第28話 東京都中央区銀座七丁目
東京都中央区銀座七丁目。
並木通りから一本入った通り。二軒目のビルの四階に、私の店『クラブ・ミツコ』がある。
まだ、私が若い頃は、水商売への偏見や差別が根強かったけれど、私はこの仕事が好きだった。
当時は女性の大学進学率も低く、高卒で働くのが当たり前だった。
良妻賢母とまでは言わなくても、結婚するまでの腰掛け、とはよく言われたもの。
上司へのお茶出し、飲み会でのお酌。できなければ「気が利かない」「女のくせに」などと罵られた。
街で見かける夜のお姉さんたちは、華やかで、まるで違う世界の女性のようだった。
上司に思い切り怒鳴られた時、私は仕事を辞めた。
会社勤めで着ていた地味なスーツのまま、銀座の夜のお店へ面接に行った。
今考えても、おかしいわ。
後にも先にも、あんな格好で面接を受けたのは私くらいだったでしょうね。
華やかなのは、見た目だけ。
よく勘違いされるけれど、チヤホヤされてお金が貰える、そんな仕事では決してない。
むしろ逆。褒めるのはこちらの仕事。
もちろん褒めたからってお金が貰えるほど、甘くもない。
それでも携帯電話のない時代はまだ良かった。
今のキャストの女の子たちは遥かに大変だ。
四六時中、お客様の対応を求められるのだから。
銀座のお客様は、案外厳しい。
年齢を重ね、質の良いスーツを身に纏い、穏やかに微笑んでいる。一見優しそうで、安心感がある。
しかし、その人が見ているバラエティ番組を一つ知らないだけで、怒らせてしまうこともある。
録画して、早く起きて、チェックしないのか、と。
それでも私は、この世界が好きだった。
私の時代、頑張り次第で収入を増やせる仕事は、この世界くらいしかなかった。
もちろん、頑張れば報われるような単純な世界ではない。お客様によって対応を変え、好みの女の子を席に付け、使える女の子を取り込み、手足となってもらう。
やりがいのある仕事だった。
しかし、途中で疲れて結婚に逃げたことがある。わずか5年で復帰したが。
その後、もう一度結婚した。
お店を続けてもいいと言われて結婚したのに、途端に仕事を辞めろと言われた。
2年くらいは我慢したけれど、私に我慢は似合わなかったのね。
やっぱり戻ってしまったわ。
当時の銀座では珍しく、私はオーナーママだった。
会社を設立し、銀行口座を開き、物件を借りて、一からお店を始めた。
でも、歳には勝てないわね。
数年前に、お店を譲ったわ。
私の右腕の女の子に。
まぁ、女の子と言うにはだいぶいい歳だけれど。
ミツコ、という名前は残してくれた。
『ママのお店ですから』
そう言って。
その心意気が嬉しかった。
お金で買えるものに、もう価値は見出せない。
お金で解決、なんて一番楽で頭を使わない方法だから。
人の気持ちが一番難しい。
お金だけでは動かせないから。
だからこそ価値がある。
でも、あれだけ人に囲まれていたのに、死ぬ時になれば、私は一人なのね。
「いいなぁー」
ふと、ソファに座ったまま、声のする方へ視線を向けた。
「二回も結婚したんだー。
いいなぁ」
いつの間にか、床に両膝を立てて座り、頬杖をしている女の子がいた。
ニコニコしていれば可愛いのに、物凄くふてくされている。
「神様ってさ、不公平だよね」
しょぼんとするその子に声をかける。
「貴女、私をお迎えに来たのよね?」
そう。最近、サイコ……?
何だったかしら。
どうやら私は、何度か死にかけているらしい。
そのたびに、あの世から誰かが迎えに来る。
初めは驚いていたけれど、話を逸らすのは私の得意分野だから、いつものらりくらりとかわしていた。
そうこうしているうちに、抜けかけていた魂も身体に収まっていたらしい。
私はよほど悪運が強いのね。
そしてまた、何事もなかったように日常に戻る。
今回のお迎えは、このお嬢さんらしい。
「でも、行かないんでしょ?
それなら、私の話聞いて」
「何故、私がお金も貰わず、お店の女の子でもない貴女の話を聞かないといけないのかしら?」
あら、少し意地悪が過ぎたわね。
見た目だけで言えば、娘どころか孫ほどの年齢のお嬢さんに。
まぁいいわ。これで帰って貰えるなら。
「わぉ」
「!?」
「お姉さん、格好いい!」
女の子は目を輝かせて私を見つめた。
「お姉さんがモテるのわかる気するわー」
「……お姉さんなんて、私はもうお婆ちゃんよ」
「えっと、70歳!?
はー、凄いなぁ」
こちらのお嬢さんは、手元の資料を眺めながら、一人で感嘆の声を上げていた。
「お嬢さん、私はね、ホステスだったの。
褒め言葉なんて煩わしいだけで嬉しくないわ」
「ひゃー、痺れるわー」
何故か、お嬢さんはますます嬉しそうだった。
「三度目の結婚、もはや私が立候補したいくらい」
「残念だけれど、結婚なんてつまらないわ。
家庭に入る? とんでもなかったわ」
「あー、価値観、価値観が浄化される!!
私に先にお迎えが来そう!」
「……貴女は一体何しに来たのかしら?」
「はて、何しに来たんでしょう?
私にもわからへん」
お嬢さんは首を傾げた。
「……東京出身かしら。
何故関西弁なの?」
「わっ、凄っ!
よくわかりましたね!」
「ええ、イントネーションで」
「お姉さん、何かお言葉を下さい」
「え?」
このお嬢さんは何を言っているのかしら?
「そしたら、今日は帰ります!」
「帰るの?」
「はい!」
「……私を迎えに来たのではなくて?」
「そうですよ?」
「……なのに帰る?」
「はい。だって行かないんでしょ?
もう身体にも戻っちゃったし」
「……」
「で、早くお言葉を!!」
「だから、何て言って欲しいの?」
「お姉さんのお言葉が欲しいんです!!」
「……貴女が何を求めているのか、全然わからないわ」
お読みいただきありがとうございます。




