ、教えてくれない?」
アリスは、少女と目線を合わせて尋ねた。
少女とは対称的な表情である。
恐らく、『お姉さん』である事をアピールしているのだろう。
折角無視しようとしたんだから構うな、と藤原は言いたかったが、この雰囲気では言えそうもない。
「…………!」
少女は言葉すら出せず、片手で空を指差した。
二人が――藤原は両耳を塞ぎながら――指の先を見る。
赤い風船が、背の高い街路樹に引っ掛かっていた。
「はわわ、私はどうすれば……」
思わずアクシデントに、真琴は動揺していた。
あの娘の泣き顔を笑顔に変えたい。
泣き顔も良いのだが、やはり笑っている顔が一番だからだ。
しかし、今飛び出しては尾行がバレてしまう。
かと言って、このまま離れた場所で隠れていても、何も出来ない。
ジレンマに悩まされながらも、真琴は取り敢えず様子を見る事にした。
「う〜ん……仕様が無い、上って取って来る」
藤原は考えた末、樹に上ろうとするが、
「だ、ダメだよお兄ちゃん!」
アリスにすぐに止められる。
「あんな高い所に引っ掛かってるって事は、ヘリウムガスの風船でしょ?
下手な事して揺らしたりしたら、飛んでっちゃうよ。
それに、枝が頑丈かどうかも判らないのに、下りられなくなったらどうするの?」
珍しくアリスにまともな反論をされ、藤原はばつの悪い表情を浮かべた。
出来れば、さっさと解決してしまいたいのだが……。
「じゃあ、どうするんだ?」
「そ、それは……」
藤原に問われ、アリスは戸惑う。
――手段は、有るには有るんだけど……。
手段が有るか否かと、それを使えるか否かは、似ている様で別問題なのだ。
苦渋の表情を浮かべているアリスの袖を、小さな手が掴んだ。
「お姉ちゃん……取って……くれるの……?」
少女が、目を潤ませながら尋ねる。
「…………」
その一言に、アリスの表情が見る見る変わっていった。
「よ〜し、『お姉ちゃん』が取ってあげるからね!」
「……そんなに年上扱いが嬉しいか?」
アリスの意を察した藤原が、呆れながら言った。
少なくとも年相応には見られないだろうから、解らない事も無いが……。
周囲に三人しか居ない事を確認すると、アリスは少女と同じ目線になる。
「良い? これから『お姉ちゃん』がする事は、絶対に他人に言っちゃダメだよ」
「…………うん」
「ありがと。じゃ、集中したいから、なるべく静かにしててね」
「…………うん」
二回とも少女が首を縦に振った事を確認すると、アリスはニッコリと微笑む。
「集中……って、まさか……」
藤原がアリスの言葉の意味を解した時、アリスは既に詠唱を始めていた。
普段の彼女とは結びつかない程に凛とした表情。
彼女を中心に、形容し難い何かが渦巻いていることが、肌で感じられる。
先日の理性を失っていた時のそれとは、明らかに違っていた。
少女にも『不思議な何か』が判るらしく、不安げな表情を浮かべる。
しかし、アリスとの約束は、ちゃんと守っていた。
「…………ふぅ、上手くいったかな?」
詠唱を終えると、アリスは深く息を吐いた。
全身の緊張が一気に体外へ流されていく。
「終わったのか?」
「うん、一応。結構難しい魔術だから、あんまり自信は無いけど」
「……けど、まだ引っ掛かったままだぞ」
「今のは、飛んでいかないようにする為の呪文だよ。
直接手を触れずに風船を外そうと思ったら、この手しか無いでしょ?」
藤原の質問に答えると、アリスは再び詠唱を始めた。
強い風が吹くが、前回のそれに比べれば、とても大人しかった。
その風に吹かれて、木の枝に引っ掛かっていた風船が外れる。
自由になった風船は、ゆっくりと少女の眼前に落ちた。
「あれ……あれ?」
不思議そうな顔をしながら、少女が風船を抱える。
さっきは上に飛んでいった風船が、今度は下に落ちてきたのだ。
普通に考えれば、有り得ない事である。
「お、お姉ちゃん……」
だが、これは『少女の風船』ではない。
空へと浮かび上がらない風船は、『少女の風船』ではない。
「大丈夫大丈夫♪ 最後の仕上げが残ってるから、本体じゃなくて紐の方を持ってね♪」
「う、うん……」
首を傾げながら、少女は両手で紐を握った。
手から放たれた本体は、地面で小さくバウンドする。
アリスが三度呪文を唱えると、風船は再び上昇を始めた。
少女の体ごと、夕空へ飛んでいってしまいそうな程だ。
「わあぁ、スゴい! どうやったの!?」
目の前で起きた一連の出来事に、少女は驚きながら尋ねた。
「ヘリウムガスが外の空気よりも軽いから、風船は浮かぶんだよ。
だから、ボクの魔術で一旦ヘリウムを空気と同じ重さにしたんだ。
後は枝から外してあげれば、息で膨らませた風船と同じ様に落ちるって訳。
で、ヘリウムを元の重さに戻せば、何もかも元通り♪」
アリスが得意気に話すが、少女の頭には『?』が浮かんでいる。
「え〜と……つまり、ボクの魔術の力なんだよ」
結局、一番簡単な説明にした。
「お姉ちゃん、魔法使いなの!?」
本でしか見た事の無い存在に、少女は目をキラキラさせる。
アリスは一瞬躊躇するが、すぐに笑顔に戻った。
「そうだよ。だからボクは、正体をバラしたらダメなんだ。解るでしょ?」
「うん♪」
少女は、笑顔で頷いた。
正直、口外しないか否かは怪しいが、言ったところで、誰も信じはしないだろう。
アリスは、風船の紐を、少女の腕に巻き付けた。
これで、もう飛んでいったりはしない筈だ。
「じゃあ、もう離したらダメだよ」
「うん。魔法使いのお姉ちゃん、ありがとう!」
少女は頭を下げると、嬉しそうに駆けていく。
その後を追う様に、赤い風船が引っ張られていった。
――信じられないものを見てしまったっス……!
二人から隠れた場所で、真琴は只々驚愕していた。
自分が追いかけていた幼女に、こんな秘密が有っただなんて。
これは、とんでもない特ダネを見付けてしまった。
全身が震駭しているのが、ハッキリと判る。
恐らく、驚きと興奮によるものだろう。
撮影するのを忘れてしまった程だ。
だが、こうして追いかけていれば、今度こそ撮影出来る。
そう確信した真琴は、更に二人を追いかけていく。
彼女の中で、何かが芽生え、何かが萎れた瞬間だった。