第七話:隣国への潜入とリリアーナの今
リリアーナを狙う新たな敵の存在を知ったアルフレッドとエリーズは、もはや躊躇することはなかった。
自分たちの罪が、彼女を再び危険に晒すことになってしまった。
その事実に打ちのめされながらも、二人は、今度こそ彼女を守ることを誓った。
リリアーナが遺した記録や、過去の噂話、そして王都で得たわずかな情報から、彼女が隣国へと渡ったことを突き止めた二人は、身分を偽り、国境を越えた。
アルフレッドは、貴族の身分を捨て、一介の旅人として。
エリーズもまた、村で身につけた質素な旅装で、彼と共に歩いた。
隣国は、アルフレッドたちの故郷とは全く異なる雰囲気を持っていた。
王都は活気に満ち、人々は明るく、不安な影はどこにも見られない。
行き交う人々の顔には笑顔が溢れ、市場には活気があり、通りには子供たちの元気な声が響いていた。
「この国には、魔物の脅威や不作はないのかしら……」
エリーズが呟くと、アルフレッドは静かに首を振った。
「いや、そんなはずはない。
この国も、かつては魔物の脅威に晒されていた。
記録によれば、大規模な魔物の侵攻が幾度となくあったらしい。
だが、ある時を境に、そうした災厄がぱったりとなくなったと聞いている」
それは、リリアーナがこの国に渡った時期と、見事に一致していた。
彼らは、彼女がこの隣国でも、故郷と同じように、人知れず人々のために尽くしていたことを確信した。
二人は、リリアーナの足跡を辿るように、隣国の街を歩き回った。
「この街にある大きな孤児院に、白い髪の女性が勤めていると噂されています」
アルフレッドが、密かに収集した情報をエリーズに伝えた。
彼の情報網は、国王という立場上、今もなお機能している。
孤児院。
リリアーナが、権力とは無縁の場所で、誰にも知られずに暮らしているとしたら、そこ以外にないだろう。
王宮の生活を嫌い、静かで穏やかな生活を望んでいた彼女にとって、子供たちに囲まれる孤児院は、まさに理想の場所だったのかもしれない。
二人は、孤児院へと急いだ。
孤児院は、街の中心から少し離れた、丘の上に建っていた。
古いが、手入れの行き届いた建物で、庭には色とりどりの花が咲き誇っている。
子供たちの楽しそうな声が、遠くから聞こえてきた。
二人は、孤児院の門の前で立ち止まった。
胸が高鳴るのを感じる。それは、恐怖でも、期待でもない。
ただ、長年の後悔と、彼女への想いが混じり合った、複雑な感情だった。
「もし、本当にリリアーナ様がいたら……
私、どんな顔をすればいいのかしら」
エリーズは、不安そうにアルフレッドを見つめた。
かつて彼女にした仕打ちを思えば、顔を合わせる資格などないと思っていた。
「大丈夫だ。
僕たちがここにいるのは、彼女に許しを請うためではない。
ただ、彼女が安全に、平和に暮らせるように、見守るためだ」
アルフレッドは、エリーズの手をそっと握った。
その手は、冷たかったが、彼の言葉は、エリーズの心を少しだけ温かくした。
門をくぐると、子供たちが無邪気に遊んでいる庭が広がっていた。
そして、その中央で、一人の女性が子供たちに囲まれていた。
白い髪。穏やかな眼差し。
「リリアーナ……」
アルフレッドは、思わず呟いた。
彼女は、かつて王宮にいた頃とは全く違う顔をしていた。
豪華なドレスではなく、簡素なワンピース。
悲しげな瞳ではなく、子供たちに向けられる、優しい笑顔。
その笑顔は、まるで春の陽だまりのように暖かかった。
彼女は、子供たちに読み書きを教えているようだった。
小さな石版に文字を書き、それを子供たちに見せる。
「この文字は、こう書くのよ。みんな、一緒に」
彼女の声は、かつての控えめな声ではなく、暖かく、そして力強かった。
まるで、この孤児院の母親のような存在になっていた。
二人は、物陰に隠れ、リリアーナの様子を静かに見守った。
彼女は、もはや過去に囚われていなかった。
追放されたことへの憎しみも、自分たちへの怒りも、そこには微塵もなかった。
ただ、子供たちに愛を注ぎ、穏やかな日々を過ごしていた。
彼女は、追放という絶望の淵から、自分自身の力で、新たな幸せを掴んでいたのだ。
その姿を見た二人は、胸が締め付けられるような感情を抱いた。
それは、彼女の幸福を喜ぶ気持ちと、自分たちが彼女にしたことへの後悔が混じり合った、複雑な感情だった。
「彼女は……私たちがいなくても、幸せだったんだ」
エリーズは、涙をこぼした。
自分たちが彼女の幸福を奪ったと思っていたが、それは間違いだった。
彼女は、自分たちの手から離れたからこそ、本当の幸福を手に入れたのかもしれない。
アルフレッドもまた、言葉を失っていた。
彼が国王として国を立て直すために奔走している間、彼女は、こんなにも静かに、そして力強く生きていた。
自分たちは、何のために彼女を追放したのだろう。
彼女の幸福を奪うためだったのか。
いや、そうではない。
彼女は、自分たちの手から離れたからこそ、本当の幸福を手に入れたのかもしれない。
二人は、もはや彼女に謝罪することすら、躊躇してしまう。
謝罪の言葉が、彼女の穏やかな日々を、再び壊してしまうのではないかと。
夜。
孤児院の窓から漏れる光を、二人は静かに見つめていた。
「私たちは、彼女のために何ができるだろうか……」
アルフレッドが、静かに呟いた。
彼の声は、これまでの孤独な王のそれとは違い、どこか切なげで、だが決意に満ちていた。
エリーズは、アルフレッドの言葉に頷いた。
リリアーナを狙う敵がいる。
この穏やかな日々を、悪しき者たちの手から守らなければならない。
二人は、もはや彼女に許しを請うためではない。
彼女が、この場所で、いつまでも平和に暮らせる世界を守るために、行動することを決意した。
それは、自分たちの罪を、自分たちで償うための、新たな決意だった。