急転
「キューゥ(うーん、完食ぅー)」
巨大熊を一頭まるまる完食したキュロが満足そうな声を上げる。
三メートルの巨体は悉く、三十センチにも満たない鳥型妖精に食いつくされたらしい。本当に化け物のような食欲だ。骨も何も残っていないのにはさすがにゾッとするが。
なんにせよ、キュロの魔力も充分なようだし、今日はもう引きこもって終わりにするか。
妖精は魔法以外に存在エネルギーとしても魔力を消費するらしいが、俺からしたらあってないようなもんだし補給はもういいだろう。後は明日になるまで余計なのに見つからないよう、結界の中で静かにやり過ごすだけだ。
「キュロロ(でもまだちょっと物足りないかなー。もうちょっと何か食べたいなー)」
だからこの食欲ブラックホールのいう事など全て無視するに限る。
「キュウ(イッドー、聞いてる? 僕まだお腹空いてるんだけどなあー)」
「……」
頭の、いや腹のおかしい使い魔の言葉をバックサウンドに、俺は体内の魔術式のメンテナンスをしていた。
言わずもがなではあるが、普通の人間の体内には魔術式なんて刻まれていない。もちろんカルウェイドが勝手にやった。嫌がる俺を無理やり押さえつけて。俺まだ未成年だし、異世界じゃきゃ確実に事案だよな。
通常の術式は魔力を使って描き、効果が発揮されると消滅する。これは魔力という不定形のエネルギーをマナ干渉によって一時的に物質化させていて、効果が発揮した後はすぐに霧散してしまうからだ。
そのために同じ術式を使いまわすことはできない。が、一定の場所に魔力を使ってでなく直接術式を刻んだならば、何度か使い続けることも可能だ。
ただ、これは素体に使ったものの負担がデカすぎて規定数使うと素体がボロボロに崩れてしまう。その上高度な魔術は負荷がかかりすぎて発動すらできないし、魔力を使った魔術式と違ってマナ伝導率も悪い。事前に仕込んですぐ発動できるのは利点だが、簡単な魔術を数回だけしか使えないという、少し残念な魔術技術なのだ。
しかしそんな魔術式をカルウェイドは、俺を素体として作成した。使えば素体がボロボロに崩れるほどの負荷がかかる術式を、直接。
実験室の寝台の上でそれを聞かされた時の俺の気持ちが分かるだろうか。
『え、直接? 術式を? はは、ついに実験のしすぎで頭逝かれちゃったんですね。大丈夫ですよ。介護くらい俺にもできますから』
そう笑って流そうとしたのだが、カルウェイドは目を細めると無言で寝台に縛り付けてきた。抗議した俺の声は全部無視だ。最低にもほどがある。
つか少し嫌味言っただけであそこまで怒るか普通。心狭すぎだろ。思い返したらイライラしてきた。
苛立ちをぶつけるように魔力を流す。右腕先、物質固定と虚数間代替の法則を定められた魔術式だ。発動に必要な分だけ流せば、手首から先が一瞬でミスリル製のナイフに切り替わる。刃渡りは十五センチほどで長め。感覚は通っていない、本物の刃。
俺にはまだ難しすぎて術式を理解することはできないが、原理は知っている。まずあらかじめ用意しておいた刃物を虚数化して実体を失くし、俺の精神体における手首から先を切り取って虚数化したナイフを張り付ける。そして術式でナイフを精神体に固定して、手首の先だけを肉体と精神体で切り替えられるよう代替魔術の範囲を限定し刻めば完成だ。
……言うまでもなく、この成功は俺の数多の文字通り血反吐を吐く苦しみの末にできたものだ。
魔術式を正確に刻めても素体が負荷に耐えられないという問題を解決するには、多大なる犠牲が必要だったのだ。
最初なんてひどかった。クソ師匠は「まずは様子見だ」とか言ってなんの対策もせずに俺に術式を刻んだ。指先の皮膚に描いたほんの少し風を起こす程度の魔術だったが、魔力を流した途端、指が塵になって崩れ落ちた。おまけに風は全く起こらなかった。俺は視覚的なショックで泣いた。
次に魔術効果の後に治癒魔術で損壊部位を治す方法も取られたが、これは微妙だった。確かに治りはするが使う度に激痛がするし、一瞬でも身体が欠損するようでは戦闘中に使うわけにもいかない。
それから身体自体の強度を上げて負荷に耐える方法や、術式の反動を別のものに肩代わりさせる方法も取られたが上手くいかず、実験漬けの日々が大体四か月くらい続いた。魔術が発動する時に術式が発する反動エネルギーを特定し、その周波をそれぞれの魔術式ごとに解析して、それが身体に到達する前に別のエネルギーをぶつけて負荷を相殺することに成功したのはつい二ヶ月前のことだ。
ナイフに変わった右手を元に戻す。問題なく術式が稼働したことを確認して、次の術式へ意識を向ける。
今も使ったミスリル製ナイフ、手首から射出できる毒針六本、肘から突き出る鎌、肩の謎の棘、指の間の水かき。右腕だけでこの有り様だ。それでもまだ仕込むつもりの魔王には本気で閉口する。
「キュロ?(なにしてんの?)」
「何でも。我が身の不幸を呪ってただけだ」
「キュゥ(確かにイッドは幸薄そうだよね。運悪いからかな)」
「……自分が運いいからって調子に乗るなよデブ鳥」
「キキュウ!?(んなっ、ちょっ、デブ鳥!? なにそれ僕のこと言ってんのっ!?)」
日々の暴食により心なしか丸っこさに磨きがかかっているキュロにそう言った途端、目を剥いて怒り出した。
失礼な、僕のどこが太ってるってんだ、そもそも僕は鳥じゃない、とかなんとか。自分で気付いてないのかなこいつ。
めんどくさい妖精に辟易とするが、確かにまあ失礼なことは言ったかもしれない。相手が女性じゃなくとも、人間ですらなくとも体型と化粧と年齢のことは不文律なのは変わらないらしい。
「はいはい悪かったよ。次からは思ってても言わない」
「キューウ!(思ってるじゃん! 思ってるんじゃん! 僕そんなに太ってる!?)」
ノーコメントだ。
俺が無言で見つめると、キュロはショックを受けたように固まった。本気で気が付いてなかったようだ。
「キュ、キュゥ……(そ、そんな、僕は妖精なのに……実体ないはずなのに、なんで……)」
「実体があろうがなかろうが、あれだけ毎日喰いまくってれば体積増えるのは当たり前だろ」
むしろ魔力で身体を形作ってるのなら、自分の許容量以上に食って増えた魔力を肥満として表すのはごく自然なことに思える。
「キュー……(嘘だあ……)」
「そんなに嫌なら次から自重しろよ。今はいいけど帰ったら俺が飯作るんだから、お前の分作るだけで一日終わる──」
言いかけたところで、言葉を切る。今自分が言おうとしたことを反芻し顔をそむけた。
「キキュ?(え、なに? なんかあった?)」
「いや……」
呑気なキュロの声に思わず返事を濁した。
居たたまれない。自分の単純さが嫌になってため息を吐いた。
帰ったらって。あれだけ契約を破棄するって意気込んでたのに、もう忘れたのか俺。
確かに樹海に三日も一人じゃ人寂しかったろうし、異世界に来て初めてカルウェイド以外の相手と話して少し嬉しかったところもあるけど……素直に認めがたい。よりにもよってこの鳥が生涯の相棒かと。
最悪だ。こいつよりもその辺の犬猫の方が、可愛げがある分遥かにましだってのに。
「キュー(なんか今失礼なこと考えてないかイッドくん)」
妙に勘の鋭い鳥に、敗北感から顔をしかめた。
それから「なんでもない」と明後日の方を向きながら答えようと口を開き──
「──!」
咄嗟にキュロのくちばしをむんずと掴んでしゃがみこんだ。
「~~!?(な、なに急に!? なにすんのさ!)」
「黙れ、静かにしろ」
小声でささやきながら《気配遮断》と《隠密行動》を発動する。
その俺の様子に何かが起きたと気付いたのか、バサバサと羽ばたかせていた翼が大人しくなった。そっとくちばしから手を離す。
「……キュ(なんか起きたの?)」
「結界が破られた」
端的に起きたことを告げる。キュロは「えー……」とやる気のない声を上げた。そこからあと一日なのに、という感情が透けて見える。
今日は三日目だ。今日さえ乗り切ればこのサバイバル生活も終わり。だってのにここにきて襲撃イベントとか、タイミングを考えろと言いたいのだろう。
だが俺はそれとは別の理由でやるせない気持ちになっていた。
ここに張っていた結界は「防御」「防音」「認識阻害」の三つ。その中の認識阻害結界は文字通り、相手に結界が張ってあることを認識させないものだ。にもかかわらず結界があることを感知され、呆気なく破られてる。
つまり相手は相当魔術に造詣が深いか、俺よりも感知能力が高い、或いは最大魔力量が多いということ。
なんにしても、まともに相手なんてしたくない。
「ほ、本当に結界が……」
「だから言ったでしょう。闇雲に探すなと」
「ええ、さすがです」
数メートル離れたところで話し声が聞こえる。声を聞く限り侵入者は集団。しかも女か。
「結界破ったばっかだってのに呑気に立ち話かよ。獲物が逃げるって考えはないのか」
「キュロ(そんなに余裕あるのかな? イッド、なめられてるよ。なめられてる内に早く逃げよう)」
「油断してくれるんなら別にそれでいいんだけど……なんでわざわざ入ってきたんだ?」
「キュキュゥ(どうでもいいじゃん。早く逃げようよ)」
結界があることが分かって破壊したんだから、何かしら目的があるはず。彼女らは「探す」と言ってたけど、俺はまずこの世界に知り合いがいるはずもない。そしてキュロは生まれてすぐ俺と出会ったから、俺以外に知り合いはいないはずだ。
……とりあえず、様子をみよう。念のためもう少し気配消しとくか。
「露の道。冷えた夜気、西方の霞。光は歪み、人の見ぬ間に影は消ゆ。
──Nebel verstecken」
素早く詠唱して呪文を唱える。途端、浮かび上がった術式が溶けて霧となり、俺と俺に掴まれているキュロの周囲を覆った。
認識阻害と違い周りから見えなくなるタイプの幻術だ。単純に見えないだけだから魔力量や魔術云々は関係ない。なんらかの感知能力を持っていたら厄介だが、それなら入ってきてすぐに俺たちに気が付いたはずだ。見つからない可能性のが高い。
俺はキュロと顔を見合わせると、侵入者の気配に感覚を研ぎ澄ませた。
これでこのまま気付かずに素通りしてくれると嬉しいけど、さて。
侵入者たちは俺たちがいる空き地から少し離れた場所にいた。
万が一破られた時すぐに見つからないよう、広めに結界を張っておいたのが功を奏したようだ。彼女たちの場所から俺らは見えていない。
「いませんね」
「思ったよりも範囲が広かったわね。……早くしないと逃げられるわ」
声は段々と近づいて来ていた。数はかなり多い。十かそれくらい……いや、もっといるか?
「キキュ(ねえイッド、何で逃げないの?)」
背の高い草木の陰に隠れて息をひそめていると、キュロが小声で話しかけてきた。
てかこいつさっきから逃げようしか言ってないな。
「動けばそれだけ幻術の効果は薄れる。ここでじっとしてる方が賢明だ」
「キュウ(でもまだ見つかってないし、包囲される前に逃げちゃった方がいいと思うんだけど。飛んでけば見られても追いつけないかもしれないよ?)」
「それ、相手も飛べたらどうすんだよ」
俺も空を飛ぶ手段はあるけど、そこまで上手く飛べるわけじゃない。侵入者の方が早かったら逃げてもすぐ捕まってしまう。
「仮に逃げたとしても、今日一日逃げきれる可能性は低い。あれだけ数がいるってことは大規模な捜索だ。何が目的かは知らないけど、もし俺たちのどっちかが狙いなら一時の身の安全のためにわざわざ敵に自分の場所を教えにいくようなもんだ。まだ太陽も登り切ってないのに明日の朝まで追いかけっことか、したくないだろ?」
それにこの結界内を探して何も見つからなければ、他の場所にいったのだと勝手に思ってくれるだろう。本当に俺らを探してるのかなんて知らないけどな。
だがキュロはその説明では納得しなかったみたいだ。
「キュー(えー、なんかこじつけっぽくない? 他に理由あるんじゃないの? てかどうでもいいから逃げようよ)」
だってこの状況で逃げないとかどんな考えがあっても馬鹿だとしか思えない、と。キュロはくちばしを尖らせながら言った。
それを聞いて少し顔をしかめる。今、結構まともな理屈を言ったつもりだったんだけど。
やっぱ俺から知識を与えられたからか? 考え方が少し似てるんだよな。馬鹿だったら扱いやすいのに、面倒だ。
「理由っていうか……確かにそれだけじゃないけどさ」
「キューゥ(ほーらやっぱり。相棒に隠し事なんてすんなよ! お見通しだぞ!)」
「……」
いや、いいだろう。ここはスルーだ。
「本当に大した理由じゃない。普通に好奇心」
「キュ(好奇心)」
オウム返しに言葉が返ってくる。それに俺はああ、と頷いた。
「だって人の言葉喋ってるんだぞ? 気になるだろ」
もしかしたら人間かもしれないし。そうじゃなくても、言葉を喋れるということは人の発声器官があるはずだ。ということは、口の形は人間に近いはず。
自分の異形の口を触りながら考える。思い出すのは半年前。カルウェイドが「自分で取ってくるなら勝手にしろ」と認めた時のことだ。
俺と同じ骨格で、魔力の波形が近く、生体的に移植しても問題ない体質の持ち主。それがすぐに見つかるわけないと思っていたが、運のいい事に一年目にして機会が巡ってきた。しかも一人だけではなく大勢だ。この機を逃せば次がいつになるかも分からない。
キュロには面倒だから単に好奇心と言ったが、これは俺にとって奇跡にも等しいチャンスなんだ。そう、このバケモノの口を卒業して、人間と同じ口になるための!
内で密かに闘志を燃やす。しかしそんな俺の考えを知らないキュロは、可哀そうなものを見る目を向けてきた。
「キキュウ(うん、いや……気持ちは分かるよ? そうだよね、言葉喋ってるもんね。珍しいよね。でもね、今はね? 生きるか死ぬかの瀬戸際の、すごい大切な時なんだよ!? 分かってる!?)」
「分かってるよ。つつくな、落ち着け」
身体を鷲掴んでる右手を高速でつつくキュロを叩いて宥める。しかしなんでか知らんが興奮してる鳥は、どうどうと撫でていた指に思い切り噛みついてきた。
「キューウ!(これが落ち着いてられるかよ! せっかく今日まで見つからずに生きてこれたのに! イッドはいいかもしんないけどさ、僕は見つかったら終わりなんだよ! 分かってんの!?)」
「いや知らんけど……てか、え? お前あいつらと知り合い?」
生まれてすぐ俺と契約したんじゃなかったっけ、こいつ。
そう考えて首を捻る俺を、キュロは「馬鹿!」と翼でぶん殴った。全然痛くない。
「キュキュ!(んなわけないだろ! 知り合ってたら今頃僕は死んでるよ!)」
「だったらなんで」
「キキュキュっ!(なんでも何も、僕は妖精であいつらは精霊なんだよ!?)」
小声で思い切り叫ぶという器用なことをするキュロ。しかしその言葉の意味が分からない。
キュロは侵入者が誰なのか分かってるのか? 精霊って、マナを生み出す生き物のことだよな。それとキュロが妖精だということに何か問題があるってことか?
キュロは俺の顔を見て理解してないことが分かったらしい。一瞬嘘だろと感情を揺らした彼は説明しようとくちばしを開いた、が。
「ノーラ様! ここに野営の跡があります!」
すぐ近くで聞こえた声に、身体を強張らせて口を閉じた。