水あふれしもの
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふう、この歳になると、海に来ても元気に泳ぐというのはしんどいな。
パラソルの下で、ゆったり横になる大人を見て、昔は「なんてもったいない時間の使い方してるんだ」と思ったけど、いざ自分がその立場になってみるとね、きついんですわ。
いつもは、アドレナリンか何かを総動員してごまかしている、仕事うんぬんの疲れ。
それがここに来ると、一気にストライキなんですわ。おかげで日ごろの借金がドドンとかさんで、大返済モードなんですわ。
そうなると、もはや元気の貯金を引き出すことなどままならず。疲労の思うがまま、蹂躙されるよりない、というわけだ。わはは。
こーらくんも、のんびり横になったらどうかね。
ここに来るまでも、うっつらうっつらしていたぞ。睡眠の負債も、そうそう返せるものじゃないからな。ゆっくり休むといい。
――なに? それよりも作品のネタの負債のほうを返済したい?
わはは、私の友達も同じようなこといっていたな。お金よりも、ネタが尽きることのほうが怖いと。
ゆとりがあるときのみ、集めたネタでは薄味なこともあろう。
ときに追い詰められ、わらをもつかむ思いですがるネタこそ、より深く、味のあるものになることもあるだろうが、ほどほどにしときたまえよ?
いくら素晴らしいネタも、表現する前にポシャッてはいないも同じ。
命は賭しても、落とさずに。世へ送り出さねば、クリエイターとして不誠実といえよう。
ふむ、こーらくんにぶっ倒れられても困るし、ひとつネタを提供しようか。
海と同じ、水関係の話だ。
それを見つけたのは、私の友達が小学生のころだという。
一日中、雨が降り続いた翌日のこと。
でっかいアメンボらしきものが、水たまりにいたんだ。
その大きさたるや、手のひらからはみだしかねないくらい、というからかなりのものだろう。
友達の住んでいたところは、どちらかというと田舎。虫のサイズも、都会で見かけるそれを圧するものであることも多い。
これもそのたぐいか……と思えなくもないが、問題は大きさばかりじゃない。
太さだ。
そのアメンボはあまりに太ましすぎた。本来ならば、毛ほどにも細い足の一本一本がマッチ棒のようであり、胴体はひっくり返ったカエルかと思うふくらみを持っていた。
異様な風体と、異様な固定。
興味をそそられた友達は、手近な枝を使って、そいつの身体を水たまりから離しにかかる。その間も、アメンボは抵抗らしい抵抗を見せず、友達のされるがままだったという。
そうして、陸へ導いたアメンボ。友達としては、そっと着地させたつもりだったのだが。
その足が、簡単にもげた。
友達の力によるものというより、地面に立つや、自分のふくらんだ身体の重さに耐えきれず、足が折れてしまったような格好だったらしい。
そして、そこから出るのは水、水、水……ふくらんだアメンボの身体よりも、なお広い。たっぷりとした水気が乾いた土の上へ広がっていく。
出血ならぬ出水は、なかなかおさまらず。長引くにつれて、今度はアメンボ自体の身体がしぼんでいくじゃないか。
濡れた土の面積が、アメンボに対する海かと思うほどに広がったとき、そこには他のアメンボと大差ない矮躯が横たわっていたのだとか。
アメンボが、水でぱんぱんにふくらんでいた。
この奇怪なできごとをクラスメートなどに話すも、なかなか信じてもらえなかったらしい。友達も、もし伝聞だけだったら、およそ信じようともしなかっただろう、と思った。
しかし、ほどなくして。理科室の水槽で飼っていた生き物たちが、一日にして全滅したことを知る。
友達のクラスで、かつて飼っていたメダカたちもこちらで飼育されていたが、昨日まで元気だった彼らが、一匹残らず腹を天井へ向けながら、水面に浮かんでいたのだから。
彼らの身体も、またでっぷりと太っていた。
それは、身体が本来の数倍の大きさになるほどで、皆の目にも異様に映ったそうな。
理科の先生がそのうちの一匹をすくい、安全ピンのとがった先でもって、ほんのちょっぴりつついてみる。
にじむ、なんて流れにならなかった。
小さい穴から、水鉄砲のごとき勢いで水が噴き出し、あわや先生の顔へ直撃するかと思ったほどだったという。
メダカ本人の、何倍もの高さを誇る噴水が、瞬く間に理科室へあらわれる。
それはほんの数秒ほどでメダカをしぼませ、終焉を迎えるものの、残ったインパクトは永遠だ。
クラス一同が、友達の言ったことを信じ始める。
友達としては、手のひら返しに「それ見たことか」と喜びたい気持ちと「今さらおせえ」と腹が立つ気持ちがないまぜになって複雑だったとか。
みんなの間で、急速に危機感が高まる中、被害は他の動物にも及び始めた。
それまではでっぷりしていても、年をとったためだろうと思われていた、野良猫たち。その大柄になった体躯が学区のあちこちで、見られるようになったんだ。
彼らの多くは、塀や軒の先などでうずくまり、こちらが近づいても反応を見せず、じっとしていた。
が、友達の目の前で、ある一匹が目を覚まし、こともなげにその身を数メートル下の道路へ飛び移らせたんだ。
おそらく、本人ならぬ本猫も、何気ない動作だったに違いない。
しかし、そのまるまる太った猫は、着地とともに地面へ寝そべってしまった。
支えるべき四本の足がぐにゃりと曲がり、タコのような格好で腹を地面に引っ付ける形になったからだ。
猫は叫ばない。このような状態にもかかわらず、痛みを感じていないのか。
きょとんとした顔でもって、友達をじっと見据えたまま、その折れた各脚の曲がり目から、盛大な噴水を放ちだす。
猫は濡れるのを嫌う生き物のはずが、くだんの猫は自らの吐き出す水をたっぷり受けても、依然として動かず。
その身体もまた、みるみるやせ細っていき、他の猫と変わらない細身を取り戻しても、猫の表情は変わらなかったという。
無理もなかった。
いつからか分からないが、すでに猫は息をしていなかったんだ。
仁王立ちならぬ、仁王座りのまま。猫は自身に何が起きたのか、わかっているかも怪しいままに、二度と動くことはなくなってしまったのだとか。
やがて猫のみならず、飼っている犬にも同じような被害が出始めたと、訴える生徒が増えてくる。
友達はじかに見てはいないが、あのとき見た猫と大差ない最期だったらしく、繊細な子にはほぼトラウマ級だったとか。
そして、ほぼ皆が同時に恐れていた。
「いつ、自分が同じような目に遭うのだろう」と。
これまで、いずれも身近な生き物に起こり続けていたこと。それも被害者の身体が大きくなりつつあるとくれば、人間が対象になってもおかしくないだろう。
体重を気にする者もいれば、やおらコーヒーや緑茶を飲み出す者たちもいた。
むくみを許さず、利尿作用でもって水を積極的に押し出してしまう。それでもって、あのでっぷりとした姿にならないよう、つとめる。
それが功を奏したかは分からないが、人間たちに被害は伝えられないまま、しばらくの日が過ぎて。
それはほんのり雲が出ている、晴れの日のこと。
友達がいる校舎全体に響く揺れをもって、どっと豪雨が押し寄せた。
みんなが驚きの声をあげて、ざあざあぶりの音を耳に入れたのも、ほんの数秒程度のこと。
雨はたちまちおさまって、あたりは静けさを取り戻したが、降る前と同じとはいかない。
肉が腐ったような臭いが、たちまち学校中に立ち込めたんだ。
肉片らしきものはなかったが、それはどうやら学校を濡らした雨たちから発せられたようで、授業はいったん中止。
校舎全体に水を浴びせ、または垂れ流させる大掃除になってしまったとか。
人間は、あの水分対策でどうにかなったのかもしれない。証拠はない。
しかし、それが人間をこえて、更に大柄な何かにとって、あの水の膨れを呼び込んだ。
そしてはじけた結果が、これだったのではないかと友達は語っていたよ。