33・悪夢からの目覚め
セーフハウスに車が格納され、その地下に車と共に身を潜めていた圭一郎は、車から降りてマスクを脱ぎ捨てると、少しずれたメガネを直し、大きなため息と共に偶々目に付いた冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出す。
それを開栓し、一口飲んだ後、マスクで篭もった熱で毛穴という毛穴から吹き出た汗を洗い流すかのように、残りのミネラルウォーターを頭にかける。
キンキンに冷えたミネラルウォーターが、警察とのカーチェイスで熱くなった血液を冷ます。頭からかけられたミネラルウォーターがセーターやブラウスを濡らし、その冷たさを堪能していると、蟻の巣のように張り巡らされた揺りかごの施設に通じる地下道の扉が突然開かれる。
「あなた。お疲れさま」
「真琴、それにエレナさん。その様子じゃ、一君達も無事みたいだね」
「ええ。彼ら、アタシ達が思っていた以上に強かった」
「そうか。私達の息子とは、男としての出来が違うみたいだな」
そう言って圭一郎は助手席と運転席のドアを開ける。
そこには未だに圭一郎の豪快で命知らずな運転にうなされている様子の修助と雪江が座っていた。
「目を覚ますのは、だいぶ後になりそうね。下手すると次の日になるかも」
「そうは言ってられないだろう。双葉ちゃんとの約束もある。おい修助! 起きろ! 雪江ちゃんと一緒に双葉ちゃんの許へ行くぞ!」
圭一郎は半ば叱るように修助へ声をかけ、その身体を揺する。
「んんっ……んあっ……」
やや間抜けな声を上げながら、修助はゆっくりと目を覚まし、辺りを見回す。
「ここって、揺りかごの地下施設か? アニメで見た光景だ」
「思うんだけどさ、修助」
起きて状況の整理もおぼつかない修助を見かねて、真琴は腕を組み、前々から思っていた事を尋ねる。
「たまにアンタ、アニメで見たとか変な事言うけど、ホントにこんな蟻の巣みたいな基地が遼平の作品に出てくるの?」
「出てくる。地上でのサポートは勿論、一は地下からもサポートを受けて異能を持った女の子を助けるんだ」
「その異能を持った女の子って、特別な存在?」
「産まれた時に持っていて、大抵は隠して生活している。幼い頃に異能を両親に自慢して、叱られたってのが幼少期の理由で、後々心身共に成長していくと、その危険さを理解し始めて隠すようになる。そこに居るエレナはかつてウェルクと共に異能を持った少女の遺伝子を目当てに誘拐して、そこから実験の素体にしたり、強力な異能をさっき母さん達が相手していた兵隊の中に組み込んで使えるようにしたりして、世界の支配をもくろんだ。誘拐は最も初歩的な支配への道だったんだ」
「その話は何度か聞いたけど、何度聞いても理解できないわね」
「する必要もないさ。所詮娯楽小説。話を盛り上げる為には、倒すべき目標や守るべき目的があり、それを達成したり守りきった事による達成感や充足感を読者は得るんだ。書店でカネを払ってな」
修助は蒸し暑さを感じる車内から出る為にゆっくりとシートから降りると、まだ夢の中でうなされている雪江をおんぶするように抱き上げ、双葉の許へと行こうと言う。元々彼女の許へ行って作戦終了の報告をする用事があるので、誰も何も言わない。
そうして五人はメタトロンで待機している双葉の許へ向かう為に、この地下ガレージを後にする。
完全に余談であるが、五人が去った後、揺りかごのクルーがこのガレージに入り、トラックの荷台に載る小型のパーツから解体を始め、徐々に車体を輸送。最終的に買い手が付いた海外の業者の許へ輸出される運びになり、警察をさんざん挑発した上逃亡した謎のセダンは日本から姿を消すことになる。
後に警察学校ではこういうケースを想定した追跡方法を指導する為のマニュアル作りに奔走されるハメになり、マスコミからは無能のレッテルを貼られるなど、まさに踏んだり蹴ったりな目に遭ってしまった。
・・・
「ん……」
長い廊下を歩いて、メタトロンが臨時で格納されている倉庫のエレベーターに乗っている最中、修助の背中で可愛らしい寝息を立てていた雪江が意識を取り戻す。
その僅かな息づかいが修助の頬をかすめ、少しだけ心臓が跳ねてしまったが、雪江や家族にバレないよう無駄に取り繕う。
「気づいたか? 父さんの無茶に振り回されて、随分眠っていたみたいだけど」
「あ、棗君……。ごめんね、重いよね」
「ぜんぜん、心配しないで良い。バランスを崩すからもっと寄りかかって」
「うん。ありがとう」
言って雪江は修助の背中に密着する。産まれて初めて味わう、背中越しから伝わる女の子の柔らかさ。その下心を必死に隠しながら、エレベーターが目的階にたどり着くのを待つ。
しばらくすると、小型のスピーカーから目的階にたどり着いた事を伝えるアナウンスが流れ、エレベーターの扉が開かれる。
その扉の前には、一が車椅子を広げて待機していた。
何故車から降ろす段階で車椅子を持ってこなかったんだという疑問はあったが、雪江の柔肌を前に同じ事が言えるか自信が無かった修助は、素直に一にありがとうと礼を言って、名残惜しそうに雪江を車椅子に移す。
「災難だったな修助。何かされなかったか?」
一は親友思いな性格であり、誘拐されたと聞いて執行者にひどい仕打ちを受けたのではないかと心配する。
「堅い鉄のベッドに大の字でねころがされて、両手首と両足を拘束されてた。一が助けに来てくれなかったらマジで遺伝子を摘出されたりぐちゃぐちゃにされてたかもしれない」
前世で原作を読み、その想像を絶する実験の数々を文章と想像力、そしてアニメで見てきた修助は今更になって恐怖で鳥肌が立つ。その内容は一部で規制されて放映出来ず、国外のファンから政府の対応に批判を浴びせるほど内容だった為、思わず泣きそうになるが、そこは堪えて双葉の許へと向かう。
「双葉、無事に修助と北沢さんを保護した。ついでに北沢さんの骨折の治療をしたい」
一は妹である双葉に伝えると、コンソール画面を見ながら返事をする。
「かまわないわ。医療に長けた異能持ちを派遣する。明日には走れるようになるわ。それと修助の服も適当に見繕ってあげて。いつまでもそんなみすぼらしい格好じゃ、男としての品位が無くなるでしょ」
言われて修助は改めて自身の格好を見る、確かに誘拐されて病院の患者が着るようなガウンのままではみっともないし、研究員を一人殺しているので返り血まで浴びているのにだれも突っ込まない。
(皆血を見てきたから慣れっこなんだろうけど、父さんと母さんはせめてなんか言ってほしかった)
そんな贅沢な悩みを心の中に留めておきながら、修助はガウンから私服に着替える為に一に連れて行かれ、雪江は骨折を異能で治療できるかを試みる為に別れる事になる。
「それじゃ、北沢さん。また」
「うん。その人の言うとおり、明日には走れるようになれば良いな」
雪江は誰とも接点のない少女だ。だから双葉の事をどう呼べばいいのか戸惑っている節がある。それでも柔らかな笑みを浮かべ、双葉が用意した施設とスタッフによる治療の効果を期待する。
「じゃあね、棗君」
「ああ。また」
雪江は修助と反対方向へ向かう事を察したのか、今日はもう会えないと思い、別れの挨拶をする。修助も短く答えると、一に連れられた先は揺りかごのクルーがスパイ活動をする為のラフな衣服が揃った服屋のような部屋に通された。
「サイズが合うなら好きなの選べよ。いつまでも血塗れじゃ気持ち悪いだろ」
「ありがと。この恩はいつか返さなきゃな」
「その必要は無い。って大口叩ける立場じゃないんだけど」
そう言うと、一は修助から貰った遊園地の割引券を見せる。
「ああ。あったなそんなの」
修助は適当にトップスとボトムスを手に取り更衣室へ入り、カーテンを閉める。その間も二人の会話は続く。
「修助、お前渡したの忘れたのかよ」
「真琴に彼女の一人でも作って遊んでこいってからかわれて恥かいたんだ。忘れたいよ」
「修助の妹って、かなりやんちゃだな。修助の父さんを逃がす為に誰一人執行者のメンツを市街地へ入れる訳には行かなかったから、必死に戦ってたんだけど、皆が何発か入れてようやく倒れるのに、妹なんて拳一つで皆倒れていくんだ」
「真琴は空手やってるから。魔術のセンスよりもそっちの方が優れてる。エレナの娘なのに違和感感じただろ?」
危うく母さんと言いそうになるのを堪えて、空手一つで大暴れする真琴に鬼気迫るものを感じた一にそう尋ねる。
「違和感なんてレベルじゃない。エレナのように魔術に長けている筈なのに、それを上手く制御できなくて、補助的に魔術を使って、後は素手。皆ブレードや銃で武装している中、一瞬で懐に入り込んで沈めていくのはかなり怖かったよ」
原作”アビリティー・ガールズ”の主人公として、かなりの修羅場をくぐり抜けてきたはずの一さえ、素手で兵士をなぎ倒していく様は本能的に勝てないと悟ったのだろう。少し声が震えている。
真琴は一本の道を極めてこその武道という教えを受け、圭一郎と結婚するまでは空手一本で料理も裁縫もままならないほどだったと真琴直々に聞いていた。前世では物心つく頃から母親の手料理が美味しかったのを思い出した修助は、恐らく圭一郎との結婚を期に考え方が変わったのだろうと推測する。
あくまで推測の域を出られないのは、どんなに質問しても結局頑張ったからとしか返事が返ってこないからだ。
「よし、これで外に出ても恥ずかしくない格好になったな」
カーテンを開けた修助は、血の付いたガウンから、Tシャツとデニムというラフな格好で出てくる。これなら外へ出ても問題ないと一と共に確認すると、再び執行者が狙ってくる可能性を考慮して、この地下施設で丑三つ時が来るまでの時間を過ごす事となった。
・・・
「北沢さんがここに来る心配は無いか?」
そして訪れる丑三つ時。修助は一つ心配事を抱えていた。
同じ施設に雪江と居る。もしかするとこのメタトロンに乗り込んで丑三つ時のやりとりを盗み見するかもしれないと懸念しているのだ。
気持ち悪いほど姓と名が一致している少女の話をしようと考えている所に、その本人がこの場に居たら話しづらいのは当然の事だ。
「その心配は要らないわ。治療も滞りなく終わって、今は疲れてるのかぐっすり眠ってるって医療クルーから報告があがった」
その問いに答えたのは双葉だった。既にコンソールを操作していつでも遼平と通話出来る状態にしていた。
「それなら安心だ。今日は兄貴から聞き出す。たとえそれが兄貴を傷つける事になっても、北沢さんの事を知る権利ぐらいあるはずだ」
修助は兄に送る雪江に関するファイルを送信し、うやむやな態度で流していた遼平からはっきりと聞き出そうと躍起になっていた。
そして、その時が訪れる。
「兄貴。今送ったファイルを見た上で単刀直入に言う。兄貴が知っている北沢 雪江の全てを教えてくれ」
こんばんは、水です。
お父さんの運転で無事に逃げ切った修助は、服を着替えて一つの覚悟を決めます。それは遼平の心を今でも苦しめている北沢 雪江の過去を直々に尋ねる事です。
それではまた来週。よい夢を。




