4 母の策略
続きです。
宜しくお願い致します。
母の嘘泣きとは知らずに、母に駆け寄りそして抱きしめた。エルが小さいがために母親の腰の辺りに抱き付く格好にはなっているのだが…
「母様ごめんなさい、もう泣かないで」
手拭いで目元を拭うふりをしている母エリーナに、一生懸命に謝るエル。何故母親が泣き出したのかその理由も解らぬままに、ひたすらに母親に謝りそして慰める。
エルが必死になって母エリーナを慰めていると、立って居た筈のエリーナは少しずつ腰を屈めて行き膝を折って、エルと同じ目線の高さにまで屈んだ。だがエルは母を慰める事でいっぱいいっぱいなのでその事には気が付いていない。
ジゼルとリスターはそんな母親の行動に気が付いているが、今何を言っても無駄になるだろうし下手をすると自分達にまで被害が及ぶ可能性もあり得るのでなるべく介入はしたく無い。エルよりも母親から産まれ出てからの関わりが長いので、この後の展開にもある程度は予測が付くし、そもそも以前自分達が末っ子だった頃に散々やられて来た事なので、自分達も通って来た道なのだ。
言うなればヴァルロッティー家の、母の愛情表現の一つなのだ。
エルは母の笑顔を取り戻したいが為に必死になっているので、全く気が付いた様子は無い。端から見ていると解りそうな物なのだが、実際にやられていると全く気が付かないとは過去の被害者達の弁。そんなエルと母親の様子を見守っている、ジゼルとリスターはそろそろかなと予想をしていた。何故ならば手拭いで顔を覆って泣き真似をしているエリーナの口元は、笑っていたのだから。
「母様大丈夫?母様ごめんなさい!」
母親を一生懸命に慰めて居たエルは、突然身体を拘束されてしまった。
「エルッ」
否、唐突に逆に母親から抱き締められたのだった。
「母様大丈夫なの?ごめんなさい!」
母エリーナは何も言わない。唯々自分に謝り慰めて居るエルを抱き締めている。それが逆にエルは不安に思ったのだろう。エルも更に強く母親を抱き返していたのだった。
しかし、エルのエリーナを抱き締める手も少しずつ緩んで来る。それは先程まで泣いて居た筈の母親が満面の笑みを湛えて、エルの頬に自分の頬を擦り付けていたのだから。それは所謂頬擦りと言われる行為で、エルの頬はエリーナの顔が動く度に上下左右に引っ張られていた。
「……」
「エルー、私の大切な愛しい宝物…」
母エリーナはエルの動きが止まっている事を気にする事も無く、エルの柔らかい頬を堪能していた。
「…」
「エルー」
いくらなんでもこの状況は可怪しいと、エルも思ってしまった。先程まで泣いて居た筈の母親のこの代わり様は…もしかして嘘泣きだったのでは無いのか…それとも母様はあまりの悲しさでどこか悪くしてしまったのでは無いのか…いくらエルがあまり物事を深く考えない性格でも不信に思ってしまっていた。
「…母様…大丈夫ですか?」
エルは頬擦りをされて喋り難い状況に居ながらも、母が心配なあまりそう口にせざるをえなかった。
「エルー」
しかし母親の頬擦りは止まらない。
「…母様」
それはもう母が飽きるまで、止まる事は無いそして止める事は出来ない。
「エルー」
母はエルの言葉を聞いてはいない。それはエルの柔らかい頬を堪能する事に忙しいのだから。
「…」
「エルー」
母に抱き締められて身動きが取れず母から離れる事も出来ないエルは、何とか必死に身体の向きを変える事で母に蹂躙されていた頬を救出する事に成功した。その代わり今は後頭部が母の頬により蹂躙されているのだが…。
「…母様!」
「…あらエルの柔らかいほっぺたが固くなって、毛むくじゃらに…でもこれはこれでサラサラの毛で気持ちいい…」
エリーナも頬に当たる感触が変わった事を不信に思いながらも、しかし新たな感触を堪能していた。
「母様痛い」
柔らかいモチモチでどこまでも伸びる頬も良かったが、極上の柔らかいサラサラの髪の毛の感触もまたとても良かった。
「このサラサラが良いわ」
これは止められない、止める事が出来ない夢中になってしまうそんなとても良い肌触りに、エリーナは夢中になってしまう。
「母様、僕の頭が禿げてしまいます」
流石にそんな事を言われてしまうと止めざるを得ない、可愛い末っ子がこの歳で禿げてしまうなど有ってはならないのだから…。
「…それはいけないわ…名残惜しいけど、我慢しないと…」
最後にエルの後頭部に軽くキスをすると、仕方無くエルを解放したのだった。
「母様、エルを充分に堪能出来ましたか?」
落ち着いたで有ろう母にリスターが話し掛ける。それも少し距離を取り、自分に被害が及ばない様に警戒を忘れない。
「リスター、母様に少し冷たくない?エルを堪能したから次はリスターを堪能しようかしら、最近リスターを構ってあげられて無い気がするのよね」
エリーナは優しい笑顔で、それこそ母性溢れる慈愛に満ちた笑みでエルが産まれるまで末っ子だったリスターに話し掛ける。しかしその目は笑ってはいない。獲物を見定める狩人のそれを笑顔の中に隠していた。
「母様それは間に合っています、今はお仕事の時間です。お仕事が終わったらエルを好きにして良いですから」
リスターは次は自分が標的にされる事が解っていたのか、返答には淀み無くしかも仕事と言う事を付け加える事を忘れてはいない。
「はいはい解りました。でもやっぱり母様に少し冷たいわね、誰に似たのやら?」
エリーナは元末っ子の対応の冷たさに不満を隠す事が出来なかった。昔はあんなに可愛かったのにと、愚痴が漏れる。
「では僕は仕事に戻ります、エル、母様のお手伝いを頑張るんだよ」
「はい、リスター兄様」
エルは何気に兄に売られた事を理解していなかったみたいで、兄の言う事に素直に頷くのだった。
「母様、僕は何をお手伝いしましょうか?」
リスターが自分の仕事に戻ったのでエルは母エリーナの仕事を手伝おうとするのだが…。
「そうね…この辺りの草取りは終わりそうだから、今度種を撒く新しい畑の石拾いを手伝ってちょうだい」
そう言ってエルは母エリーナに手を引かれて、村と畑を囲う森の方へ向かって歩き出した。
畑は森を切り開いて作られているので、今でも畑と森の境目のどこかで村の男衆により開墾作業が進められている。そして畑と森が近すぎると森から迷い出て来る野獣や魔獣によって、人的被害が出る恐れが有るので畑と森との間に充分距離が保たれていた。
流石に何も無い地面だと森から迷い出た野獣や魔獣が走れば一瞬で距離を詰められてしまうだろう、なのでそこには現地で調達出来る開墾作業で斬り倒した木や引っこ抜いた木の切り株などを、乾燥のために放置されているのだがそれは障害物の役割も兼ねているので賢い資源の利用法の一つだった。
エルとエリーナが向かったのはそんな畑の予定地の一つで開墾してから数年、開墾作業や畑仕事の合間を縫って耕し始めた未だ手付かずの土地で土の下には石や岩などが有るために、今は手の空いた女子供が撤去作業の真っ最中だった。
「あら、エル坊っちゃんおはよう」
「エルくんおはよう」
どこに行っても領主の末っ子は大人気で、村の女性達からもとても大事にされていた。
「おはようございます」
村の女性達と挨拶を交わしながら母エリーナと今日のお手伝いの場所まで歩いて行く。そこにはエルと同年代の小さな子供が数人居て、遊びかお手伝いか解らないが大人の真似事をしていた。
「あー、エルくんだー!」
「エルくんおそいよ」
「おねぼうさん?」
「おさぼり?」
その子供達がエルに気が付くと、次々に話し掛けてくる。子供達に取って無言で作業をするなど至難の技だし、何かしら切っ掛けを見付けては作業を中断していた。そして、子供ならではの、無邪気で容赦無い言葉が掛けられる。
「…おはようございます」
エルも歳が近い筈なので容赦無い言葉を言いそうな物なのだが、少し引っ込み思案な所が有るので無邪気だが、他の子程容赦無い言葉を掛ける事は無い。自分が言われて嫌な事は人にも言わないという親兄姉やお手伝い兼家庭教師のミケルナからの教育の賜物で有り、その程度の分別は身に付いて居たのかも知れない。
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