第17話:終局
幾筋もの黒い煙を上げるレンガの町並みと、散開しつつ、包囲網を狭める敵の機甲部隊だけが景色の中で動いているようだった。
六両の歩兵戦闘車が一時停止した。後方から八人ずつ兵士が躍り出る。
彼らは装甲車に隠れることもなく、素早く散開した。
丘を登ってくるむこうの表情は肉眼でも分かるほどに近い。
こんなに敵の姿を間近で見るのは、さっきのファーコス大尉を除いたら初めてかもしれない。
ベルタは窓縁の機関銃を、僕はサブマシンガンを手に、最後になるであろう戦いに備える。
一体何を守ったというのだろう。
祖国を、首都を、街道を、トンネルを、街を、民間人を、仲間を?
そのためにどれだけの犠牲を払ったのか。結局振り回された挙げ句、僕らは何もしないよりもっとひどいことをしているのではないか?
「引き付けて撃つ?」
「私の機関銃はもう射程だけど、あなたのそれはもう少し引き付けたほうがいいわ」
「同時にやろう」
僕は窓から顔をわずかに出し外の様子を伺う。
僕とベルタの顔が近い。
ベルタと目があう。
不意に唇に甘い感触。
僕の顔が熱くなる。
「らしくないわね」
ベルタは顔をそむけて、恥ずかしそうに笑った。
「最後ぐらい、許されるよ」
最後って言うのはいつも突然やってくるものなのだ。
僕らは窓の外を狙いながら、敵を待ち構えていた。
教会の五十メートルほど手前で、敵の横隊が停止する。こちらを包囲するつもりなのだろう。
一発の銃声も、人の声もなかった。
このまま、全てが終わってしまうのか。
――辛かったら、空を見上げろ。
父の言葉が不意に思い出されて、僕は窓越しに薄く雲をまとった黄昏時の空を見た。
あれは?
小さい点がだんだん大きくなっていく。
双眼鏡を顔に当てて確認する。機体側面にネトレヴナ共和国の国籍マークの描かれた大型輸送ヘリだ。
ヘリの爆音がだんだんと近づいているくるのに気づき、僕の胸の中は期待で膨らんだ。
『カデット9、カデット9、こちらヘイロー1』
無線の呼び出しにすっかり煤だらけになったベルタの表情が少し緩んだ。僕は応答ボタンを押して問いかけに答える。
『ヘイロー1、こちらカデット9。聞こえています』
『二分後に到着する』
『助かりました。離脱まで援護します』
『カデット9へ。攻撃はするな。そちらの射線に入りたくない。何があっても攻撃するな』
援護はいらないなんて、ヘリパイロットは無鉄砲な奴が多いとは言え、ずいぶんと自信があるようだ。
妙な感じだったが、今の状況を考えると、ここまで来てくれた事自体が奇跡だと言っていい。
『了解。感謝します』
だが、違和感の正体はすぐに分かった。
ヘリが着陸地点に近づいても速度を落とそうとしない。
それどころか、着陸地点を過ぎて、こちらにどんどんと近づいてくるのだ。
味方の輸送ヘリは教会の真ん前でやってくると、ホバリングしたまま高度を下げていく。
二重反転ローターの激しいダウンウォッシュに、眼前の敵の兵士が頭を押さえている。
場所を間違えたのか? これじゃいい的だ。
『ヘイロー1、敵の目の前だ。直ちに離脱を』
『ヘイロー1、ヘイロー1!!』
無線は雑音しか返してこない。無視してるのか、それとも何かの故障なのか?
僕はサブマシンガンを肩に回し、窓枠を掴んだ。
「くそっ、何やってるんだ! こっちじゃないのに!」
僕は窓から身を乗り出してヘリに手を振ったが何も変わらない。三秒とたたずに、ベルタに引き倒された。
「撃たれるわ!」
「ごめん……。だけどあれは無茶苦茶だ」
「確かにおかしい。敵も撃ってこないわ」
そこでベルタも考え込んでしまう。
高まった期待は消え、無線で感じた違和感はすぐに不信感へと替わった。
「たしかに不自然だ」
尖塔の縁から地上をなめるように観察する。
敵の兵士は教会を囲んでいるが、一切攻撃する素振りもない。中には、銃は肩に担いでタバコを吹かしているものもいた。
輸送ヘリはちょうど敵部隊と僕らの間に割って入るように、教会の庭に軟着陸した。
「どうなってるんだ……」
「分からない」
こちらのヘリが目の前に着陸したのにも関わらず、敵は誰一人として発砲しない。
カラカラとエンジンの止まる音がして、ヘリの後部ランプから人が降りてきた。
白旗を持った敵の兵士を先頭に十数名の男たちが隊列を作る。
その中にはだいぶ位の高そうな将校も混じっていて、少し暇そうにヘリの脇に立っている。
「軍使なの?」
「なぜこちらのヘリに乗っているんだ?」
味方の救援というのも、もしかしたら嘘なのかもしれない。僕らはあまりにもいろいろな情報に騙されてきた。
「話をしたい!」
叫び声と共に敵兵士の隊列を割って現れたのは、エスト大尉だった。
「ダンがいるわ!」
ベルタが僕の腕を強く引っ張る。ふいに彼女を見ると、まるで悪夢から目覚めた直後のような、驚きと混乱の表情でいっぱいになっていた。
ダンはエスト大尉の右側に立っていた。
彼は腕を骨折したのか、包帯を巻いた腕を首に吊った姿だ。険しい顔で向こう側から僕らを見つめている。
「行こう」
僕はベルタの手を取ると尖塔の長い階段を駆け下りて、教会の庭に出た。
教会の建物を出た瞬間から、僕らはたくさんの兵士に囲まれた。
敵だけではない。共和国の将校も数名混じっていた。
そして、逃げてきたはずの街の住人たちも、丘の向こうからぞろぞろと集まってきているではないか。
僕らが一歩ずつヘリに近づいていくと、人垣はそれにあわせて少しずつ動いた。
戦時でなければ、結婚式のようにも見えるだろう。それだけ独特の厳かな雰囲気だった。
「アル、ベルタ!」
シャーリーがおぼつかない足取りでこちらに近づいてくる。まだ傷の癒えない彼女がこちらにやってくるのを僕は抱きとめた。
「約束っていったでしょ?」
「こんな終わり方でいいならね。ずいぶんと早かったな。歩けるの?」
「痛み止めが効いてるみたい」
不気味な沈黙がこの庭には漂っている。
この場に少なくとも百人はいるというのに、誰も何も話さない。
ただ、エスト大尉だけが、以前会ったときには決して見せなかった真剣な表情で僕らを見据えている。
僕らは歩みを止めて、ヘリの前に整列する連邦と共和国の両兵士に正対する。
「これは……いったい」
僕はまずエスト大尉に敬礼し、返事を待った。
「終わったんだよ」
エスト大尉は優しい表情でそう語りかける。以前より疲労が刻まれた顔で微笑むので、軍人らしさがほとんど感じられない。
彼の態度には安心よりも困惑を感じるのは間違っているのだろうか。
「アル、本当に終わったんだ、もう何もしなくていいんだ」
僕が顔を上げると、ダンが壊れ物でも扱うように、僕らにゆっくりと歩み寄ってきた。きっと今の僕は嫌な顔をしているに違いない。
「ダン! 無事だったの?」
シャーリーの喜びと驚きの入り乱れた表情を見て、ダンが少し表情を崩した。
「ははっ、あの時は死んだと思ったんだが、どうやら腕を撃たれて、気を失っただけらしい。気づいたら向こうさんのベッドの上だった、そこで停戦を教えられた」
「ダン、生きててよかった。本当に……」
嗚咽で言葉のでないシャーリーの代わりにダンが言葉を紡いだ。
「お前も怪我してるのか。お互い運の悪いどうしだな」
「バカ……」
シャーリーはダンの胸の中で泣き続けた。きっと心の底では安堵しているに違いない。彼女が一番ダンのことを気にかけていたから。
それだけは確かだ。
「戦闘停止の命令が出ているんだ。私と彼はそのために来たんだ」
エスト大尉が右手に折りたたまれた書類を開いて読み上げたはじめた。
「郷土防衛軍団司令部第二九一号指令。臨時政府命令第四号に基づき、軍団はすべての作戦行動を解除される。軍団隷下の各部隊は直ちに戦闘を中止し、上級指揮官の指揮下に入るべし――」
臨時政府?
作戦行動を解除?
それでは本当に?
何時から終わっていたんだ?
いつの間にか大尉は文章を読み終わっていた。それを僕はただ聞いているだけだった。
「武器を渡してもらおう」
ヘリの近くでずっと遠巻きに見ものしていた敵の将校がこちらに近づいた。
その顔を見て驚いた。
「ファーコス大尉」
もっと早く気づいても良かったのに、僕は彼がいるなんて分からなかった。
「終わったという、私の言葉を信用してもらえたかな」
「ええ、嫌というほどに」
降伏の作法なんて知らないが、僕はたった今まで、手にしていたことすら忘れていたサブマシンガンを彼に渡し敬礼した。
するとファーコス大尉は渡すものがあると、小さな木箱を部下に持ってこさせた。
「きみらは最後の投降部隊だ。その敢闘精神に、うちのお偉方は敬意を表したいそうだ」
大尉が箱を開けると、中には新品の連邦軍制式ピストルが収められていた。
「人数分用意してある。あとで皆の分も渡そう」
悪い冗談としか思えないが、ファーコス大尉はスポーツで対戦した相手を見るような視線で終始僕のことをみているようだった。
こちらは一応、たった今捕虜になったのだから、拒否ところでなにが起こるかわからない。結局黙っているよりほかないだろう。
その時、カメラからまばゆいフラッシュが、横から浴びせられた。
こうして『今』が終わって『過去の一ページ』として切り取られていくのだと僕は目が覚めたような気がした。
「君たちが生きていてよかった。街の電話でも通信が取れなくて、結局最寄りのネトレヴナ側の基地まで連絡をつけるしかなかった」
やれやれ、といった表情でファーコス大尉が僕らにここまで来た経緯を説明し始めようとした。
その時、僕の横に立っていたベルタが、脇に抱えていた小箱からピストルを奪い取った。
「ベルタ!」
「バカな真似はやめろ」
ファーコス大尉は冷静に呼びかけているが、その場の空気は一気に冷え込んでいた。
連邦の兵士が次々にベルタに銃を向ける。
「生きていてよかった? どうしてそんな顔ができるの? あなたは一体この戦争をなんだと持ってるの」
ずっと黙っていたベルタが、顔を怒りに歪めていた。
そしてベルタは銃口を自らの喉元に突きつけた。
「やめるんだ!!」
ベルタはためらわなかった。
決意の固い彼女は、僕の制止も、ファーコス大尉の説得も、そしてシャーリーの涙にも惑わされることはない。
撃鉄が固い音を立てて落ちる。
「やっと解った。本当に、もうおしまいなのね。全部」
ベルタは空のピストルを取り落とすと、膝を突いて空を仰いだ。
冷静になれば分かることだが、贈答用のピストルに弾は込められていない。
僕は駆け寄り、ベルタの震える拳を押さえながら、僕は彼女の身体をそのまま抱いた。
「終わりだ。すべて終わって、ここから始まるんだ」
「アル……」
その瞬間に、ベルタの中で長い戦いが終わったのだと思う。
いつの間にか降り出した細雨が僕らの身体をつたい、洗い流していく。
その後、僕らはヘリに乗せられて、首都ストリチナヤへ向かった。
現地では学生ということで、大した取り調べも受けずに工務学校へ戻るよう命ぜられた。
学生は学校に行け、ということらしい。
校舎は激しい市街戦で原型をとどめていなかった。案内された廃墟が学校だと気づかなかったくらいだ。
復員後程なくして限定的に一般学科の授業が再開され、僕らは以前とは程遠いながらも、学生生活に飲み込まれていった。
これからは自分たちが掘った塹壕を埋め、その上に新しい社会を築くことが、僕ら工務学校の生徒の新しい使命となるだろう。
だけどそこは、なくした首を探す亡霊はもういない。




