38・雪江の新生活
「母さん、この家具をここに降ろすよ!」
「りょーかい。せーのっ!」
学校の無い暇な土曜日の昼間、修助と真琴は自ら志願して揺りかごが用意した雪江の新しいマンションの部屋に荷物を運んでいた。圭一郎はトラックドライバーとして荷物を運搬し、エレナも揺りかごのスタッフに混じって小物の整理を行っている。
更には、このマンションの住民であり、兄が完結させた作品の中で主人公である一に助けられたヒロイン達も、率先して手を貸してくれた。
異能を行使し放題の引っ越しは、終了予定が日曜日の夕方なのに、このペースで行けば今日中には住める所まで荷解きが終わりそうだった。
電気と水道も直ぐに通り、ガスも問題なく使えた。だが雪江は電気と水道があれば問題ないと前置きした上でとんでもない事を言い出した。
「僕、自炊するし、ガスは必要だけど、お風呂まではちょっと贅沢すぎかも。今まではシャワーを暖めるガス代が勿体なくて、水で濡らしたタオルで体拭いていただけだし」
「いやそれは女の子としてダメだよ!」
「何でも節制すれば良いという訳ではありません。貧ずれば鈍ずる。せめて毎日シャワーを浴びるだけでも行ってください!」
さすがに風呂は入れと結花とソフィアに言われ、その日は偶々部屋が隣である事を理由に、和奈は強引に一緒に風呂に入ろうと強制的に決められてしまった。
風呂に入る為に和奈の部屋へ訪れる時間は夕方。それまで雪江は自分で出来る範囲の引っ越し作業に勤しみ、昼食は揺りかごの経費で宅配ピザを一〇枚近く注文して、作業を手伝ってくれた全員と共にピザを食べながら談笑し、少し休憩を挟んだ後、再び作業へと戻っていく。
こうして殺風景で何も置いていない部屋は、一が救った少女の趣味も混じってしまっているが、かなり女の子らしい可愛くて綺麗な部屋へと変身。雪江は手伝ってくれた全ての人々に一人一人丁寧にお礼を言いながら頭を下げていた。
「今日はありがとうございました」
元々大声を出すような性格ではない雪江の声はか細く、他の誰かが喋ると消えてしまいそうな声だったが、お礼を言いたいという心はしっかりと伝わったようで、皆口々に、多少の個性も添えてどういたしましてと返す。
そして、全員にお礼を言い終える頃になると、陽は傾き夜が訪れる。初夏の陽気でまだ少し明るい空であったが、雪江があるものを持って和奈の部屋へ到着する頃にはすっかり暗くなってしまっていた。
美容には微塵も興味がない雪江は、年頃の女の子が使うようなシャンプーやリンス、フェイスケア用品等を一切持っておらず、代わりに着替えの入ったトートバッグを肩に提げ、両手には和奈が大好きなカレーの入った鍋を持って彼女の許へ訪ねていった。
両手が塞がっている為、肘でインターホンを押すと、勢いのある足音と共に玄関のドアが開かれる。
「ようこそだ! 雪江!」
満面の笑みで雪江を迎え、隣にまで聞こえるような声量で彼女を歓迎する。その姿は人懐こい大型犬を連想させた。
「う、うん。今日はよろしくね」
その勢いに圧倒され、少し後ずさってしまうが、意を決して玄関へと入っていく。
「所でその鍋から漂う香辛料の香り。カレーか!?」
先に部屋へあがった家主は、雪江が持つ鍋から発する食欲を刺激する香りに耐えきれずに質問する。
「うん。スーパーの場所を覚えるついでに買い物に行って作ったの。差し入れ、食べる?」
「もちろんだ! まだ夕飯は食べていないからどうしようかと迷っていた所だったんだ!」
「良かった。これで口に合えば、作った甲斐があるんだけど」
言って雪江は和奈に断りを入れて、鍋をガスコンロへ乗せ火をつける。少し冷めてしまったので、熱々を和奈に食べて欲しいという思いからだ。
ご飯はいつも食べれるように炊飯器は炊き立てが入っているようで、そこまで気を回す必要が無く、温まったルーを白米で盛りつけられた皿にゆっくりかけていく。
「おおおおおおおっ!」
風呂へ入るのを面倒くさがる癖に、料理はなかなか凝ったモノを作る。この場に和奈以外の人物が居れば、それは疑問に思う事かもしれないが、今は誰もそんな事を気にする人は居ない。
目の前に置かれたカレーを食べたくて仕方がない和奈しか居ないのだ。彼女の家だから当然といえば当然だが。
「戴きます!」
「召し上がれ。僕も、戴きます」
二人きりの夕食、お互い何も話さず、と言うよりは和奈があまりにも一心不乱に食べるものだから必然的に会話が発生しない。
タダで風呂に入る事に罪悪感を感じていた雪江は、せめて何か持って行こうと思ってカレーを作ったのだが、恐ろしい速度でルーが減っていき、二日分を想定して作ったルーの九割が和奈の胃袋へと入ってしまった。
こうして誰かと食事をしたのは、教室で昼食を共にした修助以来の雪江だが、その食べっぷりに思わず笑みがこぼれる。
人と食べる事の楽しさと暖かさを、雪江は覚え始めていたのだ。
「ごちそうさま! 雪江! とても美味しかったぞ!」
「ふふっ。お粗末様。僕もはやく食べなきゃ」
「ゆっくりでかまわんぞ、風呂が沸いたか確かめる必要がある」
和奈は言うと、慌ただしく席を立ち、食器を流し台へ置くと、給湯器の様子をチェックしに行く。
「改めて見ると。やっぱ賑やかだな。一君はそんな彼女を好きになったんだけど、なんだか解る気がする」
その後ろ姿を見て、誰にも聞こえないようなつぶやきを雪江がこぼすと、残ったカレーを少しずつ口に入れていった。
・・・
『お風呂が沸きました』
機会音声がスピーカーから流れるのを、一緒に洗い物をしていた二人は聞き、和奈はどうするかを訪ねる?
「先に入るか? あまり広くないから二人で入ると窮屈に感じてしまうと思うんだ」
「あ、あの。僕がそれ決めて良いの?」
他人の家を我が物顔で使っているような気分になるその提案に、雪江は抵抗を感じていた。雪江が以前暮らしていたアパートは所謂ユニットバスであり、集合住宅で二人一緒という訳には行かないのは十分承知していた。
だからその質問に答える資格はないと感じていた。だが和奈は現金な性格のようで、おいしいカレーをごちそうして貰ったのだから決定権はそっちにあると言って聞かない。
「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えて、先に戴いちゃおうかな」
「遠慮するな。寧ろ色々強引に決めてしまった私にも非がある。シャンプーやボディーソープも好きに使って良いぞ」
「ありがとう。じゃあ僕が先に貰うね」
言って雪江は濡れた手を払い水気を切ると、脱衣所の近くに置いてあった着替えの入っているトートバッグを手に取り、脱衣所の扉を開けた。
いつもは水、冬場はお湯で濡らしたタオルで体を拭くだけで済ませていたが、今は違う。湯船にたっぷりと入ったお湯に心行くまで体を沈める事が出来るのだ。しかも自分が持っていないシャンプーとリンスにボディーソープまで使える。
ここまで至れり尽くせりでは、逆にカレーを差し入れに持って行っただけでは足りないのではと不安に思いながらも、雪江は服を脱ぎ、ブラのホックを外し、ショーツを脱ぎ、生まれたての姿になる。
脱衣所から浴室へと入ると、細かい事はあまり気にしない家主らしからぬ、清掃が行き届いた浴室が雪江の視界に広がった。
シャワーを浴びてシャンプーで髪を洗いながら、彼女は転生して初めて、この心地よさを知ってしまった。
(当分の間はこのマンション借りるんだよね。また引っ越しする時は、これぐらい出来る場所を借りれるように頑張らなきゃ。こんな気持ちいいの、転生して初めて)
・・・
雪江がシャンプーで気持ちよくなっていた頃。洗い物を済ませた和奈は日課にしている一との長電話に夢中になっていた。
風呂に入っていると簡潔に雪江の様子を伝えた後、彼女に関する話題は直ぐに打ち切られ、二人だけの甘い時間がやってくる。
とにかくお互いの声が聞きたくて、どうでも良い事をだらだらと話したり、次のデートはどこが良いか、服を選ぼうか等、武人気質な和奈からは想像もつかないほどふわふわした話題で盛り上がっていた。
話し始めて三〇分ほどすると、脱衣所から着替えた雪江が出てくる。風呂上がりらしく、顔はほんのり赤く、しっかり温まったようだ。
「ああすまぬ一。またかけ直す」
和奈は雪江を見送る為に一度かけ直すと約束すると、スマホの画面の切断アイコンをタップし通話を終了させ、自分の部屋へ帰ろうとする雪江を見送る。
「今日はありがとうね、夜宮さん」
そう言う彼女からふわりと、和奈が普段使っているシャンプーの香りが漂ってくる。
「こちらこそ、カレーをごちそうさまだ。がっつくようで悪いが、また作ってくれるか?」
「彼氏のご飯より僕のご飯を選ぶんだ」
雪江は和奈の食欲をそうからかう。違うと首を振ると、雪江にとって今まで縁の無かった言葉が和奈の口からこぼれる。
「そんな事は無いぞ! 一のご飯も美味しいが、友達が作ってくれたのも美味しい! 美味しいモノに選ぶなんて事は無い!」
友達。それは今までの雪江の生活では考えられなかった単語。学校では修助が手を差し伸べてくれるまで、友達という存在が一人も居なかった。
それは自分が消極的すぎる性格が招いた事だと解ってはいるが、心が歪んでいる雪江にとって、まっすぐ過ぎる和奈の声が聞いていて辛かった。
今まで関わってこなかった癖に、執行者に襲われてから急に馴れ馴れしくなった。だがそれをここで言ってしまうのは良くない。その黒い感情を押しつぶして、雪江は微笑むと、最後に和奈と別れの挨拶をして自室へ戻る。
自室へ入るなり、鍵を閉め、玄関へへたり込む。せっかく友人から借りた風呂で体を綺麗にしたのに、という言葉は彼女には無かった。
和奈の声に苦しみ、雪江の生活全てが変わってしまったのは、彼女をいじめている歩実の取り巻きによって歩道橋から突き落とされたのを修助に
助けられた時からだ。
彼の恩を無碍にしたくない一心で振る舞って、しばらくすればまたひとりぼっちの生活に戻るだろうと考えていた。だが現実は彼女が思っている事と逆の方向へ進み始めている。
(そうだ……)
涙をこらえ、この辛い状況から脱する方法を彼女は持っていた。その方法を、彼女は手のひらから浮かべる。
「世界執筆。みんな僕から関心を無くして」
こんばんは、水です。
今回は救助した雪江のお話になります。彼女の今後は次回以降少しずつ明らかになりますが、修助はどんな彼女も受け入れるほど入れ込んでいるのは言うまでもありません。
それと一つお知らせがあります。来週の土曜日である8月13日に開催されるコミックマーケット100にサークルとして参加いたします。スペースは”東ホール N 30a”となります。人形を抱いている女の子のポスターとその裏に張られているタバコを吸った緑髪の女の子が目印になりますので、参加される方で興味を持たれた方はぜひお越しください。お待ちしております。
それではまた来週。よい夢を。




