第15話『招かれざる客と、揺れる心』
その訪問者は、春の嵐のような唐突さで現れた。
午後のお茶の時間が終わる頃、城門から知らせが届いたのだ。王都からの使者が到着した、と。
「王家直属の馬車だそうです。身分のある方が乗っておられるとか」
執事の言葉に、私は編みかけのマフラーを膝の上に落としそうになった。
父からの手紙を燃やしてから数日。
何の音沙汰もない静けさを、私は嵐の前の静けさだと予感していた。そして、それは的中したのだ。
「……会わなければならないだろうな」
ギルバート様は渋い顔をした。
本来なら門前払いにするところだが、王家の紋章を掲げた馬車を無視すれば、それこそ反逆の意思ありと見なされかねない。
私たちは顔を見合わせ、重い足取りで応接室へと向かった。
扉が開かれる。
そこに立っていたのは、予想していた父でも、冷たい目をした役人でもなかった。
「……エルマ」
濡れたような金色の髪。整いすぎた、けれどひどくやつれた顔立ち。
そこにいたのは、この国の第二王子であり、かつて私の婚約者だったカイル様だった。
私は息を呑んだ。
カイル様。
彼はいつだって自信に満ち溢れ、太陽のように眩しい人だったはずだ。
ソフィアお姉様の輝きに惹かれ、私との婚約を破棄した時も、彼は残酷なほど晴れやかな笑顔をしていた。
『すまないね、エルマ。僕は本物の光が必要なんだ』
そう言って去っていった背中を、私はただ見送ることしかできなかった。
けれど、今の彼はどうだ。
目の下に濃い隈を作り、肌は蝋のように白く、視線はどこか虚ろに泳いでいる。
その身に纏っているのは、王族の華やかな衣装だが、そこからは微かに澱んだ気配――『穢れ』の匂いが漂っていた。
「殿下、このような辺境まで、何の御用でしょうか」
ギルバート様が、私を背に隠すようにして前に出た。その声は硬く、警戒心に満ちている。
カイル様は、ギルバート様の威圧感に一瞬怯んだように身を縮めたが、すぐにすがるような目で私を探した。
「エルマ……無事だったんだね。よかった、本当に……」
「カイル様、どうしてここに」
「君を迎えに来たんだ」
彼はふらふらと一歩、近づいてきた。
その瞳に映っているのは、私への愛情ではない。溺れかけた人が浮き木を見るような、必死で身勝手な渇望だった。
「帰ろう、エルマ。王都へ。……君がいなくなってから、何もかもうまくいかないんだ」
彼は嘆くように語り始めた。
ソフィアお姉様の聖女としての力が弱まり、王都の空気が悪くなっていること。
そのせいで彼自身も体調を崩し、毎晩悪夢にうなされていること。
ソフィアお姉様は自分の美貌や評判ばかりを気にして、彼の苦しみに寄り添ってくれないこと。
「あいつは……ソフィアは、眩しすぎるんだ」
彼は頭を抱え、苦しげに吐き出した。
「常に完璧で、輝いていて……そばにいると目が焼かれそうだ。僕が弱音を吐いても、『聖女の婚約者らしくシャンとしてください』と笑うだけだ。……疲れたんだよ。息が詰まりそうだ」
そして、彼は濡れた瞳で私を見た。
「君は違った。君のそばにいると、なぜか心が落ち着いたんだ。君は何も言わず、ただ静かにそばにいてくれた。地味で、目立たなくて……まるで日陰のような心地よさがあった」
日陰。
その言葉に、私は胸の奥が冷たくなるのを感じた。
彼は私を褒めているつもりなのだろう。
けれど、それは私という人間を見ていたわけではない。
彼にとって私は、輝きすぎる太陽から逃げるための、都合の良い避難場所でしかなかったのだ。
私が無意識に彼の穢れを吸い取っていたから、彼は楽になれた。
ただの機能。ただの空気清浄機。
「戻ってきてくれ、エルマ。君が必要なんだ。君がいてくれないと、僕は壊れてしまいそうだ」
彼は手を伸ばしてきた。
かつての私なら、その言葉に縋り付いていただろうか。
『必要だ』と言われることが嬉しくて、また都合の良い女に戻っていただろうか。
ギルバート様が、私の前に立ちはだかろうとする。
けれど私は、そっと彼の上着の袖を引いた。
「……旦那様。少しだけ、待っていてください」
「エルマ?」
「私自身の口から、申し上げたいのです」
私は震える足を叱咤し、ギルバート様の背中から一歩、前に出た。
カイル様の顔を見る。
そこにあるのは、醜いほどの弱さと、傲慢な甘え。
かつて私が恋焦がれていた王子様は、もうどこにもいなかった。




