相棒と休日と
野郎同士の絆なんて、どんな事がきっかけで深まるか判らない。
南アフリカ共和国 ハウテン州 州都ヨハネスブルグ
南半球に位置する南アフリカは当然ながら北半球とは季節が逆転している。
従って9月のヨハネスブルグの季節は冬。
しかし気温は温暖で今日は16℃である。
ヨハネスブルグは世界でも有名な犯罪多発都市である。
殺人事件、発砲事件など日常茶飯事。
だが、それはヒルブロウ地区などに限られ“一応は”安全な場所で、南アフリカ最大の金融都市の一面も持っている。
そんな都市の犯罪多発地帯−ヒルブロウ地区にある古ぼけたホテルに彼等は宿泊していた。
テレビがない部屋には変わりにラジオが置かれ、雑音と共にジャズが流れている。
壁には所々ヒビが走り、天井の隅には蜘蛛の巣が。
これが、このホテルで一番上等な部屋だとは誰も信じないだろう。
「………」
その部屋のソファに寝転んで口に銜えた愛煙のタバコを燻らせつつ雑誌−銃火器のカタログを読んでいるのは20歳の青年、ショウ・ローランド。
彼はフリーの傭兵だ。
白いワイシャツのボタンを三つ外し、その上から革製ショルダーホルスターを着けているが、比較的ラフな格好で休日を“堪能”している様子だ。
「……ふむ……」
ページを捲りつつ彼は何やら頷いた。
…とてもではないが、休日を堪能しているようには思えない。
短くなったタバコを吸殻が山を築いている灰皿の端へ押し潰した時、ドアの向こうから微かな足音が聞こえてくる。
ほとんど反射的にショウはホルスターへ手を伸ばし、愛銃の代わりである4インチタイプのS&W M19の銃把を握った。
だが、直ぐにそれを離して再びカタログを読み始めた。
少しすれば部屋のドアが開かれ、金髪を短く刈り上げ、ノーネクタイの黒いスーツ姿の青年が入ってくる。
「たっだいまぁ〜…」
「…おかえり」
素っ気なくショウは返事をするとページを捲った。
その反応に溜め息を吐いた青年はドアを閉めると鍵、チェーンも掛け、ショウが寝転ぶソファの前に置かれたローテーブルへ歩み寄る。
「ったくよぉ…何処もかしこも有刺鉄線やらバリケードで店を囲んでやがったぜ」
「…ふぅん…」
「ふぅん…じゃねぇよ!!俺がいったい何軒の店、回ったと思ってんだ!?」
「…さぁな…」
更に溜め息を吐く青年の名はオルソン・ピアース、年齢は22だ。
元はアメリカ海兵隊武装偵察部隊に所属し、アフガン、そしてイラクに派遣された“公式記録”を持っている。
栄光ある海兵隊−彼自身も勲章受勲の経歴があるが、なぜ退役したかについては…後々にでも語るとしよう。
「17軒…17軒だぞ!!それだけ回ってやっとだ!!」
「…そりゃそうだろうよ。なんせ此処はヨハネスブルグだ」
ヨハネスブルグは−特にヒルブロウ地区は強盗や殺人が頻繁に起きている。
それに対抗する為か、この地区にある商店は極僅かで、しかも有刺鉄線やバリケードを築き、店主達は武装しているのだ。
真っ昼間にも関わらず、店仕舞いしている商店も普通なのだ。
「…判ってるつもりだよ…ったく…なんで俺が…」
「…ポーカーで負けたからだろ」
チラリ、とショウがローテーブルに視線を移すと、そこにはトランプが散らばっている。
「こんの…テメェの血は何色だ!!?」
「赤だ。…で?」
ショウに尋ねられると、オルソンは溜め息をまた零し、抱えていた紙袋をローテーブルへ放り投げた。
紙袋の口からローテーブルに飛び出したのは何カートンものタバコ。
銘柄はLUCKY STRIKE。奇しくも二人の愛煙のそれである。
彼等がポーカーを始めた発端は、当然ながらタバコが切れ掛けたから。
そして…オルソンはショウにボロ負け。所持金を“少しばかり”持っていかれた上、買い物という名のパシリに駆り出された訳だ。
疲れたのかオルソンは息を吐き出し、上着をショウの向かいにあるソファへ掛けると腰を降ろして足を組む。
ショウと同様に彼もショルダーホルスターを着け、それには愛銃のM1911A1が納められている。
「……新聞は?」
「何処にも置いて無かった」
「…そうかい」
そう呟くとショウはまたカタログに読み耽る。
会話のキャッチボールが全く出来ていない事にはオルソンもほとんど諦め掛けている。
(つうか…ここまで無口な野郎も珍しいよなぁ…)
無口、というよりもショウは必要な事のみしか話さないという“悪癖”がある。
自分よりも若い筈なのに、何故ここまで?、と彼は疑問に思っているが、それは仕方ない。
何せ、国境紛争の最中に出会ってから、まだ1ヶ月も経っていない。
傭兵という人種は基本的に用心深く、真に心開いた人物にしか積極的に話し掛けないのだ。
一歩間違えば待っているのは死のみ。
それが彼等のいる世界だ。
(…でもなぁ…一時とはいえ生死を共にする仲だってのに…)
オルソンは危惧している。
傭兵は一匹狼、というイメージが先行するが、実際は違う。
当然だが、戦争は一人では出来ない。
極論を言えば、戦争をするには最底でも二人は必要だ。
一人は戦闘に従事するとすれば、もう一人は兵站などの管理、調整、そして情報収集をしなければならない。
傭兵も同様だ。
大体は味方する勢力の部隊に配属されるが、僅かながら外国人傭兵部隊を組織している者達も中には存在する。
方々から寄せ集められた連中と上手く連携し、戦闘を有利に進めるにはコミュニケーションが重要になってくる。
注意点はあまり仲良くなりすぎない事だろう。かと言って疎遠になってもらない。
近付かず遠からず、難しいが傭兵同士の基本的なコミュニケーションはそんなモノだ。
ショウの場合は本職である前哨狙撃兵としての気質なのか、それらが欠如している。
必要以外の事は喋らない、というのは先だって説明した彼の悪癖だが、流石に際立ち過ぎだ。
ここに来るまで彼がオルソンに喋ったのは、大まかな戦歴、年齢、出身国ぐらいだ。
逆にオルソンがショウに喋ったのは、軍歴、戦歴、年齢、出身国、そして好みの女性のタイプと好きな雑誌、趣味特技等々…。
(…よっしゃ…!)
何か決意したのかオルソンは向かいのソファで相変わらずカタログに読み耽るショウへ鋭い視線を向ける。
「ヘイ、ショウ!」
「………あん?」
カタログから眼を離し、彼はオルソンへ僅かに視線を向けると、そこには満面の笑みを浮かべるナイスガイの姿が。
「呑みに行くぜ、拒否権なしだ!!」
「………all right」
両者ともノーネクタイの黒いスーツ姿。
これでは“その手”の人間に見られること間違いなしだろうが、此処には腐るほどそんな人間が居る為、気にする者は殆どいない。
路地裏を進んで行くと一軒のバーが現れた。
掲げていたのだろう看板の文字は掠れてしまい読めなくなっている。
オルソンがパシリの最中に見付けた店だ。
彼が先頭となりドアを開けると付けられていた鈴が鳴る。
少し暗い店内にはジャズ等の音楽は一切なく、入っている客も疎らだ。
だが、何人かの客の眼を見れば、この店が“溜まり場”…もっと言えば“肥溜め”だと判るだろう。
虚ろで無気力な眼、テーブルには注射器が置かれている。
女性客も数人いる。
ただし、その全員が露出度の高い−というよりも殆ど下着姿なのをみると、この店は売春も商いのひとつらしい。
二人は他の客達に関心も抱かずカウンターのスツール席へ腰掛けた。
すると、グラスを磨いていたバーテンダー…もしくは店長だろう初老の黒人が注文を取りに来る。
「何にする?」
「バーボンをロック」
「…バカルディ・ラムをストレートで同じく」
「チェイサーは?」
「いんや要らない。お前は?」
注文を尋ねるが、ショウはスラックスのポケットからタバコを取り出し、ジッポで火を点けている最中だったが、僅かに首を横に振った。
「要らないってさ」
「判った」
店長は棚から注文のボトルを取り、氷を入れたロックグラスに酒を注ぐと、それを二人の眼前に置いた。
「んじゃま…乾杯」
「………」
軽い口調でオルソンがグラスを取って掲げると、ショウは紫煙を吐き出してから同じくそれを取り、空中で軽くグラス同士をぶつけ合う。
一口、口に含み喉の奥へ流し込むと焼けるような感覚が襲う。
「…ふぅ…バーボンが置いてあって良かったぜ」
「…………」
呑み馴れた酒の率直な感想を言うオルソンとは逆に、ショウは軽くグラスを揺するとそれを傾け一気に酒を呷った。
みるみる無くなる酒−そしてグラスが空になると彼はそれをカウンターテーブルに置き、店長へアイコンタクトでお代わりを促す。
(……え?ちょ早くね?)
オルソンがそう思っている間にもショウは一杯、もう一杯、更にもう一杯、更に更にもう一杯とハイペースでグラスを乾かしていく。
まるで水を呑んでいるかのような錯覚に陥りそうだが、彼が呑んでいるのは酒−それもストレートに氷を浮かべただけのラムである。
あれでは氷が溶けていく際の味の変わり方を楽しめない。
バーで酒を楽しみたいのならゆっくりと呑むのが普通だが、彼の場合は真逆である。
しかも酔っている様子は微塵もない。
「あ〜…俺にも…」
少々、呆気に取られていたオルソンだったが、自身のグラスが空になり店長へお代わりを強請った。
オルソンはまだ一杯目を空にしただけだが、ショウは既にボトル一本を空けかねない勢いだ。
「……マスター」
「?」
不意にショウが店長を呼んだ。
突然の事にオルソンが視線を向けると彼はグラスを傾けていた。
「…なんだ?」
「…向こうのスツールに座ってる二人にも何かやってくれ」
「…判った」
暗がりの奥のスツール席に座り、談笑しているの妙齢の黒人女性が二人いる。
いずれも、かなりの露出具合だが、中々、顔の作りは良い。
店長はレモンを切り、その搾り汁と氷をシェイカーへ入れ、数種類の酒をメジャーカップで量り、それらを入れるとシェイカーを振り始めた。
「なぁ失礼なこと言っても良いか?」
「……あん?」
「てっきり『ウォッカ・マティーニを。シェイクで、ステアでなく』なんて言うかと思った」
「……ジェームズ・ボンドは嫌いだ」
「おっ同感同感。俺も嫌い。なにより敵方のエージェントと関係持つあたり」
「…俺としては、あんな派手で目立つ奴がエージェントなのが許せねぇよ」
「だな」
初めてとなる話題の一致にオルソンは少し興奮している。
そんな中、店長は出来上がったカクテルをシェイカーからカクテルグラスへ注ぎ、それを奥のスツール席に座っている二人へ差し出す。
すると店長がオルソンとショウを指差し、女性達が嬉々と笑ってカクテルグラスを掲げた。
応えるようにオルソンがグラスを軽く掲げつつ笑って酒を胃へ流し込むのにやや遅れ、ショウも軽くグラスを掲げるとそれをテーブルに置き、ポケットからタバコを取り出して火を点けた。
「ちょっと行ってくる」
「……あぁ」
グラスを置いたオルソンが断りを入れると席を立って彼女達に近付いて行く。
“交渉”に入るのだが、その前に、お互いリラックスしておきたいのだろう。
談笑している彼等を眺めつつ紫煙を吐き出しショウはタバコを灰皿に置き、グラスを取って軽く傾けた。
するとオルソンが彼女達には見えないよう親指を立ててショウへサインを送る。
どうやら“交渉”に成功したらしい。
一人の女性の腰を抱いてオルソンが下の階へ続くだろう階段に消えたのを横目にショウはグラスを傾けた。
「隣、良いかしら?」
「…あぁ」
先程まで奥のスツール席にいた女性がショウに近付きつつ相席を強請ってきた。
それを了承すると彼女は彼の左隣の席に座る。
茶髪を腰まで伸ばし、眼は翡翠色、そして中々の容姿だ。
「さっきはご馳走様。美味しかったわ」
「…俺が作った訳じゃない」
「あら素っ気ないわね」
「…良く言われる」
「ふふっ、あの彼とは大違いね。アナタって人見知りするタイプ?」
「…似たようなモンだ」
「クールだと思ったけど…ちょっと可愛いわ」
「…………」
一方的に話し掛けてくる女性へ最低限の受け答えをするショウだが、その態度は好評のようだ。
「…ねぇ、時間ある?」
「…あぁ」
「そう。…なら行きましょうか?」
彼は無言で立ち上がると酒代の紙幣をオルソンの分も合わせ、カウンターテーブルに置く。
そして女性の腰を抱くと階段へ向かって歩き出した。
「悪かったな」
「あん?」
「酒の代金」
彼等がバーを出たのは21時も過ぎたころ。
オルソンは酒代を奢ってもらった事に感謝しつつも少しばかり罪悪感があった。
「…気にするな。俺の気紛れだ」
「あっそ。…お前ってさぁ…」
「…なんだ?」
「愛想悪いよな」
ふと零したオルソンの言葉にショウはたまらず苦笑してしまった。
「…さっきも言われたな。いや済まん。癪に障ったなら謝る」
「…………」
「…どうした?」
「あっあぁ…いや、なんでもねぇ」
初めてみた笑顔らしい笑顔−苦笑ではあったが、年相応に見える顔に彼は少し呆気に取られてしまった。
「……俺といて疲れないか?」
「……正直に言って良いか?」
「あぁ」
「滅茶苦茶、疲れる。まるでストレス製造マシーンだ」
「クッ…フフフ…」
歯に衣きせぬ、とはこの事だが、ツボに入ったのかショウは笑い出す。
ホテルまでの道を歩き続けていると、ショウとオルソンは打ち合わせたかのようにタバコを取り出して銜えた。
「お前でも笑う事があんだな?」
「…なに言ってやがる。まるで俺の事をなんでも知ってるみたいな言い草だな」
「…悪い。気に障ったなら−」
「なら…これから知ってくれ」
そう告げるとショウはジッポの火をタバコに点した。
突然の事にやや呆然としてしまい、オルソンは先を行く彼を見送る格好で立ち止まってしまう。
だが、言葉に込められた真意に気付き、顔が綻んだ彼はショウに追い付く為、走り出した。
「なぁなぁ。そんじゃあ…“相棒”って呼んでも良いか?」
「…あん?」
「いや…なんとなくで特に理由は無いんだけど…どうだ!?」
提案に考え込むショウはタバコを指に挟みつつ紫煙を鼻孔から吐き出して、再び口へ銜える。
「……好きにしろ」
「えっマジ!?マジで良いの!!?」
「…二度も言わすな」
「照れるな、照れんなよ相棒♪」
馴れ馴れしく肩を組むオルソンに不快な表情となってしまうショウだが…不思議と“相棒”の呼称には不快感を感じなかった。
ついでに教えてやるか、と彼は思い至り、一際深く紫煙を肺へ吸い込むとそれを吐き出して決意を固める。
「……桂木だ」
「…なに?えっカツラギ?」
「…桂木翔、俺の本名だ。他言無用だぞ?」
忍び笑いをする彼に再び呆気に取られたオルソンは固まってしまう。
肩へ回された腕から逃れると彼は小さく笑いながらホテルへの帰路を進んで行った。