239.プロローグ:リース王国の女王、色んなものを振り切って禁断の大地へ
「お母様、その杖をわたしにください!」
リース王国の女王、イリスは幼いころを思い出す。
それは百年近くも前の話である。
まだ魔王大戦の戦禍が残っている時代のことだ。
彼女は自分の母親であり、当時の女王でもあるディアナがいつも携えている杖をねだった。
その杖は七色に輝く不思議な素材でできており、見る角度によって色を変えるものだった。
幼いイリスはその杖をとても気に入っていたのだ。
「ふふ。いいでしょう、あなたがもしも世界で一番大事な人を見つけられたら与えましょう。あなたはリースで最高の女王になるのだから」
女王ディアナは微笑んでイリスの頭をなでる。
イリスの美しい髪の毛がさらさらと揺れた。
かつて魔王大戦のころは大規模破壊魔法を操り、壊滅の赤薔薇と呼ばれた彼女であったが、イリスに対する視線はいつも優しかった。
イリスは女王が100年以上の人生の中で唯一授かった子供だったからだ。
「ありがとうございます! でもね、お母様、今、その杖をください! わたしにとって一番大事なのはお母様ですもの!」
イリスはそういって女王にぎゅっと抱きつく。
愛らしい我が子の振る舞いに彼女はつい笑顔をこぼす。
しかし、彼女は優しく笑ってこう言うのだった。
「だめよ、私以外に見つけるのよ。一緒にいるだけで、心が温かくなる人を」
「お母様以外で? そんなの難しいです……」
「大丈夫、きっと見つかるわ。私が、あなたのお父様を見つけた時のように。きっと、あなたなら見つけ出せるわ」
ディアナの言葉につい口を尖らせるイリス。
彼女はまだ母親の言葉の本当の意味が分からなかった。
ディアナはそれさえもいとおしいと感じ、優しい瞳でイリスを抱きしめてあげるのだった。
「わたしはお母様が大好き! 耳の形だっておんなじですもの! ずっとずっと一緒ですよっ!」
「はいはい、あなたが一人前になるまで一緒にいてあげるわ」
エルフというものは基本的に長命な種族である。
母親はすでに百年生きていたが、これからもずっと一緒なのだとイリスは思っていた。
「ど、どういことだ!? お母さまが!?」
しかし、それから数十年後のある日のことだ。
成長したイリスが冒険者として活躍している時だった。
ディアナが地方での視察を終えて帰るや否や、亡くなってしまったとの知らせを受けたのだ。
彼女の死因は病によるものとされ、リース王国は皆、悲嘆にくれた。
女王ディアナは魔族の侵攻から国を救った英雄である。
その英雄の死は国民の心に大きな穴をあけたのだった。
その停滞をいつまでも引きずるわけにもいかず、イリスはリースの女王を戴冠することになる。
当時のイリスは悪竜を駆逐するなど、十分な実績と知名度を誇っていた。
リースの国民たちは新しい女王の誕生に大きな声を上げて喜ぶのだった。
◇
「あの杖はまだ見つからないのかっ?」
「も、申し訳ございません! 四方八方手を尽くして探しているのですが……」
皆が祝福の言葉を伝えるも、イリスの顔色は浮かなかった。
先の女王ディアナが持っていたはずの、あの七色に輝く杖がなくなっていたからだ。
それがないからと言ってイリスの王権には何の問題もなかった。
しかし、イリスにとってはそれは母親の形見であること以上の価値を持っていた。
「お母様、どうして、逝ってしまわれたのだ……」
彼女は「大事な人」を見つけ出していたのだ。
その人物は一緒に冒険の旅をしたパーティの一人だった。
素晴らしい剣の腕を持ち、戦友であり、大陸の英雄だった。
イリスはその人物にいつだってずけずけとものを言っていたが、彼は言葉の背後にある意思を受け止めてくれる人物だった。
一緒にいるだけで温かい気持ちになったし、それが母親の言っている「大事な人」なのだと彼女は気づいていた。
イリスは冒険を終えたのち、彼を母親に紹介しようと決意していたのだ。
そして、その杖を母親から譲り受けるのだと意気込んでさえいた。
しかし、その夢は崩れた。
彼女の母親の死と杖の喪失によって。
彼女はなぜもっと早くディアナにその人物を紹介しなかったのかと後悔した。
しかし、今さら泣きはらしたところで何かが変わるわけではない。
「私の運命はこういうものだったのだな……」
国をまとめ上げるため、イリスは自分の夢を諦めることにした。
自分とあの男はもはや結ばれないものなのだ、と自分に思いこませた。
彼女のその杖に対する誓いは相当のものだったのだ。
もっとも、イリスの決断には、杖の持つ厄介な特性が影響していたことも挙げなければならないだろう。
その七彩晶で作られた杖は思いを増幅させる作用を持っていた。
場合によっては妄執とでも言えるような精神状態を作り出すのだ。
その結果、「あなたに大事な人が現れたらこの杖をあげる」という母親の言葉は、「杖がなければ、大事な人と一緒にいる資格はない」という言葉にイリスの中で変換されてしまう。
強固な親子の絆と愛情。
皮肉にも、それがイリスの心を縛ってしまうのだった。
彼女はその大事な人物とはできるだけ会わないようにすることを決めた。
自分の心を守るために、彼女は厳粛な女王へと変化していくのだった。
◇
「魔法の才能のあるものを集めよっ!」
イリスは政治家としても優秀な女性だった。
彼女はディアナの死の背後に魔族の存在を感じ取り、国を守るために魔法絶対主義を徹底することにした。
このことを不服に思う人物もいるだろうし、新たな差別の温床になるとも知っていた。
しかし、母親が守り切ったこの国を敵から守るには、強力な魔法を使える人材を数多く確保しなければならない。
そう確信していたのだ。
為政者としての彼女の手腕は素晴らしく、国は発展を遂げる。
国民や貴族はイリスを歴代最高の女王であると持ち上げた。
しかし、彼女は知っていた。
年を経るごとに、心が劣化していくことを。
何かが足りないままだと思いながらも、枯れていっていることを。
母親の持っていた、あの杖を取り戻したいと願う時もあった。
実際に地方を視察・調査し、世界中の杖を取り寄せたりもした。
だが見つからなかった。
そして、忙しい毎日に押し流されると、その情熱は次第に風化していく。
彼女はわかっていた。
自分の心はずっと昔に老け込んでしまっていることを。
母親が死に、杖が失われたことで、彼女の中の何かがぷつりと切れたのだった。
かつての仲間はそれぞれの国で栄達していった。
しかし、彼らとさえ距離を置き、彼女は孤高の存在へと上り詰めていく。
ある国民は彼女のことを、不可侵の薔薇と呼んだ。
他者を寄せ付けず、一人ですべての問題を解決してしまう、史上最高の為政者。
誰も彼女に触れることはできないし、誰も彼女の心を分かるものはいない。
「構うものか。私にはそんな資格はないのだ」
大事な人に対する思いをどこかに追いやり、彼女はただただ国造りだけに集中した。
その大事な人でさえも、いつかは死んで過去の物語になるのだと自分に言い聞かせた。
そもそも、ハーフエルフの自分と人間族のその人物では相容れないものだったのだと。
彼女はその人物が辺境に飛ばされたのを知ると、人知れず死んでしまうことを願ってさえいた。
満たされないまま彼女の時は流れていき、その不満は徐々に彼女を自暴自棄なものへと変えていく。
最近では政務への関心さえ薄れていく始末だった。
彼女の言動は粗暴になり、何かを画策している貴族にはきつく当たるようになった。
しかし、ある日のことだ。
彼女の心に変化が起こる。
彼女は、必死に戦うかつての「仲間」の姿を目撃することになる。
彼はもっと老け込んでいるはずだったし、もはや歩けないはずだった。
それなのに彼は剣を振るい、巨大な化け物と戦っていた。
聖女の援護なのか、若返ってさえ見えた。
「噓だ、嘘だ、噓だ……」
その姿を見た彼女は自分の心が震えて、何かが崩れていくのを感じる。
自分にとって大切だった人が、今なお誰かのために戦っている。
それを見た彼女の瞳からは雫がこぼれ落ちた。
驚きの叫びと同時に、感動の嗚咽が止まらなかった。
すぐにでも城を飛び出して、その戦いに参加したい。
あの人のもとに駆け出したい。
そんな衝動さえ生まれてくる。
もっとも、彼女はリース王国を治める女王であり、魔族が攻め入ってくる可能性がある以上、軽率なことはできなかった。
それから、しばらく、彼女は葛藤の日々を過ごす。
行くべきか、行かないべきか。
会うべきか、会わないべきか。
「悪いがしばらく留守にするぞ」
彼女は行くことに決めた。
魔王領との緩衝地帯である、禁断の大地に。
そこは灼熱の魔女の再来が治める大地。
彼女の妹分である魔王イシュタルが認めた場所でもある。
空を飛びながらイリスはふぅっと息を吐く。
中途半端にし続けてきた、自分の気持ちを整理するように。
「あの娘に会ってみよう」
イリスの心に火をつけたのは、魔族と必死に戦うユオとその仲間たちの姿だったのは言うまでもない。
彼女はそこに重ね合わせていたのだ。
誰かのために戦っていた、かつての自分自身の姿を。
彼女はただ会ってみたかったのだ。
禁断の大地の首領となった、ユオという少女を。
まさにかつての自分のように太陽のごとく輝く少女に。
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「あの暴虐っぷりの裏にはこんなことが……」
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