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ほむらみさき

作者: 德薙零己
掲載日:2009/03/01

当作品は、「あおひとくさ(http://ncode.syosetu.com/n2201e/)」の続編です。


当作品は2009年02月01日から02月28日までの1ヶ月間、ブログサイト「いささめ(http://ameblo.jp/tokunagi-reiki/)」において公開されました小説をまとめたものです。

 「参りましたね。行けども行けども木ばっかりで、コンビニの一件も見つかりません。」

 桂は平然としていた。

 「当たり前でしょ。」

 和泉は怒っていた。

 二人とも今どこにいるのかわかっていない。

 太陽によれば森の中を東から西へ突っ切っていることらしいのはわかるのだが、いま自分たちがどこにいるのかがわかっていない。

 今来た道を戻れば帰れるのではと考え少し戻ってみたが、よけい混乱を招くばかりで何のメリットもなかった。

 歩いていけないこともないというレベルの踏み分け道を歩き続けてからもう二時間以上は経過しただろうか。夏の午後の日差しはすっかり夕日に変わっていた。

 和泉はタンクトップにミニスカートという、およそ森の中を歩くのに相応しいとは言えない格好をしている。

 着ている服の量という点では桂のほうが多いが、それでもTシャツにヒザから下が切り落とされたジーンズに、素足でサンダルという出で立ちである。これも山道を歩くような格好ではない。

 「あなた地元の人なんでしょ。」

 和泉は怒りにまかせて言った。

 「地元の人だからといって全てわかっているわけではありません。お姉さんは東京の方ですよね。」

 「まあな。」

 「沖ノ鳥島について聞かれて、答えられますか? あそこも東京都ですよ。」

 「それじゃ広すぎる。せいぜい区とか市にとどめてくれ。」

 「国府台は市でも区でもなく町ですが。」

 「じゃあ、町でいい。」

 「町でも満足できるとは限りません。僕はたしかに国府台町に住んでますが、この森に足を踏み入れたのは生まれてはじめてですから。」

 「はい?」

 和泉はしばらく何を言われたか理解できず、理解できたときにはとんでもない相手に道を尋ねてしまったものだと後悔した。

 はじめは「それならこちらです」と案内され、「僕もそちらへ行く用事がありますので途中まで案内します」というこの少年の親切心に感動していた。

 だが、こちらのほうが近道ですと案内された森の中の道を突き進むうちに、親切さへの感動が薄くなり、迷惑だという思いが増していき、いまでは完全に後悔が勝るようになっていた。

 「もうすぐ夕方ですね。参りました。今日の晩飯はカレーなのです。」

 「カレー食いたきゃこの森から脱出させなさいよ!」

 「いやですねえ。カレーは一晩置いたほうが美味しいのですよ。」

 「関係あるか!」

 和泉はどうにもならない脱力感に襲われた。


 和泉が国府台町に来たのはこの森が目当てなのではない。

 目当ては海に面したほむら岬という観光名所。

 ただ、その岬は夕日のきれいな岬という表の側面と同時に、裏の側面もあった。

 そして、和泉が求めたのはその裏の側面のほうであった。

 「あ〜もう、だめ、疲れた。休憩。」

 和泉は木によりかかって座り込んだ。

 桂も和泉につきあうように隣に座った。

 「あんたね、責任とりなさいよ。」

 「わかりました。お姉さんと結婚します。」

 「そういう責任じゃない! あんたのせいで道に迷ったんだから、私をこの森から脱出させろっての!」

 「こうやって座り込んで動かない人を脱出させるのは非常に困難です。」

 「歩き疲れたんだよ。あんたも座ったら。」

 「じゃあ、そうしま……!」

 桂は和泉に向かい合うように座った、と同時に言葉を詰まらせ顔を横に向けた。

 「どうした?」

 「す、すいません……」

 桂が必死になせ視線を合わせないようにしている先に、自分のスカートがあることに和泉は気づいた。

 疲れに任せて座り込んでから今まで、パンツが見えないようにするという気配りを欠いていたことにも気づいた。

 森に入った瞬間から自分が露出の多い格好でいることが不都合だと感じたが、それはあくまでも植物が足に触れたり、虫が素足に飛んで貼り付くといった不都合であって、この少年へのセクシャルな不都合は思い浮かばなかった。

 しかし、これからはそれも思い浮かぶようになった。

 「あ、あなた、まさかわざとこんな人目のつかない山奥に連れ込んだんじゃないでしょうね。」

 和泉は慌ててパンツを隠したが、見られたという事実は隠せなかった。

 「仰ることがわかりませんが。」

 「とか何とか言って、私の身体が目当てなんじゃないの?」

 「お姉さんと一緒にいたい気持ちはありますけど、今日がきっかけとなってお姉さんと恋人同士になり、さらには夫婦となることは期待していても、そんな悲しいこと考えていないですよ。」

 「ちょっと待った!」

 「なんでしょうか。」

 「何であんたなんかと恋人同士になんなきゃいけないわけ。」

 「今はまだいいです。森に入って二時間程度しか経っていません。しかし、これから先、この森で二人で暮らしていくことを考えますと……」

 「一生出られないのか!」


 和泉の背の高さと桂の背の低さとを比べると、桂のほうが背が低く、並んで歩いているところを見ると姉と弟といった感じを受ける。

 桂は見た感じ中学生ぐらいに思ったし、あどけなさというか、純朴さというか、和泉は最初、桂に亡き司の面影を感じていた。

 少年と接することが司への罪滅ぼしになるような感じもしたし、もしかしたら、顔は全然違うがこの少年は司の変装なのではないかとさえ思った。

 ところが、話をするうちにそんな思いは消え失せていった。

 今はただ迷惑な少年なだけ。

 救いがあるとすれば、パンツを見たことを気にして座る位置を移したことか。少なくとも今の座り位置なら和泉の下着は見えない。

 和泉は座ったまま時間が経つのを確認した。

 携帯の電波は届かず、電池の続く限りは時計として役に立つが、それも尽きるとただの荷物になることを思い知った。

 バッグの中に化粧品や財布はあっても、サバイバル用品などあるわけなかった。食料も飲み物もなく、和泉は空腹を覚えていた。

 食料や飲み物は桂に尋ねても無駄であった。

 桂は手ぶら。何の荷物も持っていない。

 「いやあ、すっかり日没ですねえ。」

 「どうしてくれるんだよ。」

 「いや、物は考えようです。お姉さん、学生ですよね。」

 「そうだが。」

 「一日や二日の無断欠席なら怒られます。ですが、一週間経ち、一ヶ月経ち、一年経って無事に発見となったら、よく頑張ったねと言って泣きながら歓迎していただける上、学校が同情すれば無事に卒業させてくれるのです。」

 「そんなに出られないのか?」

 「わかりません。最善は尽くしますが保証はできません。でも大丈夫です。お姉さんに何かあったら僕が男として責任をとります。」

 「また私と恋人同士になるってんじゃないでしょうね。図々しい。」

 「恋人じゃありません。夫婦です。」

 「もっと図々しい。だいたいね、あなた自分の年齢考えなさいよ。あなた結婚できる年齢なの?」

 「愛があれば年の差なんて関係有りません。」

 「そういう問題じゃないって! 男が結婚できるのは一八歳にからなの。わかる。」

 「それは知識として知っておりますが、はたして、この森の中で日本の法律が通用するでしょうか。」

 「だーかーらー、こんな森の中にはいたくないんだっての!」

 「森を出たら結婚できないというなら、いっそのこと、僕が一八になるまで一緒にここで暮らしませんか? そうすれば堂々と結婚……」

 「アホか! だいたい、あなたが一八歳になるの待つって何年後の話よ。」

 「来年の三月までお待ちいただければいいのです。僕の誕生日は三月一四日、偶然にもホワイトデーですから、その日はお姉さんにチョコの返事をすると同時に、お姉さんからは誕生日プレゼントが貰えるのです。」

 「誰があなたなんかと……って、あなた高三!」

 「ええ。国府台学園高等部三年三組和波桂、出席番号三三番、見事な三並びです。」

 「いやだあ、歳上なんだ。」

 「お姉さんが僕のことを歳上と言うことは、お姉さん、未来からタイムスリップしてきたのですか?」

 「は?」

 「お姉さん、大学生でしょう。」

 「ちょっと待て、私は高二だ。」

 桂はそれを聞いて申し訳なさそうな顔をした。

 「いや、僕はお姉さんが留年していたって気にしません。僕はあるがままのお姉さんを受け入れます。」

 「何で留年したことになるんだ。正真正銘私は一七歳だ!」

 「いやあ、お姉さん、大人っぽくて美人ですから。」

 「そ、そう。あなた、けっこういいこと言うじゃない。」

 「こういう人と結婚できるなんて僕は幸せです。」

 「こら!」

 「姉さん女房だと思っていたのですが、同い年ですね。」

 「学園が違えば歳上だって……そう! さっきからあなた、私のこと『お姉さん』『お姉さん』って、私を完っ全におばさん扱いしてるでしょ。」

 「いやですねえ、おばさんというのはお姉さ……じゃなくて何と呼べばいいのでしょうか、あなたのことを。名前教えていただけませんか。」

 「ハットリ。」

 「苗字でしょうか、下の名前でしょうか。」

 「娘にハットリだなんて名前を付ける親がどこにいるか。苗字に決まってる。」

 「僕は下の名前が苗字と間違えられますけど。」

 桂はそれから地面に棒きれで自分の名前を書いた。

 「『和波 桂』……、『ワハカツラ』?」

 「苗字が『ワナミ』で名前が『ケイ』です。で、ハットリさんの下の名前は。」

 「教える義務など無いでしょ。」

 「それは困ります。ハットリという苗字から和波という苗字に変わるんですよ。そうなったら呼びようが無いじゃないですか。」

 「だから、結婚を前提とした話をするな。和波。」

 「その呼び名はしない方がいいですよ。」

 「なぜだ。」

 「あなたも和波姓になるんですから。」

 「あなた、人の話全然聞いてないね。」

 「それじゃこうしましょう。お互い下の名前で呼び合う。」

 「そこまで親しくはないだろ。いいじゃないか苗字で。」

 「苗字は二人で一つしかないじゃないですか。」

 「発想がまるっきりストーカーだね。はあ……、ま、いっか。イズミだよ。ハットリ・イズミ。もう好きにしろ。」

 「わかりました。いずみさん。」

 「で、こっちは桂と呼べばいいんだな。」

 「もしくは今までみたいに『あなた』と。」

 「どうしてだ?」

 「なんだか新婚夫婦みたいじゃないですか。『あなた』だなん……」

 「もう絶ーっ対そうは言わない! これからは『桂』で統一する。いいな。桂。」

 「はい。」

 「で、さっき言いかけてたことなんだが、さっきから桂は私をおばさん扱いしているだろ。」

 「僕にとっておばさんというのは私の両親の女きょうだいのことです。」

 「そういう言葉遊びをしているんじゃない。桂は私より歳上なのに、桂は私のほうを必要以上に歳上扱いしただろ。」

 「それは、いずみさんがまさに僕の理想の女性だからです。美人で、きれいで、スタイルが良くて、一緒にいて楽しく感じる人、今、僕はこうして話しをしてますけど、さっきから緊張が止まらないのです。」

 「なんだかなあ。とてもじゃないが緊張しているように見えないが。」

 「男って、好きな人の前だと必要以上に張り切るものですよ。」

 「はいはい。」

 和泉は特に関心を持たずに桂の言葉を聞き逃した。


 「いずみさん、誕生日いつですか。」

 「なんで桂に教えなきゃならんの?」

 「誕生日に新鮮な山の幸をプレゼントします。」

 「お中元かよ。だいたい女の子へのプレゼントっていったら、ジュエリーとか、ブランド物とか思いつくものでしょうが。」

 「ジュエリーですか。参りましたね。この森は果物は採れますけど宝石はないと思いますよ。」

 「ここで見つけるのか!」

 「森の中に宝石店なんてありませんよ。」

 「だから、森から出ろ。ってか、出せ。」

 「ご安心なく。出れるものならばもう出ています。」

 「『ご心配なく』か『ご安心を』だろ。『ご安心なく』じゃ心配しろってことじゃないか。」

 「ええ。ですから『ご安心なく』。僕たちは出れないですからどうしましょうかと心配しなければならないのです。」

 「ちょっと待った。」

 「何でしょう。」

 「私たち、本当に出れないの?」

 和泉はだんだんと涙目になってきていた。

 「はい。」

 桂はあっさりと答えた。

 「本当に? 隠してるとかじゃなくて?」

 「何も隠しておりません。」

 「い・・・・・・」

 「?」

 「いい・・・・・・」

 「いずみさん?」

 「いやーー! もう帰りたーーい! お腹すいた! のど乾いた! はやく誰か助けに来てーっ。」

 「ですから僕がいずみさんを助けます。」

 「桂がここに連れてきたんじゃないか。桂じゃなくて他の人だよ。」

 「少し時間はかかりますが、そうした人のアテはあります。」

 「本当か!」

 「いまは僕たち二人だけですが、結婚して子供をもうければ、その子が僕たちを助けてくれます。」

 「だから桂と結婚するつもりはない。」

 「でも、この森にいる人間の男は僕だけかも知れないじゃないですか。それとも、いずみさんはずっと独身でいるのですか?」

 「だから、この森から脱出させなさいっての!」

 「もう夜ですよ。夜なのに森の中を歩くのはとても怖いです。ここは東京じゃないですから夜の明かりなんてほとんどありません。」

 「そういうことじゃない。」


 日も沈み、携帯で時刻を確認するとまもなく夜八時になろうという時間だった。

 携帯のアンテナは全く立っておらず、電話もメールも利用できない。

 電池の残量も少なくなっている。

 「見てください。きれいな夜空です。満月なんですね。」

 桂は和泉が携帯にすがっているのを気にも止めず、夜空を見上げた。

 「こんなきれいな星空を見ていますと……」

 「見ていると?」

 「遭難していることなんかどうでも良くなってきますよね。」

 「同意を求めるな! 私はさっさと戻りたいんだ。」

 「こんな夜に移動するなんて恐ろしいですよ。それより、せっかくのアウトドアなんですからこれを楽しみませんと。」

 「遭難した上の野宿じゃないか! だいたい、このまま一泊だなんて考えてないでしょうね。」

 「そんなことは考えていません。」

 「まあ、そうか。」

 「一泊だけで済むなんて思ってませんから。」

 「あ、あ、あのね!」

 「だいじょうぶです。いずみさんは僕が守ります。」

 「その桂が信用できないんだっての。」

 「それは心外ですね。僕が桂に何か迷惑を掛けましたか。」

 「今ここで遭難しているのは迷惑じゃなくて何だと言うんだ。」

 「豊かな大自然の中、ウォーキングで健康を満喫しているのです。」

 「足が痛くなっただけだっての。」

 「ウオノメですか。」

 「疲労だ。」

 「そうですか。」

 桂はそう言うといきなり和泉の真正面に移動し、右足に触れた。

 「きゃあ!」

 桂はそのまま右足の足首から上へとマッサージしていく。

 「さわらないで! はなしなさい。」

 和泉は桂の手を離そうとするが桂の力のほうが強く離れない。

 「だめです。」

 「桂、そうやってどさくさにまぎれてパンツ覗く気でしょ。」

 「見ません。」

 「信じられない。」

 「好きになった人を悲しませることはしません。」

 「え……」

 いきなり桂にそう言われて和泉は黙り込んだ。

 桂は和泉の両足のヒザから下をマッサージしていった。

 和泉は確かに足が軽くなっているような気がした。

 「本当はもっと全身やるべきですけど、それはセクハラになりますので。」

 「ヒザから下はセクハラじゃないのか。」

 「それでいずみさんの足が楽になるなら、セクハラ扱いされる方がましです。」

 「ヒザから上はセクハラになるからしないで、ヒザから下はセクハラ覚悟でやるって、その違いがわからん。」

 「だったら、セクハラ覚悟の全身マッサージしますよ。」

 「こら!」

 和泉は桂の手に自分の手を重ね、桂の手を離そうとした。

 さっきは離れなかった桂の手が、今回はすぐに離れた。

 「ドスケベめ。」

 「そんなにほめないでください。」

 「ほめてない! ったく、どぎまぎさせるようなこと言いやがって、結局は私の身体目当てなんだろ。」

 「身体だけじゃないですよ。」

 「よけいタチが悪い。だいたい身体だけじゃないって、何が目当てなんだよ。」

 「いずみさんと一緒にいる時間です。」

 「はあ。」

 「生まれてこのかた、いずみさんみたいな美人と一緒にいるなんてことなかったですからね。」

 「美人ね……、言われて悪い言葉じゃないけど、桂みたいに軽々しく使われるとありがたみが失せるんだよね。どこまでが本気なのか。」

 「一〇〇パーセント本気です。」

 「ここに女が私しかいないからだろ。で、セックスしたくて、目の前にこんなミニスカでパンツ見せる女がいて、うまくいけばセックスさせてくれそうな……、って、おい、桂、どうした。」

 それまでの態度は一変し、顔を真っ赤にする桂がそこにはいた。

 「あ、あの……、そういう単語を口にするのは……」

 「何のことだ?」

 「で、ですから、セ、セセ……」

 「ああ。セックスのことか。で、そのセックスがどうした?」

 「だ、だから、その……、そういう言葉は……」

 「何だ何だ? セックスに敏感に反応したか?」

 「言わないで・・・・・・、ください。」

 「う〜む。どうやら桂はセックスという単語が苦手なようだな。」

 「単語がだめなんじゃ無くって……、その……、女性のほうから……」

 「ん?」

 「そういう、いやらしいこと、女性が口にするっての……」

 「なんだかよくわからんが、男が女にエッチなことをするのは構わないが、女がエッチなことをしゃべったりしたりするのはダメってことか。」

 「はい。」

 「その基準がわからん。しかし、いいこと聞いちゃったな〜。」

 和泉はにやにやし出した。

 「な、何ですか。」

 「ね〜。桂って、私と結婚するって言ったよね〜」

 「な、なんか、目つきが怖いですよ。」

 「いくらなんでも、結婚したらどういうことするかわかってるよね〜。」

 和泉は桂のほうへにじり寄ってきた。

 「結婚したらすること、しよっか。」

 「な、何言って……」

 「顔、真っ赤。桂って、黙ってるとけっこう可愛い顔してるんだよね〜」

 「あ、あの……」

 「ん〜」

 和泉は目を閉じ、唇を桂に寄せてきた。

 「だ、だめです!」

 桂は和泉の肩を押さえ、自分と距離を持った。

 「そういうことは、結婚してからするものです。」

 「とか何とか言って、おっぱいとか、ミニスカとか、すっごい気になってんでしょ。」

 「……、はい。でも、そういうのはダメです。」

 「や〜だね〜」

 和泉は完全に桂をからかっていた。

 本心からキスするというつもりはなかったが、桂が拒絶反応を示すことが面白かった。

 「(そういや、されたことはあっても、自分からしたことはないな)」

 和泉はこの段になって、これまでの自分の経験を思い出した。

 「(ま、いっか。どうせ……)」

 和泉は自分の肩をつかんでいた桂の手をどけさせた。

 そして、桂を押し倒し、自分が上に乗った。

 桂は抵抗を見せなかった。

 ただ、悲しそうな顔をしていた。

 和泉はこのとき、自分の処女を売り飛ばしたときのことを思い出していた。

 立場が逆になったが、そのときと状況は同じ。

 「ごめん……」

 桂の顔を見た和泉は桂から降りた。

 「いや、やっぱりよくないよ。こういうこと。うん。」

 「平気ですよ。慣れてますから。」

 起きあがった桂は、寂しそうに告げた。

 「それ、何度もされてきましたから。」

 「……」

 「僕、女の人にされるの、初めてじゃないですから。」

 桂の突然の告白に、和泉は身体の動きが止まった。

 「だから、いずみさんにされたって、僕は平気です。」

 「ちょ、ちょっと待った。桂、されたって、どういうこと?」

 「いずみさんが今しようとしたことです。」

 イズミは桂がいったい何を言っているのか理解できなかった。

 女性に『された』ことがあると桂は言っている。

 桂がわりと可愛い顔をしているというのは嘘じゃない。黙ってさえいれば、アイドルとしても通用しそうな感じがする。

 一八歳の今でもこうなのだから、もっと幼かった頃はかなり可愛かったのではないだろうか。

 とすると、そういう男の子が好みという女性の手にかかって……

 「ごめんね……」

 和泉は桂から離れた。

 「だいじょうぶですって。そんな辛気くさい顔しないでください。」

 「明るく言えるようなことじゃないでしょ。」

 「こんな重要なこと隠してたらいずみさんと結婚できないじゃないですか。」

 「やっぱり結婚にこだわるんだな。」

 和泉はやっと軽く微笑んだ。

 「やっと笑ってくれましたね。」


 桂が女性にイタズラされていたという過去を知って、和泉は桂に親近感を抱くようになった。

 無論、桂は無理矢理なのに対し、和泉は自分の意志でセックスの相手をしていた。だから、桂の場合は完全なる被害者なのに対し、和泉は被害者面することすら許されない状況という違いはある。

 「だから、安心してください。僕は無理矢理いずみさんに嫌らしいことなんてしませんから。」

 「まあ、桂のその気持ちはわかった。わかったが、なんか釈然としないんだよな。」

 「どうしてです。」

 「さっきから、結婚、結婚ってしつこいじゃないか。それなのにセ……、いやいや、そういうことをしたがらないってのがどうもな。」

 「しないんです。したい気持ちはありますけど。」

 「なぜだ。」

 「僕はいずみさんのこと好きですけど、いずみさん、僕のことを好きですか?」

 「答えづらい質問だな。」

 「どうしてです。二択じゃないですか。『はい』か『イエス』か、どちらか答えてください。」

 「それのどこが二択だ!」

 桂のことが好きかどうか問われて、明確な答えを挙げることはできなかった。

 嫌いとは感じない。親近感も感じる。からかいではあったがセックスしたいとも思った。

 でも、好きという感情ではない。

 厳密には、自分が誰かを好きになること自体が許されないことだと思っている。だから、どんなに好意を抱いても、それが好きだという感情には結びつかない。

 「まあ、明日答えてくれればいいですよ。」

 桂は横になり、頭の後ろに両手を組み、目を閉じた。

 「って、寝るのかよ。」

 「寝る以外何があるのですか。」

 「うん、まあ、私に迫ってきたりとか。」

 「先ほども言いましたけど、僕はいずみさんを悲しませるようなことはしません。」

 「な〜んか信用できないんだよな。寝ている隙に襲いかかってくるんじゃないかって不安があるんだ。」

 「なら、僕を動けないように縛り付けても構いません。」

 「いや、そこまでする気はないな。」

 「そうですか。では、お休みなさい。」

 「ちょっと待て。少しは脱出方法考えるとかしないのか。」

 「脱出方法、歩き回る、以上。あとは朝日が昇るのを待つだけです。」

 「短絡的なやっちゃな。」

 「アウトドアライフの基本です。夜は寝る。朝になったら起きる。お腹が空いたら食べて、あとは自由気ままに生きる。」

 「アウトドアは認めるがライフじゃないだろ。だいたい、食べ物なんて無いじゃないか。森に入ってから何も食べてないんだぞ。」

 「お腹空きませんか。」

 「さっきから空いてるよ。でも、しょうがないから我慢してんだ。」

 「明日の朝、果物とか採ってきますから。」

 「あるのか。この森に。」

 「昔からこの国府台町は果物が多く採れるんですよ、アケビとか栗とか。探せばたぶんあります。」

 「たぶんってね。」

 「だから言っているじゃないですか。僕だって生まれてはじめてこの森に入ったんですから。」

 「それはさっき聞いた。入ったこと無いのに近道だってこっち案内したんだろ。」

 「そのほうがいいですから。」

 「断言するな。」

 「だいたい、まっすぐほむら岬に行ったっていいことがあるわけじゃないですし。」

 「私の目的はほむら岬だ。こんな森じゃない。」

 「行き着くところは一緒じゃないですか。」

 「何がさ。」

 「飛び降りて死ぬのも、森で遭難して死ぬのも一緒でしょ。」

 「……」

 和泉はこの桂がそんなことを言うなど思っていなかった。


 和泉がほむら岬を訪れた理由は一つ。

 ほむら岬がここ数年脚光を浴びるようになった裏の側面。

 飛び降り自殺。

 和泉がいかにも観光客といった様子でこの土地を訪れた理由はそれである。バッグの中には昨日書き上げた遺書があり、事件現場となったアパートの司の部屋は後々迷惑がかからないよう整理してある。

 ここに来たのも片道切符であり、帰りの切符もカネも用意していない。財布の中に紙幣はなく、硬貨が入っているのみ。

 「どうせ死ぬならそれまで僕につきあってくれたっていいじゃないですか。一度でいいからいずみさんみたいな美人とデート気分味わってみたいですからね。」

 「あ、あの……」

 「もう寝ましょうよ。だいじょうぶです。いずみさんに襲いかかったりはしません。さっきは足に触りましたけどそれ以上は触りませんから。」

 それから桂は再び目を閉じた。

 和泉は動揺していた。

 正直言えば死ぬ覚悟なんてなかった。今から逃れる手段として死を選ぼうとしたのであり、森を歩いているあいだ、死を選んだことを忘れられていた。

 そもそも、なぜ自分は死のうとしていたのか。

 和泉はそこに立ち返ろうとしていた。

 そして、和泉は桂の顔を見た。

 「どうかしたんですか?」

 桂は和泉が自分の顔を見つめていることに気配で気づいた。

 「ねえ。私が死ぬってどうして思った?」

 「いずみさん、いろいろと疲れてそうでしたから。」

 「それだけ?」

 「それだけで充分です。ほむら岬が自殺の名所って呼ばれるようになってから、今まで何人の自殺者を見てきたと思っているんですか。今年に入ってから三〇人以上ですよ。いやでも見分けがつきます。」

 「そんなにいるんだ。」

 「でもね、死んだほうがいいや何て人は一人も見てません。」

 「……」

 「遺書を見たって大したこと書いてないんです。いずみさんがどうしてほむら岬を目指したか知りませんけど、その中身を見たら僕はたぶん怒るでしょうね。『こんなことで迷惑かけやがって』って。」

 「迷惑?」

 「自殺する本人は知らないでしょうけど、後片付けする方の身にもなってください。肉片は散らばるし、血は飛び散るし、そのたびに警察とか役場の人とか、漁協の人たちが片付けるんですよ。僕はほむら岬通って高校に行くんですけど、その片付けの現場見たら一日憂鬱になりますよ。自殺って、やられた側は大迷惑なんです。いずみさん、いくら死にたいって願っても、死ぬのは勝手じゃないですからね。」

 和泉は何も言い返せなかった。


 和泉は桂のすぐ隣で横になり、目を閉じた。

 疲れているはずなのに眠ることはできなかった。

 「ねえ、起きてる。」

 「ええ。」

 「桂、この森に入ったのわざとでしょ。」

 「もちろんです。」

 「否定しないんだ。」

 「そりゃあ人が死ぬところなんて見たかないですからね。」

 「そっか。」

 「それより、眠れるうちに眠ったほうがいいですよ。明日は早いんですから。」

 「何かあるのか。」

 「水の確保に食糧の確保、あとは探し回って小屋でも見つけられればそこが住まいになりますけど、なければ小屋を建てないといけないですから。」

 「サバイバルしてどうする!」

 「でも、そうしないとここで暮らせませんよ。」

 「暮らしたくない! さっさと森から出せ!」

 「森から出たらいずみさん死ぬ気でしょ。」

 「……」

 「だから出ませんよ。いずみさんはこの森で僕と生きるんです。死なない決意をしてくれたら森から出ます。」

 「出る方法知ってるのか?」

 「いいえ。」

 「あのね……」

 「でも、日本は島国ですから、まっすぐ歩いていけばそのうち海に出ます。海に出たら何とかなります。」

 「なるか!」


 桂から寝息が聞こえてきてこの状況で眠れる桂をうらやましく感じたが、自分が眠れないのは、自分が死を覚悟したからと、どうして死を覚悟しなければならなくなったのかわからないからと考え、うらやましがるのをやめようとした。

 「(そういや、桂は家に帰らなくっていいんだろうか)」

 和泉は桂のほうに顔を向けた。

 和泉はこのときになって、ここまで自分につきあっているこの桂のことを考えるようになった。

 和泉がこの桂について知っているのは、近くの高校に通う地元の高校三年生で、誕生日は三月だからまだ一七歳で、学年は違うが今の自分と同い年。あとは自分より背が低いことと、それがいつのことかは知らないが女性にイタズラされたことがあること。

 あとは桂のことを何も知らない。

 桂の住所も、桂の電話番号も、桂の家族構成も知らない。

 「(桂に悪いことしてんだよな)」

 和泉は桂の顔をまじまじと眺めた。

 「(私のわがままにここまでつきあってくれるんだ。ありがとう)」

 桂の好みの女性のタイプが自分らしいけど、それも自殺しようとしている自分を止めるための方便じゃないかとも思った。ただ、ここまで自分のことを好きだと言ってくれることを素直に嬉しく感じてもいた。

 気がつくと和泉は桂の口元に自分の唇を寄せていた。

 「(桂、私のこと好きって言ったよな)」

 そう思ったときにはもう唇を密着させていた。

 「(これぐらいサービスしてやるか)」

 それから、二度、三度と、和泉は桂の唇を奪った。

 「(こういうのもありかな)」

 それから和泉は桂を抱きしめた。

 「(何もかも捨てて、桂と一緒にいるっての、いいかも……って、そりゃいくら何でもまずいだろ! 冷静になれ! 私。)」

 和泉は慌てて桂から離れた。

 「(被害者だからって加害者になっていいわけじゃない)」


 時間もわからず、朝日を浴びて目覚めるのは生まれて初めての経験だった。

 目覚めた和泉は自分が一人なのに気づいた。

 「桂、桂?」

 和泉は桂を呼んだが何の返事もなかった。

 森は静まりかえっている。

 「桂!」

 自分のできる限り大きな声をあげたが、何も返ってこなかった。

 「(これ、一人きりってこと……)」

 それを受け入れるのにしばらく時間がかかった。

 「(そっか、昨日、水とか探してくるって言ってたし……)」

 それは頭では理解していた。

 しかし、何もすることのない森の中で一人きりという現実のほうが和泉の脳裏を強く支配していた。

 「(どうしよう。桂を探しに……。だめ。動いたら。ここで待ってなきゃいけない。私は遭難してんだ)」

 和泉はその場に座り、桂を待つことにした。

 「(水とか食べ物とか、簡単に見つかるのかな。でも、何だか手慣れてる感じはするし、そうだよ。責任とってもらわなきゃ。桂は私を養う責任……。養う……。違う!)」

 それでも最初のうちは軽く考えることができていた。

 ただ、時間が有り余っていると余計なことを考える。

 「そうだよ。何でこんな道が続いてるの。おかしいじゃない。ここまで歩いてこれるってことは……ってことは出られるんじゃない! そうだよ! 桂! 私たち出……。そっか。桂、いないんだ……」

 独り言を言ってから黙り込み、森が静かであることを再確認する。

 「(こんなところでどうやって生きていけばいいんだよ。……、私、死にに来たんじゃないか。だったら、このままここで遭難して死んで……。い、いや。だめ。桂が戻ってくるんだから。桂が戻ってくるまでここにいなきゃいけないんだ。でも、戻ってこなかったら、一人きりで、ずっとここで……)、……、ひ、一人きり……」

 それから和泉は身体を震わせた。

 「い、いやー! 一人にしないでー! こんなところで一人にしないで! 桂! 帰ってきて! お願い!」

 食べ物も水もない森の中に放置されて一人佇んで、物音一つ聞こえない開かれた空間でじっとしている。ここがどこなのかわからない。自分の外とのつながりも全くない。

 「いやだ、桂が帰ってこなかったら、私、死ぬ……。死……。い、いや……」

 和泉は確信した。

 死にたくない。

 生きたい。

 生きていたい。

 こんな森の中で朽ち果てたくない。

 「桂! 死なないから。生きるから。だから戻ってきて! お願いだから一人にしないで!」


 和泉はしゃがみ込んで、泣きながら時が過ぎるのを待ち続けた。

 森の木々の隙間から太陽が姿を見せ、和泉に日差しを届けた。

 「暑いや。」

 いまの気温を考えることで一人であることを忘れようとしたが、気を紛らわすことができるだけで解決にはならなかった。

 涙は枯れることなく流れ続けている。

 それでも、今は暑いことが一番の問題だと考えるようにしていた。木陰に行けばまだ多少は涼しいが、和泉はその考えを浮かべても、この場から離れてはいけないという強迫観念に襲われ、身動きできずにいた。

 和泉はタンクトップの襟を掴んでバタバタとさせ何とか涼しくさせようとした。

 両脚も恥じらいより涼しさを求めたため大股開きで、客観的に見ればこれ以上なくだらしない格好であるが、一人きりということが和泉に油断を招いた。

 「桂〜、早く帰ってきてよ〜。こんなとこで一人だなんていやだよ〜」

 「はい?」

 桂が帰ってきたのはまさにそのタイミングだった。

 大股開きのため、下着が見えるどころの騒ぎでは済まなかった。

 「あ、え、あ……」

 桂はスカートの中を見て、桂は固まった。

 「す、す、す、すいません!」

 桂は慌てて後ろを向いた。

 「桂? 桂!」

 桂の後ろ姿に和泉は感激し、下着を見られたことなど気にも留めず、桂に駆け寄って後ろから抱きついた。

 「どこ行ってたんだよー! 一人にするなんて。バカバカバカバカあ……」

 「み、水を探しに……」

 桂は背中に和泉の胸の感触に心を奪われていた。

 「あ、あの、そんな抱きつかれると、いずみさんの、お、おっぱ……。」

 「離さない。一人になりたくない。」

 「……」

 駅はそのまま和泉を好きにさせた。

 桂はゆっくりと歩き出し、和泉はその動きに合わせた。

 背中から抱きしめた腕を放しはしたが、ずっと桂の左腕に抱きついていた。


 「さ〜て、今日はどこに行きますか。」

 「脱出するんじゃないのか。」

 「やです。」

 「いつまでもこんな森の中にいられるわけないでしょ。もう森の中はイヤなの。」

 「森から出たらいずみさん死ぬかも知れないからイヤです。惚れた相手とキスして喜んでいたのに、その相手が亡くなったら悲しいじゃないですか。」

 「ちょ、ちょ、ちょっと……」

 「はい?」

 「キスしたの、知ってたの!」

 「はい。」

 「い、いや、それは、その、あれだ……、サービス、そう、サービスだ。それなのに、桂、朝起きたらどっかに行ってるし。サービスして損した。」

 和泉は顔を赤くし、言葉を詰まらせた。

 「ちゃんと戻ってきたじゃないですか。」

 「一人にしたのが問題なんだよ。すごく寂しかったんだから。」

 「でも、いずみさんに抱きしめられて、すごく嬉しかったです。」

 「一人になりたくないってだけで、桂じゃなきゃイヤだってわけじゃないから。勘違いしないで!」

 「はい。いずみさんが僕と結婚してくれるというのは勘違いじゃありません。」

 「それは勘違いじゃなくて思いこみだ……。ふっ……、やっぱ桂とはこういう関係じゃないとな。」

 「どういう関係ですか。妻と夫とか。」

 「いや、そうじゃなくてな、桂が『結婚』『結婚』と言って、私がNoと言う。これが私たちの関係だよ。」

 「そうですか。で、食料と水、どっちを探しまそうか。」

 「どっちもだ。」

 「いずみさん、やっと諦めましたね。『それより出口を探せ』とでも言うかと思いました。」

 「桂は私を出口に連れていく気なんかないんだろ。だったらとりあえずは水と食べ物、なんとか手にいれにゃならんじゃないか。」

 「そうですね。では、まいりますか。」

 「どこにだ。」

 「水のある場所です。」

 「どこだ?」

 「わかりません。」

 「『わかりません』って、探してたんじゃないのか?」

 「見つからなかったから戻ってきたんです。」

 「そうか。」

 「でも、アテはあります。」

 「あるのか! それはどこだ!」

 「それはわからないですよ。でも、この森のどこかに温泉があるはずなんです。」

 「温泉を飲めってのか? ってか、温泉があるなら、そこへの案内の看板ぐらいあるだろ。」

 「森の中で温泉が見つかったので観光地にしようと考えて途中まで作ったけど、肝心のお湯の量が少ない上、計画した会社が倒産、町長も責任をとって辞職、温泉はそのまま放置されてこの森の中にある。というのが僕の知っている情報ですが、何しろ父が中学の頃の話ですから、今はどうなっているやら。」

 「桂のおやじさん、いくつだ?」

 「厄年です。」

 「厄年がいくつなのかわからん。」

 「これは知っておいたほうがいいですよ。厄年はろくなことがおきませんから。」

 「何かあったのか?」

 「駐車違反でキップ切られました。」

 「それが大したことか!」

 「あと、花粉症が発症しました。」

 「だから大したことじゃないだろ。」

 「そうですか。それじゃあ、あとは、息子が森の中で婚約者と遭難してまだ見つかっていなことぐらいですかね。」

 「それは大ごとだろ! って、婚約者ってのは私か?」

 「いやなら、妻ということで。」

 「だーかーらー、結婚を前提とするなっての。」


 平坦と思っていた森も、少し歩くと斜面になった。

 斜面と言っても何も掴まらずに下れるほどの緩やかな斜面で、何ら不自由なく歩いていけるほどである。

 桂は坂を降りながら何度も後ろを振り返った。

 「どうした?」

 「こうやって、何度も振り返らないと、帰り道がわからなくなりますから。」

 さらに桂は、手の届く範囲の枝を何本も折り、その枝を地面に突き刺していた。。

 「こうしておけば、今まで通った道がわかります。」

 和泉はこのとき桂を頼もしく感じた。

 斜面はいったん平坦になり、木々の密集具合が緩やかになって、テントを張ってキャンプをしていてもおかしくなさそうな空間に出た。

 「あ!」

 桂は声を挙げた。

 「どうかしたのか?」

 桂はその場でしゃがみ込んで、地面から生えている草を一本つまんだ。

 「これ、野生のアスパラガスですね。この草みたいなの、全部そうです。」

 「?」

 「下を見てください。」

 桂に促されて下を見ると、自分のスネぐらいまでの高さで、ウドンぐらいの太さの草が生えていた。

 「さっと茹でて、レモンを搾ったのをかけると美味しいんです。これがまた、ワインに合うんですよ。」

 「なぜワインに合うことを知っている。桂はまだ一七歳だろ。」

 「この季節になると、スーパーに並ぶんです。でも、高くて。百グラムで千円以上します。」

 「説明になってない。にしても、それが高いのかどうかわからん。」

 「このアスパラをどこかから採ってきて売ってる農家の子供が三人とも医学部に入れるだけのカネができるぐらい高いんです。」

 「そんなにすごいのか。」

 「でも、どこで採ってくるかってのは絶対に言わないんですよ。たぶん、このあたりがその場所なんでしょうね。」

 桂はそう言いながら、ためらうことなくアスパラガスを摘んでいった。

 「勝手に採っていいのか?」

 「採らなきゃ飢え死にです。それに、この森は誰のものでもありません。町の所有地ですから、町民なら誰もが入っていいんです。たしか。」

 「ずいぶんとあやふやな記憶だな。」

 「遭難してた人が見つかったとき、普通は『無事でよかったね』ってだけで、アスパラガスの密猟まで問題視すると思いますか? まあ、あの農家は問題視するでしょうけど。」

 「桂、わりと神経図太いな。で、アスパラはいいが、生で食えるのか?」

 「茹でます。」

 「どうやって。」

 「どうしましょう。」

 「考えてから物を言え。」

 「考えるよりまずは行動です。とりあえず食べ物は見つかりましたから、次は水です。」


 桂はまた枝を折りながら斜面を下っていき、和泉はその後ろをついて行った。

 「水なんてないじゃないか。」

 「でも、地面はぬれてますよ。ぬれているということは、この森が天然のダムの働きを示しているということです。ということは、どこかに水が集まっているはずです。」

 「その論理の飛躍がわからん。」

 「僕たちはさっきから落ち葉を踏みつけながら歩いていますよね。」

 「ああ。」

 「落ち葉を踏むと水がじわっとあふれることに気づきましたか。」

 和泉は何も応えずに、周囲の地面を踏みつけた。

 幾重にも重なった落ち葉を踏みつけると、確かに水があふれる。

 「森に雨が降ってもただちにあふれることはそんなにありません。たいがいは森の地面にたまって、それがじわじわと流れて集まります。川になるか、それとも地下水になるかといった違いはありますけど。」

 「ほう。」

 「で、それが地下水になったのがこの国府台町の湧き水です。それは何とかって大会で優勝した名水ですから、いずみさん、喜んでくれると思いますよ。」

 「地下水……って、ここは地上だろ。」

 「どこかに湧き出ているはずです。じゃなきゃ名産に何てなりませんから。おいしい水とおいしいお酒が国府台町の名物です。特に名酒『ほむら』は今まで飲んだ中で最高のお酒ですね。」

 「へえ。……、ん? ちょっと待て。」

 「なんでしょう。」

 「さっきのワインの話しでも感じたんだが、桂はまだ未成年だろ。何で酒のことを知っているんだ。」

 「いや、それはまあ、色々とありまして。」

 「まあいい、詳しくは聞かんでおく。」

 「でも、ご安心ください。たばことかは吸いませんから。」

 「たばこ『とか』ってなんだよ。」

 「たばこじゃないそういう葉っぱを栽培してるのがばれて捕まった町会議員がいましたので。去年のことですけど。」

 「なんだか物騒な町だな。もっと平和な町かと思ってた。」

 「平和な町が自殺の名所になるわけ無いじゃないですか。」

 「気軽に言うようなことか。」

 「だからですかね。うちの高校、高校三年まではこの町で暮らしていても、高校を卒業したらこの町を出ていくのが多いんですよ。」

 「桂はどうするんだ。もう三年だろ。」

 「東京の大学に進学します。」

 「桂も出ていくんじゃないか。」

 「当たり前です。この町に大学はないんですよ。この町からいちばん近い大学、片道二時間ですからね。おまけにうちの高校出て就職するのなんてまずいません。曲がりなりにも進学校ですから。」

 「それじゃ出ていくに決まってるだろ!」

 「でも、この町に戻ってくるのもいますよ。」

 「そういうのもいるのか。」

 「受験に失敗して飛び降りに。」

 「こら!」

 「だから、いずみさん、飛び降りて死んだって笑い者になるだけなんです。死んじゃだめですよ。」

 「いきなり真面目なこと言い出したな。」

 「で、本題に戻りますと、問題はその水がどこに集まっているかです。川になるか、地下水になったか、何れにせよ、水がたまったものがどこかにあるはずです。」

 「水がたまった……って、そりゃ、水たまりか?」

 「せめて、湖とか池とか言ってください。」

 「温泉じゃないのか?」

 「それならベストですね。見つかりましたら入っていきましょう。さっぱりしますよ。」

 「一緒にか?」

 「え……」

 桂は一瞬言葉に詰まり、一瞬にして顔を真っ赤にさせた。

 「桂はこの手の話になるとダメだね〜。そんなんで私を嫁さんにしようっての。」

 「は、入ります。いずみさんと一緒に。」

 「マジになるなよ。」


 森の中を歩き続けてからどれだけ時間が経ったか。

 森の斜面が緩やかになったと思ったらいきなり木々の生えない岩場になり、大きな水たまりがいくつも現れた。

 その中のもっとも大きな、大きなといっても、子供向けのビニールプールぐらいの大きさしかない水たまりに手を入れると、その水は暖かく、また、濁りの全くないきれいな水でもあった。

 小さな水たまりは氷を入れたかのような冷たい水をたたえ、中ぐらいの水たまりはそのままではやけどするほど熱かった。

 水は天然だが、くりぬかれた岩場は人工のものとしか思えなかった。

 「これが桂の言ってた温泉か。」

 「それじゃ入りますか。」

 「ちょ、ちょっと待て。本当に入るのか。」

 「言ったじゃないですか。一緒に入るって。」

 「いや〜、それはその〜、言葉のアヤって言うかさ〜。」

 「だめです。」

 桂は和泉のタンクトップの裾をつかんで上に持ち上げようとした。

 「や〜だあ、もう〜。エッチなんだから〜。やめて〜」

 「はい。」

 桂はその言葉にすぐに従った。

 和泉は驚きであった。

 男というものは女を裸にしたがるものと思っていたし、桂もまたその中の一人だと思っていた。

 そして、和泉はこのとき、桂に裸にされることを覚悟していた。抵抗は形ばかりで、最後はどうせ裸になるものと思っていた。そして、裸になったあとは桂に対して主導権を握れるとも考えていた。

 形ばかりの抵抗した末に裸を見られところで、桂がそれほどひどいことをするようにも思えなかった。それに、桂が自分を裸にするまではできても、裸にさせたあとは顔を真っ赤にして硬直するだけと考えていた。

 要は、裸になる気だったのである。

 それだけに、桂が動きを止めたのは驚きであった。

 「すいません。やっぱりよくないですよね。」

 「脱がせないのか。」

 「いずみさんの裸はすごく見たいですけど、好きな人がいやがるところは見たくないですから。あと……」

 「あと?」

 「裸を見せていいのは結婚した人だけです。僕たちはまだ結婚してませんから。」

 「こりゃまたずいぶんと古風だね。」

 「後ろ向いてますから、いずみさん、先に温泉に入ってください。昨日から歩き続けて疲れてるでしょうから。」

 「う〜む、何と言っていいのか。」

 言葉通りの後ろを向いた桂の背中を見ながら、和泉は桂の言葉に甘えることにした。

 二日ぶりの入浴は気持ちよかった。

 一応は露天風呂ではあるが、狭く、足を伸ばしたままでは一人が入るのが精一杯。二人で入るのはさすがに無理だと感じた。


 火傷するほど熱かった温泉に、採取したばかりのアスパラガスが入れられ、しばらく経ってから引き上げられた。おそらくちょうどいい茹で加減なのだろう。

 和泉は桂のその様子をじっと眺めていた。

 「私が道きいたとき、桂、何してたの?」

 和泉は温泉につかったまま、桂の背中に向かって話しかけた。

 「特に何もしてませんよ。受験勉強でいっぱいいっぱいになって、気分転換に散歩でもしようと適当にぶらついてただけです。」

 「そっか。桂、受験生だっけ。どこの大学行くの?」

 「いくつか考えてるところはありますけど、上京していずみさんと一緒に暮らすことを考えると……」

 「そんなこと考えてるのか!」

 「いくら人通りが少ないとは言え、太陽の照りつける屋外で女性を裸にさせた以上、責任はとらないと。」

 「露天風呂に入ってるだけだ。服だって自分で脱いだ。」

 「でも、いずみさん、東京に帰ったらどうするんですか? 遭難していたこと、ご両親にどうやって説明します?」

 「いや、両親のことはいい。親、離婚したし、私も家出したから。私はもう一人で生きていくんだ。」

 「いやあ、嬉しいです。」

 「何がさ。思いっきり不幸な話でしょ。」

 「いずみさんが生きるって言ったことがです。それに、いずみさんは一人じゃありません。僕がいますから。」

 「そっか……、桂と一緒ね。私を養うってのか?」

 「やりますよ。何でも。法律に触れないことだってやります。」

 「ちょっと待った! 法律に触れないことでもやるって、法律に触れることをするのが前提か!」

 「いずみさんのためなら何でもやります!」

 「それはいいが、合法の範囲にとどめてくれ。」

 「合法の範囲ですか……、過労死しそうですね。」

 「桂はいったいどんな想像をしているんだ。」

 「そうですね。狭くても古くてもいいですから、二人暮らしのできるアパートの一室で仲むつまじく、同じ大学に通って、卒業したら結婚して、だんだんと大きな住まいに移って、最後は庭付きの一戸建てで子供や孫と幸せな暮らしを。」

 「どこまで想像を発展させる! しかも、現実じみた。」

 「それじゃあ、夢に満ちた想像でもしますか。実はいずみさんはとある国のお姫様で、日本に来たのも……」

 「いや。それはない。」

 「でも、いずみさん、どこかのお嬢様って感じしますよ。」

 「そうかあ? お嬢様がこんなことするか?」

 「何ですか?」

 「こっち見てみろ。」

 「え。」

 「いいから。」

 和泉に言われて後ろを振り返った桂は、和泉が、身体だけではなく、今まで着ていた服も全部温泉に入れて洗っていたのを見た。

 「あ、え、あ……」

 「風呂でパンツ洗うお嬢様がいるかあ?」

 「そ、それは……」

 桂は慌てて後ろをむき直した。

 和泉は桂のその態度を笑いながら、温泉から出て、服を絞って岩の上に広げた。

 「桂〜、あいたぞ〜」

 「あいたぞ……って、いずみさん、いま、は、はだ……」

 「着るものなんかあるわけなかろう。別に気にしなくていいんだって。さっき言ったろ、一緒に入るって。」

 「だ、だだ、だめ……」

 「いいからいいから。」

 和泉は温泉を出て、桂のもとへ一歩一歩近寄り、桂の真後ろに立った。

 「交代だよ。今度は桂が入る番。」

 「わ、わかりま……」

 そう振り向いた桂が見たのは、何も隠すものを身につけていない和泉の素肌と、岩の上に広げられた和泉の下着だった。

 「ご、ごめんなさい。」

 「なに謝るの。だいたい、女の裸見るの初めてってわけじゃないんだろ。」

 「それはそうですけど。」

 「それに、私だって男に裸見せたことあるしね。」

 「!」

 「なんだ、その顔は。ショックか?」

 「いずみさん、経験、あるんですか……」

 桂は和泉のほうを見た。

 和泉はなにも隠さずに、桂を見つめていた。

 「経験あるもなにも、私は男に身体を売ってたんだ。処女で十万、あとは一回五万。でもって、そいつの子供を妊娠したし、堕ろしたし。……、ねえ、それでも私のこと好きだなんて言える?」

 「はい。」

 桂はわりとすぐにそう答えた。

 「そう……。そんな生活が嫌だからここまで自殺しに来たのに、私のこと好きだとか、結婚するだとか、そんなこと言われたら死ぬに死ねないじゃない……、あなた責任とりなさいよ……」

 和泉は瞳に涙をためているようだった。

 「責任はとります。」

 「どうやってさ。援交して、妊娠して、堕ろして。それが原因で友達はおかしくなちまったし、それで殺人まで起きた。何もかも知られたんだ。高校にはもう戻れない。家にも帰れない。私は行くところがないんだ。」

 「僕の家に来ませんか。」

 「私はイヌやネコじゃない! 捨てられたペット扱いするな!」

 「いずみさんは僕の妻です。」

 「だったら私を養ってみなさいよ! 進学高だか何だか知らないけど、高校生がどうやって養うのさ! 家に行ったってどうせ親に頼るんでしょ! 私のこと好きだって言うなら何もかも捨てて私を養ってみろよ!」

 「やります。」

 「やれるものならやってみろ。裸の女目の前にして何もできない意気地なしのくせに。私を押し倒してみろよ! 無理矢理セックスしてみろよ!」

 その言葉に反応するかのように桂は和泉を抱きしめた。

 「抱きしめるだけかよ。」

 「いずみさんは、抱きません。」

 「意気地なしが。」

 「僕は、汚れてます。」

 「……」

 「僕は、何度もレイプされてきました。だから、僕はいずみさんを抱けない。汚れているから。」

 「カネでセックスやってた女だ。汚れているのは私も同じだ。」

 「違う! いずみさんは自分の意志で。でも、僕は、むりやり……」

 「意志なんかじゃない! 後悔してるし、できれば無かったことにしたい! 私は、私は……、三人、人を殺したんだ。私が殺したんだ!」

 和泉の声はもう涙声になっている。

 「身体を売って……、でも、でも……。本当は嫌だった。抱かれるの、すっごく嫌だった。セックスで私、人生ボロボロになった……。でも、相手はもっとボロボロになった……。その相手、死んで、その弟は殺されて、私の友達もおかしくなって、私は子供を堕ろして……」

 「……」

 「私は桂よりずっと汚れているんだ。カネで身体を売って、私は汚れてるんだ。だから桂に好きだなんて言われる資格、ないんだ……」

 「そんなことない。」

 「死にに来たのに桂に助けられて……」

 「もういい。」

 「私と一緒にいると、桂まで汚れる。だから、もう離して……」

 「いやだ!」

 「私をどうやって養うんだよ。軽々しく言わないで。」

 「こっちだって汚れてる。だったら汚れた同士で生きていけばいい!」

 「桂はきれいだよ。」

 「あんなのレイプだよ。」

 「私だってお金あったけどレイプだよ。好きでもない人とセックスしたんだ。」

 「これまで何て関係ない。」

 桂は強く和泉を抱きしめた。

 「ずっと、いずみさんと一緒にいるから。これから何があっても、僕がいずみさんを守るから……」

 「……」

 和泉はそのあと桂の胸の中でずっと泣き続けた。


 「ありがとうね。桂。」

 「はい?」

 「決めたよ。私、生きていく。」

 「ありがとうございます。」

 「お礼言われるようなことじゃないだろ。」

 「好きな人が生きてくれることを選んだんですよ。」

 「こうまでしたら生きなきゃしょうがないだろ。だけどな、責任はちゃんととれよ。私は桂を信じることにしたんだからな。」

 「わかりました。」

 「それじゃそろそろ森から出るか。私は生きることにしたし、桂だって恋人を手に入れたんだし、もういいだろ。」

 「どうやってですか?」

 「わざと森に閉じこめたんだろ。だから、もう出してくれたっていいじゃないか。」

 「そりゃあ、出たいですけど。」

 「だったら早くここから出してよ。桂、帰り道知っているんでしょ。」

 「森に入ったことと帰り道の知識とは別です。いやあ、どうしましょう。」

 「本当に? ふざけてるとかじゃなくって?」

 「言っておきますけど、僕たち、冗談抜きの遭難ですからね。」

 「……、あ、あんたね!」

 「だいじょうぶですよ。そのうち何とかなりますから。」

 「なるかーーーっ!」

 森に和泉の絶叫が響き渡った。


      あおひとくさ続編  「ほむらみさき」完


徳薙零己のブログサイト「いささめ(http://ameblo.jp/tokunagi-reiki/)」におきまして、毎日18時に小説を公開しております。

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