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第2話 空間転送

 しばしの沈黙の後料理が運ばれてくる。

 沈黙の中、互いに料理に手を付け始める。どうしようかと逡巡していると龍介が喋り始める。


「そういう話を聞かされると6年って長いんだなって思うよ」

「そりゃそうだろ」


 これでも待った方だぞ、と心の中で悪態を吐く。

 昔から龍介が利香の事を好いているのは分かっていた。だからこそ、幼馴染という関係性ながら、利香に近づきすぎないように気を付けていた。三人の関係性が悪くなるのは嫌だったし、そうなるくらいなら俺には色恋沙汰なんて必要ないとさえ思っていた。


 龍介は龍介で、おぜん立てをしてやっても利香にアタックする素振りを見せない奥手な男だった。煮え切らない龍介の態度に頭に来て、夜が明けるまでダメ出しとアドバイスをしたことを思い出す。


「……本当に長い六年間だったよ」


 思わず口から言葉が漏れる。

 俺の様子を見て龍介は如何とも形容し難い表情を見せる。苦笑と悲哀が入り混じったような悲痛な顔に見える。

 他の客の視線を気にする必要のない店内で良かったと心底思う。大人が沈鬱な表情で押し黙っている姿は、他の客も気落ちさせてしまうだろう。


 「……なんか明るい話題は無いか?」


 俺は努めて明るく振る舞おうと決めた。結局のところ、一番重要なのは利香と龍介が再会する事なのだ。

 それがどんな結果になるかは分からないし。龍介は会いたくないと言うかもしれないが、嫌でも会って貰わないと困る。幼馴染三人組が前を向いて生きていくには、今日のうちに過去を清算する必要がある。


「実は、今日会おうって言った事と関係があるんだけど」


 龍介はそう前置きした。先ほどまでの痛々しい様子は見る影も無く、生き生きとした表情に見えた。


「近々僕の仕事が集大成を迎えそうで、正式発表もやるにはやるんだけど、その前に健太に見てもらいたくて」

「……発表前の情報って社外秘情報だろ。俺が見ても大丈夫なのか?」

「あぁ、制限はあるけど親しい人間に対しては公開しても構わないっていうお達しがあってね」

「ふーん、面白そうな話だな」

「健太なら絶対に気に入ると思うよ。時間もあるし会社まで来ない?」

「まぁそこまで言うなら」


 利香と約束した時間まで余裕があったので、龍介の誘いに乗る事にした。そのまま他愛のない会話をしながら、二人で食事を平らげた。食事を終えてビルを出ると、龍介はタクシーを捕まえた。


「おい、タクシーじゃなくても良いだろ」

「大丈夫、経費で落ちるから」


 そういうと龍介はささっとタクシーに乗り込み、携帯で地図を見せながら運転手に場所を伝える。私用のタクシー利用が経費で落ちるものなのかと呆気にとられつつも、お言葉に甘えてタクシーに乗り込む。


 タクシーで20分ほど揺られていると目的地に辿り着く。案の定、駅からほど近いビルが目的地で、電車でも来れたのではと思ってしまう。

 ビルは大きかった。高さは10階ぐらいだろうが、横に大きく、よくも駅前にここまで広い土地を準備できたものだと思う広さだ。


 龍介に続いて入口をくぐると、殺風景なエントランスが広がっていた。 

 訪問客へのもてなしを想定していないとしても、調度品が無さ過ぎた。社名が分かるような物も無く受付があるだけで、来訪者用の椅子のような少しの時間を潰すための物も置かれていなかった。


 龍介は受付に立っている警備員に会釈すると、そのまま奥の方に歩みを進めていく。付いて行っていい物かと狼狽えていると、警備員に奥に進むよう促されたので、何となく肩を狭めて龍介の後を追いかける。

 殺風景なエントランスの最奥にはエレベーターがあった。龍介が社員証のような物をかざすと扉が開く。龍介と一緒に乗り込んで、レストランを出てからの展開の早さに思わず呟く。


「……なんか、凄いなお前」

「まぁ、毎日通ってる場所だしね」


 そういう事じゃねぇよ!とツッコミたくなったが、そのまま口に出すのは憚られた。土曜日とはいえ、あまりにも人気を感じないエントランスに面喰ってしまっていた。どことなく異様な空気に居づらさを感じていた。


 しばらくするとエレベーターの扉が開く。一見、普通のオフィスビルの廊下のように見えたが……。


「えっと、この通路ってどこまで続いてるんだ?」

「着いて来れば分かるよ」


 通路は下り坂になっていた。頭上に電灯は無く、足元に埋め込まれた照明が頼りない青白い光を発していた。光が弱いため通路の奥の様子は見る事が出来ず、どこまでも道が続いているように見える。


 龍介に言われるがまま付いていくが、その通路は普通じゃなかった。

 壁、床、天井は打ちっ放しのコンクリートで、人がすれ違えるぐらいの幅でひたすら下り坂になっていた。天井も一緒に下っていっているため、通路の大きさは変化しない。景色は変わらないが、ひたすら直線に下っている事だけは分かる。


「地下に潜っていってるのか」

「……」


 龍介は反応しない。嫌な空気感だった。


「こんなに直線で歩けるもんなのか?」


 5分ほど歩いたと思う。外で見た敷地よりも長い距離を歩いている感覚があった。それでも終わりの見えない通路と、何の反応も示さない龍介に混乱する。


「それに呼吸もしにくいな……、空気の供給はされてるんだよな?」

「安心してよ、僕が毎日通ってる場所だから危なくないよ」


 ようやく龍介が反応を返すが、振り返ってはくれなかった。それに、呼吸のし辛さは気のせいとは思えなかった。思えば、コンクリートの構造がひたすら続いており酸素を供給するための穴は見当たらない。エレベーターの扉の脇に大きな換気扇があった事を思い出すが、道中には空気を循環させるための設備が無いのだ。


 それでもひたすら歩くと、頭が痛くなってくる。酸素が足りていないせいだと思った。暫く我慢していたが、頭痛は次第に酷くなっていく。終いには頭痛なんて生易しい物ではなく、頭を四方八方からぶん殴られているような痛さになった。

 龍介はこの痛みにどう耐えているのか気になって、彼の方を見ると、目が合った。このビルにやって来てから初めて目が合ったなと考えていると、猛烈な吐き気を感じ、胃の中の物を床にぶちまける。痛みに苦しめられながら、床にうずくまる。

 

 顔を上げて龍介の方を見ると、彼が見下ろしているのが分かった。強烈な痛みで顔をしかめているせいか、視界は赤くもやがかかったようになっており、龍介の表情は分からない。床に座り込んでいる事も出来なくなり、床に身体を投げ出す。

 ほぼ仰向けになりながら、助けを求めて龍介の方に手を伸ばす。


 龍介がこちらに近づいてくるのが分かる。早くこの痛みを何とかしてくれ、と伝えようとするが、喉は引きつって声を出すことは出来ない。

 言葉にならない声を聴くためか、龍介が顔を近づけてくるのが分かる。何かを伝えようと龍介の顔めがけて必死にもがく。潰れかけた視界の中に龍介の顔を収める。


 龍介は笑っていた。

 とても穏やかに笑っていて、それはこの状況にそぐわない表情で、心の底から安心を感じている人間にしか出せないものだった。見る者まで安心させる笑顔だなと思っているうちに、俺は通路の上で意識を失った。



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 目が覚める。

 

 身体にかけられた薄手の布団と、背中に伝わる柔らかい感触から、自分がベッドの上に置かれている事が分かった。あの時の頭痛は綺麗さっぱり消えていて、むしろ頭の中がスッキリした感覚さえあった。起き上がって周囲を見回すと、ここが病室でない事に気付く。


 ベッドは部屋の奥隅に配置されており、部屋の中央にはローテーブルと一人掛けの革張りの椅子が4つ並べられていた。まるで応接室のようなレイアウトの中に、ベッドが鎮座しているのは何とも奇妙な光景だった。


 おずおずとベッドから抜け出して、革張りの椅子の方へと向かう。机の上には何も置かれておらず、ひとまず椅子に座る事にした。

 この部屋にも、見栄えを良くするための調度品は無く、ベッドと椅子とテーブルが置かれているだけだった。白塗りの壁と、部屋から出るためのドアが目に入るが、勝手に出ていくのがマズイ事は分かる。どうしたものかと途方に暮れていると、壁に時計が掛けられている事に気が付いた。


「10時⁉」


 壁に掛けられた時計の針が時間の経過を教えてくれた。昼の2時頃に龍介の会社に着いたはずだった。そこから長時間歩いていたにしても、俺が倒れたのはせいぜい2時半頃だろう。すると7時間以上倒れていた事になる。

 頭痛で倒れたせいで、利香と龍介の間を取り持つという、ここ最近で一番重要な仕事を果たす事が出来なかったのだ。愕然とするが、同時に違和感に気付く。


 喉が渇いていない


 それどころか、腹すら減っていなかった。それなりに身体を動かした上に、7時間以上飲食していないのにこの状況は有り得るのだろうか?

 他に何か情報が無いか確認すると、自分が持っていた携帯の存在を思い出した。幸いなことに、携帯はジャケットの内ポケットに入ったままだった。

 真っ先に画面を確認すると、携帯の時刻は”16:17”を示していた。携帯が指し示す時刻の方が、自分の感覚に近かった。


 壁の時計と携帯の時計が指し示している時間が違っている。

 とりあえず龍介に電話をしてみようと思うが、どうやら圏外のようで今すぐ連絡を取る事は叶わなかった。後は、扉を通ってこの部屋から出ていくしか選択肢が無いわけだが、時計の不一致が気になった。


「……もしかして違う国にワープしてる……とか?」


 利香と一緒に観た朝方のTVを思い出した。

 理屈は分からないが”空間転送”とやらで違う国に転送されたと考えてみる。龍介は"空間転送"を生業とする会社で働いていて、彼が見せたいと言っていたのは、その超科学だったという仮説だ。壁に掛けられた時計は現地時間(転送先の国の時間)を示していて、自分の持っている携帯が日本の時刻を示しているのだ。

 違う国にいるとすれば、提携している通信会社から電波を受け取る事が出来ないため、圏外表示になる事も頷ける。

 つまり、自分は日本以外の国にいて、この国での時刻は10時か22時という事になる。しかし、壁に掛けられているのは針式の時計なので、午前なのか午後なのかの区別を付ける事は出来なさそうだ。それに、今いる国を特定する事も厳しい。


「って、探偵じゃあるまいしそんな事考えても仕方ないか」


 色々な違和感は捨て置いて、部屋から出てしまう事にした。


「利香がインタビューしに行った会社で龍介が働いてるってのも偶然にしたら出来すぎだしな」


 そう呟いて扉を開ける。


 果たして、部屋の外には龍介がいた。

 先ほどまでの殺風景な部屋とは違い、豪華絢爛という言葉の似合う内装だった。先ほどまでの白を基調とした部屋とは対照的に、床と壁には黒い大理石が使用されていた。この部屋には標準的な高さのテーブルと椅子が置いてあり、それも黒色だった。

 天井は高く、照明は長い紐に吊るされていて、陽光を思わせるオレンジ色の光を発していた。光は大理石の床や壁で反射しており、部屋の中は明るかった。

 壁の一面はガラス張りになっており、そこから外の風景を見れるようになっている。


「……夜なのか」


 ガラス越しに夜空と星明かりが見えた。辺境の地に建てられているのか、自分の住んでいる街では見る事の出来ない無数の星々を見る事が出来た。

 先ほどの白い部屋で立てた仮説が実証されそうで冷や汗が流れるのを感じた。




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