第三話 ハイハイができぬ
初級の水魔法と回復魔法はすでに覚えた。
だからすぐに俺は次のステップに進みたかったのだが。
「んー、中級魔法は結構危ないし、レイはそんなに焦らなくて良いのよ」
などと言ってサラが次の魔法を教えてくれない。
スパルタの教育ママも嫌だが、子供を甘やかしまくる、のんきな親もダメだな。
受験戦争は幼稚園に入る前からもう始まっているんだぜ?
「まほー、まほー、次の!」
「ダーメ」
くっ。
こうなったら、自分で家を探索して、魔法の書を見つけるしかないだろう。
サラは元冒険者で攻撃魔法も習得している司祭だから、それ系の魔法書や巻物もきっとあるはずだ。
「ぐぐ……、あうー、あうー」
俺は起きようとするのだが、頭が重くて首が上がらない。寝返りすら簡単では無い。
くそ、こんな事なら、赤ん坊でも動きまくれるスキル、もらっとけば良かったぜ。
【エクソシスト Lv5】とか。
「かみたまー」
呼んでみるが応答無し。ジジイ、聞こえてんだろ? 無視すんな。
「くしょー!」
どうしたものか。
このまま毎日寝ておっぱい飲んで童話を聞かされるのは退屈すぎる。
サラは数や言葉も教えてくれてるが、もう俺は知ってるからな。前世の記憶と【常識 Lv3】のスキルがあるし。
部屋の外へ移動する方法か……。
この家にはメイドが二人いるのだが、その二人は俺の言うことを聞いてくれないのだ。
若いメイドのリズは俺を怖がっていて、おむつを替える時以外は近づきたがらない。
年配のメイドのベリンダは「それはダメです。まだ早いですから」の一点張り。
ここは水の魔法で……いや、水浸しになると冷たいし、風邪を引いても馬鹿馬鹿しいからな。
この世界の病院は低レベルだから、下手に病気をすると命取りだ。回復魔法は落ちた体力までは回復してくれない。病気になると最大HPの方が減り、それ以上回復しなくなってしまうのだ。
それに、浮くとは思うが、沈んで溺れても悲しすぎる。
俺、カナヅチなんだよな……。水泳スキルももらっとけば良かった。
だが、俺には思考系上位スキル【ひらめき Lv1】もあるし、【天才】や【物知り博士】なんて称号もすでに持っているからな。
これに前世の記憶を組み合わせれば、やれるはずだ。
そう!
肉体が思い通りに動かないなら、魔法で操ればいいじゃない!
肉体を移動させる魔法――。
アプローチの方法は、念動系と、肉体強化系の二通りだ。
肉体強化は地属性の魔法や光属性の系統だと思うのだが、呪文そのものは知らない。
ジジイが俺にくれたのは、そういった魔法の仕組みの知識と、属性の適性だけだ。
これに呪文の魔法文字を覚えて初めて魔法が使える。
逆に適性が無ければ呪文をいくら唱えようともろくに発動しない。
となると、『魔法の開発』――オリジナルの魔法文字を自力で見つけるしかないが、もし呪文が悪い具合に失敗したら、自分の肉体がどうなるか分からないのはちょっと怖い。
その点、念動ならば、先に適当な物で試して本番へ移れるので、念動魔法が安全で良いだろう。
念力の魔法は『無』の属性となる。『無』は空、空虚、不可視の意味合いもあるが、必ずしも目に見えない魔法でもない。そこら辺は最初に名付けた研究者が悪いのだが、俺がツッコミを入れても仕方ないな。
「マナよ、念力となりて対象物を動かせ!」
と、言うつもりで適当に呪文を唱えてみる俺だが。
「みゃなよ、ねんににになりちぇあいしょーぶぶうぉうおあえ!」
こうなっちゃう。
………。
だ、大丈夫だ。
この世界の魔法は、無詠唱でも発動する。
正しい概念を持つ魔法文字を頭にイメージできれば、魔力操作が可能なのだ。
無数とも言える魔法文字の組み合わせからランダムで正解を引き当てるのは不可能と言っても良い。
だが、俺には【聡慧 ★★★】のアビリティがあり、【魔術のコツ Lv5】や【魔法知識 Lv5】のスキルもある。
この世界の魔法の様式には一定の規則性があり、それを推測すれば良いだけ。
念動の魔法文字を見つけるんだ!
俺は試行錯誤で探す。
『マナよ、見えぬ手となりて対象物を動かせ!』
「みゃなよ、みえにゅてちょなりちぇあいしょーぶぶうぉうおあえ!」
何も起きない。失敗だ。
「あら、レイちゃん、何やってるの?」
サラが俺の様子を見に来たようだ。
「まほーのきゃーはちゅ」
「……」
聞き取れなかったかな?
もう一回、発音良く――
「へぇー、開発なんてすごーい。まるで大魔導師か魔術研究者さんみたいね! じゃ、開発はそのくらいにして、ママと遊びましょ」
「やー」
「いいから、クイズで遊びましょう。これ、なーんだ」
リンゴを見せてくるサラ。
「いんご」
「えっ、どうして教えてないのに、分かっちゃうの?」
そりゃ前世の記憶やスキルがあるからな。と言っても、それをいちいち説明するのは面倒だ。
「あいしょ」
「えー、いいじゃない、内緒にしないでママに教えてよー」
「や」
「そんなこと言わないの。えいえい」
ほっぺをつつかれた。うぜぇ。今はあっちに行ってて欲しいなあ。
「あっちいって!」
「えー? ママはレイちゃんと一緒にいたいもん。いいでしょ?」
くそ。
サラは無視して魔法の開発を続ける事にする。
次のルーンは、これだ。
『マナよ、見えぬ手となりて其を動かせ!』
「みゃなよ、みえにゅてちょなりちぇしょおうおあせ!」
失敗。
「みゃなみゃなー! むにゃむにゃ、あばばばばー!」
サラに茶化された。顔の横に両手を添えて馬鹿面をされ、子供扱いされるこの屈辱…!
「ちあーう! まま、あっち、いーやぁー!」
ムカつくんじゃー! 小娘ガー!
「あらら、ごめんね、レイ。そんなに怒らないで。そうねえ、じゃ、キュアの魔法、教えてあげるから」
どうせならテレポートや念動を教えてくれねえかな。
「や。てえぽーお、ねんおー」
「んん? てえぽー? ねんおー? どんな魔法なのかしら。ママは光と水の魔法以外はあまり知らないのよね……」
そう言えば俺は七つ全部の魔法属性をもらったが、普通の人間は一つか二つだったな。
魔法の使えない戦士でもたいていは属性を一つ持っている。魔力が弱く、魔力操作もできないから呪文が使えないが。
優れた魔術士なら自分が持つ属性以外の呪文も使えるのだが、属性が無いと威力も出ない。
要するに自分の属性にあった呪文を使う方がずっと効率がいいのだ。同一の呪文や同じ系統の呪文には熟練度が設定されており、まんべんなく育てるよりは一点集中した方が強力になる。
だから、研究者でもない限り、自分の属性以外の呪文を知っている奴は少ない。
それにテレポートは伝説級の凄い呪文だった。大魔導師でもないサラが知っているわけが無い。
やっぱり、魔術書を見つけないと。
「ママー」
別の幼い声が聞こえた。発したのは俺では無い。
「ああ、エリオ。どうしたの?」
エリオ? ――ああ、エリオットのことか。俺の兄貴だな。
くっ、頭が動かせないから、顔が見えん…。
「ボール遊びー」
「そう、じゃあ、ちょっと待っててね。レイにキュアの魔法を教えてあげないと」
「うん……」
「ほら、あなたの弟のレイよ」
サラがエリオを抱きかかえて俺に対面させた。
うお、超絶美少年だなぁ。女の子みたいに見える。サラと同じ色合いの金髪に空色のくりっとした瞳。
目が合った。
するとエリオは、にこっと笑った。
か、可愛い。
「知ってるよ」
「二人とも仲良くしてあげてね」
「うん!」
エリオは元気よく返事をした。素直そうな子だ。ま、俺に危害を加えなきゃどうでもいいや。
「レイもよ?」
「ん? あー」
へいへい。
「じゃ、キュアの魔法を教えるわね。キュアってのは状態異常を回復させる光属性の魔法よ」
もう知ってるから魔法文字はよ!
「じゃ、二人とも、ママが唱えるから見ててね」
サラがそう言って目を閉じ、指を身体の前でZのように動かし、呪文を唱えた。
「――清らかなる光よ、蝕む穢れを払い、この者を癒やしたまえ! キュアー!」
対象は俺にしたらしく、俺の身体がうっすらと白い光に包まれた。
それ以外は特に何も感じない。ま、毒状態や麻痺状態でもなけりゃ効果は無い呪文だ。
「いよらかなるいかいよ、むちばみゅけぎゃれをひゃらい、きょのみょのをいやしたたえ! キュアー!」
俺が呪文を唱えるとサラがうっすらと光り、うん、成功だな。キュア、習得!
「す、凄いわね。一回で覚えちゃうなんて。うーん、結構難しい呪文なのに。私はコレを覚えるのに十日はかかったような…」
怪訝な顔で首をひねるサラ。
ま、俺には【暗記 Lv3】【魔術のコツ Lv5】【魔法知識 Lv5】があるし。
なんと言っても【万能の魔導師】、【天才】だからな!
「レイ、凄ーい。よーし、僕も。――きよらかなるひかりよ、むしばう、ええと、けがれをはらい、あー」
エリオが唱えようとしたが、ま、小さい子には無理だろ。
「この者を癒やしたまえ、よ」
サラが教える。
「うん、このものをいやしたまえ! キュアー! ………」
不発。ま、途中で詠唱を切ってるし、イメージも全然できてねーな。
言葉の概念を理解してそれをありありと想像しなきゃダメだ。呪文をただ諳んじただけじゃ魔法は使えないぜ? 坊や。
「んー、残念、惜しかったわね。じゃ、エリオ、次はママとボール遊びしましょうね」
「んーん。ママ、僕もキュア、覚えたい!」
「ええ? うーん、エリオ、あなたは光の加護が無いから、ちょっと無理なの。また今度ね」
「……うん」
ちょっとエリオが可哀想だが、全員が司祭になれるわけでもないしな。
他で頑張れ、エリオ。