第2話:大尉
「学徒諸君、任務ご苦労!」
柔和な笑顔を浮かべる男に、ベルタが折り目正しく対応しているのを、残りの僕ら三人は遠巻きに眺める。
「なんか怪しくない?」
「シャーリーもそう思うか」
「軍服のサイズが微妙に合ってないし、ベルトのバックルも五年前の旧式よ?」
「予備役だなあれは。信用なんねえ」
司令官は、サイドカー付きバイクに乗ってで一人でやってきた。
ベルタは挨拶もそこそこに、彼が提示した書類に目を通してサインしている。僕は不審に思って二人に尋ねた。
「あれは?」
「俺たちへの新しい命令なんじゃないか? ……こっち来るぞ――気をつけ!」
ベルタが新しい司令官とこちらに来るのを見て、僕らは横並びになって姿勢を正す。
「こちらです大尉」
「私はエスト大尉だ。君らのような、未来を担う戦士と戦うことができて嬉しい」
五十歳くらいの大尉は軍帽を取ってにこやかに挨拶すると、彼の残り少ない前髪が、寂しくなびいた。
今まで出会った軍人たちは僕らを放置するか、崩れた敬礼を投げてくるだけだった。
だから彼の仕草に僕はちょっとした衝撃を受けた。
「あんまり緊張せんでくれ、ついこの間までは小学校の先生だったおじさんだ」
僕らが押し黙っていると、彼は申し訳なさそうに付け加えた。
ベルタは場の空気が不味くなる前に、僕らを一人ずつ紹介してくれた。
司令官は柔和な笑顔で頷いていた。本当に田舎の校長先生が目の前にいるような気分にさせられる。
「そうだ、君らに手土産がある」
そう言って彼はサイドカーの座席に放り込まれた木箱を抱えてきた。
箱の中にはたくさんの食料が詰め込まれていた。
特に僕らの目を引いたのは大きなハム肉の塊だ。
「実は兵站将校に知り合いがいてね。まあ、これから長いこと腰を据えていかなきゃならないしな……。つまり、食事は基本だよ」
「貰っていいんすか! これなら、いくらでも連邦の連中とやってやりますよ」
真っ先にダンが箱に食いついた。
「頼もしい限りだ。引き続き、その……警戒を厳にして任務にあたってくれ給え」
その日のうちに、僕らはエスト大尉のための指揮所を新しく設営した。
こういう時に重機としての首なしの真の価値が発揮される。
もともとは陣地構築の省力化を目的とした機体なので、人手で掘れば丸一日かかる作業を二時間足らずで終えることができた。
彼は前任の憲兵たちが置いていた事務用品をきれいに配置して、簡単な寝室兼執務室ができた。
皆の中でもダンが一番気合が入っていたのは言うまでもない。
ダンは相変わらず塊の肉を眺めていた。
「お前をまるごと焼いてしまおうかー、それとも薄切りにしてやろーかー」
「あんた簡単に乗せられすぎでしょ!? アルを見習ったら?」
シャーリーは呆れているようだった。だが、そこで僕に振られても困る。
「ええ? 僕は悪い人ではないと思うけど……」
「……そう簡単な話ではないわよ」
ベルタは受け取った命令書を見せてくれた。
司令官の持参した書面の命令はこうだった。
――カデット9は渓谷及び隣接する川を天然の要塞とし、万難を排して首都ストリチナヤ防衛の任務を全うせよ。
達成すべき目標も、期限も何も書いてない。
抽象的で具体性にかけているのは僕でもわかった。
「子供だからってバカにしてる」
「命令は命令よ。逆に言えば裁量権があるとも言えるわ、ほら」
――本命令書はカデット9が任務を円滑に遂行する上で必要な、あらゆる便宜を図ることを要請するものである。
署名はないが、郷土防衛軍団総司令官の名で出されている。
「味方の部隊は? 俺の視界から50平方㎞以内に味方がいるようには思えないが?」
「来たのは大尉だけ、つまりそういう事よ」
置き去りにされた? 司令部は僕らの存在を把握しているはずなのに。
「大尉の言うように腰を据えなければならないようね」
「覚悟はとうにできているよ」
僕はそう言って笑ってみせるが、強がっているだけで、ちゃんと笑えていたかあま
り自身がない。
僕は空を見あげて表情をごまかした。
「こんな紙切れ一枚でやる気出せって言われてもなぁ」
ダンがぼやいたその時、東の空を一筋の飛行機雲が青い空を切り裂いた。
「味方?」
「単機ね。おそらく敵の偵察機よ」
昨日の今日だ。あれから東部ではどんなふうに戦いが繰り広げられているのかここ
では分からない。
数分後には北から対抗するように、友軍の迎撃機が上がった。
「増えていく」
航空機の戦闘機動と、放たれたミサイルが幾筋もの雲の輪を作る。それらが複雑に重なって水面を揺らす波紋のように空に漂う。
その隙間に、小さな炎が上がっては消えていく。
「ああっ、どっちが勝ってるんだ?」
ダンがじれったそうに僕に言う。
「ここからじゃわからないよ」
「首なしのターレットカメラで見えないか?」
「無茶言わないでよ、あの速さじゃ無理だ」
「ああもう、見てるだけかよ!」
ダンは外した手袋を握りしめながら、東の空を食い入るように見つめていた。
東の空の下では地上戦も始まったようで、幾筋もの黒煙が立ちのぼるのが見えた。
「ここは完全に前線から外れたかもな」
ダンが言いかけた時、僕は南の街道がトンネルまで続く渓谷に、小さな点が浮かんでいるのに気がついた。
それは季節外れの渡り鳥のようにゆらゆらと漂っているように見えた。
「ダン」
「なんだ?」
「あれ」
それはだんだんと大きくなって、その正体が分かった。
5機の大型機が編隊を組んで南下するところだった。腹の膨れた鳩のような、不気味な機影だった。
だが異様なのはそのスピードだ。
編隊は渓谷の上空をかすめた途端に一斉に機首が持ち上がり、垂直に近い角度を保ったまま急上昇をはじめた。
補助のロケットでも積んでいるのか、先程の空戦を繰り広げていた戦闘機を上回る速さで空の高みを登っていく。
このままだと数10秒と経たずに、こちらの視界から消えてしまうだろう。
「こっちへ来るぞ!」
「警報!!」
僕は思わず叫んだ。自分のコックピットに飛びついた。
ダンが乗り込むと、ガスタービン特有の甲高い音が起こって、首なしが起動した。シャーリーとベルタもそのあいだに乗り込む。
「何事かね!」
エスト大尉がテントから慌てた顔で現れた。
「空から敵襲です!」
僕は開いたコックピットから、タービンの音に負けじと怒鳴る。
南の空を仰いだ大尉は言葉を失っていた。
先に乗り込んだベルタが外部スピーカーで彼に呼びかける。
『大尉、首なしの中が一番安全です』
「わ、わかった」
今まで機動兵器はおろか、戦車にだって乗ったことのないだろう彼に、ダンが手を
貸してなんとか車体に引きずり込んだ。
「私はどうすればいいんだ?」
ダンのインカムからくぐもった大尉の声が入る。
『ヘルメットとヘッドセットをつけてくださいな。席はこちら、っと』
ダンが用意して、ようやくエスト大尉と通話ができるになった。
『すまない。ええと……、諸君、状況は?』
『大尉がご覧になったとおりです、敵は間もなく南の視界外へ消えます』
『これに対空兵装は?』
『残念ながらありません』
ベルタが冷静に答える。
大尉の顔はこちらのコックピットからは伺えないが、動揺している気配が沈黙した
マイク越しに伝わってくる。
『……他に状況は分からんのかね?』
『不用意な無線の使用は、敵に位置を暴露することになります』
『我々は既に包囲されているかもしれんのだよ?』
『それなら司令部から無線が来るはずです』
『なら、司令部も陥落したかもしれん』
『落ち着いてください、大尉』
『落ち着いていられるか!』
意外に頑固な性格なのか、エスト大尉は譲らない。
『どのみち戦闘で無線封止は解かれているはず。司令部に問い合わせましょう』
『ああ、そうだな、……そのほうがいいだろうな』
『アル、お願い』
ベルタの出した助け舟に少しホッとしつつ、僕は広域無線を入れる。
今日の使用周波数にセットして、呼び出す。
『シタデル20、シタデル20、こちらカデット9――』
沈黙。わずかな間を置いて女性の声が入る。
『カデット9どうぞ』
『敵大型機らしき機影を視認した。機数は5、高速で急上昇しながら北上している、指示を乞う』
『照会する――カデット9へ。当該敵編隊は空軍の防空レーダーが探知したものと特徴が一致した。確かにこれは速い……、なに? ちょっと待てカデット……、レーダーから消えた? 高度2万メートル!?』
無線の向こう側では、狼狽した複数の声がわずかに聞こえ、突然消えた。
『シタデル20、シタデル20、こちらカデット9――』
呼び出すも返事がない。
「アル、北の空を見て……」
後ろの座席に座るベルタの声が直接耳に入って僕はそっちを向いた。
街のさらに北側に垂直に落ちていく五つの赤熱した塊が大地に落ちていく。
直後に巨大な爆炎がきのこ雲となって、北の空を埋め尽くした。
「弾道ミサイル?」
「視認できる程度の速度ということは、弾道ミサイルとは別物でしょうね」
「じゃあ一体……」
『アル、何が起きたんだ? こっちからは外が見えないんだ!』
ダンが苛立ちと不安で声を荒げた。
『何かが、ストリチナヤに落ちた。多分、敵のなにか……』
『わからねえよ!』
『誰が見たって何もわからないよ!』
僕は思わず、自分の膝を叩いた。戦場に来てから、いろんな事が僕らを置き去りにして進んでいるようにしか思えない。
『ダンも、アルもやめなよ! こんな狭いところで大声出さないで』
シャーリーの言葉に僕はようやく自分を取り戻した。
『すまない、みんな……』
『アル、シタデルを呼び出して。新しい命令が出ているかもしれない』
ベルタの言う通りだ。今は首都が危機に晒されているのは確かだし、郷土防衛軍団の本隊に合流することも十分ありうる。
僕は無線機のスイッチを再び入れた。
今までにない雑音が耳に飛び込んできた。チャンネルをいくつか変えて試してみるが、まったく聞き取れる状況ではない。
『電波障害だ』
『ジャミングか?』
僕はジャミング・キャンセラのスイッチに手をのばす。最初よりだいぶ明瞭になった。
『シタデル20、シタデル20、こちらカデット9――』
『――――』
『シタデル20、シタデル20、こちらカデット9――』
『――――――』
だめだ。ノイズ以外の音は聞こえてきそうにもない。
『本部と連絡が取れないのか?』
エスト大尉が聞いてきた。
『ええ、機器は正常に動作してるのですが』
『衛星通信は?』
『五分前からオフラインです。一時間前の定時通信では命令の更新はありませんでした』
『身動き取れずか……、くそっ、こんな所にいつまでもいられないぞ』
大尉は荒い息遣いでいろいろと考え込んでから、静かに口を開いた。
『……伝令を出そう』
『伝令ですか?』
『そうだよ、伝令だよ……、はは、なんで思いつかなかったんだ。私としたことが、前の戦争でもやっていたじゃないか!』
『では四人の中から……』
『いやまて!』
エスト大尉の断固とした声がベルタの声を遮った。
『――私が行く』
『え?』
『バイクを運転できるのは私だけだ』
『ですが、ここの指揮は――』
『すぐに戻ってくる。大体、君らは学生だ。おそらく本部に行っても誰も取り合わないだろう』
『……って、ちょと!』
シャーリーの言葉と同時にガチャガチャとハッチの開く音がヘッドセット越しに聞こえた。
コックピットから見下ろすと、左側のハッチからエスト大尉が這い出てくるのが見えた。
彼は自分のテントからジャンパーをひっつかみ、テント脇に止めてあったバイクに乗ると北の街へと続く街道へ消えていった。
『行っちゃった。大尉、行っちゃったよ!』シャーリーの困惑した叫び。
『おいおい、マジかよ、ハハッ』ダンは何がおかしいのか笑っている。
『どーすんの?』
シャーリーがハッチを開け、むくれた顔をこちらに向けている。
『やめてくれ、僕は悪くないぞ』
『そうだ、シャーリー。お前に色気がないからだ』
『あんた、ふざけてる場合じゃないでしょ!』
『みんな落ち着いて』
行ってしまった。シャーリーが言ったとおり、本当に大尉は行ってしまった。