原因と今後
たくさんの少女が祈っていた。
たくさんの少女が、跪いて、祈っていた。
その少女たちの向こうに、山がある。
廃棄された■■の残骸。その山。
なんて、苦しい。狂おしい。
遠くに、豪華な椅子が見える。
その椅子に向かった一本道。その道の両脇に、同じ顔……いや、顔がほとんど隠れているはずなのに、なぜか全員同じ顔をしているとわかる少女たちが、祈る姿勢で並んでいる。
その一本道を椅子に向かって歩く。
誰かが椅子に座っているのが見えた。
無数の少女たちよりも、幼く見える、瞳を閉じた少女。
赤い少女。
赤い杭。
赤い花。
毛先が赤く濡れた銀髪。
ああ、この少女は、昨日――
そこで、光が落ちた。
囁くような声と共に。
「我が主のこと、どうかお願い致します」
嗚呼、この声もたしか――
そこで、目が覚めた。
昨日の夜、いつの間にか置かれていた夕食を食べ、眠った。
夕食に気づいたタイミングは決意を固めた直後だった。いつの間にか部屋に入り配膳を済ませていたラティスに醜態を見られたであろうことに思い至り、決意の心から一転恥ずかしさに悶え、それを紛らわすように食事をした。
そして、眠って夢をみて、異世界で二日目の朝を迎えた。
既に、どんな夢だったか、涼悟は覚えていなかった。
だが、夢のことを考えると、なぜだか悲しみに胸が苦しくなった。
その漠然とした感慨を振り払って部屋を見渡す。
豪華な部屋に、小さな湯気が見えた。
部屋にあるテーブルには、いま作りましたと言わんばかりの朝食が準備されていた。
昨晩のことを思い出し顔が少し熱くなる。
再び昨晩と同じく紛らわすように朝食を口に運んだ。
パンと目玉焼きとサラダ、そして少し渋めの紅茶……のようなもの。異世界であるため本当にそれそのものかは確信を持てないが、なんとも朝食らしいメニューだ。それらを涼悟は「こちらの世界でも朝食はこういうものなのか」と独り言を漏らしながら平らげた。
「おはようございます」
朝食を終えるとほぼ同時に部屋にラティスがやってきて、そのラティスに案内されるまま庭の四阿までやって来た。
リコルが手元のカップをソーサーへと下ろし、こちらに微笑む。後ろで控えるグエルは何も言わずにこちらへ一礼した。
「おはようリョーゴ。さ、そこに座って」
リコルから、対面の席が勧められる。何も言わずに応じる。
直後、目の前にグエルからカップとソーサーが差し出され、ティーポットから紅茶……のようなものが注がれた。
「さて、強くなるための訓練はお昼からとして、まずは色々と話をしましょう」
柔らかい微笑みの崩れることのないリコル。
彼女はゆっくりと語り始める。
「昨日も言った通り、私にはいくつか心当たりがあるわ。まず、あなたがこちらに来た原因について。おそらくだけれど、あなたがこちらの世界に来たのは時空の精霊の仕業。この世界で時空間に関して最も高い能力を持っているのは時空を司る精霊よ。かつて時空の始原精霊……始原精霊っていうのは各属性の最初の精霊であり最強の精霊ね……その時空の始原精霊は、その力によって遠い昔にこの世界を去った。……死んだことの比喩ではなく、文字通りこの世界から別の世界に移ったの。つまり、時空精霊には他の世界に干渉する力がある。現在この世界に存在する時空精霊は、始原精霊ほどの力は無いから、異世界への干渉は簡単なことではないけれど、それでも仕組み上、力さえあれば不可能ではないことは事実なの」
「なるほど、何らかの方法で力を蓄えた時空精霊が、俺をこの世界に連れてきたかもしれないっていうことですか」
この世界における力のことはわからない。だからそういうことができると言われれば、そうなのだろうと思うしか無い。
「ええ、その通りよ。……しかもね、実は昨日私があなたを見つけたのは、突然精霊の気配が現れたのを感じたからなの。突然とても強い精霊の気配を感じて、その場所を見に行って……そこで、あなたを見つけた」
「状況証拠は揃っているっていうことですね」
「ええ。……本来、精霊であっても、普通は何の前触れもなく現れるというのは不可能。けれど、時空精霊ならそれも可能。……突然出現した強力な精霊の気配、異世界からやってきたあなた。状況的に、あなたを連れてきたのは時空精霊でほぼ間違いないはず」
聞く限り、そうとしか思えない。だが、気になっている部分はあった。
なぜ時空の精霊なんていう存在が、自分をこの世界に呼び出したのかということだ。これが、精霊にとって異世界を渡ることが極めて容易というのなら、気まぐれやいたずらなんていうこともあるかもしれない。だが、リコルの言葉通りなら、時空精霊であっても並の力では異世界への干渉は不可能、あるいは極めて困難なはずだ。気まぐれやいたずらでそこまでするとは思えない。……つまり、涼悟がこの世界に喚び出された理由があるはずなのだ。
無論、それをリコルに問い詰めたところでその理由を知るわけもない。一旦涼悟はその疑問を胸の内に仕舞うことにした。
そして、考えた末に別の話題を振る。
「時空の、精霊……。ラティスさんも時空魔法が得意でしたよね? 私からはラティスさんの魔法も凄まじいものだと思ったのですが、時空の精霊はもっとすごいんですか?」
魔法自体昨日初めて見たから過剰に驚いている、という可能性もあるが、涼悟から見てラティスの時空魔法は凄まじいものだった。あるいは、彼女の魔法で世界を渡ることも可能なのではという淡い期待を含めての問いである。
「ラティスの時空魔法は精霊以外では世界中でもかなり上位の実力者だけど、時空の精霊には及ばないわ。……まぁ、魔力量の違いがあるから、下級の時空精霊よりはラティスのほうが規模の大きい時空魔法が使えるけれど……それは本当にただ魔力が大きいからそれで上回れるというだけ。時空精霊の時空魔法とそれ以外の者が使う時空魔法はその術の巧妙さが段違いなの。時空精霊にとって、時空魔法というのは呼吸同然とさえ言える。時空精霊に時空魔法で挑むのは、陸上の生き物が魚に水泳を挑むようなものなの。魔力を放出して体を無理やり押し出せば速度では勝つことは可能かもしれないけれど、どうしても泳ぎの巧さは全然違うでしょう? それと同じようなものよ。……そして、異世界に渡るには、ただの力の強さだけでなく、その魔法の緻密さ、巧妙さが必要になる。……だから、ラティスでは異世界に渡る、あるいは異世界から人を招き入れる、なんていうことは不可能よ」
答えは半ば予想できていたが、残念なものだった。だが、それならそれで話を先に進める。
「そうなんですね。正直期待していたのですが……ラティスさんのお力で元の世界に帰ることは不可能と。……では、帰るのに一番手っ取り早い方法は、私をこの世界に呼び寄せたその時空精霊を捕まえることですか?」
単純明快。
帰り方がわからないなら、連れてきた者に連れて帰ってもらうだけだ。
「その方法でも帰ることはできると思うけれど、手っ取り早いかどうかは別。時空の精霊を捕まえることはほとんど不可能に近いから。……時空の精霊にとって、離れた空間へ移動したり、時間軸を過去や未来へ移動したりするのは、普通の人が地面を歩くのと同じようなものなの」
「……それは、下手すると私を連れてきた精霊は今この時間軸上に存在しない可能性だってある、ということですか?」
「ええ、そういうこともありうるわ」
「確かに、もしそうなら手っ取り早いなんて言えませんね」
存在しないものを探すような余裕は、涼悟の今の精神にはなかった。平静を装ってはいても、そんなものは所詮薄化粧に過ぎない。
「そうね。まぁ、まだ現在の時間のこの世界にいるかも知れないし、今は別の時間にいても現在に戻ってくるかもしれない。遠く離れた場所にいても、この近くに現れるかもしれない。あるいは、その精霊がリョーゴを喚び出した目的のために、接触してくる可能性もある。……もしそれで遭遇できて精霊を捕まえられれば、その時点で状況を解決できる。だから、メインでの帰還手段を別に探しながら、ついでで精霊の情報も集めておくのがいいと思う」
「そうですね。それが無難だと思います」
時空精霊を捕らえるのは多くの幸運が味方しなければ不可能だ。だが、最初から諦めて幸運に恵まれる機会を投げ捨てることもない。
それに、リコルの言う通り、精霊が涼悟を喚び出したのにはなにか目的があるはず。そうなれば、接触してくる可能性も十分ある。
「精霊の捕獲はサブプランとして、メインの帰還計画についてだけれど……これについては、召喚魔法を応用し、あなたを元の世界に返す魔法を作るのがいいと思うわ」
「召喚魔法ですか……いかにも何かを喚び出す魔法という感じですが、それは時空魔法とは別物なんですか?」
召喚魔法もまた、対象物が時空を超えるものでは無いだろうか、そんな疑問から問いかける。
「違うわ。召喚魔法では対象物が結果的に時間や空間を超えることになるけれど、時空魔法より仕組みは単純。時空魔法は時空間の仕組みを捻じ曲げたりして、時間や空間を超える。例えば、つながっていない空間をつながっているように改竄したり、時間の経過速度を変化させたりしてね。……対して召喚魔法は対象を喚び出した結果その対象が時間や空間を超える。遠くにあるものが喚び出されて、結果的にその間にあった隔たりを超えるの」
「……すみません、どう違うのかイマイチわかりません」
「……そうね、例えば、動物を殺す時。対象の動物が死ぬという結果が同じだったとしても、その動物が死んでいる状態を正しい状態であるとして世界を捻じ曲げ、それによって対象を殺すのと、単純に刃物でその動物の首を切って殺すことの違い……のようなものかしら」
物騒な例え話だった。だが、その意味は理解できた。
「なるほど。殺すっていう例えは物騒ですが、なんとなくわかりました。たとえば火を起こすとき、物質が発火する条件となる世界のルールを改竄して物質を発火させるのと、普通にマッチ……がこの世界にあるか知りませんが、まぁ火打ち石とか? を使って発火させるのだと、後者のほうが楽。そういうことでしょう? で、前者のまわりくどくて困難で高度な方法が時空魔法、後者が召喚魔法であると」
「そういうことよ。……ちなみにマッチはあるわ。マッチが発火する原理があなたの世界のものと同じかはわからないけれど」
「あ、あるのですね。……それはいいとして、状況はわかりました。召喚魔法なら、時空魔法で元の世界に帰るより簡単ということですね」
時空魔法の難しさは例え話だけで理解できた。むしろ、何故そんな魔法が使われたりするのだろうと疑問を抱くレベルだ。もちろん、時間や空間を超えるなんていう通常の手段ではどうにもならないことをやるのだから仕方ない面もあるだろう。だが、仮に殺人や発火のために世界を改竄するなんて言ったら、どう考えてもおかしいとわかる。時空間を超えるだけなら、おそらく召喚魔法のほうが何倍も効率的なはずだ。
「魔法の原理としては簡単。……だけれど、召喚……いえ、送還というべきかしらね。送還魔法を作ったとして、その送還先を指定するのはとても大変だと思う。なにせこの世界の外だから。召喚魔法は原理的に時空魔法より簡単だけれど、時空魔法ほどの自由度はない。当然ながらあなたの帰る場所を示す条件の指定が必要。しかも、かなり厳密にあなたの元いた世界に限定しないと、別の異世界のよく似た場所に送り出してしまうということになりかねない」
どうやら、時空魔法のほうが自由度が高いらしい。当然、そのぐらいの優位性は時空魔法側にあるだろう。時空魔法でできることを全部召喚魔法で簡単に行えるなら、時空魔法は召喚魔法の下位互換に近くなってしまう。……研究者などにとっては違うかもしれないが、少なくともそんなほぼ下位互換の魔法では、いくら吸血鬼とはいえメイドが実務で使うようなことはあるまい。
時空魔法についてはそのように納得しつつ、送還魔法での条件の指定に関して確認する。リコルの少し困ったような表情をみるに、難題があるのかもしれない。
「なんとなく雰囲気から察せられますが……もしかして、私が持っている情報だけでは、送還魔法の条件指定には足りなかったりしますか?」
「ええ、その通りよ。あなたに話を聞いたところで、それだけでは送還魔法の条件は穴だらけになると思うわ」
それを聞いて、顔が苦々しく歪むことが自覚できた。
だが、リコルの言葉には続きがあった。
「……だから、あなたには今後、何人かの人に会ってもらう」
「人に会う、ですか?」
話の流れが読めなくなった。魔法の条件指定のために人に会うというのはどういうことだろう。
「ええ。あなたが会わないといけないのはまず召喚魔法がこの世界で一番上手い人物と、次にこの世界で最も魔法の研究開発が得意な人物、それからこの世界の管理者たる人物」
そこでリコルは一度言葉を区切った。
ここまでは納得できた。魔法を開発する人とどの程度どういった条件が必要かという話はすることになるだろう。管理者というのはよくわからないが、おそらく世界の出入りで挨拶をしなければならないとか、そういった意味合いではなかろうかと納得する。
そして、涼悟がそこまで飲み込んだところで、リコルは最後の会わなければならない人……いや、人々を告げた。
「……そして、あなた以外の異世界人達よ」
今後もローペースで進めていきます。