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~無双王子が奪った姫が規格外すぎるし、その兄妹が曲者すぎる~

彼らはきっと奇跡に頼らない

~無双王子が奪った姫が規格外すぎるし、その兄妹が曲者すぎる~  



          一




 遥か昔より存在する国であり、大陸でもっとも由緒ある王家が治める国、カストロイア王国。その王家の者は古代の神の血筋を受け継いでいると言われ、国内外から絶対的な王家として敬われてきた存在。しかし、長きに渡り誇ってきたその栄光と威信は、失われてしまっていた。


「下がれ。愚か者どもよ! 神に牙をむくとは……。どれだけ恐ろしい事になるか、そなたらには、分からぬのか!」

 カストロイア王国現国王であるルドルフ フォン カスティリヤールは、震える体から、苦しそうに言葉を発した。

王城の王座の間には、メルティス国の多数の兵士が王ににじり寄っていた。王を守るカストロイアの兵士は僅かな数しかいない。メルティス国軍が王都に攻め込み、たった半日で、王城の王座の間まで、進行をしていた。

 メルティスの兵士達が、道を開けた。そこに現れたのは、宝石のような青い瞳と光る金髪の青年。メルティス王家の家紋がはいった鎧とマントを身にまとう長身の王子で、端正な顔の美しさだけでなく、鍛えられた肉体を持ちたくましさも兼ね備えていた。誰もが見惚れてしまうその整った風貌にも関わらず、まわりの空気を何倍も濃く重くする威圧感を放っていた。

「メルティス国、王太子ギルベルト メルティスだ」

 カストロイア王の恐怖を隠せない怯えた声に比べて、落ち着いた声が発せられた。

「そなたが神などとは……。笑わせてくれる」

美丈夫の王子は皮肉を含めた笑顔を見せる。

「すぐにここから立ち去れ!」

カストロイア王は、蛇ににらまれた蛙が、苦し紛れの無駄な抵抗をするように王子に怒鳴りつけた。体は震えたままだ。

「立ち去るのは、そなたの方だ。立ち去るのではなく、あの世へ去るのだがな」

「さっきから調子に乗りおって! 貴様などにそなた呼ばわりされる身分ではない! 儂は!」

「その身分で、何をした? 多額の賄賂を受け取り、国を混乱させ、疲弊させ、民を飢えさせた以外に何をしたのだ? 尊い血筋に胡坐をかいて王家を滅ぼしたのは、そなただ」 

 王子は腰の剣を抜いた。名人級の職人が何世代にもわたる長い年月をかけて完成させた切れ味と耐久性が群を抜く、この世に二つとない長剣である。さらに、まだ魔法を使える者がこの世にいた時代に、魔法で鍛えあげた。メルティス王家の王族に受け継がれる聖剣カルデレッセリア。

「私がこの手で、葬ってやる。カストロイア王国の信じられないくらい長い歴史への敬意を込めて」

 ギルベルト王子が長剣を突きの姿勢に構え、王へ近づいた。

「ひいいっ。お前たちが肉の盾となって私を守るのだっ! ひいっ」

 カストロイア王は、残り少ないカストロイア兵の一人の背中を押して、ギルベルト王子の前に出した。

「どこまで卑劣な王なのだ……」

 ギルベルト王子は苦みを含んだ顔をした。構えを解き、自分の前に出た兵士と、残りのカストロイア兵へ視線を順番に向けた。

「もはや守ってやる価値のない王だ。そんなものの為に、死ぬことはない。投降するがいい。今後どうなるか約束はできぬが、この王の為に死ぬよりも価値のある生き方ができるのは間違いない」

 ひ弱な者であれば持つだけでよろけてしまいそうな長剣をがっしりと持ち、まっすぐな目をして堂々と立つ王子の言葉と、殺される恐怖に耐えきれず、涙と鼻水を垂れ流しており、自分の為に命を捨てろと言い放つ王のどちらをとるかは、瞬時に決断できた。王座の間にいたカストロイア兵は、皆が剣を投げ捨て王の側を離れた。王家への無条件の忠義を重んじる必要を感じなくさせる空気が流れていた。同じ王族でもこうも違うのかと思う。ギルベルト王子とカストロイア王は、かけ離れた存在感を放っていた。

「カストロイア王よ。カストロイア王家の血筋の者という事だけには、敬意を払おう。一振りで痛みを感じる前に首をはねてやろう」

 ギルベルト王子は、腰を抜かして失禁していたカストロイア王の前に立ち、聖剣カルデレッセリアを勢いよく振り下ろした。




          二




「第一王女マルグリット様は、王城に隠されていた地下通路からお逃げになった次第です。その際に追手が来ぬよう自らが通られた後は地下通路を破壊してお逃げになられました。その為に王の退路が断たれてしまったのです」

 カストロイア王を玉座の間で守っていた兵士の一人が、ギルベルトに告げた。

「民衆を見下し、己の利益しか考えない狡猾な王女のしそうなことだな」

他国の王族や有力な貴族で自分の駒になりそうな者に、王女である自分の体を与えて操っていた、という噂をギルベルトは耳にしていた。そして、その男達の中のどの者のところへ逃げたかも予測はついており、密偵をすでに向かわせていた。

「もう一人の王女も、マルグリットと一緒に逃げたのか?」

「いえ、セシル王女はご一緒ではございません。王女は城にはいらっしゃいませんでした」

「では、どこにいる?」

 攻め込んだ国の王女は危険な存在である。新しく統治をしていても王女を担いでいつでも反乱を起こせるのだから。

「ここ数日お見かけしておりません。セシル王女はよく城を離れていらっしゃる方なのです」

「城を離れて何をしているのだ?」

「私にはわかりません……」

 この兵士の様子から知らないという事が事実だと思い、ギルベルトは彼を下がらせた。ギルベルトは的確な判断を素早く下すことで定評のある王子であった。

「第二王女の事をよく知っているものを連れてこい」

 自分の側近であり、情報収集能力に長けているアランに命じた。


「ギルベルト様、この者は王城の料理室の料理長です。この者が城に残っている者の中で、一番第二王女に詳しい者だとの事です」

 アランが連れてきたのは、料理のための白衣を着た中年の男であった。

 なぜ、料理長が王女に詳しいのかは理解しかねるが、とりあえず話を聞いてみることにした。

「セシル様は、マルグリット様と風貌はよく似ておられますが、マルグリット様とは内面の清らかさが全く違います。その為か、セシル様は天使に見えますが、よく似ておられるマルグリット様は、魔女に見えます……」

 自国の第一王女に対して酷い言い方である。

「セシル王女がどこにいるかだけを話せ」

 料理長はギルベルトに話を遮られて、「違います、違います」と、一生懸命に手を横に振り、さらに王女の居場所ではない話をした。

「まずは、セシル様がいかに天使であり、清らかな存在であるかをお分かりいただいた上でなくては、皆さまが姫様に危害を加えかねないと思いまして。あのお方を知れば、誰もが、もちろんメルティスの王子様も含めて、お嫁に欲しがるでしょう。誰よりも優しい方です。身分など全く気にせず、皆にお優しい天使なのです。さらに、料理の腕がすごいのです。セシル様がお作りになられる料理は、同じ工程をふんでも私は絶対にあの味は出せません。料理の女神なのです。」

「私は、王女の居場所を話せと言わなかったか?」

 ギルベルトに睨まれてびくっとするが、料理長の話は終わらない。

「まず、パンを焼くのが非常にお上手なのです。外はカリッと中はもっちりとしたパンで、さらにそれを食べる度に温め直してお出しくださいます」

「お前を焼いてやろうか?」

「ひっ」

 ギルベルトの鋭い瞳に、料理長はやっと姫君の行先を話し出す。

「南西の渓谷の側にある孤児院においでです」

「そこで何をしているのだ? まさか、われらが攻め入ると第二王女は知って逃げていたのか?」

「いえ、御存じないと思います。最近建った新しい孤児院でして、姫様の侍女であった者が運営に携わっております。小麦など備蓄できる食糧と衣服をお持ちになり、さらにあちらで手料理をふるまわれていらっしゃると思います。セシル様は国中の孤児院や、災害で家や家族を失った者達の被災施設などを回り、食料などを分け与えてくださるお方なのです。敵国の王子様に私がセシル様の居場所をお伝えできると判断したのは、あのお方に会いさえすれば一瞬でその料理と美しさの虜になり、決して亡国の姫君としてひどい処遇は出来なくなります。天使として拝めることでしょう……あのお方に害を加えるなんて事は決してできません……メルティスに天使降臨ですか……女神として称える宗教を新しく作ってもいいかもしれません……あの方に料理を初めてお教えした私もその宗教で称えてもいいでしょう……」

 王族が? 悪名高いマルグリットの妹が? 信じがたい話だが、各国の情報を集めていても、第二王女セシル姫の噂が出てこない。カストロイア王家の王族は、代々受け継がれるオーロラに輝く髪と瞳を持ち、かなり美しい。そのため、各国ではカストロイア王国の姫君を結婚相手に強く望むというのに、全くセシル王女の話が出てこない。

王族であるが城を留守にして孤児院をまわるという変わった姫だから、外に隠しているのか? それにしてもだ。全くもって不可解だ。

「城でもお料理をふるまってくださいまして、何が素晴らしいかというと、香ばしい……」

 料理長は、部屋を出された。


「料理長がなぜ王女の事を詳しいかが分かりましたね。お料理好きな姫君なのですね。」

「アラン その孤児院へ行くぞ」

 ギルベルトは、もう腰を上げていた。




          三




 有能なメルティス国宰相であるデュークを王城に残し、信頼できる騎士団長アレクセイに、占領後の王都の警備と戦の後始末をやらせることにして、ギルベルトは数人の近衛兵を連れて、馬で第二王女がいるとされる辺境の孤児院を目指していた。馬を走らせて三日はかかる場所だ。

 部下に行かせるという選択肢はあるが、王女の行方は王亡き今、最重要事項である。しかし、それだけではない。気になるのだ。

メルティス王国は大陸では歴史が浅いほうだ。だが、メルティスを大陸で最も脅威に感じざるを得ないほど、強国になった。三代続き、有能な王に恵まれたからに他ならない。ギルベルトの父と祖父、曾祖父は皆が覇王と呼ばれ輝かしい武勲を上げ続けた。領土を増やし、貿易を盛んに行い、国内での農作に力を入れ、国を豊かにしていった。ギルベルトも武力に恵まれ、見事な策略を練る指導者として近隣諸国からは一目置かれる存在の王子である。覇道で国を治めている王家だ。

メルティス王家にないもの、それは、王道である。力で動かす覇道は、徳を持って国を治める王道とは違う。

古より続くカストロイア王家。徳を持ち王道を遂行する者が、カストロイア王だ。大陸一の栄光と栄華を持つ名家。大陸に伝わる伝記には代々のカストロイア王の素晴らしい所業が数え切れないくらいあり、幼い子供でさえいくつも知っている神の御業と信じてやまない話がある。

本来であれば、あんな王ではないのだ。長く続く血の流れでは、凡庸な王や無能の王が生まれるのは仕方がない事かもしれない。それがここ何代も続きすぎていた事は、不運であるとしか言いようがない。

神話となっている古代のカストロイア王が竜を従えて地底に住む魔人を倒した話を、ギルベルトも幼少の頃は目を輝かせて聞いていた。

カストロイア王家の血筋を引く正当な、神の血筋を感じさせる王家の人間に会ってみたい。唯一、自分が持ちえない神聖な古の神の血、尊い生まれ。

その血を引く姫君がオーロラの髪と瞳を持つ絶世の美女だという話がある。卑しい女狐マルグリットではない。唯一の姫君である第二王女セシル姫。自ら馬を数日走らせ向かう価値はあるだろう。


孤児院は、大きい建物ではないが、子供が好きそうな明るい配色の建物で、掃除がよく行き届いていた。

四、五歳の子供たちが十人弱、それより小さな子供と十歳前後の子供が二、三人ずついた。そして、孤児院を管理している老夫婦と十代半ばのアーニャという下働きの娘がいる。

「王都がそんな事になっているなんて……。メルティスの騎士様、私どもは何も存じ上げないのでございますよ」

 優しい目をしたルークと名乗る施設の主が言った。それに続けて、その妻ジュディも口を開く。

「セシル王女は確かに三日前までこちらへいらっしゃいましたが、お立ちになりました」

「どちらに向かわれたかご存知ありませんか?」

 アランは、柔らかい物腰で尋ねる。そこへ、アーニャが、ティーセットとお茶菓子を持ってきて、テーブルへ置く。このアーニャは深々とボンネットを被り、分厚い眼鏡をかけていて、顔を覆う大きなマスクをしていた。顔も髪色さえも見えない。お茶を注ぐ際に見えた手は、下働きの女特有の荒れ方をしている。

「北に向かわれるとおっしゃっておりました。そちらの方へご案内いたしましょうか?」

「ええ、ぜひお願いできますか?」

 老夫婦はどちらが騎士様をご案内すべきかと話し合いをはじめた。そしてその話し合いにアーニャも混ざり、遠出するのであればお弁当を至急作らなくてはとの話になった。

「お弁当をご用意いたしますので、お待ちいただけますでしょうか? 腹が減っては戦もできぬと言いますものねっ。王女様にお会いできるまで何日かかるかわかりませんし、お腹が減っていては駄目です」

 透き通った可愛らしい声のアーニャに、ギルベルトとアランは視線を向ける。

「でも、王都からこちらまで三日も馬で駆けて来られたのですから、しばしの休息は必要ですわ。今からすぐに食事の支度もしますので、お食事とご休憩をとられてから出発なさってはいかがでしょうか?」

 しっかりとした発言。孤児院の下働きでは、鎧を着た騎士相手にものおじもせずこうはしゃべれないだろう。

「いいだろう。頼む」

ギルベルトの言葉に、「はいっ」と一言、小鳥がさえずるようなかわいい声を発し、一礼をしてアーニャが部屋から出て行った。

用意された食事はみごとなものだった。

とろとろに煮込まれたスープに香ばしく焼いた肉と野菜が入っており、スープを作った後にひと手間かけて、焼いた具材を足しているのが分かる。うまみを閉じ込めてあるスープに焼いた肉が絡んで、口に入れると、味が融合して何とも言えない美味を出す。

また、パンが絶品だった。王城で一流の料理人が作るパンを食べているギルベルトでさえ、外はカリッとしていながら、歯が中に通るととけるような柔らかさのパンは今まで食べた事はなかった。

「うんんっーまーーっい」

アランは声を出した。他の騎士達の顔が緩んでいる。

ギルベルトは給仕をしているアーニャを見つめていた。くるくるとよく動く。ワインが少なくなるとすぐに注ぎ、パンのおかわりはと丁度いいタイミングで声をかけ、皆が手持無沙汰にならないように、何品も次から次へと料理を出した。

そのアーニャのしぐさは可憐で上品さがにじみ出ていた。

「こちらは先ほど焼きました木の実のケーキと裏庭から採れましたミントのハーブティですわ」

 アーニャが最後のデザートを運んできた。ルークはアーニャにありがとうとお礼を言い、にこやかにギルベルトへ促す。

「騎士様方。今夜はお泊りになっていかれませんか? 出立は明日になさいませんか?」

 ギルベルトはアーニャを視界に入れながら、頷いた。

寝具も清潔なものを用意していた。寝具を整えるのもアーニャだった。てきぱきと騎士達が休む部屋を回り、寝心地がいいように整え、夜に喉が渇いてはいけませんからと、水のピッチャーとグラスまで各部屋に用意していった。

 翌朝、パンの焼ける匂いがしてきたので、朝早くから起きてアーニャがパンを焼いているのだと分かる。

 朝食を食べ終わった後に、ルークが、「妻のジュディが姫様のご一行が赴かれた方へ途中までご案内します」と言ってきた。

「お弁当も用意しましたわ。お持ちになってください。これからご案内する方向には綺麗な花が咲く場所が沢山あります。そちらでぜひ、お召し上がりください。早く姫様にお会いできるといいですわね」

 アーニャのこの発言により、ついにギルベルトは口を開く。これ以上の茶番に付き合う気がなくなったのと、ピクニック気分の安易さに警笛をならしたくなった。

敵国の自分達に一宿一飯の恩を売れば、王女の行方を探すのを諦めるとでも思っているのか。そもそも気が付かないとでも、本気で思っているのか?

「王女が見つからない限り、一日一人ずつ、ここの子供を殺してやろう。お前達、心して王女の元へ案内せよ! 一人でも犠牲を少なくしたければなっ」

「ななななっ何をおっしゃいます! 我らは姫様の居場所は存じあげないのでございますよ?」

 ルークもジュディもわなわな震えている。

「どうして子供たちを? なんの関係もないではないですか?」

 そう言うアーニャを横目で睨みながら、

「亡国の王女を見逃すわけにはいかない。そなたらが居場所を知らぬというなら、あちらから出てくる事態を作るまでだ」

 ギルベルトは、冷徹な雰囲気をかもし出していた。整った顔で表情を変えずに辛辣な言葉を放つ。

「一人連れてこい」

「はっ」

 騎士達が席を立ち部屋を出ようとする様子を見て、扉の前にアーニャが立った。

「メルティスは有能な王がいると聞きましたが、あなた方はそんな蛮行で王にお叱りを受けるのではないですか?」

「私は、メルティスの第一王子ギルベルトだ。軍の将軍を任されている」

 アーニャがはっとした。

「王女を逃がした痴れ者こそ、父は許さないだろう。手段を選ばないのが我が国のやり方だ。手段を選ぶ尊い聖人が治めるカストロイア国はもうなくなった」

 騎士達は、昨日から甲斐甲斐しく自分達の世話をしてくれており、恩を感じているアーニャに、とても乱暴な対応はできないといった様子で、丁重に触れて扉の前から離れさせようとした。

王城で料理長の話を聞いていたのは、ギルベルトとアランだけである。

 アーニャは、その騎士達の前に両手を横に広げた。

「私がセシルです。子供たちを呼ぶ必要はありません。私はここにいます」

 ルークとジュディが固まった。あわあわとどうしたらいいかと戸惑っている。

「そなたのような下女が、尊いカストロイア王家の姫君を語るとは、不敬に当たるぞ」

 ギルベルトは視線も合わさず、冷たく言い放つ。

「わ、わたくしは、本当に……」

「王女の手がそんなに荒れている訳がない」

「こ、これは、私はお料理を作るのが好きで……」

「まだ言うか? 我が国の不敬罪の処罰は重いぞ。カストロイアでは今後メルティスの法で罪人は裁く。王族を語る不埒な女は海に沈めるぞ。そもそも俺は嘘が嫌いだ。自らを別人に偽るなどもなっ」

「しばしお待ちを!」

アーニャは、パタパタと足音をさせて出て行った。

「王子、上手くいきましたね。さすがです。やっとセシル姫のお顔を拝めますね」

「アラン様 あの方が王女殿下なのでございますか?」

 騎士達はぽかんとしてしまった。ルークとジュディは、バレていたのだなと、二人で顔を見合わせてしょんぼりしていた。


 ドレスに着替え部屋に入ってきた姫君は、オーロラの髪と瞳を持つ光り輝く姫君だった。肌は陶磁器のように澄んでいて、そこに可愛らしい小さな薄紅色の唇がある。長く美しい髪はウエーブが軽くかかっており、姫君を尊い光で包んでいるかのように光っている。神の血筋を持つ姫君であるという事を疑う余地が一遍もない絶世の美女。まだ少女の幼い面影が残っているが、目を奪われずにはいられない美しさの姫君。平民ではありえないオーラを持つ風貌である。

「私が、セシルです」

アーニャの時は、表情さえもわからなかったが、今は、険しい顔をしている。ただ、その愛らしい顔は、どういう表情をしていても周囲の人間を魅了する。

「アーニャはどうした?」

 ギルベルトはわざと姫を困らせることを言う。しかし、表情を変えない彼には珍しく、その顔には笑みが含まれていた。目の前の佳人には、彼であれ魅了される。

「あ、あの者は、王族である私を語り……、えっと、その、あまりにけしからぬ者なので、処刑しました……」

「姫君、カストロイアではそんなに簡単に処刑なさるのか?」

「え? ええっ! 平民の命などとるに足らぬもの!」

 そう言い放つセシルに、ジュディが待ったをかける。彼女はセシルが幼い頃、王宮の侍女であり、セシルの世話係であった。

「姫様。それは、マルグリット様の口癖にございます……。姫様にはお似合いにはならないお言葉でございます」

 セシルはばつが悪そうに黙ってしまった。しかし、ギルベルトの意地悪はまだ続く。可愛らしくて仕方のない姫に、もっとちょっかいを出したい子供のように。

「アーニャには、世話になった。せめて墓に葬ってやろう。アラン アーニャの遺体を探してきてくれ」

「いいい、遺体は、すでに燃やしました!」

「こんなに短時間で人は燃え尽きませんよ。姫君。アラン 少し燃えているかもしれないが、アーニャを探して葬ってやれ」

「いえ、燃やして煮たので早いのです! もう跡形もありません!」

「……」

 騎士達もルークもジュディもアランも、挟む言葉がなかった。

「煮るには鍋に入るくらいの大きさに切り刻む必要がある。人の骨とは硬いものだ。姫君のその細腕ではできないだろう? 誰かに手伝ってもらったのか?」

「私はお料理が得意なので切る事も得意です」

「姫君が料理なさるのか? 料理はアーニャが作ってくれていたのでは? アーニャの作る食事は極上の味だった」

「まあぁ、褒めていただき、嬉しいです!」

 セシルは、笑顔になるが、すぐに気づく……。

「あっ……」

 ギルベルトに転がされて、苦し紛れの言葉に限界がきており、混乱していたセシルであった。 

「とにかく、私がアーニャです。いえ、間違えました……。私がカストロイア王国第二王女 セシル アレクサンドラ フォン カスティリヤールです。メルティスとは敵国の王女である私を、さっさと処刑しなさい!」

 自らきっぱりと処刑という言葉を口にする。

「火あぶりでも斬首刑でも受け入れましょう。私はカストロイア王家の人間。覚悟はできています。王家の名に恥じない最後をお見せしましょう」

 真っ直ぐな目をギルベルトに向ける。

「アーニャとして生きていこうとなさっていたのでは?」

「……。だから、それは……。アーニャと私は別の人物で……」

 たじたじする姿がなんとも可愛らしい。これほど愛らしい姫を見たことがない。

「あ、ここではいけませんわっ」

 セシルがギルベルトの側に寄っていく。ギルベルトはふんわりと甘い姫の香りを嗅いだ。

「子供たちがいるこの場でないところでお願いしたいです。処刑を子供たちに見せる訳にはいきません。それくらいのお慈悲はくださってもよろしいのでは?」

 ギルベルトはふっと笑い、自分の前に立っている麗しい姫君の前に片膝をついてひざまずき、姫君の手を軽くとり、額につける。

「もちろんです。姫君。メルティスの我が領地で」

 騎士が王族に忠誠を誓う際に行うしぐさを見せたギルベルトに、姫君は、顔をポッと赤らめて、見つめてしまった。他国の若く美しい王子は、年頃の娘が見惚れるに十分な風貌をしていたのだ。が、すぐに別の事に気が向いた。

「そこまではどのくらい時間がかかりますの?」

「五日ほど。姫君の馬車を用意します。馬車では、六日はかかりますか」

「では、お弁当と食料を準備いたします!」

 セシルはギルベルトの手を放して、パタパタとかけて行った。

 

「おねぇちゃーん、嫌だようー。どこにも行かないでー」

 子供たちがセシルに群がり泣いている。セシルも泣いている。美しい泣き顔を見られて幸福な事この上ない。

「皆さんには神のご加護がついております。ただ、皆さんの食事を用意してあげられなくなるのが、とても悲しくて……。申し訳ありません。私の大好きなみんなっ」

 おいおいとさめざめと子供たちと抱き合い、泣いている。

「姫様、神のご加護は神の血を引く姫様に一番にございます。これまでの姫様の慈悲深い行いを神は見ておられます。姫様のご無事を心からお祈りしております」

 ルークとジュディも混じり、また泣く。ギルベルトは長い時間続いたその別れの挨拶を、せかす事もなく何も言わず待っていた。




          四




 セシルの為に用意された馬車にはセシルだけ乗り、ギルベルトと騎士たちは馬車を守るように囲んで馬を走らせていた。

「こちらで、今夜は天幕を張ります。姫君」

 セシルが馬車から降りると川が流れる音が聞こえた。騎士たちが高台に、天幕を張る準備をしはじめた。

「お料理は私が!」

 セシルは、騎士たちが「我々にお任せください! 姫君にそんな……事を……」と言うのを遮り、食事の支度をした。セシルの料理は今日も美味しく、さらに、麗しい姫君を囲んで食べる食事はやはり極上で、騎士達は終始笑顔が絶えない。

 ギルベルトはというと、遅れて着いた伝令をもってきた兵士と話し込みながら、少し離れた場所で食事を取っていた。姫には聞かせられない話があるとでも言った具合に。


「綺麗な川があります。遠くからですが、私が護衛をしておりますので、水浴びなさいますか? 寒くない季節ですし。水浴びなどで、申し訳ござませんが……」

 アランが促す。

「アラン様 ありがとうございます。お言葉に甘えて」

 着替えを持ったセシルは、アランと川に行った。アランは、川に近づくものを見張るように、何かあった際は駆けつけられる場所で、背を向けている。アランを遠目に見ながら、気が済むまで水に浸かり髪を洗い、さっぱりした。

 寝巻にマントを羽織い、アランと天幕へ向かう。

セシルは馬車で移動しているが、慣れない馬車であるし、朝早く起きて食事の支度をするためいつもかなりの早起きであるし、水浴びをしてすっきりしたら、眠くてたまらなくなってきた。歩きながらうとうとするセシルが天幕へ着くと、アランが、天幕の中へ声をかけた。

「お連れいたしました」

 そして、天幕を持ち上げてセシルを中へ入れる。

 そこには、寝具の上に座り、グラスをもってワインを飲んでいたギルベルトがいた。

「っ! あ、あの私は……」 

うとうとしながら歩いていたセシルは、一気に目が覚める。天幕が立てられているのは見ていた。一つは高台に大きなしっかりとしたもの。後は簡易に屋根がついているだけのもの。そう、きちんとした天幕は一つしかない事は、知っていた。

 アランはセシルには視線を合わせず、一礼をして天幕を閉めてしまった。

 セシルは、水浴びを済ませ、薄い寝巻を身にまとっている。そして、王子が待つ天幕へ連れてこられた。

「マントを脱いで、こちらへ」

 ギルベルトの声に、びくっと大袈裟な反応をしてしまった。

 この状況は、どう考えても一晩を共にしなくてはいけないのではないか? 自分は、これから処刑される身、滅ぼされた国の王女。一晩を共にするということは、純潔を奪われるという事。戦で高ぶった男を女の柔肌で慰めさせるとの事。戦争が起きて負けた国の姫は純潔を奪われて殺されるのが、一般的な状況。自分もそうなったのだ。ただ敵国へ連れ去られて処刑されるというだけではない。当然、体も汚されるのだ。ならば……、王家の人間の役目として、その不遇な敗戦国の姫君という立場を受け入れなければっ! と思う一方で、顔が赤くなる。

『ああ、どうしましょう。私はお姉さまと違い、他国の王子様とお話をしたことすらない。お兄様と幼馴染のクラウスとクラウスくらいしか親しく話をした事がない。どうしよう。メルティスの王子は、見事な長剣を操り、数多くの兵士をなぎ倒す沈着冷静な武人だとクラウスが言っていた事がある。しかし、あんなに綺麗なお顔をした方だったとは。あの美しい青い瞳に見つめられると、何も考えられなくなってしまいます。背も高く逞しい方でいらっしゃる。どうしましょう。顔がほてります。胸がどきどきして、私は、今から王子様とする事に、耐えられますでしょうか……。しかし我が国に攻め入った憎い敵国の王子。憎まなくては……。憎んでも今からする行為はできるものなのでしょうか……。お姉さまにお教えいただくべきでした……どういう事をどう気をつけて上手くすればいいかを……大体は何をするかわかるのですが、上手くできるのでしょうか……』

 セシルの心の中は複雑だった。考えがすぐにまとまるはずもない。しかし、このまま立ちつくしているのも……。こちらを見るギルベルトにチラリと視線を合わせ、意を決する。

 セシルは、言われた通りにマントを脱ぎ、ギルベルトの方へ歩く。寝巻はワンピースで、胸元のリボンを結ぶタイプのものだ。色が白色で、セシルを本物の天使に見せる。彼女によく似合っているワンピースだった。

 ギルベルトは、セシルが自分の手の届くところまで来ると、彼女の手を取り、自分の膝の上に座らせた。

「姫君。あなたは私のものだ」

セシルの頭の後ろに手をやると、彼女を抱きしめる形でキスをした。一度口を離し、再度合わせる。二度目は舌を絡めた深くて長いキスをした。

 口を離して、抱きしめている姫君を見ると、熱いまなざしでギルベルトを見つめていた。嫌がっている素振りではない。むしろ、好意を持つ相手に向ける熱が瞳にある。

セシルは自分を見下ろすギルベルトの端正な顔を間近で見ると、抱きかかえられ黙っている沈黙が、恥ずかしくて耐えられない様子で、顔がますます赤くなる。

 愛しくてしょうがなくなったギルベルトは、再度セシルと口を合わせる。そして、セシルのワンピースのリボンをほどき、姫の胸に手をのせる。キスをしながらさわられた姫がびくっと反応したが、そのまま胸をゆっくりと掴む。細身だが、胸はしっかりとしたボリュームがあり、男の大きな手からあふれ出る。左右の胸を好きなだけ手で愛撫し、セシルの唇から自分の口を離して、今度はセシルの首元に舌を這わせた。

「っ」

 セシルはこの状況にいっぱい、いっぱいだったが、声をだしたら外にいる騎士達に聞こえる距離の天幕にいる自覚はあった。そのため、声をださないように精一杯努力した。それをギルベルトは気づいていて、しかし、セシルへの愛撫をやめない。

 セシルのワンピースを脱がして、寝具の上に寝かせた。目の前に横になっている美姫の完璧な体に見惚れたが、見るだけでは足りないと、すぐに手を伸ばして、片手で左胸を触りながら、右の乳首に口を合わせる。

「あんっ」

 小さな声だが、セシルの可愛い声が出た。その反応に満足するかのように、セシルの体中を念入りに可愛がり続けた。

「はぁはぁはぁ」

 セシルの息が荒くなっていた。彼女の上に覆いかぶさり、落ち着かせるように優しいキスをしながら、セシルの中に入った。



 翌朝、ギルベルトが目覚めると、自分の腕の中にいるはずのセシルの姿がない。

滅多な事では、感情を乱さない彼だったが、焦りながら荒々しく、急いで服を着た。そして、天幕を出る。昨晩はセシルとの夜を楽しむために、天幕の護衛はつけず、天幕へは近づくなとアランに言っていた。夜の見張りはいいから、休めとも言った。

 アランや側近達が寝ている天幕へ近づくと、アランが出てきた。

「王子、早い御目覚めで!」

 笑顔でアランが挨拶をしてくる。昨夜はいかがでしたか? という言葉の前に、ギルベルトの表情から、ただ事でないと察する。

「姫が逃げた」

「えっ?」

 自分達の料理を用意してくれ、逃げる気配など微塵も感じさせない姫がよもや逃げるなどとは……、という言葉を飲み込み、王子の言葉を信じて、姫を追わねばと、あたりを見回し、どこにどう逃げて行ったのだろうと考える。

 そこへ、左の茂みから、ガサゴソと枝や草をかき分ける音がした。その音の方をギルベルトとアランは見つめる。

 セシルが弓矢を背負い、馬の手綱を引き、右手にはウサギを三羽持って、木の枝をかき分けて歩いてくるのが見えた。セシルは二人に気づいて笑顔を向ける。

「随分早い御目覚めですのね。メルティスの騎士様は早起きなのですね。関心です。早起きはいいものです」

 アランは急いで姫に近づき、馬の手綱と姫が背負っている弓矢を持った。

「どうなさったのですか? どちらへ行かれていたのですか? 狩りをお一人で? 姫君」

「食料を調達してまいりました。勝手に馬と弓矢はお借りしました。もう戦争は終わりましたし、弓矢は食料に変えたほうがいいので、よろしいですよね? 私が一緒にいるからには、いつも美味しいお食事をたっぷりとご用意して差し上げたいのです。」

 アランの顔を覗き込み笑顔を向けた後、ギルベルトを見たセシル。ギルベルトと視線を合わせると、ほほを赤らめて恥ずかしそうに俯くが、すぐに、少し赤いままの顔を上げてギルベルトに話しかける。

「今日は早くから出立なさいますの? 新鮮なうちに食べたほうがいいのですが、食事の支度の時間を取れないのであれば、こちらは昼食の際にいたします」

 逃げたと疑った自分を情けなく思ったギルベルトは、無表情のままセシルの前にいた。

「いや、急がない。今から作って欲しい」

「はいっ」

 ギルベルトの言葉に、満面の笑み浮かべて返事をする、極上の美しさを持つ姫君。ギルベルトはいままでにない感情が自分の中にある事に気づいた。

かけがえのない大切な存在になる者などいないと思っていた。

有能な王子であり整った顔をしている彼には他国からの縁談が絶えない。自国の女達も彼の前には媚びへつらい、自分を差し出そうとしてくる。その中で、特別な感情を向けるような相手など、この先ずっといないと思っていた。

国は少しでも気を抜けば、他国の脅威にさらされ、休む暇などない。女は、男の欲望を一時的に解消するものでいい。いずれ政治的に使える背景を持つ姫を妃にし、跡継ぎを生ませればいいと。

朝目覚めて、セシルが自分の隣にいないと分かった時の喪失感は、かつて味わったことのない胸の痛みだった。決して手放したくないものが失われてしまった時の感情などを持った事はない。昨日愛し合った際も今まで抱いていた女達とは、全く違う感覚で、最高の幸福感を感じた。すべてが愛おしい。自分の側に常に置いておきたい。姫に出会う前には考えられない執着が自分にある事を自覚した。


セシルが作った食事を、みんなで楽しく食べる。野兎の肉を軽く焼いてバジルと塩コショウで味付けをして、取ってきたばかりのハーブを添えたもの。食料として持参した根菜をスープにしたもの。自慢のセシルが焼いたパンを温め直したもの。

騎士たちが思いの外、セシルに懐いている。美しい姫君だという簡単な好意ではなく、美味しい食事を用意してくれ、様々なことを世話してくれるセシルに、家族に向けるような感情が混ざってきているようだ。

セシルの発言に一喜一憂する。セシルを中心に騎士達は空気を作っている。古くから知っている敬愛すべき人物と言った具合に。その中にギルベルトも混ざり、皆でセシルを囲んで、大切に大切に接した。


出立する際に、馬車へ向かうセシルにギルベルトは声をかけた。

「姫君、馬に乗れるのか?」

「ええ、乗馬のたしなみくらいはございます」

「馬上から弓矢で狩りをしたのか?」

「はい、そうです」

 先ほど三羽もうさぎを持っていた。かなりの腕前だろう。ギルベルトは、あっさりと答えるセシルに感心する。できることが沢山ある姫君だなと。

「馬車でなく、私の馬に乗らないか?」

「まあっ! いいのですか? そのほうが楽しそうです」

 喜ぶセシルを連れて、馬にまたがり、ギルベルトはセシルを自分の前に乗せた。

「あ、一人で馬に乗るのかと……」

「そうしたら、私は馬車に乗るのか?」

 くすっと笑うギルベルトを、彼の腕の中から見上げて、セシルはまた顔を赤くした。そのセシルを胸元にぎゅっと抱きしめ、頭にキスをした。セシルの動悸が激しくなったのは言うまでもない。


 ギルベルトと一緒に馬で進むのは、とても気持ちがいいものだった。暖かい気候だが、馬車よりも風が心地よく、さらに、ギルベルトがセシルを優しく支え、セシルの呼吸に合わせるように馬を操って進む。また、綺麗な景色の際は、馬を少し駆けさせて、セシルに一番いい場所で見せてくれる。

 その様子をアランや騎士達は驚いてみていた。

ギルベルトは、他人、特に女性に感心がない。沈着冷静。また、戦では自国の為ならば残忍な行為も躊躇わず踏み切る冷酷な将軍だ。その彼が一人の女性の為に動いているのを見るのは、初めてだった。

ただ、側近の彼らは、今、目の前でギルベルトが姫に気を使い行動しているような、思いやりや優しさがある事を知っていた。ギルベルトは自分の手を汚すことなく、部下に何でもやらせて危険を押し付ける将軍ではない。激しく危険な戦場では一番前に行き、皆がとどめを刺すのを躊躇する相手には、自らが手を下した。

他人に関心はないが、部下たちに何かあれば見て見ぬふりは決してしない。何かしらの手を打つ。自国の兵士への彼の対応は、一見すると淡泊で冷酷な指揮官と思いきや、実は守ろうという気持ちが強く、それを元に行動している。

部下たちは、心からギルベルトに感謝していた。尊敬できる王子に、命を投げ出してでも忠誠を誓おうと。

王子が可愛い姫に心を傾けて気をくばっている様子を、驚きながらも嬉しく微笑ましく見ていた。


 その夜の天幕でも、セシルはギルベルトに抱かれ、彼の腕の中で寝た。


翌日もセシルはギルベルトの馬に乗る。

馬上で、セシルを胸元に抱くギルベルトの腕に昨日よりも力が入っていて、セシルはギルベルトにピッタリひっついていた。

 途中、花が咲く美しい木々が立っている場所で、昼食をとった。もちろんセシルが食事の支度をした。

食事の後に、馬上でセシルはギルベルトの胸に顔を埋めて気持ちよさそうにうとうとしていた。ギルベルトが手綱を操る馬は乗り心地がいい。自分の腕の中にいる可愛らしい姫に、寝てしまえばいいのにとギルベルトは思ったが、セシルは乗せてもらっている自分が寝ては、申し訳ないと言った風にうとうとするだけで、寝ない。 

ギルベルトはうとうと眠くなるほど、自分の腕の中で安心しているのだと、嬉しくなった。

 セシルのうとうとが終わり、真っ直ぐ前を向くようになった。セシルは自分がギルベルトの剣の柄を両手で掴んでいた事に気がついて、ぱっと離す。

「ごめんなさい。大事な剣に触れてしまって。うとうとしながら、つかまってしまいました……」

「かまわない。私にも私が持っている全ての物にもいつでも触れて好きにしてもらっていい」

 ギルベルトの顔を見上げるセシルに、美しい顔を持つ彼は、とびきりの笑顔で返す。女が見惚れる容姿を持ちながら、あまり表情をあらわさない彼だが、寝具の上では、セシルに惜しげもなく笑顔を向け続ける。ただ、昼間に見る彼の笑顔はまぶしかった。セシルは全身が熱くなった。

「この剣は、我が国で最も古くから王家を守ってきてくれた聖剣。魔法がある時代に魔法で鍛えた唯一のものだ。神の血を引き、魔法を操っていたカストロイア王家の姫君に触れられて、喜んでいるだろう」

カストロイアには、魔法で鍛えた武具や道具や宝石が沢山ある。歴史の浅いメルティスにはカルデレッセリアだけ。命の次に王子が大事にしているもの。それを好きにしていいとさらりと言う。

ギルベルトの金色の髪が太陽の光にあたり輝いている。その表情は、セシルが大切な存在である事が、十分に伝わる優しさ溢れるもの。ギルベルトはあまり言葉にしない。彼は天幕で夜を共にした時から、セシルをこれでもかというくらいに気遣い大切に扱う。

セシルはギルベルトを見つめて顔を赤らめてポーっとしていたが、何か言葉を返さなくてはと、顔を下に向けると、聖剣が目にとまる。

「見事な剣ですわね。こんなに立派な長剣を使いこなせるとは、剣の訓練は大変ではございませんでしたか?」

「大変だったよ。だが、これを使いこなせると戦では決して負けない。普通の剣をもった兵士など何人でも一振りでなぎ倒せる。代々のメルティスの王が使ってきた剣だ」

「王子様は、背が高くていらっしゃるので、これほどの長剣も難なく使いこなす事ができるのは分かります。でも、歴代の王で背が低い王がお生まれになった際はどうするのですか? 背は、鍛錬しても伸びませんもの。私がもし、メルティスの王家に生まれて、背が低かったら、どうしたらいいのでしょうか。 背を凌駕するほどの修練を重ねなくてはっ! それしかございませんわねっ!厳しく辛い鍛錬になります……」

 その鍛錬の可能性はあるのかないのか、多分ないだろう。しかし、セシルの

想像している鍛錬へ怯え方は、真剣だった。

「あはははははっ! では、私はメルティスの王子に姫が生まれ変わった際は、修練にお付き合いしましょう」

 ギルベルトの笑い声を、驚いて聞いているアランや騎士達だった。


「姫君は、乗馬や弓矢の使い方をどのように学んだのだ?」

「兄様とクラウスと一緒に騎士団長から、学びました。城で来る日も来る日もできるようになるまで、何度も鍛錬しました」

「見たわけではないが、かなりの弓矢の腕前なのではないか? 野兎を弓矢で仕留められる兵士は、我が国ではそうはいない。動く人間よりも野兎の方が射るのは難しい。それを生業としている猟師は別だがな」

「私は、少しズルをしていましたので」

「? ズル?」

「魔法を使ったのです」

 にっこりするセシルの笑顔が可愛すぎて、それ以上、弓矢の事は、聞かなかった。

遥か昔、神話のカストロイア王は、魔法を操る偉大な王だった。また、実際に数百年前まで、カストロイア王家は、高度な魔法を操れる一族であった。カストロイアの王族以外にもそれほどの威力はないが、魔法を使える人間はいた。ただ、今現在、魔法を人が使えることはない。魔法は失われてしまったのだ。ギルベルトは、セシルの言葉を信じてはいなかった。可愛い冗談を言うくらいにしか、受け取らず、流してしまった。

「姫君は軽く馬に乗れる程度の鍛錬でよかったのでは? 弓矢だけでなく、剣なども習ったのか?」

「はい、剣も槍も盾の使い方も。座学では、お姉様もご一緒に。でも私は、兄様とクラウスと同じことを学びたくて」

 セシルの口から、兄と宰相であるクラウスの名前が出たため、尋ねたかったが聞きづらい話をギルベルトは切り出す。

「姫君、カストロイアの王子は行方不明のままなのか?」

 セシルは、顔を上げて一度ギルベルトを見てから、視線を道の先に移しながら、答える。

「そうですわ。兄さまは、国の北の干ばつが激しい地域に水路を引くと、水路の建設に定評のあるアルメニアに、設計図の相談に赴きました。そこで工事中の水路の現場を見たいと訪れた際に、崖崩れが起こったらしく……。それっきり音信が途絶えています。まさか、兄さまがあんなことになるなんて。そしてクラウスまでも。北の水に関する憂いをなくしたいと、その為にアルメニアの素晴らしい設計の水路を見たいとおっしゃっておいでで、ほんの一ヵ月ほど城を留守にする予定だったのに……、音信が途絶えて一年になります。せめて宰相であるクラウスさえ城にいてくれたら、お父様やお姉様があのような暴挙をなさるのを止められて、城に敵兵が入り込むことなどにはならなかったと思います……」

 セシルははっと、口を閉じる。攻め入ったのはギルベルトの国なのだ。

「王子と権謀術数の宰相がいない絶好のチャンスだ。我が国がやらずとも他国に攻め込まれていただろう」

「お父様やお姉様が国にとって悪い方向へ向かう事ばかりをなさるのを、いつもお止めしたり、尻ぬぐいをしていたのは、兄様とクラウスです。私はお父様やお姉さまをお諫めする事はできませんし、私の知らないところでいろいろと良くない画策をされるのでどうにも……。あの二人がいたからこそ、事なきを得て国は成り立っていたのです。アルメニアに旅立つ前に、向こう一か月分の政務を二人でなさって、御出立されました。そのまま帰っていらっしゃれば何も問題はなかったのですわ。しかし戻らず、お父様は愚かな政治を行い、お姉様は他国と共謀してお父様から王座を奪うような事をされていらっしゃいました……。水路を作るのが難しいのはわかりますが、クラウスを連れていくべきではありませんでした。兄様は人柄だけは凄く良くて、クラウスは兄様の側を片時も離れず仕えておりました。クラウスはいつも、兄様と一緒にカストロイア王国を過去の最も輝いていた時代と同じくらい豊かになるように、立て直すと申しておりました。お父様があのような感じでいらっしゃって……、諦め、兄様に希望の全てを向けていたのですわ」

 実の兄を人柄だけはよくと、言い切るセシル。しかしカストロイアの王子は数世代ぶりの凡庸ではない王子だったはず。

国にとって水は非常に重要なもの。王位を継いであまり城を留守にできなくなる前に、水路を整備しておこうと動いていた王子。水路だけでなく、数世代続いたカストロイア王家の凡庸か愚鈍な王が治める時代の沈みを終わらせて、新たな歴史と栄光を作り直そうとしていた。民衆に寄り添った政策をとりいれ、民衆を豊かにして国を栄えさせるように向かわせていた。

「せめてクラウスがいたらと、何度も思いました」

「姫君は宰相とは親しいのか?」

「ええ、幼い頃から兄様とお姉様とクラウスと私で一緒に育ちました。お勉強も習い事も食事もいつも一緒に。兄のような存在です」

 カストロイア王国に攻め入ることができたのは、王子と宰相の不在のおかげである。国を支えていた二人がいなくなり、愚鈍な王と身勝手な王女が動かしていれば、攻め入る隙は無限にあった。

 王都へ短時間かつ簡単に攻め入る事が可能だったのは、多くの貴族や民衆が王のために戦う事を放棄し、白旗をあげていたこと。王城の兵士も大多数が降伏してきた。

しかし、王子と宰相が戻れば、皆が王子の為に戦うことが見えている。メルティスとしては、恐るべき事態となるのだ。

セシルの話を聞いていてギルベルトは、王子と宰相が本当に水路の調査の際の事故で、もう二度とカストロイアへ戻ってこないとはなぜか思えなかった。遺体が上がらない崖崩れで土砂に埋もれたとしても、必ず命が失われているとは言い難い。衰退していたカストロイア王国を持ち上げて支えていた宰相のクラウス。彼の頭の切れは、類をみないものだと諸国では有名だった。そんな男がそんなあっけない最後をやすやすと迎えるものかと。




         五




孤児院を出立してから六日目に、メルティス領へはいった。

カストロイア王国の領地に隣接する、メルティスのギルベルトが支配を任されている領地である。彼の城へはまだ半日はかかるらしく、崖沿いの道を慎重に進んでいた。

メルティスとカストロイアは隣接しているが、両国をつなぐ地上は谷が重なっている地形で、一番近道であり進める道は狭く、足を踏み外すと崖の下へ真っ逆さまという危険な道だった。平坦で広い道はあるが渓谷の向こうでかなりの遠回りになる。それゆえあまり両国の間には国交がなかった。

また、ここからは戦をしかけにくい。戦には沢山の武具や食料なども運ばなくてはならない。馬車を引くには狭すぎるのだ。平坦な道を通るために、軍隊を率いて遠回りをして移動することにすると、あまりにも距離がある。仲良くするにも、争うにも地形が邪魔をする。

しかし、ギルベルトは狭く危険な道を、多数の兵士を連れて素早く移動し、カストロイアの王城へ攻め入った。他国がカストロイアを手にする前に、最も早く行動に移した。宰相のクラウスがいないカストロイアは、あまりにも無防備であった。速さと情報量が戦を支配することを、ギルベルトはよくわかっていた。彼の決断は早い。カストロイアを他国にどうにかされる訳にはいかないと思い、瞬時に決断をして行動へ移した。

セシルは今日もギルベルトの馬に一緒に乗っていた。セシルがもう乗らないとのことで、馬車は途中で手放してきていた。ギルベルトとセシルが乗る馬とアランと騎士達で、進んでいると、

「何か音がしなかったか?」

 ギルベルトが、崖の上を見る。上も崖で、あまり広くない道の下も崖である。はるか下には川が流れている。

 ギルベルトの言葉に、騎士たちが周囲を見回していた時、一行の後ろでドカッと鈍い音が響き、砂埃が舞った。

 皆で後ろを見ると、崖が崩れており、道がふさがっていた。続いて、またもやドカっと同じ音がした。前の道も同じように崖が崩れて通れなくなっていた。一瞬のことだった。

前後の道がふさがれてしまったのだ。

そして、頭上から、パラパラと土が降ってきた。見上げると、数人の兵士が大きな石の下に木を入れて動かしているようで、瞬時に、その石をギルベルト一行の上に落とすのだとわかった。今にも落ちてきそうである。

前にも後ろにも行けず、巨大な石がすぐにでも降ってくるのである。立ち尽くすか、崖の下に飛び降りるのか。飛び降りれば、命はない事ははっきりしている。

「姫君。私の胸の中から出ないように」

 セシルはギルベルトが自分を包むようにぎゅっと抱きしめるのを感じる。為す術がないのであれば、姫だけも自分を盾にして守ろうと判断したようだった。そのギルベルトの腕を軽く押して力を抜いてもらう。

「王子様、カルデレッセリアをお借りします。王子様の前に立つご無礼をお許しください」

 セシルが何をしようとしているのかは、全くわからなかったが、ギルベルトは自分の腰の剣を抜く事を許した。

 セシルは馬上でギルベルトの前に立ちながら、長剣の柄を握って片手で引っ張り、男でも片手では相当な猛者しか持てないはずの重い剣を、軽々と鞘から抜いた。

そして、片手で剣の柄を握り、片手に剣の先を自分の手のひらに乗せ、剣を自分の正面に横向きにした。セシルの体が黄金の光を発した。

「カルデレッセリアよ。メルティスの王家に愛されている剣よ、私の力を持ってその能力を現せ」

 セシルが言い終わるのと同時に、崖の上から石が落ちてきた。


 ギルベルト一行は、ギルベルトの城の城壁が見える道にいた。

「?????」

「はっ?」

「どうなっているんだ?」

「石は??? 崖は?」

 騎士達はもちろん、さすがのギルベルトも驚きを隠せない。皆が視線を向けた先はセシルだった。

「姫君?」

 セシルはギルベルトに背を向けて立っていたが、振り返り、「カルデレッセリアをお返しますね」といって、ぴょんと馬から長剣を軽々と持ったまま飛び降りて、ギルベルトの鞘に丁寧に長剣を差し込んだ。

「これは一体?」

 怪訝な顔のギルベルトに、「ふふふーっ」と自慢げに笑顔を向ける。

「カルデレッセリアは、土属性の魔法で鍛えられた剣です」

「土属性?」

「魔術、魔法には火・風・水・土の四つの属性があり、その一つです。カルデレッセリアは土属性の剣で、かの剣が知っている土地であれば、そこに導いてくれる能力を持っています。柄に触れた際にわかりました。剣に自分の魔力を与えて、具現化できる魔法を私は使えます」

「魔法を使う?」

「ええ、私は魔法が使えるのです。先日王子様には、魔法で弓矢に力を与えて、野兎を射たとお話しました」

 あのズルをしたという話か……。にっこり言うが、まさか魔法とは……。失われた魔法を使うだと。信じられない。カストロイア王家の血を引く姫君。まさか……。

「……」

 いきなり、理解しろと言われても難しい。

この世界に確かに魔法は存在した。その頃に作られたものは魔法で鍛えているものがあり、尋常ではない力を持っている。長い年月が経ってもその力は失われない。だが、それは昔の事。しかし今、自分達は、一瞬で信じられない距離を移動した。魔法が使われたという事を肯定するしかない。魔法とは奇跡を起こすのだ。カストロイア王家の魔法とは、想像以上にとんでもないものである。

「姫君」

「はい」

 ギルベルトは馬から降りて、セシルの前に立つ。魔法を使う姫に対して持つ複雑な感情は置いておいて、まずは、言わなければならない一言を口にする。

「神の血を引く姫君。ありがとう」

「はいっ」

 ギルベルトはセシルを強く抱きしめる。一度離して深いキスをして、どうしても離せないという具合にまた抱きしめる。 


 城下町に入ると、ギルベルトの姿を見つけて、民衆が喚起に沸いた。

 王子の帰還を誰もが喜んでいた。ギルベルトがいかに民に慕われているかがよくわかる。そして民達は、彼が胸に抱いている天使のような美しい姫君に目を奪われた。


 セシルは、メルティスの領地に着き、遂に処刑の日が訪れると覚悟を決めたが、いっこうに執行されない。

城のギルベルトの部屋の隣の部屋に、来賓待遇で迎えられ、穏やかな日々を送っていた。

 侍女をつけられ、毎日豪奢なドレスを纏い、メルティスでは最高級の宝石を身につけ、王女の証であるティアラを頭に載せていた。

 得意の料理をする必要はなかった。メルティスは食材が豊かで、それを料理人達が調理して食べきれない量と品数を出してくれる。美味しくて、私が作りましょうか? などとは、決して言えない。

 セシルの荒れていた手は、すっかりすべすべになり、王家の姫君の手に戻っていた。

 処刑前の捕虜であるが、部屋からの外出は自由で、城を見て回ったり、中庭や温室で本を読んだり、刺繍をしたりして、過ごしていた。また、使用人がお茶とお菓子を午前も午後もセシルに用意してくれ、ティータイムを頻繁にとった。そのお菓子がまた、かなりの美味で、食事以外の間食を続けていたせいか、やせ型だったセシルは、少しぽっちゃりしてきた。

 これは太らせて、私を処刑後に食べる作戦なのか? と疑った時もあったが、食料が豊かなメルティスであえて人間を食べる必要がないと、悟る。

 処刑前の残されたわずかな時間は、せめて美味しい物でも食べさせて自由にさせてあげようというメルティス側の温情なのだと思うことにした。

 ただ、由緒正しきカストロイア王家の王女として、いつ火あぶりでも首切りでも処刑が行われてもいいように、頭の中で取り乱さずに誇りをもったまま処刑される練習は怠らなかった。いかに苦痛を与えられようとも決して泣きわめく事などないように、毅然とした態度で死を迎えられるように、呼吸を止めたりしながら、頭の中で、凛とした姿で死んでいった。

 城に着いてから、毎晩ギルベルトと夜を共にしていた。これも捕らわれの姫としては仕方がない事なので、王家の名に恥じないように受け止めていた。慰み者にされていると頭では整理しているわりには、喜んで抱かれていたが……。

 ただ、最近はさらに快楽が増してきたことに対して、王家の人間として、これでいいのだろうか? と疑問が沸いてきたがどうしようもないので、こちらは本能にまかせることにした。

 ギルベルトはというと、夜は濃厚な時間をセシルと一緒に過ごし、朝と夜の食事もできるだけ共にした。そして、少しの空き時間があると、セシルに会いに来て、美味しいお菓子を頬張る最愛の姫の顔を幸せそうに眺めたりした。

この様子を侍女たちが見て「ギルベルト様はお変わりになられた」と皆が思った。冷酷で強い王子が国を守っているので、国の生末を心配するようになった者が出てきたほどだ。

姫の美しさに虜になってしまったと、天使のようなセシルの前では、さすがの王子といえども仕方がないことだと思うものがほとんどだったが。

 メルティスはカストロイア王国のみならず、かなりの国との色々ないざこざなどで、王もギルベルトもいつも多忙を極める。それなのに、セシルを伴って帰還してからは、必ず夜は城に戻り、できるだけセシルと食事を共にし、彼女の傍にいる時間を大切にしようとしている。セシルと出会う前のギルベルトをよく知る城の者達は、王子の変わりように驚いた。


城に着いてから、半年が経つ頃、

「姫君、話がある」

 と、ギルベルトに言われた際、遂に、処刑を執行する日が来たとセシルは確信した。

 ここは毅然と受け止めよう。処刑の瞬間だけでなく、処刑を言い渡される時から処刑ははじまっているのだ。王家の人間として、処刑を恐れることなく、堂々とした態度で処刑を言い渡されよう。

 セシルはきりっとした表情でギルベルトの横のソファーに腰かける。

「何をそんなに固くなっている?」

 固くなっている? 緊張しているのがバレているのか? 王家の人間としての態度として、失格である。セシルは、落ち込んだ。

だが、持ち前の楽天的思想で、ギルベルトしかいないこの状況で失敗をしたことは、なかったことにしようと思った。民衆や兵士の前で凛としていればいいと。先ほどは、言い渡される時から処刑ははじまっていると定義したが、ギルベルト以外の人間に見られる際に何事も恐れない王家の者としての態度を保てばいいとした。

ギルベルトとは、寝食を共にしている間柄であるし、すでに彼には処刑前の捕虜としてはあり得ない、寝所で毎晩彼に抱かれて喜んでいる姿を見せてしまっている。今さら、彼の前で王家としての誇りを保てたとしても仕方がないのだ。すでに誇りは地に落ちている。そう考えると、今この場で言い渡される処刑方法は気楽に聞こうと思った。

「決まりましたか? 私は逃げも隠れもしませんので、お聞かせください」

「何のことを言っている? 何が決まったのだ?」

 セシルは自分から処刑という言葉を口にしたくない。

「それは、王子様の口からおっしゃるべきです」

「何をだ? 機嫌が悪いのか? 姫君。何があったのか」

「いえ、機嫌よくこの話をする人はおりませんっ! ご配慮に欠けるのでは?」

「何を怒っている? どうしたのだ?」

「何があったとしても、それは関係ありません。早くおっしゃってください!」

 怪訝な顔をするギルベルトだが、ともかく、話をしに来たのだからと、口を開く。

「来週から、城を少し留守にする。ラース国のドルマン公爵と私のいとこの伯爵令嬢の結婚式に出席しなければいけなくなった。この婚姻を期に、メルティスはラース国と同盟を結ぶ」

 城を留守にする前に、自分の処刑を済ませようという事かと、セシルは受け取った。しかし、処刑方法については一向に話してくれない。処刑方法を伝えずに事前の心の準備の時間は与えないつもりなのだ。何というひどい仕打ち……。

 セシルは、目に涙を溜めてギルベルトを睨んだ。

 ギルベルトはそんなセシルを愛おしく思い、ぎゅっと抱きしめる。自分の胸元に抱いたセシルに優しく言う。

「私の留守をそんなに寂しがってくれるとは、思いもしなかった。姫君。私の気持ちは一方的なものかもしれないと思う事がこれまで何度かあったが、そんな思いは杞憂であったのか」

 セシルとしては、一方的という言葉に反応した。処刑方法は処刑する側が一方的に決めるものではないのか? 処刑される側からの意見も伝えてもいいものなのか? それにしても寂しがるなどとは……。これは、前ではなく後なのか? ギルベルトが城に戻ってきてからの処刑なのか? 

 セシルが泣きそうになりながら、ギルベルトを見つめていると、キスをしてきた。

「なるべく早く帰るようにする」

 そうして、セシルを抱き上げて、ベッドまで運び、セシルを横たわらせると、

「姫君、あなたは何も心配しなくていい」

 と言って、深いキスをした。

 心配します! 処刑方法がわからないと心の準備が! 他人事だと思って! と、憤慨したのは一瞬で、ギルベルトのキスと体中にされる愛撫に可愛い声を上げて喜び、何度も愛しあったのだった。

 しかし翌朝、一人になってから、処刑前に、敵国の姫の体を最終的に凌辱しておこうという魂胆かもしれない。では、やはり処刑は出立前? というと明日? などと、見当違いな事を考えていた。

 

 ギルベルトが出立する前には処刑は行われず、王子のいない城で、美味しい食事をしながら、城のみんなと仲良くし、のんびり快適に、セシルは過ごしていた。

 ギルベルトの処刑についての対応に説明不足の不満はあっても、実際に彼のいない日々を過ごしていると寂しくて仕方がない。特に夜。一人で寝る寂しさなど王子と出会う前は全く感じなかったものだ。

「王子様が城に戻って、さらにメルティス王の王城に移動してからの処刑かもしれない……、そうであれば、さらに毅然とした処刑態度が求められる! カストロイアの威信に関わるっ」

 温室で、色とりどりに咲く花達を眺めながら、ティータイム中にそんな事を考えていたら、聞き覚えのある声がした。

「セシル……」

 温室の花が沢山付いている木の裏から、小声が聞こえる。

「気づかれないように、こちらへ」

 セシルはその声の主の言葉になんら躊躇う事もなく、花をみているそぶりを侍女たちに見せて、近づく。


 城では大変な騒ぎとなった。温室にいた姫君が突然いなくなったのだ。

「至急、ギルベルト様へ早馬を!」

「しかしラースの城までここから3日もかかるぞ」

「王子の留守の際に、最愛の姫君を、しかもカストロイアの神の血を引く天使のような美しい姫君を行方知れずにするなどとは……」

「姫様は我らにも優しくお話をしてくださり、この城を気入ってくださり、安らかに過ごされていた。麗しいお姿を遠目から拝見させていただくだけでも、我らに、かなりの幸福を与えてくれていた。メルティスに天使が降臨したと、国中で喜んでいるのに。それなのに……。姫様を見失うとは……」

「我らは、この失態に対して死をもってお詫びするべきか?」

「その前に、姫君をお探しするべきだ」

「誰かに連れ去られたのか?」

「城の門を通らずどのように連れ去れるというのだ?」

「では、まだ城内にいらっしゃる可能性が……」

「分からないが、とにかく、お探しするのだ!」

「ああ、姫様。ご無事でいてくださいませ」 


 ラース国の王城。国一番の有力な公爵家であるドルマン家の結婚式の後に開かれている舞踏会。その様子を二階から見下ろしながら、カストロイア王国第一王女マルグリットは、ため息をついた。

「メルティスの王子があんなに見目麗しい……、美しい男だったなんて……。私も、王子と踊りたい」

 二階から舞踏会の様子を見ていたマルグリットは、思わず声に出した。

爽やかな風貌の王子の周りには各国の令嬢や姫君が群がり、「一曲だけでも私と踊ってくださいませ」「少しだけでもいいので、お話できませんか?」などと、王子にうっとりした目を向けて迫っている。笑顔が返ってくるわけでもなく、無表情の王子だが、その淡泊さが女達を遠ざけることはない。王子の面倒くさそうな表情でさえも、女性を惹きつけてしまうのだ。何も意識せずともその風貌は存在するだけで、ギルベルトの意思に反して周りに女性達を群がらせる。

「ドルマン公爵、あの王子と話をしたい」

「と、と、とんでもございません。メルティスがカストロイアの王城へ攻め入ったのはつい半年前の事。メルティスは、第一王女マルグリット様を今でも多くの者に探させているのでございますよ。そんな王女様がまさかこのラースの王城にいると知れたら大変です。王女様が様子をみたいと強くおっしゃられたので、この下からは見えにくい二階の部屋にこっそりとお通ししているのです。私の苦労をお分かりくださいませんか」

 マルグリットの外見の美しさに酔わされて、彼女に何一つ逆らえないドルマン公爵は、珍しく言い返した。

「私を一目見れば、私に何か危害を加えようとは決して思わないはず」

 自分の美しさに自信がある。神から受け継いだ並ぶものなき人間離れした美しさ。さらに、誰よりも尊い血筋の姫君。男であれば、傍に望まない者はいない王女。

「マルグリット様のお美しさは、確かに万人を魅了なさいます。ただ、あの王子は危険なのです。あの女達が目を惹かれる外見からは信じられない、気性の荒い王子です。この場で我々を切り殺すかもしれません。腕が相当に立つ。さらに、頭が切れるので何をしでかすか検討もつきません」

「私を殺せる男などいないわ」

 マルグリットは、まだ下の階にいる王子を目で追っている。よほど気に入ったのだろう。確かに、彼女が篭絡してきた王族や貴族は、尊い身分であるため上品で礼儀正しく顔も整った紳士ばかりだったが、ギルベルトほどの器量を持つ者はいなかった。

 冷や汗をかきながら、ドルマン公爵は必死に訴える。

「マルグリット様。今だけはご勘弁ください。本日は我が息子とメルティスの伯爵令嬢の結婚式のため、多忙なメルティスの王子をやっとおびき出せたのです。伯爵令嬢と王子はいとこ同士であり、また、このラース国とメルティスはこの婚姻により、同盟を結ぶことが決まりました。王からすでにかなりの領地と権限を譲渡され多忙を極めるギルベルト王子が、戦争以外で国を離れる事は滅多にないことですが、今回、同盟の調印のため訪れているのです。ここは、当初のあなた様のご指示通り、王子の帰還の際にあちらが連れてきた兵の十倍の兵で取り囲み降伏させましょう。先日カストロイアとメルティスの境界にある崖で、王子の命を奪い損ねましたが、この度は確実に。当初の予定通り、殺してしまうのか、生かして拘束するかは、マルグリット様にお任せいたしますので」

 セシルを伴いギルベルトが、メルティス領へ帰る際の崖で、退路を断たれ、岩を落とされて潰されそうになった一件は、ドルマン公爵とマルグリットが仕組んだことだった。

 王子を殺さないでよかったと、今日、ギルベルトを初めて見て、マルグリットは思った。

崖で落とした岩の下から遺体がないと報告を受けた際は憤慨したが。

王子の遺体と共に、カストロイアに女王として帰還するはずだった。王子と王子が持つメルティスを守ると言われる聖剣が奪われれば、メルティス王もカストロイアと戦をする気が失せるだろう。メルティスごときの剣など、魔法がかかった宝物を山ほど所有しているカストロイア王家からすると、とるにたらないものだが、あの聖剣を振るう王子に勝てないと、諸国は怯えている。

ラースの軍勢を率いて、カストロイアへ帰還すれば、王子の死と聖剣を失い、意気消沈したメルティスの兵は、簡単に王都から引く。もし、メルティスの王が出てきたとしても、こちらは、さらにラース以外の隣国も動かして、メルティスを戦争で潰せばいいのだ。各国にはマルグリットに懸想をして、彼女の言う事を聞く男は少なからずいる。そう安易に思って起こした事だった。

「ふむ……、しかし、今この場であの王子を我が虜にしてしまえば、兵を出す手間もはぶけるのでは?」

 狡猾なマルグリットだが、ギルベルトの風貌のまぶしさに自分が捕らわれた事は気づかない。愚かな選択であったとしても、ただ、ギルベルトを自分の側に来させて、その瞳に自分を映したいとしか頭になくなってしまった。

「あの王子だけは、簡単に堕とせるなどと、考えるのをおやめになるべきだ。カストロイア王国へ攻め入るために、あのギルベルト王子がありとあらゆるものを駆使して根回しをし尽くし、兵を素早く動かしどのように我が物にしたか、各国は震えあがっております。自らの国も同じように丸裸にされ、容赦なく攻め込まれたら、たまったものじゃないと。どんな手を使ってでも自分の思い通りになるようにする王子です。他人の思い通りになるとは思えません。王子が探しているマルグリット様を擁護していることが知られれば、私の命はありますまい。狂暴で手を出すのが早いとも聞く。王子に切りかかって来られれば、兵士が百人いたとしても逃げられません。並ぶものなき剣の使い手です。まずは、王子が長剣を持っていない状況を作り、素手の時を襲うのです」

「ほう……、頭もいいが、剣の腕もたつとは。気に入りました」

「マルグリット様、私との約束をお忘れにならないでいただきたい。メルティスに攻め込まれて追手に捕まりそうなところを、我が国の力でお救い申し上げました。メルティスと同盟を結ぶ予定であった我が国がその様な裏切り行為をした事が発覚すれば、メルティスとの戦争になりかねませんでした。それは現状も同じです。私はあなたが、全てです。王家よりも力をもつ我が公爵家はラース国をあなたに差し上げるつもりです。それは、私があなたをお慕いしているからにほかなりません。メルティスの王子を、そしてメルティスを滅ぼしてから、カストロイア王国とラース国は一つの国となり、あなたを女王として、私はその夫となるのです」

 ドルマンは、マルグリットの前にひざまずき、彼女の手の甲にキスをした。マルグリットは、手をドルマン公爵にあずけながら、遠くの下の階にいるギルベルトの金髪を目で追っていた。それに気づいたドルマン公爵は、あえて口にすることを避けていたが、嫉妬から、マルグリットを一番不快にさせる言葉を言う。

「ギルベルト王子の元には、セシル姫がおられるそうですよ。メルティスの王都にさえ連れて行かずに、自分の領地で大事にしておられるとか。マルグリット様とセシル姫はよく似ておられるとの事。あの王子がセシル姫で満足されていたら、たとえあなたといえども、美しさより脅威な存在を排除する事を選ぶと思います。あの王子は、一筋縄ではいかない野心家です」

 マルグリットは、ドルマン公爵の手をパシンと払い、背を向けた。

この男など、利用価値がなくなれば、殺してやる! と胸の内で思っていた。

ギルベルトを見て以来、もう心は決まった。メルティスの王子と婚姻を結び、カストロイアの女王に自分が君臨する。メルティスの王子と自分の王国の両方を手にいれる。自分に相応しい未来は、若く美しく賢い王子を伴侶とし、カストロイア王国を取り戻して、メルティスの力を使いながら、国の栄光と誇りを磨くのだ。そのためには、どんな汚い手も使うのを厭わない。必ずやり遂げて見せる。

 しかし、セシルがギルベルトの手の内にいることは、苦々しい。

マルグリットとセシルは、よく似た姉妹だった。

カスティリヤール家では、オーロラの髪か瞳どちらかを持つ子が生まれるが、この姉妹は二人とも両方を持って生まれてきた。国中で神から愛されて生まれてきたと祝福された。

顔立ちも似ており、マルグリットは自分の幼い頃を見ているようで、セシルを可愛がったが、セシルが年頃になると、自分とは雰囲気が異なる美しさを持っていることが分かってきた。それは、マルグリットよりも他者に好かれるものである。セシルは天使とささやかれはじめた。また、セシルは古の魔法を使えることも分かってきた。自分よりも神の血を濃く受け継ぐ妹。

マルグリットは、セシルをあまり人前に出さないようにした。自分よりも美しい、そして神の一族の末裔としての価値があるなどと世に知れたら、受け入れがたい。幸いにもセシルは好んで下働きの者に混じって料理をし、孤児院での奉仕活動などをやっていた。そのため、マルグリットは、ある事を密かに計画していた。

自分とよく似た妹、そして魔法まで使える。自分の側に一生置こうと。表舞台には決して出さないようにしようと。何かあった際に自分の身代わりとして使え、さらにその魔法を自らの力として公表する。排除するよりも得策だと。自分が婚姻した際に、その侍女としてセシルを紛れ込ませて、使える時に使う。

妹は王族としての教養や立ち居振る舞いは元より、料理やその他の下働きにも長けていた。王族としての公務をこなし、さらには、王族としてしなくていい料理なども率先して働く。こんなに使い勝手のいい駒はない。一生自分の側で日の目を見ない人生を歩ませることになるが、姉である自分が側で可愛がってあげるし、自分の代わりに夫となるものと交わる事や、子を産むことも許してやろう。その子は自分の子として育てればいい。同じカストロイア王家の純粋なる血を引く妹である。妹の子供が魔法を使えるようであれば、尚良い。魔法が使える跡継ぎを生んだ自分は更なる羨望と崇拝の的になれる。

宰相のクラウスは、セシルが古の魔法使える事を重く受け止め、外に知られないようにした。このマルグリットの考えを後押しするような行動をとった。セシルに来る縁談をことごとく断り、城の者はもちろん、国中のものにセシルに関しての噂話などを一切禁じた。その事もあり、セシルの事は他国では、第二王女がいるとだけしか知らない。どのような人物であるかは、全く伝わらなかった。マルグリットは神の血を濃く受け継ぐ絶世の美女だと、遠くの国まで伝えられていたにも関わらず。

ある日、「病弱だったので妹は他界した」と言っても誰も何も怪しがらないだろう。セシルは死んだことにして、自分の側に侍女として置く。髪や顔は何とでも隠せる方法はあるのだから。

メルティスの王子を我が物にすれば、セシルを侍女として置くのは少し危険を感じる。万が一にも、王子がセシルを自分より愛するかもしれない。自分とセシルを同一人物として、夫となるものに認識させるのはいいが、姉妹二人を妻とするのはよろしくない。自分が本妻でセシルを第二夫人にするとしても、胸騒ぎがする事態が起こらないとも限らない。憂いはあらかじめ排除するのだ。   

まずは、すぐにでもメルティスの王子の領土に刺客を向かわせ、セシルを殺してしまおう。使い勝手のいい駒を捨てるのはもったいないが、仕方がない。王子があと数日で帰還する前に始末しよう。王子を拘束して自分のものとする頃にはセシルはいない。セシルがいなければ王子の愛はより一層自分へ注がれる。カストロイア王家の美しさを持つ自分一人に。


「ドルマン公爵。わかりました。もう我儘を言うのは控えます。申し訳ございませんでした」

 マルグリットは、公爵へ体を摺り寄せる。一瞬で公爵は気分を良くした。

「公爵様 お願いがありますの。腕の立つ刺客をメルティスへ向かわせていただけませんか? ドルマン公爵家ほどの名家であれば、影の仕事をする腕の立つものがおいでのはず」

「何なりとお申し付けください。我が王女殿下」

 マルグリットは、ご褒美とばかりに、公爵の口に自分の口を合わせた。




          六




「兄様!」

 セシルは兄のアリステアと抱き合った。ギルベルトの城から抜け出し、城下町の宿の一室である。

クラウスが城に潜入しセシルに声をかけて、二人で侍女と兵士に変装をして、正門から出てきた。簡単にこんなことをやってのけるために、クラウスはカストロイア王家の有能な密偵に、メルティス王子の城を徹底的に調べさせており、城の隅々の作りまで自分の頭に入れていた。

「クラウスが城の温室に現れた時は、幽霊かと思いました。それは無念でしょうけど、まさか私を恨んででてくるとは……」

「恨んでいませんよ。何か後ろめたい事でもあるのですか? セシル」

 クラウスは、カストロイア王国で最も王家に近く身分が高いガルディアン公爵家の当主であり、宰相の地位につく。代々、王家の宰相を務める家柄である。彼の父が病で早くに他界した為、若くして後を継いだが、彼の有能さはその若さを感じさせない。近隣諸国から王よりも顔色を窺われる存在の宰相だ。

セシルよりも七歳年上のアリステアと同じ年齢で、幼少の頃から王城でアリステアと共に帝王学を身につけ、マルグリットやセシルも交え、王族の教育を学んでいた。兄妹のような存在である彼は、非公式な場では、王女の名をそのまま呼ぶ。王子であるアリステアの事も、ステアと呼ぶ。カストロイアでは、頭脳明晰で、武術にも長けるクラウスが宰相の地位に着いた際に、衰退しつつあるカストロイアの繁栄を誰もが確実なものに思った。各国にもその名が響き渡る敏腕宰相である。

「セシル……っ。君の事が一番気がかりだった。でも、その姿を見たら、安心したよ。ぽっちゃりしたな……。メルティスでの暮らしは君に合っているようだな」

 マルグリットやセシルと同じく、オーロラの髪と瞳を持つ輝かしい美しい王子は抱きしめていた腕を緩めて、妹の顔を覗き込む。

「メルティスは非常に豊かな国です。自国の農作や牧畜でとれる食料も豊富ですし、他国との貿易も盛んで沢山の美味しい食材に溢れています。王城で毎日美味な食事とお菓子をご馳走になっていましたら、少しぽっちゃりしてしまいました。王子様が一度だけ城下町にお忍びでお連れくださいましたが。王城での食事だけでなく、街の皆さまも美味しい食事を満足するまで召し上がれるようでございました。私が見た限りですが、活気があり民衆が元気な素晴らしい国だと思います」

「そうか。我が国も見習いたいものだ」

 カストロイア王国はかつて、この大陸で一番力があり、豊かな国だったが、その勢いは失われている。民は質素な暮らしを心掛け暮らしている。

「セシルはメルティスの王子に大切にされているのだな。君を大事にしてくれたことには感謝しなくてはいけないな」

「はい、カストロイアからメルティスに連れてこられた際から、ずっと大変よくしていただいております。処刑する王女を処刑するまでは大切にしてくださる。わたくしも感謝しております」

「処刑?」

「はい、私は処刑されるためにメルティスへ連れてこられました。その処刑方法はまだ告げられていないのですが……」

 アリステアは驚いた。そこへクラウスが話に入ってくる。

「セシルを処刑するはずはないでしょう。自分の価値を間違えている発言をよくしますが、あなたは何度言っても直りませんね。ギルベルト王子はあなたを王太子妃にするおつもりでしょう? 彼の城ではどうなのですか?」

 セシルは『王太子妃』との言葉に顔が赤くなるが、すぐに、悲しそうな表情に変わる。

「残念ながら、そうではありません。私は処刑されるのです。王子はその時期を教えてくださいませんが、それまで一時的に城においてくださっているのです。国がメルティスに攻め込まれた際に、私は、ジュディがいる孤児院におりました。孤児院にいらした王子様に私から、子供たちの前では処刑は控えてくださいますようにお願いしました。そうしたら、王子様からメルティスにて処刑をとご提案くださり、メルティスに来たのです」

「処刑するならとっくにしているのではないですか? なぜ半年もあなたを妻として扱うがごとく、城で大事にしているのですか?」

「メルティスの王都で処刑をしようか、どこで処刑をしようか迷っておられるのではないでしょうか? 処刑方法も決まってないみたいですし」

「とことんずれていますね。セシル、あなたをメルティスから連れ出すために、かの国を調べておりましたが、王子があなたを溺愛しているともっぱらの噂です」

「溺愛‼」

 セシルは顔をほてらせその言葉を口にするが、その後の発言はずれたままであった。

「私は攻め込まれた国の王女。戦で負けた国のもの。敗戦国の王族の姫は、純潔を奪われて処刑されるのが、世の常というもの。私もそうなのです。王子様は私を孤児院から連れ出し、その夜に私の純潔を奪いました。少し期間はあいていますが、これから処刑されるのです。処刑されるまでの間は、王子様は私の体を毎晩……、慰み者に……」

 慰み者にされている割には、喜んでいる事を言うのは控えた。

「クラウスっ! 兵をすぐに集めろ。メルティスに攻め込む‼」

「この兄妹は、面倒ですね、相変わらず。頭は悪くないのですが、おかしな性格が奇妙な思い込みに発展する……」

憤慨しているアリステアに、やれやれとクラウスは頭を抱える。

「しかし、正式に王太子妃として公に発表していなかったのは救いです。セシルもアリステアもその思い込みのままで結構です。メルティスから国を取り戻さなければいけませんからね」

「クラウスも兄様も、半年前に国にいらっしゃらなかったからお分かりにならないのですわ。王都の貴族や兵士は、大半のものが戦いを放棄して、メルティス軍を王城へ通したとの事です。今更、国を取り戻すは無理ですわ」

「ステアとアルメニアに水路の件で赴く事が決まり国を離れる際、もし我々に何かあった際は、無駄な戦をして命を落とす前に降伏して時を待てと根回しをしていたのですよ」

「えっ?」

「我々がいない国がどうなるか分かっていました。国王とマルグリットが操る国ではいくらカストロイアといえども、いずれ他国が攻め入るだろうと。まさかあんなことになり、本当に長期間国に帰れなくなるとは思っていませんでしたが、何事も準備はしておくものですね。カストロイアの重要な立場の者達には、我々が無事だという事は伝えています。いつでも兵は動かせますよ。さらに、王家の大切な書物、秘宝や魔道具、装飾品などは、王とマルグリットが乱用できないように私が宰相になった時点で、簡単に手が出せないよう王城から離れた場所へ移し、それがどこなのか誰にも教えておりません。攻め込まれても王城を占拠するのみで、カストロイアの財産は何一つメルティスへは渡っていないのですよ」

「セシル、なぜ我々がアルメニアで事故にあったか話さなくてはいけない」

 いつも笑顔を浮かべているアリステアが、真剣な表情をしている。

「アルメニアの水路の工事現場で起きた崖崩れは、マルグリットが仕組んだものだったのだ」

「……。まさか……」

「古代の魔道具が使われた事故だった。カストロイア王家が所有していた爆発を起こす事ができる魔道具だ。起爆を誘引する小さな玉のような魔道具が複数あり、それを爆発させたい場所へ埋め込むと、遠隔操作で遠くからでもその小さな魔道具を爆発させる事ができる。クラウスが魔道具の場所を移す前に、マルグリットはそれを持ち出していたようだ。さらに他に持ち出している魔道具がないといいのだが……。クラウスは、水路工事の現場付近の地形の詳細な地図を手に入れていた。その地図を細かいところまで覚えており、私だけでなく現場の作業をしていたみんなを爆発の際に咄嗟の機転をきかせて誘導し、避難させ事なきを得た。その避難した谷の隙間の道から山脈に入ったら、二回目の爆発が起きて、建設中の水路が破壊され、水と土砂がなだれ込んできた。退路が断たれ、我々は巨大な山脈の向こう側へ抜けるしかなかった。我々が抜けてきた道は水路崩壊により水位が上がり、水に飲みこまれていって、途中で溺死しそうになったが何とかぎりぎりのところで、水から逃れられた。地獄だったよ。しかし、辿り着いたのは人が決して通れないアルメニアの西に君臨する大山脈の向こう側。どうやってアルメニアに戻ろうか皆で必死に考えた」

「兄さま……。なんてこと……」

過酷な状況を想像し、涙を流すセシルに、アリステアは、自慢げな笑顔を向ける。

「一緒にいたのは、アルメニアの一流の水路建設に携わる者たち、そして、私とクラウス。では、帰路がないなら造ろうじゃないかって話になった。クラウスは山脈の向こうの土地に住む人々と交流をはかり、トンネルを掘るための道具を手に入れてきて、山脈の特徴を読み込んで、掘り進めた。その土地に住む人々も山脈の向こう側の国々とつながる道ができることを喜んで、たくさんの人手を貸してくれた。そうして、約一年半かけて、トンネルが完成した。誰も登ったことのない危険な山脈を越える登山技術を身につけ防寒着を作った場合と、どちらが早かったかはわからないがね。そもそも最初の爆発の際にクラウスがいなかったら決して助からなかった。みんなの命の恩人だ」

感謝を込めた目をクラウスに向ける。

「私は、ステアをお守りするために存在していますからね。ステアを失うことは、カストロイア王国の滅亡につながります」

セシルは以前から、この二人が揃えば出来ないことはないとは思っていたが、話を聞くと尋常ではない行動力である。アリステアは話を続ける。

「アルメニアに戻ると、まずは皆が生きていた事に驚かれたが、さらにトンネルができていて、山の向こうの土地の方々がとても友好的で、今後の貿易などが期待できそうな事を大変喜んでくださった。水路は崩壊してしまったけど、その代わりに新しい道を作ったということで、前向きにとらえてくれた。アルメニアから、一か月ほど前にカストロイアへ帰還して、我々が旅立った後の事を調べ上げたところ、私を亡き者にして王座を狙っていたマルグリットが仕掛けた事だというのが分かったのだ」

「浅はかな考えです。ステアが国をどれだけ守っていたか全くわかっていなかった。王女という立場であるにも関わらず。他国の身分が高いもの達に自分の体を与えて意のままに動かそうとしていた際に、自分が王位につこうとの魂胆だということは掴んでいましたので、ことごとくそのもくろみは私が潰して差し上げました。しかし、アルメニアの人々さえも巻き込んで爆破事件を起こすとは……。カストロイアの王女が首謀者だと分かればアルメニアとの全面戦争ですよ。工事のための莫大な資金と途方もない時間のかかる水路を破壊したのですからね。本当に馬鹿としか言いようがない」

アリステアは衝撃を受けているセシルの肩を抱いた。

「アルメニアには、我々の無事を口外しないようにお願いしました。ステアと私が生きていたと分かると、また何か仕掛けてくるかもしれませんのでね。国を取り戻した後に、かの国へはそれ相応の賠償とお礼をするつもりです。」

「私たちの方から戦争を招くようなことをするなんて……。我がカストロイア王家にあってはならない事です」

 古代からカストロイア王国は侵略戦争をしたことはない。カストロイアを狙い攻め込まれる場合はあるが、なるべく戦争にならないようにしてきた。力で奪い合うという行為を愚行であると認識している王が、代々受け継いできた王家なのだ。 

「セシル。兄様は急いでマルグリットを捕え、処罰しなくてはならない。国を取り戻すために動くのはその後だ。まずはマルグリットを自由にしておいてはいけない。マルグリットは現在、ラース国にいるらしいのだ」

「ラース国。ちょうどギルベルト王子もラース国にいらっしゃるのです」

「そのようだな。マルグリットはまだカストロイアの王座を諦めていないようだ。アルメニアの王子を襲い、王子を捕虜にしてカストロイアへ連れ帰り、自分をカストロイアの女王だと認めさせる気だ。また、あの爆発の魔道具を使用した計画を練っているとの情報を掴んだ」

「兄様! 魔道具を使う前におとめしましょう‼ さらに、王子様を捕虜にするなど、とんでもない事です」

「ああ。何としても阻止する」

 アリステアはセシルの両腕を掴んで、優しい笑顔を向ける。

「マルグリットを何とかする前に、まずはセシルを救い出さなくてはいけなかった。何にも代えがたい我が愛しの妹よ。カストロイアに何かあった際はセシルを守るように伝えていた貴族達が孤児院にたどり着く前に、メルティスの王子が着いてしまった。しかし、こうして無事に会えて本当によかった」

 セシルを抱きしめる。

「兄様」

 セシルも兄をぎゅっと抱きしめる。

「カストロイアの辺境の貴族の屋敷でお前が安全に暮らせるようにしてある。メルティスにかぎつけられる事はない。その土地を知らない人間には辿り着くことができない複雑な場所だ。暫くそこで待っていてくれないか。国を取り戻し、王城へ帰れるようになるには少し時間が必要だ」

「兄様、私もラース国に行きます。魔道具がもし使われるのでしたら、私の力が必要な場合があるかもしれません。我が家の問題ですので、私達兄妹で解決しなくてはいけません!」

 アリステアは困った顔をする。愛しの妹を危険な目にあわせられないという思い。有事の際に守れなかった妹を、姑息な罠ばかりしかけてくるマルグリットのところには連れて行きたくない。クラウスも同じである。

「私の魔法でお救いできることはあります。兄様が私を心配してくださったのと同じく、私も兄様とクラウスをこれ以上危険な目にあわせたくはないのです。私だけカストロイアに戻っても、兄様とクラウスを心配しすぎて倒れてしまいそうです。それに私もお姉様にお会いしたいのです。このような事態になった原因をお姉様がおつくりになったのであれば、私からもお諫めしなくてはいけないと思います。私が怒ってもお姉さまはへっちゃらなのですが。私としましても、処刑される身分となったのは、お姉さまのせいでもある訳なのですから……」

 アリステアとクラウスは、顔を見合わせる。マルグリットが古代の魔法具を持ちだしている事態でセシルの魔法は心強い。また、仲の良かった姉妹であるセシルがいれば、マルグリットの抵抗も少しは緩むのではないかとも思った。

「セシル、兄様がお前を決して傷つけさせないようにする。だから、もし何があっても兄様から離れられないようにしてくれ」

「はいっ。もちろんですわ」

「兄様は、本当はセシルには安全なところにいて欲しい」

「兄様、ありがとうございます。でも、もしラース国へご一緒に行かない場合も、私はやはりカストロイアには帰れません」

「なぜ? セシル」

「私は王子様と夜を共にしてきました。王子様がラース国へ立たれてから、寂しくて眠れないようになりました。私は身も心も王子様に奪われたのです。毎晩、私に快楽を与え続け、王子様の虜にさせ、お側から離れられないようにして、逃げても戻ってくるように懐柔しているのです。やはり、私をつなぎとめておいて処刑するつもりなのだと思います」

「「……」」

「さらに、お城では皆様にとても親切にしていただいています。クラウスから兄様がいらっしゃると聞いて、侍女に変装して城を出てきましたが、いきなり私がいなくなって、皆様がどれだけ心配されていらっしゃるか……。心苦しいです。私はやはり、お姉様の事が解決したら、王子様の城に帰ります。そして、城で処刑される日を待ちます。私はもう王子様から逃げられないのです」

「セシル……。処刑されないと思うのだけどな……。兄様は。処刑されるのであれば猶更、城には返したくないなぁ」

「私は早く処刑を済ませて欲しいと思っておりました。王子様の事を考えると苦しいのです。王子様を思うと胸が高鳴ります。お顔を見ると、顔が火照るのです。爽やかで端正な顔立ちの王子様が横に寝ていらっしゃらないと寂しくて仕方がないのです。王子様とベッドで抱き合うぞくぞくするあの感覚が……恋しくて。この王子様への思いは、死なないと消えません。私をつなぎとめておくために王子様は、私をご自分に夢中にさせていらっしゃいます。もう逃げられません! 処刑されないとおさまりません……」

「セシル。それなら兄様でどうだ? 寂しくて寝られないというなら今夜は兄様と愛し合おう。そうして王子を忘れるのだ。セシルを渡さないし、国も取り戻さなくてはならない」

「ステア。教会が許しません。カストロイアを取り戻せなくなりますよ!」

 尊い血を引く賢く美しい王子がたまにおかしなことを言い出す事には慣れているクラウスだが、この話は内容が内容なだけに不機嫌な声を出す。仲の良い兄妹であるし、本当に一線を越えかねない。

「お前は頭が固いのだ」

「そういう問題ではありません!」

「わかったよ……。しかし、セシルをカストロイアに攻め入ったメルティスに置くのは避けたい。あんな国王だったが我らが父を殺めた王子にやるわけにはいかない」

 アリステアは、うーんとしばし考え込んで、うんと頷く。

「セシル。隣の部屋にはアルメニアに一緒に向かった近衛兵が四人いる。お前も親しい者ばかりだ。この一年半はトンネル工事を共にこなし、鍛え上げた肉体を持つ。そこにクラウスも加えて、五人の中から選ぶといい」

「「何を?」」

 セシルとクラウスの声が重なる。二人には答えず、アリステアは、隣の部屋から四人の近衛兵を連れてきた。王子の近衛兵である彼らは、皆が名家の出身で聡明な者達だった。そして、兄の近衛兵だけあってセシルもよく知る若者達だ。

 アリステアは、近衛兵とクラウス、セシルに向かって王子らしい凛々しい表情で告げる。

「セシルが寂しくて寝られないという由々しき事態だ。今夜を共に過ごす相手をこの中かから一人、セシルが決める。そしてその者をセシルの結婚相手として、私は認める」

 皆が、唖然とする。

 クラウスは権謀術数の宰相と評判が高く、彼の策略や有事への対応、臨機応変な切り替えしは見事なものだった。だが、今の事態には頭がついていかない。アリステアの言葉通り、セシルをこのままメルティスに渡すのは反対だ。カストロイアにメルティスが攻め入り王を殺した事実は消えない。しかし、セシルは古の神の時代から続く尊いカストロイア王家の王女である。こんなに簡単に臣下たる自分達との婚姻を進めていいのか? しかもその候補に自分も入っている。

セシルとは幼い頃から共にしてきた時間が長く、幼少より神がかった美しさを放つ彼女をずっと近くで見てきた。また、彼女が何にでも真剣に取り組むこと、分け隔てなく、誰に対しても思いやりに溢れている事、さらに、自らで料理までする。何度もセシルの料理を食べて舌鼓をうった。セシルと結婚することに何の異議もない。

自分でいいのか? セシルの婚姻については、いずれ王家で考える時がくるのは分かる。しかし、それを熟考せずに今決めるのか? 自分の身分であれば、臣下といえどもセシルの相手としてあり得ない話ではなかったが、いきなりのアリステアの発言に対応できないのだ。クラウスも、セシルに異性として好意を持つ一人であることが、彼の思考を乱していた。

 近衛兵達は初めのうちは、ただただ、驚いていたが、天使のような姫君であるセシルとの結婚など、嬉しくないはずがない。すぐに、自分が選ばれないだろうかと顔をほてらせ期待した。

「さあ、セシル。どの者にするか?」

 セシルは、恥ずかしそうに顔を赤らめていたが、口を開く。

「小さい頃からずっと一緒にいたクラウス……に」

 近衛兵達は、まあ、そうだろうなぁっといった様子。

「では、我々は出て行こう。この部屋は二人で使ってくれ。」

 アリステアは、近衛兵達と一緒に出て行った。


 今夜はこの宿に泊まり、明日早朝、ラース国へ向かう事になっている。

 セシルとクラウスは、ベッドに腰かけて並んで座っている。親しい二人であるが、気まずそうにどちらも口を開かないまま、時間だけが過ぎていく。

「セシル 私を選んでくれて、ありがとう」

 沈黙はクラウスにて、破られた。

「クラウスは、私が一番親しい男性ですわ」

「それは、間違いない……」

 クラウスは黒髪に光る瞳を持つ。黒髪の貴公子と社交界で囁かれ、羨望の目を惹く彼は、婚姻によりカストロイア王家の血を持つ公爵家の人間で、彼の瞳はオーロラ色だった。

「我々がアルメニアから帰らない間、何か辛いことはありませんでしたか?」

 隣からセシルの顔を覗き込む。セシルは、彼の賢さが滲み出ている上品な顔を近くで見て、どきっとする。見慣れている幼馴染だが、アリステアがいきなり結婚相手と言うものだから、急に意識をし出した。

「お父様もお姉様も私にはお優しいままでした。私は何も変わらず、過ごすことができていました。私がお二人をいい方向へ導ければよかったのですが……。クラウスのように私は、政治は操れません」

「あなたがそんな事をする必要はありませんよ。セシル」

 クラウスは、セシルの頭に優しく手を置く。

「ステアはああ言っていましたが、私たちがすぐにどうにかなる必要はないと思います。今まで通りの私たちで大丈夫だと思います。メルティスの王子とのこともありますし、あなたはゆっくりと考えればいいのですよ」

「はい……。寂しくて寝られないというのは、嘘です。寂しいですが、きちんと寝ています」

「わかっていますよ」

 クラウスは、くすりと笑う。セシルがよく知っている優しい兄のようなクラウスの笑顔。

「では、もう遅いし寝ましょうか? 昔はよくステアやマルグリットと一緒に四人で寝ましたね」

「ええ。懐かしいですわ。クラウスと一緒に寝れば、全く寂しくありません」

 笑顔を向けるセシルのおでこに、「おやすみ」と言ってから、クラウスは軽くキスをした。お返しとばかりに、セシルは、クラウスの頬にキスをする。

その夜は、クラウスの腕の中で安心して深い眠りについたセシルだった。

クラウスはというと……、男として最大限の我慢を強いられて、あまり眠れなかった。


翌朝、クラウスとセシルは二人で抱き合うように馬に乗り、出発した。道中、二人は常にいちゃいちゃしているようにアリステアと近衛兵達には見えていたが、以前から仲の良い二人のままだった。




          七




ギルベルトは、メルティス国とラース国の国境の町マルディスへ向かっていた。

マルディスに今夜は滞在し、明日、メルティス領へ入る。

自分の護衛でメルティスから赴いていた百人もの兵士達との移動で、仕方がない事だがその進行速度の遅さに苛立っていた。王族である彼の正式な他国訪問には、これぐらいの兵士の護衛が必要だった。

セシルが城からいなくなったという報告をうけて、自分だけでも昼夜なく馬を駆けて国へ帰還したかったが、ドルマン公爵とマルグリットが動いており、この町で何か企んでいるとの情報を得たため、返り討ちにしようと思い、兵士達と町に一晩泊まる事にした。

セシルが城から消えたと聞いた時には、何を差し置いてでも彼女を探しに行くという衝動にかられたが、よくよく考えると、セシルがいきなり温室から消えたという話には、違和感を持った。

セシルは今までも城中を好きに歩いていたし、侍女はつけていたが、見張りなどはいなかった。逃げる素振りなど少しもないのである。城の外に行きたがったりすることもなく、城のみんなと仲良く接し、毎日楽しそうに過ごす姫君であった。城の料理の手伝いをできない事は寂しそうであったが、彼女が手伝うことなくとも料理人の出す食事を毎回褒めて、美味しそうに食べていた。

なぜ、このタイミングで? 自分の留守を狙っていたのか? それにしては、自分が留守にしてから数日経って、いきなり温室で何も持たない状況でいなくなったというのだ。

誰かが手引きしたとしか考えられない。だが、城の者が手引きしたとは否定したい。城に入り込んだ何者かがさらったのだとすると、あまりに手際が良すぎる。近くに侍女がいる状況で侍女に全く気付かれずに、無理やり城の真ん中に位置する温室からセシルをさらうことは、かなり厳しいと考える。しかし、さらいに来た者が、セシルの知っている人物であったならば……。セシルが侍女のふりをしていた時にギルベルトは会っている。手引きした者と一緒に、自分の意思で侍女の衣装を着て侍女のふりをして城を出るのであれば、可能である。

では、自身で望んで城を後にしたのか? 自分の元を離れて行ったのか。 

セシルと出会ってから、毎晩セシルと愛し合った事を思い出すと、感情の整理ができない。セシルは、ただ、助けが来るのを待っていたのかと考えると、滅多に心を乱さないギルベルトだが、どうにもできない苛立ちを胸にふくらまし、不機嫌さを顔に出していた。

第一王女マルグリットはわざと逃がしていた。

マルグリットが、ラース国に逃げ込んでいた事は、カストロイア王城に攻め込んでから早い段階で掴んでおり、さらに彼女がカストロイア王家の古代の魔道具を持っていることも、密偵が調べ上げており分かっていた。

そして、その魔道具により、セシルと帰還する道中の道で谷を爆破し道をふさいだ後に、大岩を頭上に落とされたことも。

すぐに捕らえて惨たらしく処刑しようと思ったが、同盟を結ぶ予定のラース王から少しの間待って欲しいと懇願された。ラース国の有力な貴族であるドルマン家が絡んでいる。大貴族とはいえ、しでかした事が重大すぎる。国を動かす力のある名家が国を滅ぼしかねない愚行をしているのだ。下手をすれば、国が揺らぎかねない。

同盟を結ぶために、ギルベルトのいとこの令嬢とドルマン公爵家の跡取りが婚姻を結ぶ。メルティス王家としては、メルティスの西に隣接しているラース国との同盟を結びたい。カストロイア王国へ攻め上がり、東と北の国とは沈着状態である。そこで西の国とも決別するのであれば、戦には強いメルティスでも厳しい事態になりかねない。

セシルが城から消えた話と、マルグリットとドルマンが自分へ何か仕掛けようとしている事を、あらゆる情報を集め彼へ報告する側近のアランから同時に聞いた。結婚式が終わった翌日に同盟を結び終わった後であり、帰り支度をするかと思っていた時だった。

マルディスに馬を進めるギルベルトの怒りは、頂点に達しようとしていた。


国境の町では、同盟国になった国のギルベルト王子と兵士達を、町中の民衆が出迎えた。行きの道中では通っただけであり、帰りは一泊するとのことで、歓迎の宴会を、町を総出で企画しており、町の長の城を花で飾りつけて、沢山の料理と酒をふるまった。

ギルベルトは、町の長の城で宴会の場となっている広間から奥まったところにある庭園に通され、町長に料理を進められていた。川が流れる庭園で広間の喧騒は届かず、静かな空気が流れている。

今夜、町長の城の次に広い建物である宿に、ギルベルトと兵士達は滞在する。城のすぐ側に建つため、荷物や鎧や剣や弓矢は、各自の部屋に置き、心置きなく食事を楽しんだ。ギルベルトも聖剣カルデレッセリアを帯びておらず、軽装である。マルグリットとドルマン公爵が何かこの場所で企んでいるのを知っているため、わざと警戒しているそぶりを見せずに剣さえも身につけず、彼らをおびき寄せて、酷い目に合わせてやろうと思っていた。

マルグリットが魔道具を使うかもしれないとギルベルトは警戒していたが、マルディスの町には、爆破する崖もなければ、谷もない。町長の城と豪奢で大きな宿を囲むように民家が立ち並ぶ。ここで爆発をさせれば、町も民衆も大打撃を受ける。ラースの町を破壊するような事を、ドルマン公爵は許さないだろう。魔道具でなく、大勢の兵士で丸腰の自分を取り囲むくらいの事しかできないだろうと予想した。

一緒に食事をしていた町長とその妻、料理を次から次に運んできた者たちの気配が全くなくなった。

ギルベルトが庭園と広間につながる道に目をやると、オーロラの髪と瞳をした美しい姫君が立っていた。

「やっとお会いできましたわ」

「マルグリットか? 自分から私の前に顔を見せるとは、よほど死にたいようだな。お望み通り、醜く切り刻んでやろう」

 激しく睨みつけながら辛辣な言葉を発するギルベルトに、マルグリットは全く怯んだ様子を見せずに近づいてくる。神の美貌を持つ自分を受け入れない男などこの世にいない。私の興味を引きたくて、わざと歯向かってきているのだなと。

「セシルだとは思いませんでしたか? 私達よく似てますでしょう? セシルを毎晩お召しになっているとうかがいました。あの子と同じ容姿の私が、あの子とは比べ物にならないくらいの快楽を与えて差し上げてもよろしくてよ?」

「お前に興味はない」

 セシルの名前を出してしまったが為に、ギルベルトの声が低くなり、目はさらに鋭くなり、その目だけで切り殺してしまいそうな雰囲気である。

「セシルは死にました。カストロイア王家の血を引き、オーロラの髪と瞳を持つ王女は私だけになりました。私を手に入れないと後悔することになりますわ」

 死んだ? マルグリットが城からセシルをさらったということか? いや、それならば、何かしらの手がかりがあったはず。マルグリットにはかなりの人数をつけて動向を窺わせている。だが、そのような報告は一切受けていない。各方面に放っているメルティス王家直属の密偵達は信じるに足る有能な者達だ。

「私と一夜を共にすれば、セシルなど思い出すこともないでしょう。カストロイア王国も私もあなたに差し上げます。あなたにはその資格があります。あなたほどの美しい王子はおりませんわ」

 妖艶な笑みを浮かべて近寄ってくる王女は美しかった。神がかった美をまとっていた。世の中の男達を魅了してやまない風貌の王女は、自分が近づけば当然手を取ると疑わず、ギルベルトが座っている庭園のテーブルへ近づいた。

「きゃっ!」

 ギルベルトが手にしていた杯のワインをマルグリットの顔へ、勢いよく浴びせた。彼女は信じられないという表情でわなわな震えた。

「外見は整っていても、所詮蛮族の国の王子ですわね。慇懃無礼にもほどがあります。少しお仕置きが必要ですわね。私が優しくしているうちに言う事を聞いておけばよかったと後悔しますわ! これからゆっくりと調教して差し上げます。私好みの王子の立ち居振る舞いを身につけさせて差し上げますわっ!」

 マルグリットが左手を上に上げた。庭園の方々から、鎧を身につけた騎士が、わらわらとギルベルトを取り囲むように剣を構えて現れた。

ギルベルトは立ち上がる。

「少し痛めつけても構いませんが、顔だけは傷が残らないように捕えなさい」

 マルグリットの言葉を受けて、一人の騎士がギルベルトへ襲い掛かり、剣を振り下ろそうとした。顔を避けてギルベルトの肩を狙ってきた。その騎士の一振りを左へ払い避けると、鎧の上からギルベルトは渾身の膝蹴りを腹の部分へ入れると、騎士が「ぐへぇっ」と声を上げて倒れ込んだ。

その騎士の鎧がかなりへこんでいたのを他の騎士は見て、ぞっとした。固い鎧を一撃でへこませる威力で蹴りあげるギルベルトの恐ろしさを目の当たりにしてしまった。

「剣を持っていないなら何とかなるとでも思ったか? この私をっ!」

 ギルベルトは倒れた騎士から剣を奪い、次々に彼の周りを囲んでいた兵士をなぎ倒していく。聖剣カルデレッセリアではない普通の長さの剣を扱う彼は、息さえ乱していない。おもちゃの剣を振り回すかの如く。

騎士たちは、次から次に庭園に現れる。現れてはギルベルトに恐れおののき、息を乱して剣を振り回すが、あっさりと倒される。

「威力が足りないな。この剣では」

 ギルベルトが呟いたのを、マルグリットは聞いた。

この王子が聖剣を持っていたらどうのような事になっていたかを、想像すると恐ろしい。無表情で静かに剣を振り回し、騎士を倒していく。剣が駄目になると別の騎士の剣を奪う。無限に騎士を倒してしまいそうだ。数々の戦場で長剣を軽々と操り、平気で敵国の部隊を一人でなぎ倒す彼の姿が容易に想像できる。

「私は今かなり機嫌が悪い。八つ当たりにもう少し付き合ってもらおうか」

 倒れていた騎士達は薄笑いを浮かべる恐ろしいギルベルトの形相を見て、逃げ惑う。整った顔に冷酷な威圧感をのせている王子は、空気が切れそうなくらい、鋭い雰囲気を纏う。

大半の騎士達が逃げていき、もう騎士が出て来なくなったと思ったら、町長とドルマン公爵が見えた。町長は二人と共謀してギルベルトを奥に通し、騎士達に襲わせたのだろう。この町はドルマン公爵領だった。二人の顔は引きつっていた。

「マルグリット様 逃げましょう。この王子は本当に危険なのです。これを見てお分かりになったでしょう! 捕らえるのは無理なのです。殺してしまうしかありません。我々は安全な場所に行き、例のものを……」

 ドルマン公爵は、震える声でマルグリットに言う。ギルベルトから少しでも遠くに行きたいといった風に、距離を置いて木の陰に隠れながら。

 マルグリットやドルマン公爵がいる方向の真逆から声がする。

「マルグリット。君には罰を受けてもらわなくてはならない」

 ギルベルトが目をやると、オーロラの髪と目を持つセシルとよく似た美しい男が立っていた。そのすぐそばには、一度だけ使者としてメルティス王家を訪れたことがあり、ギルベルトと面識のあるカストロイア王国宰相のクラウスがいる。カストロイアの王子だと瞬時にわかった。

「兄様! 生きていたのですか? なぜここに!」

「君が持ち出した魔道具を回収し、君の後始末をつけるのが私の役目だ。ここでメルティスの王子を襲うというお前の悪巧みを事前に嗅ぎつけていた。城の中でどこにお前が現れるかまでは分からず、遅くなりすまない。王子に狼藉をはたらく前に止めたかったが……」

 マルグリットはいきなりのアリステアの登場に驚くが、すぐに悪態をつく。

「余計な事を。命が助かったのだから王位は諦めておとなしく、していればよかったものを! この町は兄様なんて招待しておりません!」

「これ以上、歪んだ我が妹を野放しにして、やりたい放題させる訳にはいかない。招待されずとも、メルティスの王子たちが着く前からこの城に潜入し、宴会の料理を勝手につまみながらお前が現れるのを待っていたから、腹は空いていない。心配するな」

「兄様、相変わらずですわね。緊張感のないその余裕。いつもあなたは正しく冷静。クラウスが側にいるおかげかしら。でも、今度こそここで殺して差し上げますわ。死に損ないの兄様。カストロイアは私のものです! ギルベルト王子 今ならまだ許して差し上げます。私と共に行きましょう。美しく強いあなたを愛してあげます。兄様と一緒にこの城ごと吹き飛ばされたくなければ私と来るのです」

「城に魔道具を仕掛けてあるのか? 大勢の人がいる場所に!」

 アリステアが、マルグリットを睨む。

「これ以上の悪事はやめるのだ! マルグリット! 遠隔から爆発を促す装置を渡すのだ。お前がそれを使おうとすれば、クラウスの矢がお前の腕を射る!」

 マルグリットは、アリステアを苦々しくちらりと見て、その横のクラウスを見ると、弓矢を自分に向けて構えている。クラウスが、弓の名手であることは、よく知っている。

アリステアとクラウスから目線を移し、諦めきれないといった様子で、ギルベルトに遠くから手を差し伸べる。

「王子、私とカストロイアの王になりましょう。カストロイアの王になって、英雄譚にあなたの名前を残すのです。あなたこそが私に相応しい」

 自分を睨みつけるギルベルトを見て、王女は人差し指をあげた。

 ずんっと音がして、建物が崩れる音と悲鳴が響いてきた。

「城の一部ですわ」

アリステアとクラウスは、爆発を誘引する装置をマルグリットが持っていると思っていたが、他の誰かが持ち、マルグリットの合図で操作をしていたのだ。

マルグリットを射るしかない……。アリステアもクラウスもその覚悟を持ってこの場にいるのだが、マルグリットが自分に何かあったら、それを合図として爆破するよう指示を出しているかもしれない。

マルグリットの合図で動いた人間を、探すが……。

「私は一瞬でこの城を吹き飛ばす事ができます。王子、賢くおなりなさい。カストロイアが手に入るのです! カストロイアの魔法の道具も宝物も城も私も全てあなたのものです」

 ギルベルトは、まさかドルマン公爵がこの城に爆発する魔道具を仕掛ける事を許すとは、考えてなかった。城を爆破すればどれだけの被害がでるのか。それを考えないとは。ここは戦場ではない。民衆が暮らしている町なのだ。どこまでも卑劣で愚かな者達なのだ。マルグリットとドルマン公爵への蔑みと怒りが募る。

騎士が逃げる際に置いていった、まだ刃こぼれをしていない切れ味がよさそうな剣を拾い、ギルベルトは歩き出す。マルグリットとドルマン公爵を切るために。

「カストロイアの城はすでに我が国のものだ。さっきも言ったが、お前には全く興味がない。今から最も痛みを感じる惨たらしい殺し方で、あの世に送ってやる。覚悟しろ」

「止まりなさい。王子。剣を捨てて私の元へいらっしゃるのでしたら、受け入れてあげますが、そのまま近寄るのでしたら、城を爆破します」

 ギルベルトは歩みを止める。しかし、剣は握ったままだ。今にも切り付けてきそうな目で、剣を握りしめている。

「なんて強情なっ。私がこれほど申しているのに。セシルはもういないのですよ。私の手を取らねばオーロラの王女は二度とその手に抱けないのですよ! オーロラの王女をあなたは溺愛しているのではなくて?」 

「セシル姫と貴様とでは、天使と魔女ほどの違いがある。」

「はっ?」

「カストロイア王城の料理長の言葉だ」

 マルグリットが美しい顔を歪める。

「あの者ぉっ、前々からセシルセシルと言っていて天使と崇め気に入らなかったのです。なんという無礼者っ」

 マルグリットは、アリステアをなぜか睨む。

「兄様! あの者を処罰してくださいと何度も私が申し上げた際に、聞き入れてくださらなかったですわね! 兄様がそもそも悪いのですわっ」

「何度言われても断る! 私はあの料理長のばななケーキが大好きなのだ」

 ギルベルトは、王子にセシルと似た何かを感じた……。

クラウスが口を挟む。

「マルグリット。ステア。ふざけている場合ではございません。先ほどの爆発で火が上がってきているようですよ」

 城から煙が出ていた。

「マルグリット。セシルに刺客を放っていたようだが、その刺客が着く前にセシルは城をでていた。セシルは生きている」

 アリステアの言葉に、ギルベルトは、セシルを城から誘導したのは兄である王子であったのだなと悟った。兄であればセシルが自ら城を出るように促せるのだ。やはり、王子とクラウスは生きていた。事故で消息を絶っていたが、いずれ何らかの行動は起こしてくるのではないかと思っていた。クラウスがついているのだから、いくら各地にいるメルティスの密偵であれ、その気配はつかめなかったのだなと。

「セシルが死んでいないのであればそれはそれでいいですわ。ギルベルト王子。私と共に王になるのであれば、いつでもセシルをお抱きになればいいですわ。あなたはセシルをお気に召している様子ですので、セシルは私の侍女にしてあげますから。セシルは私の侍女として、私の都合のいいように使ってあげるだけですわ。あの子と私の立場はそんなもので…」

 マルグリットが言い終わる前に、ギルベルトの耳に最愛の姫の声が聞こえる。

「お姉様! 酷い。あまりにも酷いですわ。私はお姉様をお慕いしていたのに、私を殺そうとなさり、侍女になさるなど……。お姉様は私を愛してくださっていると信じていましたのに……」

 溢れ出しそうに目に涙を溜めたセシルが、アリステアとクラウスの後ろから出てきた。

「セシル! お前までこんなところに!」

「お姉さまに恨み言の一つも言わせていただかないと悔しく思い、連れてきていただきました。私もお城のお料理をこっそり頂きましたので満腹ですので、ご心配なく」

「兄様といい、お前といい、この状況でよくもそんな事を! 食事の心配なんてしていません」

「そんな……、お姉様。兄様と私が遠出した先でお腹を空かせていないかは、ご心配していただけないのですか?」

「食事の事を言うのは、もうおやめ! それよりも今は……」

 食事よりも大切なことはない! セシルは、マルグリットへ怒りをぶつける。

「お姉様! 酷い! 酷い! 酷い!」

「静かになさい! セシル。私の分身のようなお前を愛しているわ」

「えっ? お姉様。いいえ、もうお姉様のお言葉は信用できません。食事の心配もしていただけず、私はお姉様の侍女として都合のいい時に使われるのですわ……」

「お前は侍女の真似事が大好きじゃない?」

「うっ。それは、好きですわ。でも……」

 マルグリットはセシルの全身を上から下まで何度か目で往復して、呆れたように言う。

「セシル。あなた随分とぽっちゃりしたわね」

「うっ。メルティスはお食事が美味しくて……。お菓子も沢山……」

「なんてことなの。自分の美しさの管理もできない子だったなんて! やはり私の方が、ギルベルト王子に相応しいわ」

 セシルは勝ち誇った笑顔をマルグリットに向ける。

「王子様は、ふっくら太ってさらに大きくなった私の胸が大好きなのですわ。何度も何度もしつこいくらい触ったり、舐めたりなさいますわ!」

「「「……」」」

 アリステアとクラウス、マルグリットは、ギルベルト王子が立っていたところに自然と目が行く。しかし、彼はそこにはいなかった。

「姫君。黙ろうか」

 姉妹が言い争っている間にセシルの元に移動していたギルベルトは、後ろから抱きしめて、セシルの口を手でふさぐ。

「むぐっ」

「そもそもなぜこの場にいる? 私は城から出ていいと言ったか? なるべく早く戻るから待っているように言わなかったか? 覚えていないのか?」

 セシルの口から手を放し、ギルベルトは自分の方に姫を向かせ睨む。

「い、いいえ。覚えております……」

 ふるふると首を横に振る。

「いきなり姿を消して、城の者がどれだけ心配しているのかを考えないのか? 姫君をあれだけ慕っている者たちを」

「ごめんなさい……」

「さあ、城へ帰ろう。こんなところにこれ以上いる必要はない」

 セシルの肩を抱いて歩き出そうとするギルベルトに、マルグリットはまだ彼への執着を手放せないようで言葉をかける。

「ギルベルト王子。ここからは逃げられません。四方八方をふさいで城を吹き飛ばしますわよ! あなたは私と行くしかないのです。セシルも連れていくことは許します。ただ、あなたが肩を抱くのは私です」

「貴様など、汚らわしくて触れる事すらできない。私の視界に入る事さえも疎ましい。消えろ」

「なっ……、なんですって……」

 これまで、男から好意を持たれ、愛をささやかれる事しかなかったマルグリットは再三に渡るギルベルトの言動に、さすがに傷ついてきたようだ。涙が一筋いつも強気な彼女の目から流れて頬を伝わる。

 その様子を見た優しいアリステアは、これまで散々マルグリットに振り回され、殺されそうにもなったのだが、傲慢で自尊心が高い妹の初めて流す涙に同情が芽生えた。

「マルグリット 兄様ではどうだ? 兄様を愛するがいい。」

「ステア 教会が許しませんよ」

 マルグリットのギルベルトへ向ける言葉は、不器用極まりない。実は、「好きです。一緒にいたい」との思いを伝えたいだけ。

「お姉様と私は、男性の好みもよく似ていますわ。好きな相手に自分の気持ちを上手く伝えられないところも。お姉様は王子様に好意をお持ちになっていらっしゃる。私も王子様と出会った瞬間から、素敵すぎて目でずっと追ってしまいました……」

 アーニャとして変装しており、表情が分からなかったが、孤児院で甲斐甲斐しくギルベルトや騎士達の世話をしていた時に、すでにもうギルベルトに惹かれていたのだと呟いた。その時を思い出して、ほうっと、うっとりした表情をするセシル。

 ギルベルトは、愛しくて仕方がないセシルが、自分に対して早い段階から抱いていた感情をこの時、初めて知った。今まで生きてきた中で、最も喜びを感じる瞬間だったかもしれない。すぐにでもセシルを押し倒して、キスをして、それから……。だが、それが出来ないこの状況。マルグリットやドルマン公爵へ「本当に余計な事をしでかしてくれる奴らだっ」と、怒りがまた湧き上がる。


ギルベルトを恐れ、遠くから様子を見ていたドルマン公爵は、マルグリットがギルベルトに言い寄る言葉を散々聞いていた。自分と婚姻関係を結んでカストロイア王国を手にすると誘惑してきたが、ギルベルトへ投げる彼女の言葉に嘘はないように受け取った。彼への執着を嫌というほど見せつけられたのだ。

「マルグリット。あなたを妻としてこの胸に抱く至福の時、その時間が訪れると信じていた。私はあなたを愛していたのですよ? その私の前で王子に対してここまで言い寄るとは……。王子を亡き者にして、カストロイアを手に入れるのは私とあなたのはず……」

 ドルマン公爵のこの言葉に対して、流れていた頬の涙を手でぬぐい、嫌悪をあらわにした表情を見せるマルグリット。

「私に対してはその態度ですか? メルティスに追われるあなたをラース国に滞在させるためにどれほど私が財力や権力を使ったのか、おわかりでしょう。この町もあなたの為に差し出したようなものだ。王子を殺すために城も町も犠牲にするなどと。そこまであなたの為にやった私になにか言葉はないのですか?」

「使い捨ての駒は、ただ捨てるだけですわ」

 マルグリットは、プイッと公爵から顔を反らす。ドルマン公爵は、俯く。

 その様子に同情をしたセシルが、

「公爵様、あなた様のお姉様への深い思いはよくわかりました。お可哀想に……。公爵様 私はいかがでしょうか? 私をお姉様の代わりに愛していただけませんか? お姉様によく似ておりますし」

 とついあり得ない提案を口にした。セシルとアリステアは似たもの兄妹なのだ。

「えっ?」

 ドルマン公爵はセシルをまじまじと見て、嬉しそうな表情をしたが、次の瞬間、

「姫君。黙ろうか。さすがの私も我慢の限界だ」

 と、ギルベルトに羽交い絞めにされた。

 忌々しそうな顔をして「ちっ」と、ドルマン公爵は舌打ちする。

高い身分を持つ公爵が、危険を冒して守ってきた王女を見限るのは、あっけないものだった。

「マルグリット。汚らわしい嘘つき女。お前はここで心を寄せる王子と焼け死ぬがいい。全て灰になった後、当初の計画通り、メルティスの王子は不慮の火災で焼け死んだことにする。私はこれまで通りラース国を牛耳っていく。お前などに心を奪われた自分を恥じるべきだが、私は私のものは、決して失わない。地位も財産も。マルグリット。その美しい顔が炎に焼かれる様は、見たかったがお別れだ。来世はわたしの奴隷にでも生まれてくるがいい」

 ドルマン公爵はマルグリットにそう言い放つと、暗闇へ消えた。

その直後、四方の重い扉が閉まる音がした。そして、轟音を放ちながら城かが爆発し、大きな炎が上がる。

城が炎上し、ギルベルトやアリステア達がいる庭園に炎が降ってくる。

アリステアは爆発の衝撃で気を失ったマルグリットに駆け寄り抱きかかえ、炎を避けるため、庭園の東屋の軒下へ移動した。ギルベルトもセシルを抱えてそこにいた。

「ドルマン公爵が爆発を起動する媒体を持っていたという事か……。なぜあのような者に渡していたのだ。マルグリットは無能だな……。あらかじめ城の各所に着火と爆発を誘引する魔道具を埋め込み、都合がいい時に媒体を介して爆発させる。どこに埋め込んであるかがわからない以上、起動させなければいいと思っていたが、まさか、他人に渡していたとは。しかし、この爆破……。かなりの数の魔道具が必要だったはず。魔道具をいったいいくつ持ち出していたのだ……」

 アリステアとクラウスは、どうにかならないかと焦って考えている。扉が閉まる音がしたのは、城を囲む城壁の扉を閉めたという事。我らを八方塞がりにし城から出られないようにしたに違いない。しかし、そう見せかけただけなのかもしれない。だが、火の粉が降り注いでいる中、軒下から出て、あるのかないのかわからない出口を見つけるのは困難だ。「うむっー」と、いい方法が見いだせず、二人で唸っていた。最高の頭脳を持つ二人でも、炎上する城のすぐ側で、この状況をどうにかできる手段が浮かばない。

「姫君、あの転移する魔法を!」

 ギルベルトの言葉に、申し訳なさそうにセシルは首を振る。

「私の魔法は、武器や道具に力を与えて起こすもの。王子の手元に聖剣がないのでしたら、できないのですわ」

 ごめんなさいと、頭を下げる。その様子をみて、アリステアが、そうだ! と、手を叩く。

「セシル、彼らに助けてもらおう。地底にいる我が王家の眷属を呼び出して、火を消してもらおう。彼らなら火を何とでもできる。やっぱりセシルに来てもらってよかった。セシルならみんなを救える」

 セシルは、兄の言葉に表情が明るくなる。

「さすが兄様! そうしましょう! ここは彼らにお願いするしかありませんわね!」

 セシルが使える魔法は、どの時点でどの力をどのように使えばいいか、考えなければいけない。アリステアはセシルの能力を知っていて、的確な答えをセシルより早く出せる。

セシルは、足元に跪いて土に両手を置く。

「みなさま! 出番です。皆さんにしかできない仕事がきちゃいました。お願いします」

 セシルの体を黄金の光が包んだ。すると、庭園のいたる所の土から次々とぼこぼこっと手が無数に伸びてきて、数えきれないくらいの地獄の餓鬼が姿を現した。

一瞬で城の庭園が、地獄に見えてきた。

「みなさま! お忙しい所、来てくださりありがとうございます。この火を消してほしいのです! お願いします!」

 セシルの言葉に反応した餓鬼たちは、出入口が燃えている城にぞろぞろと入って行った。

地獄の餓鬼の中でも彼らは、地獄に落とされた罪人が長い年月を経て許され、今では地獄に仕えている者達。地獄の業火の中で生活をする餓鬼にとって火は自分達の体を燃やすことのない、恐れるに足らないもの。それどころか、着火も消化も自由自在。

餓鬼が触れた瞬間、火はぱっと消えた。かなりの箇所で燃え広がっていた城の火は、沢山の餓鬼によって、そう時間はかからずに消された。

火から逃げ惑う人々は、餓鬼を見て遂に自分は地獄に落ちたのだと悲しみ叫んだが、火を消す餓鬼をみて、あっけに取られていた。

 火を消し終わり、城から出てきた餓鬼達を迎えたセシルは、

「みなさま。ご協力感謝いたします。お礼に私の魔力をみなさまに配らせていただきますね」

 そういって、両手を上げると無数の黒い影がセシルの上に現れる。黒い影をそれぞれの餓鬼に飛ばす。その影を体に取り込んだ餓鬼達は喜び、セシルに頭を下げてから地底へと帰って行った。

「やったな! セシル」

「やりましたね! 兄様」

 兄弟で抱き合って喜んでいる。

 ギルベルトは茫然として立っていた。その様子を見たクラウスが説明する。

「セシルは色々と規格外なのです。魔法がいまだに使えることが奇跡なのですが、今のは魔法でなく、召喚術です。地獄の餓鬼を召喚しました。神話になっていて、御存じの話だと思いますが、古代のカストロイア王が、竜を従えて地底の魔人を倒した話です。実はその話には続きがあり、地底魔人を倒した後、餓鬼達がカストロイア王に感謝し、その強さを尊敬し、眷属にして欲しいと望んだのです。王はそれを受け入れました。彼らをいつでも呼び出せて命令を下せるその力は、代々のカストロイア王家の魔法が使えるものに受け継がれました」

「あの黒い影は?」

「闇の魔力の塊です。魔法には光と闇があり、セシルは、両方の魔力を持っているのです」

「……」

 ギルベルトは一度に理解するのは難しいと悟り、それ以上の質問は控えた。移動の魔法の時と同じである。奇跡の技。


火が消えた城は、崩れ落ちずに済んだ。爆発時に、複数の爆発箇所の近くにたまたま人がいなかったことが幸いして、負傷者も最小限にとどまり、ギルベルトの兵士達は、皆が軽いやけどを負った程度で、無事だった。

セシルの事を知らないため、この信じられない出来事は、この地が地獄から愛されている町であると伝えられ、この町で祈りを捧げれば、地獄に落ちた際に業火に焼かれなくなると広まった。そのため、各国からたくさんの人がこの町を訪れるようになり、観光や貿易でこの町は、ラース国一の豊かな町となった。町名も『地獄から救われる町マルディス』と改められた。

城と城の外にいた町民は、町長の自分達を死の危険にさらした裏切り行為に憤慨して、町長とドルマン公爵を捕らえ、王家に使いを出した。

ラース王は、自ら王都から駆けつけ、ギルベルトに土下座をして許しを請う。「今後の貴国に対する大きな貸しですよ」と言い、ギルベルトはその場をおさめた。

この二人の身柄は王家に渡り、人目につかない場所でひっそりと火あぶりの刑が執行された。この度、ドルマン公爵家にギルベルトのいとこの姫が嫁いだこともあり、ドルマン公爵は急な病でなくなったことにし、長男が公爵となった。結婚式のすぐ後にである。長男は、公爵家全体を罰するのではなく、元凶の父だけを罰してくれたことに感謝し、王へドルマン家の未来永劫の忠誠を誓った。


ギルベルトは、兵士たちを先に国に帰らせて、アリステアとクラウス、そしてセシルといた。カストロイア王国の王子と話をする場を彼から求めたのだ。アリステアは、マルグリットを自分の近衛兵に任せて、話し合いに応じた。

セシルは、召喚術により、力を使いすぎて一瞬でぽっちゃりしたセシルから元のセシルに戻っていた。

「カストロイアの王子。名乗るのが遅れて申し訳ない。私はギルベルト メルティス。メルティスの第一王子だ」

「アリステア ジーク フォン カスティリヤールです。こちらこそご挨拶が遅れまして、失礼いたしました」

 二人は握手をする。

「さっそくだが、私から提案とお願いをさせていただきたい」

「はい、なんでしょうか?」

 王子はニコニコしている。こういう所が、セシルによく似ている。

「カストロイア王国を王子にお返ししたい」

「えっ? いいのですか?」

「元々、王子不在により王の悪政に困っている民衆を救う為であった。王が破格の賄賂を商人たちから受け取り、カストロイアの流通経済が崩壊に向かっており、他国を介してだがカストロイアと取引していたわが国の商売にも影響が出始めていたのだ。我が国が一番先に攻め入らねば各国が連合で攻め入るという話が浮いていていたのもあり、早めに動いた。カストロイアを統治できるとは最初から思っていない。王子が王位を継いで、治めるのであれば我が国の軍は引こう」

 ありがとう、とアリステアはギルベルトの手を両手で握る。

「ステア まだ王子のお願いとやらをうかがっていませんよ」

 宰相であるクラウスは、慎重になっている。

「そうだった。私にお願いとの方はなんでしょう?」

「正式に、セシル第二王女を我が妃として婚姻をお許し願いたい。正式な国同士の婚姻の許可をいただければ、王都で盛大な式を挙げるつもりだった」

「あ、それは厳しいかもしれない……。だって、セシルはクラウスと夜を共に過ごす仲に、すでになっていて……」

「ステア! なっていませんよ。同じ部屋で寝ただけですよ」

 くすっと笑うアリステアを、クラウスは睨みつける。

「話を纏めますと、メルティスはカストロイア王国から無条件に撤退し、ステアが王位を継がれる事を認める代わりに、セシルを差し出せという話で間違いはないですか?」

「ああ」

 アリステアが、そんな言い方ないだろう? とクラウスに突っかかっている。

「セシルを手に入れるためなら、何度でも軍隊を動かして攻め入ろうという国が沢山ありますよ。今回、メルティスにとってあまりにも大きい戦利品だったはず。神の血を引く姫君は何にも勝る」

アリステアとセシルは、「戦利品という言い方はなんだ!」とクラウスに怒っている。

「セシルを手に入れるために、メルティスは、他国を出し抜いて攻め入ったのでは?」

 厳しい目で言うクラウス。

「王の賄賂問題は深刻な問題だった。粗悪な金を高値でやり取りするように指示をし、金を集めていた。野放しにすると、世界中に粗悪な金が出回ってしまう。その責任をどうとるのだ? カストロイアの宰相」

「我らが不在の間の事は、これからステアと共に、正していくしかありません。カストロイアの財政から、各国に迷惑をかけており補填すべきものは補填していくつもりです。あくまでも、目的はセシルではなかったとおっしゃるのですね?」

 セシルが話に割り込む。

「クラウス。私が王子様のお城で皆さまからおうかがいしたお話では、王子様が、私をお連れになり帰還された際は、びっくりなされたとのこと。王でさえ、婚約話を進めても無関心な王子が王女を連れて戻った事に驚かれていたとおっしゃっていましたわ。本当は私を連れ去り処刑する事が目的なのに、王にも隠して戦を起こすなど、王子様はしないと思います。そもそも私は処刑するためにメルティスに連れてこられました。時系列でいうと、王城に攻め入った後に、王家の姫を捕えて処刑する事になさったのですわ」

「処刑?」

 ギルベルトは、訝しげな顔をする。

「セシル、話がややこしくなるので、もういいです」

 クラウスは、アリステアの考えを求める。

「ステア、セシルをメルティスへ嫁がせる事に対して、ご意見を。セシルは魔法が使えます。奇跡とすら思えることができる姫です。ステアとセシルがいれば、世界を変えられます」

「セシルは他国ではなく、国内で伴侶を見つけ、私の側にずっといてもらおうと思っていた。それは、クラウスと同じだ。しかし、今回の件で、ギルベルト王子と出会い、愛し合っている状況だという事がわかった。父やマルグリットが王子に多大な迷惑をかけた事も事実としてある。そのお詫びに差し出すという訳ではないが、なにか我が家とギルベルト王子は縁があるように感じる。この状況で、セシルを王子に嫁がせないというのも、あり得ない。そもそも、ギルベルト王子とセシルは、少し見ただけだが、相性がかなり良いと感じている」

 アリステアは、言いづらそうに、「ただ……」と、続ける。 

「問題は父上に手を下した国にセシルを嫁がせるのを許さない国民が少なからずいる……」

 アリステアからその指摘があるのは、ギルベルトは分かっていた。

「王は生きている。殺したことにして、監禁している」

「「「‼」」」

 アリステア、クラウス、セシルは顔を見合わせる。嬉しいようである。あんな国王でも父親であるのだ。マルグリットへの対応から見ても、家族を大事にする兄妹なのだとギルベルトは思っていた。

「王座の間まで我が軍が入り込んでいる状態にもかかわらず、神に逆らうのかと、傲慢な態度であったから、切り殺してやろうかと思ったが、カストロイア王家の血を引く者の命を奪うのは、抵抗があった」  

 あの時点でセシルとの出会いがあることなど予想もできなかったが、最愛の姫君の父王を手にかけるという選択を取っていたら、後悔する事になっていた。

「王とマルグリットは、生涯カストロイアの国内のどこかに幽閉し、何かしでかさないように、王子が厳しく管理してもらいたい。国を返すのは、あなたにだ。王にではない。新王になるあなたに返すのだ」

「ギルベルト王子。ありがとう」

「ありがとうございます。王子様」

 アリステアとセシルは、ギルベルトへ何度もお礼を言った。

 

「セシルとの婚姻を、カストロイア王国第一王子の名において認めます。セシルに半年ぶりに会ったら、ぷっくりしていて、いかに幸せに過ごしているか一目でわかった。あなたの側にいるのがセシルは合っているようだ。もしよければ、婚姻と同時に我が国もメルティスと同盟を結びたい。いかがかな?」

 カストロイア王国は、あまりにも古い格式ある国であるため、それに並ぶ国がなく、国力が弱くなり、過去の財政の余剰を切り崩して成り立っているようになっても、他国と同盟を結んだことがない。セシルの婚姻を機に、カストロイア王国の初めての同盟国にメルティスがなるのだ。名誉な事であり、メルティス国に一気に箔がつく。

「謹んでお受けします。ありがとう。アリステア王子」

 ギルベルトは生まれて初めて、素直にお礼を言った。

 クラウスがこれだけは言わねばと、口を開く。

「ギルベルト王子。セシルが魔法を使える事は、隠しておいた方がいい。こんな規格外の姫君を世に出したらどんなことになるか。今のカストロイア王国ではセシルを十分に守っていけないと私は判断し、なるべく世の噂にならないように隠していたのです。セシルを是が非でも攫おうと目論む輩はごまんと出てきますよ。魔法の事が知られずとも、カストロイア王家の姫であるセシルを守っていくのはかなりの重責を負う。その覚悟はすでにできているとは思いますが」

「ああ、私にとってはメルティス国よりも大事な姫君だ。私のすべてを懸けてお守りしよう。魔法については……、今はまだ魔法を私が理解できていない。魔法は私には関係ない。ただ、姫君と一緒にいられればいい。姫君は私の隣で美味しいものを食べていればいいのだ。魔法を使う機会に今後恵まれないかもしれない」

 ギルベルトがさらっと、自分の事を国よりも大切と言った。すべてを懸けて守るとも。処刑はないのだなと、やっとセシルは理解した。今後も処刑のためでなく、ギルベルトとずっと一緒にいられるのだなと。胸が熱くなり、体の芯がぞくぞくするセシルは、何か言わないと心がはじけそうになる。

「それは少し寂しいと言うか、つまらないかもしれないです……」

「私の隣にいるのがつまらないと?」

「いい、いいえ。つまらないわけがないです。つまらなくないです……。嬉しいですわ」

 ギルベルトはセシルの魔法やカストロイアの王女という立場でなく、彼女自身を欲していて大切に思っている。短い間しか二人を見ていないが、その事が傍目によくわかるのだ。アリステアとクラウスは、そういうギルベルトの思いなら、セシルを守って愛していけるのではないかと、二人を見守ろうと思った。

 

メルティスがカストロイア王都へ攻めて、王城を落とした今回の事は、王子と宰相不在で王の悪政に困る国の危機を、メルティスがおさめたという解釈がされた。王は殺されておらず、愚鈍な王をただ止めるために動いたと。

これを機に、カストロイア王国はメルティスと同盟を結び、第二王女がメルティスの王太子に嫁ぐことになった。メルティスもカストロイアもどちらもいい結果となったのである。

他国では、栄光あるカストロイア王国と同盟を結び、神の血を引く輝かしい姫君を妃にできたのであれば、国を傾けてでもメルティスより先に、王都へ兵を動かすのだったと、悔しがっていた王族や貴族が多数いた。


こちらの話はまとまっていたが、アリステアの近衛兵に監視されていたマルグリットは、持ち前の美貌に憂いを持った表情を浮かべ、近衛兵達を篭絡しようとしていた。

王子の側近である彼らはマルグリットとも面識はあり、彼女の質の悪い性格まで把握しているのだが、今までは遠くから見ることはあっても近寄ることは決して許されなかった、高貴で美しすぎる王女から声をかけられると、呼吸を乱して胸を熱くした。

 アリステアとクラウスはカストロイアへ向かった。ラース国から他国を経由しての長旅だ。道中、マルグリットに熱いまなざしを向けていた近衛兵達は、その様子をクラウスに見られ、震えあがる事になった。減給と降格処分を言い渡されたのだ。

「マルグリット。彼らにちょっかいを出すのはおやめなさい」

 クラウスに注意されたマルグリットは、

「クラウス。あなたと私でカストロイア王国を手にする事でもよくてよ?」

 妖艶な笑みを浮かべる。

「あなたには兄妹のような感情しかありませんよ。あんな事をしでかしたあなたですが、ステアも私も、妹として愛しています。難しいでしょうが、野心を捨てるように努力しなさい」

 クラウスらしい返答に、彼だけは自分の美しさでも篭絡できないなと、何度も考えた事があったと思い出した。

「マルグリットは教会へ送り、下働きをさせながら神に祈るという一生を送らせようと思ったが、マルグリットが送られる教会が可哀相だ」

「なんですって! 兄様」

 アリステアを睨みつける。

「まったくです。我らが一生、傍でずっと見張っていないといけないということになりますね」

 クラウスも「やれやれ」と言いつつ、憂鬱そうな顔をする。

「せめて、外見の美しさに見合う中身を少し与えてくれるか、中身に合うように美しさを損なうように、神はご配慮くださらないものか……」

「兄様!」

 マルグリットは再度、アリステアを睨みつけた。しかし彼女は、この二人の会話から、王城で二人の側で今までと変わらない生活ができると解釈し、ホッとしていた。それならば、また幾らでも自分が動ける機会はあるだろうと。カストロイアの女王となる機会。アリステアが言うように、カストロイア王家に伝わる彼女の美しさは、彼女からは奪えない。何にも勝る宝といえるこの風貌さえあれば、どうとでも人も国も動かすことができるのだ。今までもこれからも。

 マルグリットの考えとは裏腹に、王とマルグリットは王城の地下牢へ入れられ、誘惑に屈しない精神の強い兵士達が監視の目を常に向ける環境に置かれるのだった。


メルティス軍がカストロイア国内から引き上げるという指示は、ギルベルトが早馬で王城にいるメルティスの騎士団長へ届ける文書に書かれている。

王子と宰相が帰国して、彼らの帰りを待っていた貴族や兵士たちもすぐに動き、カストロイア王国は、それほど時間がかからずに二人がいた頃の国へ戻るだろう。


 メルティスへの帰路を、ギルベルトの馬に乗ってセシルは進んでいた。

「クラウスと同じ部屋で寝たのか?」

「はい。クラウスは私の兄のような存在です」

「以後、私以外の男と寝室を共にするのは許さない」

「は、はいっ」

 二人は久しぶりの深いキスをした。


 その夜。メルティス領にある宿屋の部屋にて、二人は……。

ギルベルトは甘いキスを何度もセシルにしながら、手はセシルの胸を満足そうに掴んでいた。左右の胸を好きなだけ手で堪能し、キスの嵐を降らせたのだった。

「はぁっ、んっ、あんっ王子様」

 王子様という言葉を聞いたギルベルトは、セシルの顔を両手で包み、顔を近づける。

「ギルベルトと呼んでくれ。セシル。私の姫君」

「ギルベルト……、好きです……」

 セシルからの自分に好意を告げる初めての言葉に、嬉しそうな顔をするギルベルト。そのギルベルトの表情を見てセシルは胸を熱くする。

ギルベルトは、セシルと両手をつなぎ合わせながら、

「セシル、愛している」

 と告げ、口を合わせた。

 お互いの名前を何度も呼び合いながら、何度も激しく愛し合ったのだった。


「セシルも私が父王に手をかけたと思っていたのだろう?」

 ベッドで横になりながら、セシルと向かい合い、ギルベルトはセシルの目を見つめて言う。

「父親の仇と、私を憎まなかったのか?」

 ギルベルトはセシルに会ってからずっと、口にはしなかったが、セシルの顔を見るたびに何度も頭に浮かんでいた事を口にした。

 セシルは、愛する者へ向ける極上の笑顔で答える。

「孤児院を訪ねていらした騎士様達を見て、何か危害を加える悪い方々とは思いませんでした。むしろその逆です。子供たちを馬に乗せてくださったり、お持ちの食料から子供たちが好きそうなものを分けてくださったり、私の事をお尋ねになる前に、騎士様達を珍しがって群がる子供達のお相手をしてくださいました。遠くから何日もかけて馬でいらしてお疲れのはずなのに、子供達に優しく笑顔で接してくださいました。その騎士様達の中に、一際目立つ方がいらっしゃいました。その方に子供が手を伸ばすと、抱き上げて遊んであげてくださいました。子供に向ける笑顔がとても素敵な方です。戦では決して見られないその騎士様の子供に見せる屈託のない笑顔が、私の胸に刺さりました。ギルベルト様。あの瞬間、私はあなたに心を奪われてしまいました。だから、お引止めせずにはいられませんでした。食事を用意してお泊り頂き、少しでも多くの時間、あなたを見ていたいという思いがありました。父のことはわかりません。王であった以上は、それ相当の責任も負うべきです。でも、子供を大事にする方が、道理のない無体な事をするはずがないと思いました。そして、あなたが子供を殺める事などないと、そもそもわかっておりました。他の騎士様達よりも、一際、みんなを可愛がってくださっておりましたから」

 セシルはギルベルトの顔に手を伸ばして優しく包む。

「私は、あなたが大好きなのでございますよ? ギルベルト様。あなたになら処刑されてもいいと思うくらいに。大好きなあなたに、処刑の際、みっともない姿はみせられないと思い、王女として誇りを持った潔い毅然とした態度のまま処刑されるため、私は覚悟をしておりました」

 セシルの思い。孤児院から、セシルは自分に好意的であったのはこういう事だったのか。初めて夜を共にした時も、セシルへの感情を欲望に変えて彼女を抱く自分を、熱いまなざしを向けて、受け入れてくれていた。それからも、セシルはギルベルトへいつも優しく、いつもすべてを許した。

「セシルを処刑などする訳がない。処刑という言葉を口にしていたのはセシルだったが、あまりにも可愛くて、是が非でも我が城へ連れ帰らねばと思った。処刑するために城へ連れてきた訳ではないよ。一目見て、絶対に自分の妻にしたいと思った。一生離したくないと思った。私はセシルに一目惚れだったのだ」

 二人は、今夜何十回目かのキスをして、再度愛し合ったのだった。


 


(了)



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