8 家族の想い
続きです。
宜しくお願い致します。
フィスカ婆さんの診察でもエルには異常が見付からず、普通に寝ているとしか思えないとの結果が出された。もし頭を打っていたらいけないので無理に起こす事はしない方が良いだろうと、そしてもしもの時のために痛み止めや安眠作用の有るお香などを置いて今日は帰って行った。
エルの喉が渇いた時のために、水と柔らかい布が準備された。これは寝たきりの人間に水を飲ませるための方法の一つで、布に水を染み込ませそれを寝たきりの人間に吸わせたり水滴を口の中に垂らして水を飲ませるので有る。
エルの看病のために母エリーナと姉ジゼルがあたる事になったが、二人は共に昼間には割り当てられた仕事が有るのであまり無理をさせる訳にもいかない。
「お願いエル、目を覚まして…」
そして一日経ってももエルは目を覚まさなかった。二日、三日と日にちが過ぎていくがエルは一向に目を覚まさない。
「何故エルがこんな事に…」
エリーナとジゼルの体調を心配したエルの父グラードは、お手伝いのお年寄りをもう三人程雇い交代でエルの看病をして貰う事にした。そして一日一回は様子を見るためにフィスカ婆さんも館を訪れる事となった。
「エル早く目を覚ましてちょうだい…」
一週間が過ぎ十日が過ぎてもエルは未だ目を覚まさない。しかし喉は渇くのか時折口をバクパクと開くので、その度に水だけは与え続けた。家族や看病する人の呼び掛けにも反応が全く無く、一部の人達を除いて半ばエルの回復は諦めかけられていた。
「…何故目を覚ましてくれないの?何時もみたいに姉様って呼んでよ…」
二十日が過ぎてもエルは目を覚まさない。この頃にはエリーナとジゼルは心配のあまり食事が喉を通らず食べる量が減ってしまいほんの少し、それこそ誤差の範囲かも知れないが少しずつ痩せていたのだが、しかし不思議と水しか摂っていない筈のエルの外見には何の変化も見られなかった。しかしその事に気が付いている者は一人を除き何故か誰も居なかったのだが…。
「エリーナ、ジゼル、エルが心配なのは解るが食事はしっかりと摂りなさい、エルが目覚めた時にお前達が痩せ細っていたらエルが悲しむぞ」
「ごめんなさい貴方、そうですねエルが起きた時に悲しませる訳にはいきませんね」
「ごめんなさい父様、エルのためにも私達も食べなくちゃ!」
グラードは内心エルの回復を半ば諦めていた。回復の見込みの無いエルの看病に割く人手を他に回して、少しでも開墾作業や畑作りを進めたいのが本心なのだが、愛する妻と娘の悲しむ顔を見たく無いのも本心で有る。
「エルは私が看ているから、食事を摂って来なさい」
領主ヴァルロッティー騎士爵としては領地と領民の事を優先させなければならないのだが、夫で有り父で有るグラードとしては家族を優先したい、その板挟みの状況に彼も置かれていた。
「エル早く目を覚ましてくれないか、お前が目を覚ましてくれないとこのままではエリーナもジゼルも身体を壊してしまいそうだよ…」
冬を越すのために少しでも多くの収穫が必要であり、将来の領地拡張のために畑や宅地はいくら有っても有り過ぎると言う事は無い。その為に少しでも作業を進め、可能なら予定を前倒しする事もしなければならない。グラードの代になってから少しずつだが領地の人口も増えてきて、収穫量も増えてきた事で冬の餓死者や身売りする子供も無くなって来たのだ。今ここで躓く訳にはいかないのだ。
この事を更に危惧しているのがグラードの長男ドルベルグと次男エリクセンの二人の息子達で有った。
「父上は下の妹弟達に少し甘くは有りませんか?今は少しでも領地を発展させる時です。私もエルが倒れてしまった事には悲しみしか有りませんが、私達には領地と領民を守る義務が有ります。領主家としてどちらを優先させるべきか答えは自ずと出ていると思いますが、父上のお考えは如何に?」
長男のドルベルグは次期ヴァルロッティー騎士爵だ、父の代である程度の基盤を作って自分の代でヴァルロッティー騎士爵領を更に大きく発展させれば自分の功績になるし、それこそ昇爵し後世に名を残せるかも知れない。
「父上、兄上の言う通りです。ここで立ち止まっていてはご先祖様にも顔向け出来ません。エルを見捨てる訳では有りませんが、領地と領民の未来を第一とした我が家の方針を変える訳にはいきません。領地を発展させる事こそがエルの望みでも有ったでしょうから、ここで手を止める訳にはいきません」
次男のエリクセンはヴァルロッティー騎士爵領が大きく発展しそれを手堅く補佐した立場として認められれば、ヴァルロッティー家の分家として新たな貴族家として独立して領地を持てるかも知れないのだ。
エルの二人の兄達はヴァルロッティー家の未来のためと言うよりは、自分自身の名誉と地位と名声のために弟を見捨ててでも立ち止まる訳にはいかないのだ。
「お前達の言いたい事は理解をしているつもりだ。領主として大を生かすために小を切り捨てる事が必要な事も理解している。だが私も子共を持つ一人の人間で有り親なのだ、親の立場からすると子供を切り捨てる事など到底割り切れる物では無い。領主としてそして親として、理性と感情のまさに板挟み状態なのだ。いずれお前達が親になった時に、この葛藤が理解できるだろう」
父グラードも当然二人の息子の考えを理解している。何故ならばそれは若かりし頃の自分自身も、通って来た道だからだ。祖父や父や弟達を踏み台として、自分が更にヴァルロッティー家を発展させる。それは辺境に新たに家を興した、新興貴族の誰もが通る道であり宿命とも言える。
家を守るために多少の犠牲に目を瞑る事が出来ずに、何が貴族なのか何が領主なのかと。そしてグラードも家を守るために家族を切り捨てる覚悟をしているつもりだってのだが、それはつもりで有っただけのようだ。最後の最後で覚悟が足りなかったらしい。
「後十日だ、十日してエルが目覚めなければエルの看病に割く人員は無しとする。それでエルが死んでしまっても、それがエルの運命だったと諦めよう」
「「はっ、解りました父上」」
ドルベルグとエリクセンは自分達の思い通りに事が運んだとだとほくそ笑んだ。
「貴方、エルを見捨てるのですか?」
「父様そんな…」
「エリーナ、ジゼル解ってくれ。私も一人の親の前にこの地の領主なのだ、エルも大事たが領地と領民は更に大事なのだ。エルが目覚めなかった時にはエルの事は諦めてくれ…」
それからと言うもの時間が有れば、エリーナとジゼルはエルと過ごす時間が増えた。昼間の仕事に支障をきたしている訳では無いので、誰にも咎められる事も無くエルの回復を願って懸命な看病が続けられた。
「…エル、何時もみたいに母様に困った顔を見せて頂戴…」
「……」
「エル…貴方の家来に私を乗せてくれるのでしょう?」
「……」
エリーナとジゼルの懸命な看病の甲斐無く、とうとうエルは目覚める事が無く遂に約束の十日目が来てしまった。
「後三日…いえ後二日で良いのでエルをこのままにしておいて下さい」
エリーナとジゼルはグラードに後生だと懇願したのだが、約束は約束だと、そして「領民の目も有るのでこれ以上は無理だ」と一蹴されてしまった。
エルはもしも本当に死んでしまっても良い様に、館の離れに有る納屋の一室にベッドと共に運ばれそこで最低限の様子見をされるだけになってしまった。
当然、仕事の合間にエリーナとジゼルが看病をする事は認められたが、あくまでも自分達の仕事を優先してからの空き時間のみとグラードから言い渡された。
グラードとしてもその内二人が立ち直ってくれる事を願わずにはいられなかったのだが、彼自身も自分の子を初めて亡くす事に未だ未練が有ったのかも知れない。
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