第八話:謝罪、そして別れ
夜の闇が、隣国の孤児院を静かに包んでいた。
月明かりだけが、庭の草木をぼんやりと照らしている。
アルフレッドとエリーズは、孤児院の庭の茂みに身を潜め、五感を研ぎ澄ませていた。
リリアーナを狙う敵が、いつ現れるかわからない。
彼らは、リリアーナが穏やかに暮らす日々を、今度こそ自分たちの手で守り抜くと誓っていた。
その胸には、彼女への後悔と、そして彼女を守りたいという強い思いが満ちていた。
その日の深夜、不穏な気配が孤児院に近づいてきた。
「来たわ」
エリーズが、囁くようにアルフレッドに告げた。
彼女の声は、かつての怯えを失い、緊張と決意に満ちていた。
アルフレッドは、手に持った護身用の剣を強く握りしめる。
もはや、王太子としての威厳など関係ない。
ただの一人の男として、彼女を守るために戦う覚悟だった。
「僕が、ここで食い止める。エリーズ、君はリリアーナの元へ行って、安全な場所に避難させるんだ」
「いいえ、私も戦います」
エリーズは、かつての臆病な自分とは違い、強い決意を瞳に宿していた。
彼女はもう、誰かに守られるだけの存在ではない。
リリアーナに教えられた知識を、今こそ彼女のために使う時だと思った。
現れたのは、あの遺跡で襲ってきた男たちだった。
彼らの顔には、獲物を見つけたような歪んだ笑みが浮かんでいる。
彼らは、孤児院の壁を乗り越えようとしていた。
アルフレッドは、男たちの前に立ちはだかった。
「お前たちの好きにはさせない!」
男たちは、アルフレッドの言葉に嘲笑を浮かべた。
「元王太子殿下が、このような場所で何をされている。
聖女の力は、我々のものだ!
あなたのような無能な男に、我々の邪魔はさせない!」
彼らは、強力な魔法を放ってきた。
それは、王宮の騎士団でも対処が難しいほどの、破壊的な魔法だった。
アルフレッドは、辛うじて魔法を避けるが、多勢に無勢。
徐々に追い詰められていく。
その時、エリーズが、アルフレッドのそばに駆け寄った。
「アルフレッド様、リリアーナ様の魔法陣を使いましょう!」
エリーズは、かつてリリアーナの記録で見た魔法陣を思い出し、指先で空中に魔法陣を描き始めた。
それは、彼女が村で子供たちに文字を教えていた時と同じように、真剣で、そして美しい動きだった。
男たちの放った魔法は、エリーズの描いた魔法陣に吸い込まれていく。
魔法陣は、悪しき魔力を吸収し、それを光の力に変えていった。
そして、その魔法陣は、眩い光を放ち、男たちの動きを封じ込めた。
「なっ、なんだと!?」
男たちは、驚愕の声を上げた。
彼らが放った魔法が、自分たちを縛りつけている。
その隙に、アルフレッドは男たちを制圧した。
戦いが終わり、孤児院の庭に静けさが戻った。
子供たちは、物音に驚き、窓から庭の様子を伺っている。
リリアーナは、物音に気づき、孤児院の窓から庭の様子を伺っていた。
彼女の顔には、恐怖の色はなかった。
ただ、静かに、庭を見つめていた。
まるで、この状況が起こることを知っていたかのように。
アルフレッドとエリーズは、静かに彼女の元へと向かった。
窓を開け、リリアーナは二人と対面した。
「リリアーナ……」
アルフレッドの声は、震えていた。
長年の後悔と、今目の前にいる彼女への想いが、彼の声を震わせた。
「お久しぶりです。アルフレッド様、エリーズ様」
リリアーナの声は、穏やかで、静かだった。
かつての悲しげな声とは、まるで違う。
その声には、一切の感情の揺らぎがなかった。
「リリアーナ様、本当に……ごめんなさい」
エリーズは、床に膝をつき、涙ながらに謝罪を口にした。
「私たちが、あなたを追放したせいで、このような危険な目に……」
「私たちが、あなたにどれほどの苦痛を与えたか……」
アルフレッドもまた、頭を下げ、謝罪の言葉を口にした。
二人の目からは、後悔の涙がとめどなく溢れ出していた。
しかし、リリアーナは、ただ静かに二人を見つめるだけだった。
彼女の瞳には、憎しみも、怒りも、そして許しを求めるような光もなかった。
「もう、大丈夫です。もう、何も気にしてはいません」
リリアーナの声は、優しかった。
それは、過去を許したからこその優しさではなく、過去に囚われていないからこその、無垢な優しさだった。
「私は、もう過去の人間ではありません。
この子たちと、この穏やかな日々が、私の全てです」
彼女は、窓から顔を出し、庭の子供たちに目を向けた。
子供たちは、不安げな表情でこちらを見ていたが、リリアーナの優しい笑顔を見て、安心したように笑みを浮かべた。
「あなたたちに許しを求める必要も、憎しみを向ける必要も、私にはありません。
あなたたちは、あなたたちの道を生きてください。
そして、どうか、あなたたちの道で、幸せを掴んでください」
その言葉は、まるで祝福のようだった。
リリアーナは、すでに過去を許す必要も、憎む必要もない別の人間になっていたのだ。
彼女は、自分自身の力で、過去を乗り越え、新たな幸福を見つけていた。
二人は、言葉を失った。
自分たちが謝罪することで、彼女の心に残った傷を少しでも癒やしたいと願っていた。
だが、彼女は、すでに傷を乗り越え、前を向いていた。
謝罪の言葉は、彼女には必要なかったのだ。
二人は、静かに立ち上がり、彼女に深々と頭を下げた。
「どうか、お元気で」
アルフレッドは、そう言って、エリーズと共に孤児院を後にした。
孤児院の門をくぐり、二人は再び夜の道を歩き始めた。
「リリアーナ様は、私たちがいなくても、幸せだったんだわ」
エリーズが、ぽつりと呟いた。
その声には、悲しみではなく、どこか清々しい響きが混じっていた。
「ああ。そして、僕たちが彼女から奪ったと思っていたものは、
彼女にとって、本当に大切なものじゃなかったのかもしれない」
アルフレッドは、そう言って、夜空を見上げた。
彼らの心には、まだ後悔が残っている。
だが、その後悔は、もう彼女に許しを請うためのものではなかった。
彼女が望んだ平和な世界を、自分たちの手で築き上げる。
そして、彼女がもう二度と、自分たちの故郷で苦しまないように。
それが、二人が誓った、新たな道だった。