39・雪江の異能
「世界執筆。みんな僕から関心を無くして」
そう言うと、彼女は目の前に突然現れた光る原稿用紙と鉛筆を使って自分の都合の良いように展開を書き換えようと試みる。
涙声で紡がれたその言葉は、一が助けてきた少女達が異能を行使する時と同じ言葉だった。見返りを求めず、無条件で優しくしてくれる皆に恐怖を感じた雪江は、恩を仇で返すような願いをその異能に込める。
遼平の言う通り、彼女は前世で作家として羽ばたこうとした矢先に、心ないネット民に炎上させられ、挙げ句それを真に受けた隣人に四〇カ所も刺されて殺されたのだ。心が歪んでしまうのも無理はない。
その歪んだ心のまま、遼平の物語の蛇足を書いていたのだが、修助達家族が突然現れてから自分が望んだ方向とは違う方向に世界が進み始めている事に気づいた。
このままでは自分が求めた終演を迎えられない。だから、邪魔な自分に対し関心を無くしてしまえばいいと、雪江は願った。皆が雪江を無視すれば、ウェルクの問題とイヤでも向き合わなければならないからだ。
「これで良い。これで良いの。僕はこんなに優しくしてもらえる人間じゃない。僕が書いたこの”終わりの続き”には、こんな展開は要らないの」
涙を拭いながら、誰にも聞こえないような小さな声でそうつぶやく。前世で馬乗りになって何度も包丁で刺してきた男の声が、彼女の中で木霊し、その恐怖から逃れるように耳を塞ぐ。
”お前はズルをして受賞したんだ!”
”賞金泥棒!”
”お前は人の作品を盗んだ!”
”お前みたいな奴は居なくなれ!”
良い歳した中年が、雪江に馬乗りになって何度も包丁を突き立てて叫んだ言葉が、毎晩彼女を苦しめる。眠れない夜もあり、そんな日は自身の異能を使って自分だけが楽しめる”緩やかな世界の死”を描き続ける。それが転生してからの彼女の日課だった。
彼女が把握している範囲でのこの異能は、世界そのものを執筆する。つまりそれは世界を一から創っているようなものだ。だがこの異能に穴がある事に初めて気づいたのは、翌朝、隣にいる和奈と偶々鉢合わせになっておはようと挨拶してきた時だった。
(嘘……僕の異能が機能していない……いやそんなはずはない!)
誰も彼もが自分に関心を無くした世界に仕立てたはずだ。だがマンションに住む皆は関心を無くすどころか、ノリノリで挨拶やスキンシップを行ってくる。ここでようやく彼女は自身の異能の欠点に気づいたのだ。
(僕は、世界の構造を操れるけど、人の心を操る事は出来ない。本橋先生のように、他人の記憶の改竄や命令が出来ない……そうだ、一つひらめいた)
挨拶を終えた後、一人になった雪江は、自身の異能の欠点に気づき、新しい方法を考え出す。
(このまま一度話を進めてみよう。出来るだけ僕の異能を使わず、その状態で皆がどうするか。そして僕にとって一番の疑問を理解する為にも、様子を見た方が良い。こうなっちゃったのも、僕の異能の欠点に気づけたのも、元々登場させる予定の無かった棗君達三人の転生組のおかげって言うのもあるし)
一度自室へ戻った雪江は、イスに座ってこれからの事を考える。彼女は修助達家族をイレギュラーな存在と認識し、これからどう接するのかを考えなければならないからだ。
(あの様子だと遼平先生は、僕の前世の最期を話した。それなら、僕も何で棗君がこの世界に入り込んだのか、そのきっかけを知る権利はあるはずだ。丑三つ時、何が何でも聞き出す。お母さんとゆっくり話すのは、それからでも遅くはないはずだ)
揺りかごの構成員が気を使ってくれたのか、高価で座り心地の良いゲーミングチェアを用意してくれたおかげで、落ち着いて今後を考える事が出来た雪江は、今晩の丑三つ時は遼平を問いつめるところから始めようと考え、今度はふかふかのベッドへ倒れ込んだ。
冷静に考えれば卑怯かもしれない。修助達の事を知ろうとしている癖に、自分に異能がある事を隠し通そうとしている。茜の異能によって自身の異能がバレるかもしれなかったが、自分と修助を誘拐した時のウェルクの言葉が脳裏に引っかかる。
”かつて本橋 茜から頂いた異能を行使しても、君達二人だけは何も見えてこなかった。これを解明すれば、揺りかごは滅び、再び世界は我々の手に落ちるというもの……”
ウェルクが茜から盗んだ異能を行使しても、何も見えてこなかった。理屈は解らないが、茜も同じように雪江と修助の事は何も見えないだろう。
理解は出来なくとも推理は出来る。寝返りを打ちながら、なぜ茜が自分の記憶や心をのぞき見る事が出来ないのか。今の雪江はその疑問で頭が一杯だった。
ただ推理しただけでは回答にはたどり着けない。幸い今日は日曜日で学校は休み。茜の仕事の邪魔をしてしまうかもしれないが、彼女の許を訪ねて、異能を自分に向けて行使してもらえれば、何か掴めるかもしれない。
そう思った雪江はゆっくり起きあがると、外出用に身につけているワンピースに着替え、そのままスマートフォンと玄関の鍵だけを持って茜の部屋へ向かうのだった。
・・・
同じマンションに住んでいる為、すぐに茜の部屋へたどり着いた。
インターホンを押すと、とてつもなく低い声が返ってくる。
『どづらざま』
丑三つ時のやり取りを終えた後もずっと本業のマンガを書いていたのか、かなり疲労の色が濃く、まともに喋れるのか怪しい状態だった。
だがそれを理由に調べる事を諦めるわけにはいかない。
「脱稿直後ですみません。北沢です。本橋先生の異能について、ちょっと試したい事があって訪ねました」
『おっげー。今あげる』
その一言の後、インターホンが切れる音がスピーカーから響き、玄関の鍵が開けられる音が聞こえる。
「おはよう。これから寝るから、手短にやるよ」
ちょっと試したい事が、とインターホンでの会話の時点で何がしたいのかを察していた茜は、雪江のお願いをすぐに終わらせて布団でぐっすり眠る為に異能を行使する。
「運命操作」
あまりやる気が感じられない声だが、きちんと異能が発動された証である光が、茜の手のひらに輝く。だが。
「あれ? こうすれば大半の人間の記憶や心にアクセス出来るのに……もう一度。運命操作!」
一度目の失敗で気を取り直したのか、眠い目をこすり、気合いを入れて、雪江の顔をつかむような勢いで輝く手を彼女に伸ばす。
しかし、何も起こらなかった。初めての出来事に狼狽している茜とは逆に、当然の結果のように冷静に振る舞う雪江に、茜は寝る事を忘れて彼女の肩を掴む。
「どうしてさ、どうしてそんな冷静なんだ? 異能が影響しないなんて、可笑しいだろう!」
「はい。可笑しいです。実はウェルクに誘拐される前、彼に言われたんです。棗君と僕は、本橋先生から奪った能力が通じなくて興味がわいたと。それがウェルクだけなのかを確かめる為に、本橋先生の許へ来ました」
「なるほどね。確かに君に次いで修助君もあたしの異能は効かなかったよ。まぁご両親やエレナには使えたから、多分修助君と君だけだと思う。今日は日曜で学生はお休みでしょ? 時間あるなら双葉ちゃんに相談しようか?」
「そこまでしていただかなくて大丈夫です。それは僕がすべき事ですし、先生はお休みになられた方が……これから連絡しますので、何か解ったらお伝えします」
「気遣いありがとね。そんじゃあたしゃベッドへイかせて貰うよ。もう無理寝る」
異能の行使が原因で自身の身体にとどめを刺したのか、睡眠を促すように瞼が閉じようとするのをなんとかこらえながら、茜は雪江に話す。
雪江は今にも倒れそうな茜を支えながら、部屋へあがり、ベッドへと横たわらせ、そのまま布団を掛けた後、雪江は茜の部屋を後にする。
玄関を出て、扉を閉めた後になって、雪江は防犯上重要な事に気づく。
「そうだ。家主が寝ちゃったから、鍵かけられない……」
このマンションは宅配業者相手でもきちんと手順を踏まえなければ、不法侵入者として警察のお世話になるほど厳しく面倒くさい警備をしている。かくまっている少女達個人個人に事情がある為だ。
それでも鍵がかかっていないのをそのまま見過ごすというのは、何とも気分の悪いものだ。そこで雪江はダメだと解っていても茜の寝顔を守る為に異能を行使する。
「世界執筆」
浮き出た原稿用紙と鉛筆に、茜の部屋の鍵が独りでに施錠されるよう、まるでホラー小説のような文体で綺麗にまとめ上げる。
すると、一人暮らしであるはずの茜の部屋の鍵が、かちりと施錠される音が響く。家主が脱稿からの開放感で爆睡しているので、独りでに施錠されたそれは第三者が見れば薄気味悪さを感じるだろう。
だが、これを実行した雪江は安堵した表情こそ浮かべていたが、その心はどこか不安で満ちていた。
(モノ、つまり世界の一部には、今まで通り干渉出来る。どうやら異常は無いようだ。けど油断は出来ない。ウェルクをダシに双葉ちゃんに聞いてみよう)
雪江はきちんと施錠されたのを確認すると、スマートフォンを取り出し、昨晩連絡先を交換したばかりの双葉の番号へと電話をかける。今の時間帯なら実家に居るはずだと彼女は考えていた。
彼女もまた、修助と同じぐらい遼平の作品を愛し、穴が開くほどアビリティー・ガールズを愛読していたから、今自身が持つ異能とは関係なく一や双葉を始めとした登場人物達のモーニングルーティンを把握しているのだ。
その把握範囲は、もはやストーカーの領域である。
何度かのコール音の後、雪江が望む声がスピーカー越しに響くと、彼女は単刀直入に頼み込んだ。
「ウェルクに誘拐された時の事を話す。だからメタトロンへ向かう時間を教えて欲しいんだ」
こんばんは、水です。
今回は今まで受けた事の無い優しさに触れて気が動転してしまった雪江の一部始終を書きました。蛇足を書いた犯人は彼女ですが、まだ誰もその事に気づきません。
私事でありますが、コミックマーケット100に参加された皆様、本当にお疲れ様でした。
私のサークルは一日目でしたが、台風直撃で大変な事になり、帰りは大雨で前が見えませんでした。二日目は天候に恵まれ、私はその様子をツイッターを眺めていましたが、皆生き生きとしていて100回目に対して気合の入ったコスプレの画像が出回ったりで一般参加でコスプレ眺めるのもアリだったなと後悔しています。
次回の冬コミは開催できるのか不安な部分がありますが、開催される事を願うばかりです。
それではまた来週。よい夢を。




