プロローグ - 3
泥棒は「それじゃな」と言って 山荘から悠々と出て行った。それから数分後に山荘の門が開いた。
「肩がガチガチだ、後始末に思ったより手間がかかったよ」
独り言の声の方に男が頭を向けた。誘拐殺人犯が戻ってきたのだ。
「あ、これは何?」
奴が近寄って男の猿轡をはずした。男はにやにや笑った。
「この轡……歯の跡が3つもあるじゃん、誰だ?ここに誰がきた?」
「泥棒」
「泥棒だって?」
奴は男の目を塞いでいたガムテープをビリっと剥がした。暗い山荘の内部が見えてきた。そしてその暗闇よりもっと黒い奴を見上げた。男は思った。やっぱり不可能だ。最初からこんな幼い奴が大人の男女をお台場公園からこの山荘まで移動させるのは到底無理だ。十歳ぐらいに見える長い髪の少女がギロリと眼玉を回して男を見下ろした。
男はやっと自分が気絶したいきさつをうっすらと思い浮かべた。お台場公園でデートをしていた時、倒れていた女の子を発見した。万が一倒れていたのが大人なら注意深く近寄ったはずだ。まさかこんな女の子が身の毛のよだつ殺人犯だと誰が想像しただろうか。
「あれ、遺書がない」
少女が机を見て嬉しそうに言った。
「あいつが持って行ったんだ」
男は何かにとりつかれたように言った。
「あいつって誰なんだ?」
「さあな」
「そっか?あーあ、完璧に練った計画が台無しだ。ここまであんたたちを連れてくるため、タクシーの運ちゃんを脅したのに……」
少女はお台場公園で成人男女を気絶させてから、近くの物流センターに勤務する宅配運転手を脅して男女を貨物車の荷台に乗せた。宅配運転手を脅すのは難しくなかった。背中におぶられた状態でナイフを向けると素直に従った。そうやって男女を山荘に運搬したのだった。その後少女は宅配運転手を気絶させた。
「こういうことなら宅配のおっさんを事故死に見せかけた意味がないじゃないか」
少女がもの惜しそうに言った。その時だった。山荘からあまり遠くないところで、どっしりと重い物が転がり落ちる怪音が響きわたった。気絶した宅配運転手が宅配トラックと共に絶壁から落ちる音だった。少女は宅配運転手を事故死に見せかけるために出かけたのだ。
「おっさん、もう死んだね」
「くそッーもういいよ、お前もそうだしその泥棒野郎もそうだ、みんな狂ってるよ」
「狂ったって言われると気分悪いね。うーん……ひとまず計画変更」
少女はそう言ってよろよろとガソリンが入ったポリタンクを持ってきた。そして山荘の内部に隅々までガソリンを撒いた。
「これで警察官たちがちょっと楽しんでくれるはず……痛いだろうが我慢しな、火に焼かれるのもそれなりに悪くないかも」
生きる希望を失くした男は冷たくなった彼女を眺めて涙を流した。
「おまえは……面白半分にこんなことをするのか?人の命をおもちゃのように弄ぶのがそんなに面白いのか?」
少女がきょとんとして頭を掻いた。
「どうやらお前はあたしが誰かわかってないようだね。こんな風に言えば少しわかるかな?……あたしは、シャドウだよ」
「シャ…シャドウ……?」
男はその名前を知っていた。
シャドウ、正体不明の希代の殺人魔。
何の痕跡も残さず平然と殺人をしでかした後、警察の捜査網をネズミ小僧のように潜り抜け逃走する。今までシャドウにメタ切りにされたのは数十人だ。たった一度だけ、追跡した警察官の目に奴の影が月の光に照らされて見えたことがあったという。それで【シャドウ】というあだ名が付いた。
少女は血と油の匂いのこもった山荘から出てマッチに火を付けた。山荘の中に投げ込むとあっという間に山荘は火炎に覆われた。その中で男の心は壊れて狂ったように笑った。
山荘を後にして山道を降りてきた少女が周囲を見廻した。背後でものすごい爆発が起こった。全然気にしないで少女は遺書を持って行った泥棒の事を思った。
〈こんな山奥まできて、わざわざ物を盗もうと思うなんて?殺人現場を目撃したというのに?〉
少女が炎上する山荘をちらっと振り返った。
〈少なくても美代という女が金持ちのお嬢さんという事は知っていたはずだ。バスを利用したくてもこの付近には停留所がない。村からは歩くかタクシーを利用するかだけだが、目撃者を気にするなら違う方法を使ったはずだし。道路のCCTVを考ると自家用車も利用してないはず。じゃあ……考えられるのは宅配トラックだ……〉
稲妻が光る中でシャドウが不気味にほほ笑んだ。
〈あたしと同じ方法を使ったって?……面白いな〉