明日へ向けて
「まず最初に、リョウゴの方針を決めましょう。……リョウゴ、あなたはこの世界で生きていくのと、元の世界に帰るの、どちらがいい?」
最初から最重要の話だった。いや、最初だからこそだろう。
「まぁ、元の世界に帰ることですね。……ただ、実のところどちらにせよやることって変わらなかったりしませんか? 元の世界に帰る方法を探すにしても、その方法が見つかるまではこの世界で生きていかないといけないんですし」
涼悟は状況を理解していた。ここが異なる世界であることも確かに受け入れて。
この世界は魔物という怪物達がいる。ここで延々と世話になり続けるわけにはいかない以上、まずは一人でも生きていく力を身に着けなければならない。そう思っていたのだ。
「そんなことはない。あなたが帰る方法を探すなら、色々と力をつける必要がある。……けれど、この世界で生きていくなら、必ずしもそれを身につける必要があるとは限らない」
「そうなんですか?」
そうは思えなかった。力をつけずに……最初に会ったような怪物がいる世界で生きていけるとは思えない。
「ええ。……もし、あなたがこの世界で生きていくと決めたなら、更に選択肢がある。一番普通なのは、ここで色々とこの世界のことを学び、必要な力を身につけ、いずれ旅立つこと。この場合はあなたの言うように、帰る方法を探す場合と大きく違わない。……ちなみに、帰る方法を探すにしろ、ここで過ごしてから他の目的で旅立つにしろ、せっかく知り合ったのだから私も手伝いぐらいはするつもり」
これは想定内の話だった。……予想外なのは手伝ってくれるという部分のみ。
「それは、ありがとうございます」
予想外だった部分に関して礼を告げる。
「次に、吸血鬼化して私の眷属に成ること。この場合は力自体は簡単に手に入るけれど、結構過酷。それに、おそらくあなたの元いた世界には帰れなくなる」
「少なくとも今のところは吸血鬼化するつもりはないですね」
なるほどとは思いつつも、その選択肢を取る気はないなと考える。どうしても地球の吸血鬼のイメージを考えると、不便そうに思えるのだ。その上、元の世界に帰る選択肢が消えてしまうなら、吸血鬼化を選ぶ余地はほぼない。
少なくとも、帰る方法が無いということがわかったり、どうしてもこの世界で生きていきたいという理由ができたりしない限り、この選択肢を選ぶことはないだろう。
「……そして最後に、ずっと私の客人としてここで生きていく事。……この場合、何の苦労もない」
「いやそれただのヒモじゃないですか。嫌ですよ」
ある意味で一番論外だった。
「……そう」
リコルは少しだけ悲しげにつぶやいた。
けれどそれは一瞬で、再びこちらに微笑みを返す。
「それじゃ、ひとまずリョウゴは帰還方法を見つけることを目標にする。それでいい?」
「ええ。……もし帰還が不可能だったり、可能だったとしても怪しげな儀式でたくさんの人を犠牲にしないといけないとかだったら、またそのとき考えます」
「そう……じゃあ、まずは帰還方法を探すために、力をつけないといけないわね。明日から、いろいろ教えてあげる」
リコルはそう言って、可愛らしく微笑んだ。
吸血鬼とも魔女とも全くイメージに合わない、優しげな笑み。
イメージの話なら、むしろ天使などの方が合う。
「それから、あなたが何故この世界に迷い込んだのか、そしてどうやったら帰ることができるか。それらについて少し思い当たることがあるから話しましょう。……ただ、これも明日ね。今日は疲れたでしょう? 初めて魔物を見たということもあるし、肉体はともかく精神的にはとても疲れているはず。夕食は部屋に運ばせるから、今はゆっくり休んで。……ここに逗留している間はグエルが準備した客間を使って」
「ありがとうございます……確かにいろいろあって疲れましたね」
「そうでしょう? それじゃあ、また明日。……グエル、案内してあげて。あと、館の注意事項とかも伝えておいて」
「承知いたしました」
そうして、微笑むリコルを残して、涼悟とグエルは食堂を後にした。
用意されていた客間というのは、二階にあった。
かなり広い上に、一般庶民である涼悟は気後れしてしまうような豪華な一室だ。
「こちらをお使いください。調度品もご自由にお使いください。この部屋の明かりは魔術式で、枕元にある術式から操作が可能です」
枕元にある円形の紋様をグエルが示す。術式、などという言葉のイメージとは違い、魔法陣的な紋様ではなく、本当にただ綺麗なだけのデザイン重視の紋様に見える。
触れると、紋様がぼんやり光る。そして、その円の外周を軽く時計回りになぞると部屋が明かるくなり、反時計回りになぞると暗くなった。紋様の中央をポンと押すと、明かりのオンオフが切り替わるらしい。特に説明書きのようなものはないが、直感的でわかりやすい。
「ありがとうございます」
「はい。では、この館での注意点などをご説明いたしますね」
それから、グエルはいくつも注意点を述べた。
魔女の館というだけあって、この館には不用意に踏み込めば命にかかわる場所が多くあるらしい。
「様々な注意点を述べましたが……基本的には、入ったことのない場所や通ったことのない通路には立ち入らない、屋敷内の知らない場所に行くときは一人で行かずに私かラティスを呼ぶ。この二点を守っていただければ問題ありません」
「わかりました」
「では、ごゆっくりおやすみくださいませ。夕食はラティスに運ばせます」
「なにからなにまでありがとうございます」
グエルは一礼して部屋を後にした。
そして、涼悟は一人になった。
部屋の中に一人残されると……当然、湧き上がってくるものがある。
「……なんで、こんなことになったんだ。意味不明だよ。何だよこの世界……どうなってんだよ……」
状況を理解してはいた。
だが、頭で理解しているからといって、感情を止められるわけではない。
この世界に迷い込んだ直後、即座に死を覚悟する出来事と出会い、麻痺していた感性が……緊張の糸が切れて一気に動き出していた。
「なんで俺なんだよ! これからもあんなの魔物なんかに怯えて生きないといけないのかよ……」
とめどなく溢れる、現状への不満。
それは死への恐怖心や理不尽への怒りによるものだ。
怒りのままに腕を振り上げ、ベッドに叩きつける。
見かけ通りの高級さであることを証明するように、異常に柔らかいベッドに衝撃が吸収される。寝台を覆う羽毛布団を殴ったことによる、柔らかい音が虚しい。
叫び出したい衝動。
流石にそれは抑え込んだのは、この状況で良くしてくれているリコル達に迷惑をかけてはならないという理性だった。
それからしばらくは、荒れ狂う感情を押さえつけるように、ベッドに顔を埋め、何度も叩いた。
怒り、恐怖し、懐郷し、流れ出るまま感情の渦に心を投じ、呻く。
そうやって、吐き出すのが必要だと理解していたから。
だから、自然に止まるまで、止めない。
止まるまで感情を吐き出し続け……気づけば部屋にある窓の外は暗くなっていた。
一息、つく。
「けど、まぁ……リコルさんは協力してくれるって言ってくれている。それなら、頑張らないと……な」
独り言から見える心は、暗い。
だが――
一度、下を向く。
大きなため息、一つ。
そして、勢いよく顔を上げた。
その視線は、明日からの日々を見据えている。
「まず、強くなろう。大丈夫。俺は元来切り替えの早い質だ」
その独り言は自分自身に言い聞かせるようでもあったが、それでも間違いなく、決意の火が灯っていた。
次回未定