第三話:旅の道連れと小さな罪
旅は、エリーズが想像していたよりもずっと過酷なものだった。
王都から遠く離れた貧しい村でさえ、彼女にとっては苦難だったのに、そこからさらに未知の道を歩むのは、想像を絶する困難だった。
朝露に濡れた草を踏みしめ、日差しに肌を焼かれ、夜は小さな焚き火のそばで眠る。
かつては馬車に乗って移動し、豪華なベッドのある宿でしか眠らなかった彼女にとって、それは全てが初めての経験だった。
雨が降れば、濡れた体に冷たい風が吹き付け、乾いたパンを齧るだけの食事は、彼女の胃を重くさせた。
貴族だった頃には考えられなかった、過酷な現実がそこにはあった。
旅の目的は、リリアーナがかつて救った場所を巡り、彼女の功績をその目で確かめること。
だが、それだけではなかった。
道すがら、彼女は様々な人々と出会った。
「ああ、聖女様のことかい? 昔、この村を飢饉から救ってくれたんだ。あの時、聖女様が教えてくれた食べられる草のおかげで、多くの命が救われたんだよ」
「あの時、熱病で死にかけた私の命を、聖女様が魔法で救ってくれたんだ。聖女様が残していった薬草の知識も、今でも村の役に立っている」
人々は皆、リリアーナのことを「聖女様」と呼び、その功績を誇らしげに語った。
彼らの言葉は、全てが感謝と尊敬に満ちていた。
エリーズは、その言葉を聞くたびに、胸を締め付けられるような痛みを感じる。
自分が虐げ、追放した少女が、こんなにも多くの人々を救っていた。
そして、その人々は、彼女を救った聖女のことを、心から敬愛していた。
彼女がリリアーナに与えた苦痛と、リリアーナが人々に与えた幸福が、あまりにも対照的だった。
ある日、エリーズは道端で、一人の少女が膝を抱えて座り込んでいるのを見つけた。
「どうしたの?」
エリーズが声をかけると、少女は不安そうに顔を上げた。
その顔を見て、エリーズは息をのんだ。
彼女は、かつて王都で、エリーズが侮蔑したことのある平民の娘だった。
「まあ、なんて汚い……」
ドレスを汚されるのを嫌い、彼女に近づくことすら嫌がった。
それが、傲慢だった過去の自分だった。
その時、少女は既に熱病を患っていたが、エリーズはそれにも気づかなかった。
いや、気づこうともしなかったのだ。
少女は、熱で顔を赤くし、苦しそうに呼吸を繰り返していた。
「熱……なのね。少し休んだほうがいいわ」
エリーズは、迷うことなく自分の小さな荷物の中から、僅かな薬草と水を取り出した。
かつて、こんな平民の娘に、自ら手を差し伸べることなど、あり得なかっただろう。
少女の名前はミアと言った。
彼女は、王都で暮らす家族を訪ねる途中だったらしい。
エリーズは、ミアが熱を出す度に看病し、食料を分け与えた。
ミアは、そんなエリーズに、少しずつ心を開いていく。
「ねえ、お姉ちゃん。聖女様って、知ってる?」
ミアの言葉に、エリーズの心臓がどきりと跳ねる。
「……ええ。少しだけ」
「私、小さい頃、病気で死にそうになったことがあったの。その時、聖女様が魔法で治してくれたんだ。だから、聖女様は私の恩人なの」
ミアは、そう言って嬉しそうに微笑んだ。
エリーズは、彼女の言葉を聞きながら、当時の自分の行動を思い出していた。
ミアは、あの時、病に冒されていた。
そして、それを知っていたにもかかわらず、エリーズは彼女を「汚い」と罵ったのだ。
その罪の重さが、今、改めて彼女を苛んだ。
旅を続ける中で、エリーズは変わっていった。
かつては、他人を色眼鏡で見ていた自分が、今では人々の温かさに触れ、その苦労を理解しようとしていた。
ミアは、エリーズに様々なことを教えてくれた。
「お姉ちゃん、この草は食べられるんだよ。お父さんが、飢饉の時に聖女様に教えてもらったって言ってた」
「聖女様は、みんなに優しかったんだって。貧しい人にも、病気の人にも、分け隔てなく接してくれたって」
ミアの言葉は、エリーズにとって、まるで懺悔のようなものだった。
リリアーナが、どれほど偉大な人物であったかを、身をもって知る日々だった。
彼女が与え続けた慈愛と、自分が与え続けた傲慢が、あまりにも対照的で、彼女は自分の小ささを痛感した。
ある日の夕暮れ時、二人は川辺で休憩していた。
「お姉ちゃんは、どうして旅をしているの?」
ミアが、まっすぐな瞳でエリーズに尋ねる。
エリーズは、答えに詰まった。
「私には、償わなければならない罪があるの」
そう告げると、ミアは少し不思議そうな顔をした。
「罪? お姉ちゃんは、私を助けてくれたのに?」
ミアの言葉は、エリーズの心を優しく揺さぶった。
「それは、小さな罪なの。私にとっては、大きな罪なの」
エリーズは、そう言って、ミアの頭をそっと撫でた。
贖罪とは、誰かに許してもらうことではない。
自分自身が、その罪を背負い、生きていくことなのだ。
ミアとの交流を通じて、エリーズはそれを少しずつ理解し始めていた。
やがて、ミアの家族が住む村が見えてきた。
「お姉ちゃん、ありがとう! おかげで、家族に会えるよ!」
ミアは、満面の笑みでエリーズに礼を言った。
エリーズは、微笑みながら彼女を見送る。
ミアの姿が小さくなっていくのを見つめながら、エリーズは、心の中に温かい光が灯るのを感じた。
罪は消えない。
だが、その罪を償うために行動することで、新たな光を見出すことができるのかもしれない。
彼女の償罪の旅は、まだ始まったばかりだ。