第四話:旧友との再会と新たな決意
王都の執務室は、相変わらず静まり返っていた。
外から聞こえるのは、風に揺れる木々の音と、遠くでかすかに聞こえる市民たちの不安げなざわめきだけだ。
アルフレッドは、リリアーナが遺した研究記録に没頭していた。
書物には、魔物の特性から魔法陣の構築方法、果ては不作の土地を蘇らせる技術まで、あらゆる知識が緻密に、そして美しく記されていた。
その一つ一つが、彼女がこの国をどれほど深く愛していたかの、何よりも雄弁な証拠だった。
しかし、その記録を解析するだけでは、この国の危機を完全に乗り越えることはできない。
各地で報告される新たな魔物の群れの出現は、彼女の知識だけでは対処できない未知の脅威だった。
リリアーナの存在が、いかにこの国の安全保障そのものだったのかを、アルフレッドは今更ながら痛感していた。
その日、執務室に一人の男が訪れた。
「陛下、騎士団長がご面会を希望しております」
騎士団長。それは、リリアーナの最も親しい友の一人だった。
アルフレッドは、一瞬ためらった後、深く息を吐き、彼を招き入れた。
扉を開けて入ってきたのは、かつて王宮の宴で、リリアーナと共に朗らかに笑い合っていた男、騎士団長ジェラルドだった。
彼の顔には、追放事件以来の疲労と、深い悲しみが深く刻まれていた。
その目は、かつての熱を失い、ただ静かにアルフレッドを見つめていた。
「陛下、お久しぶりでございます」
ジェラルドは、深々と頭を下げた。
彼の声は、かつての快活さを失い、ひどく掠れていた。
アルフレッドは、ジェラルドに椅子を勧め、向かい合って座った。
「座ってくれ、ジェラルド。君に聞きたいことがある」
アルフレッドは、尋ねた。
「リリアーナは、なぜ……なぜ、我々に報復しなかったのだろうか。なぜ、私を恨まなかったのだろうか」
ジェラルドは、アルフレッドの言葉に静かに顔を上げた。
その瞳は、怒りではなく、哀れみを含んでいた。
「陛下は、本当にリリアーナ様を理解していなかったのですね」
ジェラルドの言葉は、アルフレッドの胸に鋭く突き刺さった。
それは、彼自身の愚かさを改めて突きつけられたような、耐え難い痛みだった。
「リリアーナ様は、この国の平和を何よりも願っていました。そして、陛下とエリーズ様が、どうか幸せでありますようにと、最後まで願っていました。それが、彼女の唯一の望みでした」
ジェラルドは、ゆっくりと語り始めた。
「あの日、リリアーナ様は、全てを理解していました。陛下とエリーズ様が、自分のことを疑っていることを。そして、その裏に、何か大きな力が働いていることも」
「大きな力……?」
アルフレッドは、思わず身を乗り出した。
「はい。しかし、リリアーナ様は、その力と戦うことを選びませんでした。なぜなら、もし戦えば、国が二つに分かれ、内乱が起きる可能性があったからです。彼女は、王族同士の争いが、最も愚かなことだと知っていました」
ジェラルドの言葉に、アルフレッドは衝撃を受けた。
リリアーナは、自分の身の潔白を証明するために戦うのではなく、国の平和を優先した。
自分のプライドや幸福よりも、国と、そして自分たちを愛する人々のことを想っていたのだ。
彼女の心は、自分たちが想像していたよりも、遥かに広大で慈愛に満ちていた。
「そして、陛下……リリアーナ様は、あなたを心から愛していました」
ジェラルドの言葉が、アルフレッドの心に深く響く。
「彼女は、あなたが国王として、この国を立派に治めてくれることを信じていました。だからこそ、追放された後も、この国のことを案じ、彼女が持てる全ての知識を遺していったのです。もしも、彼女が報復を望んでいたのなら、これらの記録は、陛下の手には渡らなかったでしょう」
ジェラルドは、拳を握りしめ、続けた。
「それが、あの人が背負っていた孤独です。誰にも理解されず、ただ一人、この国の未来を背負っていたのです。陛下がエリーズ様との未来を夢見ていた時、彼女は、来るべき災厄に備えていたのです」
アルフレッドは、言葉を失った。
自分は、彼女の愛情を、国の平和への献身を、そしてその孤独を、全て踏みにじってしまったのだ。
彼女がどれほど深く、そして静かに自分を愛し、国を愛していたのかを、今になって知るという、あまりにも遅すぎる真実。
「ジェラルド、君は……彼女がどこにいるか、知っているのか?」
アルフレッドは、震える声で尋ねた。
ジェラルドは、静かに首を横に振った。
「いいえ、知りません。ただ、彼女が、きっと誰にも見つからない場所で、ひっそりと暮らしていることを願うばかりです」
その言葉に、アルフレッドは再び孤独を感じた。
自分は、彼女に謝罪することすらできない。
彼女がどこにいるのかも、わからない。
だが、ジェラルドとの再会は、アルフレッドに新たな決意をさせた。
リリアーナは、自分に報復しなかった。
それは、彼女がこの国を愛し、自分の未来を信じてくれていたからだ。
ならば、その期待に応えなければならない。
アルフレッドは、椅子から立ち上がり、窓の外の不穏な空を見つめた。
「ジェラルド、君も協力してほしい。リリアーナが遺した記録を解析し、この国の危機を乗り越えるための策を、共に探してくれないか?」
ジェラルドは、一瞬驚いた表情を見せた後、静かに頷いた。
「御意に、陛下」
騎士団長の声は、かつての快活さを取り戻していた。
アルフレッドは、国王としての責任と、リリアーナへの個人的な償いを果たすことを誓った。
「私は、この国を救う。そして、君たちが安心して暮らせる世界を、リリアーナに捧げる」
彼の胸には、もはや過去への後悔だけではなかった。
それは、未来への希望と、そして、彼女への深い愛着が混じり合っていた。
彼が今すべきことは、彼女を再び手に入れることではない。
彼女が望んだ平和な世界を、この手で築き上げること。
それが、彼にとっての償罪だった。