第1話「名もなき勇者」
その世界には勇者召喚陣というものがあった。
悪の魔王を討つ〈勇者〉を、異界から呼び出す魔術である。
異界から呼ばれた勇者には、世界から加護が与えられ、魔術とは異なる特殊な力を使うことができた。
〈炎の勇者〉、〈氷の勇者〉、〈知識の勇者〉。そのほかにも多くの勇者がかつて存在した。
そんな彼らの使命は世界の中央に居城を持つ魔王を討つことであった。
だが、魔王は強大だった。
勇者召喚陣によって呼び出された歴代勇者たちは、次々に魔王の前に倒れる。
一人、また一人。
勇者召喚陣を持つ国々が何度も勇者を呼び出し、世界の平和のために彼らを送り出したが、魔王討伐が叶うことはなかった。
それでも、勇者たちが世界から授かった加護は、祖国を発展させ、次の代への礎として残り続けた。
そしてその日もまた一人、勇者が魔王の居城を目指して旅立った。
黒い髪に赤い眼。身にまとうは襤褸のローブ。
その勇者には名前がなかった。
世界から与えられた加護は〈腕力〉。
彼は召喚からわずか三か月で祖国から送り出され、魔王討伐の旅に出た。
彼には旅を共にする仲間もいなかった。
それでも彼は、祖国の想定していたよりもずっと早く、魔王が住むと言われる世界湖の中央にたどり着いた。
そこには魔王の使役する数多くの魔物、あるいは悪の軍勢がいると言われていた。
「なにも、ない」
しかし、そこにはなにかにえぐり取られたかのような荒れ果てた大地しか存在しなかった。
「そんな気はしてたよ」
勇者はひとりごちてつぶやく。
すると、ふいに空が光った。
勇者が見上げた先に、大地を今にも焼き尽くさんと落ちてくる巨大な隕石が現れていた。
勇者は少し悩んだ。
――あれを止めても、別の手で追われ続けるだけか。
勇者はなんとなくこの世界の仕組みに気づいていた。
「あ――」
そんなときだった。
後ろから女の声がして振り向く。
そこに一人の美しい少女が立っていた。
自分とは反対の白い髪に青い眼。空を見上げたその眼には悲哀。
その目じりから一筋の涙が流れたころには、大地が隕石に赤く照らされていた。
「わたしはなんのために――」
生まれて来たの。
空の隕石が奏でる轟音にかき消された言葉を、勇者はたしかに捉えた。
だから勇者は空に手を掲げた。
「――弾けろ」
その言葉とともに、空を覆った隕石は謎の力に潰されるようにして爆散した。
破片が流星のように空を流れる。
そんな景色を背景に、勇者は少女の方を振り向いた。
「――俺が、魔王だ」
勇者は言った。




