霧の先で見た鮮烈な赤
上坂涼悟はその日、祖父母の家の手伝いで山へと入っていた。
目的は山菜取り。手伝いというよりも、山菜の収穫の体験、収穫について教えてもらうという意味合いの方が強い。
そんな、大したことのないはずの目的で入った山で、彼は祖父母とはぐれた。
突然信じられないほど深い霧が発生し、祖父母がどこにいるのかわからなくなったのだ。
本来、そんなときに無闇に動くべきではない。
だが、焦って冷静さを失っていた涼悟は、闇雲に祖父母を探し回ってしまった。
そして、しばらくして突然霧が晴れると、明らかに周囲の様子が変わっていたのだ。
彼の祖父母の山には……いや、それどころか地球にはおそらく存在しないであろうおかしな植物。同様に、見たこともない昆虫。
一瞬、神隠しという言葉が頭に浮かんだ。
そしてその直後に、後方から唸り声のようなものを聞き、振り向いた。
「なんだよ、これ」
視線の先には怪物がいた。
見たことのない、肉食の獣。巨大な獣。明らかに、地球の生態系に属さない怪物。
その獣が、前足を振り上げている。
死んだ。間違いなく死んだと、確信した。
その前足だけで、重量は一般的な日本人男性の二倍はあるだろう。しかも極めて鋭い爪が備わっている。それで引き裂かれ、即死する。そんな自分を幻視した。
だが、その想像は現実にならなかった。
「危ないよ?」
そんな言葉と同時に、無数の深紅の杭が怪物を滅多刺しにした。
細いものでも女性の腕ほどの太さの、大小様々な杭。それが、怪物の全身を縫い止めている。一番大きな杭は直径二メートルほど。怪物の背を真上から腹まで貫通し、串刺しにしていた。
唖然として、声も出ない。
「……危ないよ?」
もう一度、可愛らしい少女の声が繰り返した。
聞こえたのは左斜め後ろ。
そちらに視線を向けると、杭と同じく深紅のドレスに身を包んだ、可愛らしい少女がいた。怪物に向けて手を向けている。
「此処は強い魔物が多い森だから、あなたみたいに戦うのが怖いって感じの人には、危ないよ」
「魔物……ですか?」
「ええ、魔物。……もしかして、魔物を知らない?」
「いまのが魔物なんだとしたら、初めて見ました」
涼悟の言葉に少女は目を丸くし、直後クスクスと笑い出した。
「あなた、面白い人ね……魔物を見たことがないだなんて。ねぇ、あなたはどこから来たの?」
「どこって……日本っていう国です」
「聞いたことがない名前の国ね」
「……今喋っている言語は日本語ですよね?」
「あら、あなたは翻訳魔法を使っているじゃない。だからあなたには私の言葉が、あなたの言うニホンゴに聞こえるだろうし、私にはあなたの言葉がフェルニア語に聞こえているわ」
「翻訳魔法なんて使っているつもりはありませんし、そもそも魔法を知らないのですが?」
魔法、魔物、そんなものを自然と使っている自分に気づく。魔物に殺されかけ、その魔物が杭で滅多刺しにされるというあまりに異常な光景を目にして、既に現実が壊れてしまったのかもしれない。
「そんなに高密度に魔法を纏っているのに、魔法を知らない?」
「いや、魔法なんて纏っているつもりないんですが」
お互いにキョトンとした表情で見つめ合う。
数秒して、少女が一つ頷いた。
「つまりあなたは気づかない内に誰かに魔法をかけられたということね。さっきの怯えた様子と纏う魔法の高度さがちぐはぐだと思ったのだけれど、そういうことなのね」
「……魔法をかけられたっていうことについては半信半疑ではありますが……そもそも此処にいること自体わけがわからないので、自覚なしにこの状況に陥っていることは間違いありません」
「なるほど。……わかった、それならあなたを私の館に招くわ。ついてきて」
なぜか少女は微笑み、自分の言葉を言うだけ言って、返答も待たずに踵を返した。
涼悟は数秒ほど呆然としていたが、すぐに少女を小走りに追った。
見知らぬ場所で、彼女以外助けもない。そんな状況でついていかないという選択肢はなかった。
サクッとヒロインと出会うところから。
次回投稿日未定。