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暑さも寒さも彼岸まで  作者: ミスタ〜forest
1/68

始まりは突然に

「光様、朝ですよ。起きて下さい」

「ん……う〜ん……」

 透き通るように綺麗な声が聞こえ、藤原光ふじわらみつるは目を覚ました。

 寝起きの頭は朦朧としていて、なかなか目の焦点が合わない。

「目覚ましを止めて、また眠ってしまったようですね。

起きた時に朝日を浴びれば、二度寝せずにスッキリを目覚められますよ」

 そう言いながら、声の主がカーテンを開ける。

 柔らかい朝日が窓から射し込み、部屋を照らす。

「今日も良い天気です。きっと、明日も良い天気でしょうね」

 どうやら声の主は、藤原と同じくらいの歳の女性のようだ。

「早く着替えて下りてきてくださいね。もうすぐ朝食ができますから」

 そう言い残して、彼女は部屋を出た。

 少し経ってから、藤原は上半身を起こし、思いっきり体を伸ばした。

 そしてベッドから降り、制服に着替えた。



 リビングに向かうと、一人の女性がキッチンに立っていた。

 身に纏っているのは、白と黒を基調とした清楚な服装。

 大和撫子の象徴とも言える黒く豊かな髪は、先端付近で束ねている。

 容姿とさっきの声を総合すると、二十歳前後と考えるのが妥当だろう。

 藤原の存在に気付くと、彼の方を向き、 笑顔を見せた。

 子供の様にあどけなくて、大人の様に暖かい笑顔だった。

「おはようございます」

 彼女が、ガラスの様に透き通った声で言い、

「お……おはよう……」

 藤原が、まだ眠気の残っている意識で応える。

 その直後、ドサッと椅子に座り、そのままテーブルにへばりついた。

「寝不足ですか? 自分の身体はしっかり自己管理しないといけませんよ」

 そう言うと、彼女はキッチンから朝食を運んできた。

「朝食をちゃんと食べれば、少しはマシになると思いますよ」

 そう言いながら、テーブルに食事を並べる。

 ご飯に味噌汁に鮭。オーソドックスな日本の食卓が完成した。

「まだ、登校まで時間がありますね。ごゆっくりどうぞ」

「あ、あの……」

「…………?」

 彼女が、怪訝な表情を浮かべる。

 藤原は少し躊躇したが、勇気を出して尋ねた。

「君……誰……?」

 一体、彼女は誰なのだろう?

 藤原は一人っ子である上に、共働きの両親はとっくに出掛けている。

 この時間に藤原以外の誰かが家にいるなど、有り得ないことだ。

 なのに、彼女は堂々と藤原の家にいて、しかも朝食まで作っている。

「あ……すみません、申し遅れました。

今日から住み込みで働くことになりました、メイドの西口明にしぐちあかりと申します」

「あ、メイドなんだ。なるほど。だから……」

 数秒の間、辺りを静寂が支配した。

 金曜の朝の住宅地は、とても静かである。

「えええぇっ!? メイドォッ!?」

 が、それは藤原の声で終わりを告げた。



「どうしてうちにメイドが!?」

 藤原が、驚きが収まらないまま問う。

「あ……そういえば、何も聞いていないんでしたね」

 明が、ばつの悪そうな表情を浮かべる。

「光様が起きたら、これを渡すように言われました」

 そう言いながら、明が封を差し出した。

 中を開けて見ると、そこには藤原の父の筆跡があった。


『光へ:父さんと母さんは、急な仕事でしばらくの間海外に身を置くことになった。

急に転校させるのも酷だと思ったので、お前は置いて行くことにする。

あまりにも急な話だったので、お前に何一つ説明できなくて済まなく思っている。

家事はメイドにお願いしたので、生活に困ることはないだろう。

なので、しっかりと学業に精を出すこと。 by your father』


「…………!!!」

 藤原は、込み上げてきた怒りに任せて、封を握り潰した。

 大人はいつだってそうだ。

 自分の都合が最優先で、子供の意見を聞こうともしない。

 大人の事情があるのだろうが、さすがにここまでくると、

怒りを通り越して溜め息さえ出てきてしまう。

 ――ていうか、何故最後が英語……?

「あ、あの……」

 封を潰したまま何も言わない藤原に、明が不安げに声を掛け、

「あ……ご、ごめん」

 藤原はハッと我に返った。

 これは家族の問題なのだから、明の前で取り乱すのは大人げない。

 それに、今日もいつも通り学校に行かなければならない。

 今は、とにかく準備を急がなければ。

「と、とにかく……これからよろしく」

「はい♪」

 明が、満面の笑顔で答えた。

 ――それにしても……。

「ところで……失礼だけど、明さんって何歳なの?」

「私ですか? 二十歳ですけど……」

 若っ、と藤原は内心呟いた。

 十七歳の自分と三歳しか違わないではないか。

 もっとも、しばらくは大人を信じたくはないが。

 それに、歳が近い方が、話が合って付き合いやすいかも知れない。

「光様、今日のご予定はなにかありますか?」

「えっ……?」

「帰宅する時間や、出掛けるご予定です」

「……………」

 そういえば、今日は放課後に友人が家に遊びに来る。

 不味い。家にメイドがいるなんて知られたら、何かと面倒だ。

 自分さえ事態を把握しきれていないが、奴等は勝手に妄想を膨らませるタイプだ。

 面倒な事態は、なるべくなら避けたい。

「どうしました?」

「え〜と……今日は、友達がウチに来るんだけど……」

「……分かりました。今日は六時頃まで、買い物でもしてきますね」

 どうやら、藤原の意を察してくれたようだ。

「ありがとう……」

「主人の予定に合わせて行動するのが、メイドの仕事ですから♪」

 藤原が礼を言うと、明は軽くウインクをしながら答えた。

「さあ、早く召し上がって下さい。冷めてしまいますよ」

「あ、ああ……」

 明に促され、藤原は朝食を口にした。

 失った何かが満たされるような、優しい味がした。



 藤原が帰宅し、私服に着替えると同時に、インターホンが鳴り響いた。

 時間的に考えて、友人と考えて間違いないだろう。

 朝に言っていた通り、明は家には居ない。

 あとは、何とかして六時には帰すだけだ。

 何度か深呼吸をして、藤原は玄関を開けた。

 案の定、そこには見慣れた顔が二つ。

「藤原先輩、お邪魔します」

 後輩の堀健太郎ほりけんたろうと、

「今日は、先日話したギャルゲーを持ってきたのだが……一緒にどうだ?」

 同じクラスの秋原哲也あきはらてつやだ。

「まぁ、とりあえず上がれよ」

 秋原を無視して、二人を家の中に入れる。

 それと同時に、

「むっ…………!?」

 秋原が何かに気付き、辺りを見渡した。

「どうしたんですか、秋原先輩?」

 そんな様子を見て、堀が不安げに問う。

「堀……お前こそ、何も感じないのか?」

「えっ……?」

 秋原に逆に問われ、堀は何も答えることができなかった。

「ふっ……そんなことでは、いざという時に困るぞ。

まったく、日本人は平和に飼い馴らされている。困ったものだ……」

 そう言いながら、秋原は肩を竦める。

「いや、お前も日本人だろうが」

 そんな秋原に、藤原がツッコミを入れた。

 堀はあまり秋原につっこまないので、

間違った方向に進もうとする秋原を止めるのは、基本的に藤原の役目だ。

 その所為か、いつの間にかツッコミという役割が定着してしまい、

クラスでもそのイメージで通っている。

「……まぁ、それはともかくとしてだな……。

藤原……隠し事があるなら、早く白状するのが身の為だぞ」

「えっ……俺!?」

 予想外の秋原の言葉に、藤原は思わず気が動転してしまった。

「まぁ、よかろう。全てはこれから判ることだ。

お前は上手く隠したつもりかも知れんが……この家……女の匂いがする」

「…………」

 秋原の一言に、辺りが暫し沈黙する。

「ええええぇっ!? 本当ですか先輩!?

それはっ……つまりそのっ……藤原先輩にっ……!?」

 そして、その沈黙を打ち破るかのように、堀が驚愕の声を上げた。

 藤原は、頭から血が引いていく感覚を覚える。

 ――何とか……何とかしないと……。

「あのな堀……『女=彼女』ってのは安直過ぎないか?」

「えっ……ま、まぁ、言われてみれば確かに……」

 どうにか堀を言いくるめることに成功し、藤原は安堵した。

 一時凌ぎにしかならないことは解っているが、とにかく今は隠していたかった。

「ふっ……藤原、誤魔化すつもりなら、もっと上手くやるべきだな」

 しかし、そんな藤原の願いは、早くも崩れ去ろうとしていた。

「仮に藤原の彼女ではないとして……ならば、藤原の母辺りを考えるのが妥当だ。

……しかし、藤原の母ならば、もう少しキツい香水の臭いがするはずなのだ」

「秋原……それ、遠回しに俺を侮辱してないか?」

 藤原が抱いた疑問を無視して、秋原は語り続ける。

「だが、今漂っているのは、包み込むような優しいリンスの香り……。

今時の女達は、何を思っているのかキツい香水ばかり使用する。

しかし、香水は下手に使えば臭いだけだ。

『控えめ且つ大胆に』が生け花と香水の鉄則。

自己主張ばかりでは、如何に美しい花も真の魅力を引き出すことは出来ない。

香水は、そこはかとなく香りを漂わせるのが一番良いのだ。

この香りの持ち主は、それを理解しているからこそ、敢えて香水を使わず、

シャンプーとトリートメントの香りだけで勝負したのだ。

……藤原、お前も以外とお目が高いのだな……」

「いや……だから違うってば」

 秋原の長ったらしい話をいなしたが、

「そんな……藤原先輩が僕達を裏切るだなんて……!」

 既に、堀の耳にはとどいていなかった。

「だからな堀……ていうか、誰かと付き合うだけで裏切り者呼ばわりなのか……?」

 藤原がつっこむが、もちろん堀には聞こえていない。

 項垂れる堀の肩に、秋原がそっと手を置いた。

「そう気を落とすな堀。男は所詮、美少女の前では無力。

ある者は『クレオパトラの鼻があと少し短ければ、歴史は変わっていた』と言い、

またある者は『人は恋をしているときは決して善良ではない』と言った。

美少女の為なら、漢の友情など惜しまない。悲しいが、それが漢の性だ」

「じゃ、じゃあ秋原先輩も……いつの日か……?」

 堀が、潤んだ瞳で秋原を見つめる。

 そして、秋原は首を横に振った。

「案ずるな堀よ。俺は、決して友情を捨てるような真似はしない。

否、今も両方を手にしている。確かに、恋人と過ごす日々は毎日が楽しい。

しかし、漢の友情を蔑ろにするような輩に、美少女を愛でる権利など無い!」

「せ、先輩……!」

 堀の目が、嬉々に彩られた光を放った。

「でも、秋原の『恋人』ってギャルゲーのキャラだよな……?」

 藤原が呟いたが、二人には聞こえなかった。

「そして、だ……。俺達は、藤原を笑顔で送り出さねばならんのだ。

正しいか否かはともかく、奴が選んだ道だからな……」

「は、はい……! 藤原先輩、短い間でしたが」

「ああもういい加減にしろ! 全部話すから黙って聞け!」

 堀の言葉を、藤原が無理矢理遮った。

 もうこれ以上この二人を野放しにしておけない。

 危うく、二人に送り出されるところであった。



 結局、藤原はこれまでの経緯を全て話した。

 当初の予定から大きく外れてしまったが、他に手が思い付かないから仕方ない。

 少なくとも、あのまま放っておくよりは幾分かマシだろう。

 ……と、藤原は思っていた。

 しかし…………

「め……め……メイドだとぉっ!?」

 どうやら、火に油を注いでしまったようだ。

「メイドと言えば、ピアスやタトゥー等のチャラチャラしたファッションが横行する中、

清純と無垢を守り続ける貴重な存在! 漢達に残されたユートピアではないか!

一途に奉仕するその姿は、巫女とナースに並ぶ三種の神器!

ロボット、妹、姉、猫耳等の様々な属性と不思議なぐらいに調和し、

清楚な服装は、シスターの様なミステリアスな雰囲気も併せ持っている。

それでいて時折見せる女の子らしい仕草は、世話好きな幼馴染を連想させる。

即ち、メイドとは万能! あらゆる意味で万能なのだ!」

 ここまで叫び終えると、秋原は満足そうに深呼吸をした。

 そして、藤原の肩に手を置く。

「藤原……本当によくやってくれた。

普段は目立たなくて冴えなくてダメダメ街道まっしぐらだが、

ここぞという時には必ずやってくれると信じていたぞ……」

「は、はぁ……?」

「さて藤原。早速だが、明さんに会わせてはくれないか?」

「えっ……いや、それはちょっと……」

 さすがにこの空気では、買い物に行っているとは言い辛い。

「……まぁ、返答に困るのも無理は無いだろう。

確かに、今日来たばかりの人のもとへいきなり押しかけるのは失礼かもしれん。

美少女にそういう気配りが出来るのも、立派な漢の証だ。

……しかしそれでも俺は、この荒んだ街に舞い降りた天使に会いたいのだ!

無理も失礼も承知の上だ……頼む!」

 秋原が藤原の手を握り、切願の目を向ける。

 藤原は、目を逸らした。

「……まぁ、僕達も少なからずお世話になると思いますし、

ちょっと挨拶するぐらいなら大丈夫……ですよね?」

「いや……実は今、明さんは買い物に行ってて……。

確か、六時に帰ってくるって言ってたような……」

 秋原の暴走を止めるべく、堀と藤原は暗黙の了解のうちに話の方向を修正した。

 しかし、藤原がそう言った途端、秋原の表情が険しいものになった。

「メイドを一人で買い物に行かせただと!? 何を考えている!?」

「えっ……な、何が?」

「いいか? 主人の身の回りの世話が仕事であるメイドの場合、

そういうちょっとした外出に付き合うだけでも、好感度が大きく変わるのだ!

一見どうでも良さそうなイベントが、フラグを立てる鍵になることもあるのだぞ!

そんなチャンスをみすみす逃すとは、お前は明さんを攻略する気があるのか!?」

「何の話だよ……」

 藤原の口から、思わず溜息が漏れた。

「で、でも……」

 堀が、二人の間に割って入るように話し始め、二人は彼の方を向く。

「この時期に、女性一人で行かせたのは不味いんじゃないですか……?」

「……何で?」

「藤原先輩は知らないんですか?

最近、この辺りで若い女性を狙った事件が多発しているんですよ」

「……え?」

 堀の一言に、藤原が戸惑いの表情を見せ、

「そう言えば、俺もどこかで聞いたな。

最近は『美少女を愛でる』の意味を履き違えている大馬鹿者が多いからな。

その所為で、我々の様な健全なマニアまで誤解されるのは、誠に遺憾な話だ」

 秋原が難しい表情で頷いた。

「……とにかく、先輩の話を聞く限りでは、明さんも危ないんじゃないですか?」

「いや……まさか、な……」

「そういう考えが一番危ないんですよ」

「そりゃそうだけど……」

 そう言って、藤原は考え込む。

 ここから一番近いスーパーまで、歩いて二十分。

 その間に、明が危険な目に遭う可能性は否定できない。

 親の勝手な都合で来てくれた人を、そんな目に遭わせるわけにはいかない。

「……俺、ちょっと行ってくる。悪いけど、また明日な」

 そう言うと、藤原は靴を履いて玄関を開けた。

 秋原と堀が外に出て、鍵を掛けたことを確認すると、

藤原は大急ぎで近くのスーパーへと走っていった。

「秋原先輩、どうします? もう帰りますか?」

 小さくなっていく藤原の背中を眺めながら堀が問うと、

「馬鹿野郎! 待つに決まってんだろ! メイドの姿を拝まずして今日は終われん!」

 秋原が凄まじい剣幕で返した。

「は、はい……それにしても、先輩はどうするのでしょうか?

手遅れでなければいいですけど……」

 堀が、心配そうな表情で呟いた。

「俺の憶測では、藤原は裏通りでチンピラに絡まれている明さんを助けるべく、

成り行き任せで『俺の彼女だ! 文句あるか!?』と怒鳴り散らす。

その後両者気まずい雰囲気になるが、それによって二人の第一印象は良好。

二人の今日は徐々に縮まっていくが、二人はあくまで主人とメイド。

どうしても素直な気持ちが伝えられず、ギクシャクとした関係が続いて――――」



 自動ドアが開き、藤原はスーパーに駆け込んだ。

 ここまでノンストップで走った所為で熱くなった体を、スーパー特有の冷気が包む。

 藤原は少しだけ息を整えて、小走りでスーパーを見て回った。

 明を見つけた後の事は考えていなかったが、

とにかく堀の言っていたことが杞憂であることを確かめたかった。

 その一心で、少し広めのスーパーを探し回るが、明の姿は見当たらない。

 すれ違ったのか、別の場所にいるのか、それとも……。

 そんな考えが、藤原の脳裏を過ぎる。

 その時、どこからか子供の泣き声が聞こえた。

 その声に引き寄せられるように、足が自然と声の主の方へと歩き出す。

「……いや……でも……!」

 藤原の脳内で迷いが生じる。

 関係無いと無視するか。

 良心の赴くままに動くか。

「…………チッ!」

 藤原は、悪態を吐きながら後者を選んだ。



 そこには、五歳に満たないであろう子供がいた。

 親とはぐれたのか、一人で泣いている。

「あー……えっと……」

 とりあえず来てみたはいいが、具体的に何をすればいいか判らず、

ただ近くで突っ立っているだけの藤原がいた。

「ど、どうしたんだ? 迷子か?」

 とりあえず声を掛けてみるが、相手には応じる気配が無い。

「ほら……何か言わないと話にならないだろ?

泣いてるだけじゃ、俺だってどうしようもないぞ」

 それでも、相手は返事すらしなかった。

「まったく……」

 これだから、子供というのは面倒くさい。

 会話に応じようとせず、ただ感情のままに動くのだから。

 このガキ、口を塞いででも泣き止ませてやろうかと思ったその時、

「ダメですよ、光様。そんなに威圧しては」

 後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。

 声の主は子供の前に歩み寄り、屈んで視線を合わせた。

 先端が地べたに着く程の、艶やかで豊かな黒髪。

 ブラウスにジーンズという服装が、スタイルの良さを引き立てている。

「あ……明さん!?」

 藤原は、少し戸惑いながらその名前を呼んだ。

 初めて会った時のメイド姿とは、あまりにイメージがかけ離れていたからだ。

「同じ目線で。同じ立場で。会話の基本ですよ」

 明は藤原の呼びかけには答えず、諭す様に言った。

「どうなさったんですか? 私でよければ、話して頂けますか?」

 そして、泣いている子供に優しく話しかける。

 返事は返ってこないが、それでも嫌な顔一つせずに、粘り強く話し掛ける。

「お母さんと……はぐれちゃった……!」

 七度目でようやく返事が返ってきた。

「迷子ですか……。大丈夫、きっと、貴方の親は貴方を捜しています。

貴方を必要とする人がいる限り、貴方は一人ではありません。

ですから、もう泣かないで下さい。……これ、いかがですか?」

 そう言って、明は鞄の中から飴を取り出し、子供に差し出した。

「飴を携帯……明さんって、まさか……いやいやいや、そんな馬鹿な……」

 それを見ていた藤原は、一人で葛藤する。

 次第に子供の泣き声が小さくなる。

 そして、ついには泣き止んでしまった。

 明の包み込むような優しい雰囲気が、自然と涙を止めたのだろう。

「……光様。ここでは、迷子はどこに任せれば良いのですか?」

 唐突に、明が藤原に尋ねる。

「えっ……え〜と……取り敢えず店員に訊くのが良いかと……」

「判りました。……さぁ、連いて来て下さい」

 そう言って、明は子供の手を引いて歩いて行った。

「あの、ちょっとよろしいですか? この子、迷子なんですけど――――」



「良かったね。すぐに見つかって」

「ええ。子供は、笑っているのが一番です」

 スーパーからの帰り道。

 藤原と明は、買い物袋を一つずつ持って歩いていた。

 二つとも持つ、と藤原が言ったが、明が遠慮したからだ。

「それにしても……あの時、何故光様しかいなかったのでしょうか?

もっと多くの人に聞こえていても、おかしくない筈ですのに……」

「殆どの人は、見て見ぬ振りなんじゃない? 下手に関わって誤解されたくないだろうし」

「……人同士が信用できないなんて、嫌な世の中ですね……」

 そう呟いて、明は溜め息を吐いた。

「……ところで明さん、その服は……?」

 藤原が、さっきからずっと疑問に思っていたことをようやく尋ねた。

「この服ですか? 以前の仕事の時にあの服で外出して、

ちょっと一悶着ありまして……。こっちの方が動き易いですし。

……そういえば、光様はどうしてこちらへ?」

 質問に答えてから、今度は明が藤原に尋ねた。

「最近、この辺で変質者が彷徨いてるって聞いたから、心配になって……」

「そうですか……わざわざ有り難う御座います」

 明が、ぺコリと頭を下げる。

「でも、そんなに心配なさらなくても大丈夫ですよ。

以前、護身術を教わっていたので、並の男性には負けません」

「えっ……そうなの?」

 こんなに華奢なのに……と、藤原は明の身体を見ながら思った。

「何でしたら、一つお手合わせしましょうか?」

「いや、いいです」

 藤原が即答すると、残念です……と、明は言葉通り残念そうに呟いた。

 少しの沈黙の後、

「……あの、光様……」

 明が、唐突に呼びかけた。

「何?」

「あまり……怒らないであげて下さいね……」

 藤原が反応すると、明は少し小さな声で言った。

「……誰を?」

「光様の、お父様とお母様を……ですよ」

「……でも、俺が寝ている間に出張するなんて……」

 明に言われて、暫し沈静していた怒りが甦ってくる。

 何の前触れも無しに、家に自分だけを残して、海外に出張した父と母。

 果たして、こんな無責任な親を許せる子がいるのだろうか?

「お気持ちは解ります。けど、大人には色々と事情があるのですよ。

私も、こうして働くようになって、ようやく実感したんですけどね……」

 藤原の感情を察した明が、そっと言い聞かせる。

 その言葉には、『大人』の重みがあった。

「……やっぱり、そういうもんなのかな……?」

「社会の一員である以上、断れない場合もあるのです。

私がここにいるのは、お父様とお母様のせめてもの気持ちではないでしょうか?」

「…………」

 本当は解っていた。

 父や母に悪気が無いことも。やむを得ない事情があることも。

 ただ、突然周囲が目まぐるしく変化して、戸惑っていたのだ。

「さぁ、早く帰りましょう。ここでの初めての夕食、張り切って作りますから♪」

 いつの間にか、明は一歩先を歩いていた。

「あ、あぁ……」

 我に返り、藤原は歩く速度を速めた。



 今までの日常は、一晩で覆された。

 けど、きっとこれからの生活も、いつか『日常』と呼べる日が来るだろう。

 両親がいない日々も、メイドと共に過ごす日々も。

 そして、そんな『日常』を自分は愛しているのだろう。

 …………多分。



「……先輩、もう帰りませんか?」

「何を言うか! 帰れるわけ無かろう!」

「もうずいぶん経ってますよ……」

「……む、いかん! もうすぐ視聴しているアニメが始まるではないか!

本来なら藤原の家で見る予定だったものを……!」

「でも、藤原先輩の部屋のテレビ、壊れたんですよね?」

「堀が『ロシアの伝統的な直し方』とか言って叩き壊したのだろう?」

「いや、あの時は映りが……それはともかく、どうしますか?」

「……いや……しかし……ええい、やむを得ん! 帰る!」

初めまして、ミスタ〜forestと申します。

趣味で拙い小説を書いていたところ、このようなサイトを発見したので、利用させて頂きます。

まったりだけどマニアック、ちょっと変わった小説ですが、肩の力を抜いて読んで頂ければと思っています。

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