三日目
日を空けて書いたので読みにくいかもしれないです。気が向いたら手直しします。
「──雷光充填完了。術式稼働開始」
バチバチと雷に変換された魔力が音を立てる。それが左目に集まっているのを感じながら、俺は全速力で木々の間を駆け抜けていた。
後ろからは興奮した唸り声と枝葉の折れる音、そして地面を揺らしながらもあり得ない速度で追走する音が地鳴りのように聞こえて来る。
ちらりと振り返れば、赤い毛皮を纏った全長三メートルほどの熊が、怒り狂った形相で迫ってきていた。
即座に視線を前に戻す。頭の中に後悔の二文字が浮かぶ。が、今そんなこと考えていたって死ぬだけだ。どうにかして後ろの奴を倒さないといけない。
つーか《敏捷》使っても撒けないとかどんだけだよ。あの巨体でここまで素早いとか、普通思わないだろ!
俺は走りながら独りごちた。
くそ、十分前に「大丈夫だって。ようは追いつかれなきゃいいんだろ?」なんて言っていた俺を絞め殺したい。
そしてそれを聞いて微妙な顔をしていたあいつ。絶対これ知ってたな。
てかあいつはまだなのかよ。そんなに魔法って準備に時間かかるものなのか? 魔術の方が面倒なんじゃなかったのか?
丁度その時、契約時に繋いだパスから合図がきた。
俺はすぐさま方向を転換すると、予め決めていた場所まで後ろの暴れ熊を誘導する。そして地面に描かれた円状に文字が書かれた模様を飛び越え、後ろの熊を振り返った。
目を血走らせて俺を追いかけるそいつは全く地面の術式には気が付いていない。咆哮を上げて突進してくるまま、その巨体は俺の描いた陣の上に足を乗せた。
「Erde Fang!」
その瞬間、魔術を発動させる。詠唱が必要な魔術も術式さえ構築してあるのならわざわざ口ずさむ必要も無い。
正確に起動した魔術は熊の足元の地面を隆起させ、その前足を一瞬絡めとった。
「グゥアア!?」
一瞬とはいえ、バランスを崩す赤毛の熊。すぐ力任せに土の楔は砕かれたが、少しの間でも熊の動きが止まる。
そして、その隙がそいつにとって致命的だった。
「キューっ!」
鳥の鳴き声が高く響く。自身の魔力を乗せた魔法詠唱。
それは動きを止めた熊へと起動した。
瞬時に闇色の膜が熊の頭を覆う。キュロの放った闇魔法だ。
効果は捕捉した対象の視界を奪うというもの。簡単に使えて尚且つ便利だが、正確に相手を捕えなければならない。少しでも敵が範囲内から外れれば目とは全く関係ない場所に魔法が発動することがあるからだ。
ほとんどの敵は動き回ってるってのに、使いづらい魔法である。そのせいで熊の動きを止めるとかいう余計な手間をかけることになった。
だがわざわざ逃げ回った甲斐もあり、熊は突然目の前が真っ暗になったことで混乱したようだ。自分の頭を覆う魔法を外そうと躍起になっていて俺のことは全く意にも介していない。そもそも逃げ回るばかりで自分の脅威になるはずがないと思ってるんだろうけど。
「キュ!」
自分の役割を果たしたキュロが早くしろと急かす。うるさい鳥め。闇魔法しか使えないくせに。
小さく舌打ちをして足を止めた。体内では逃げている最中に変換した魔力がバチバチと音を立てている。それは左の眼球の中で轟いて、右の手のひらの前に円盤のようにして編んだ術式を媒介にバチリと外へ漏れ出した。
そも俺の体内に雷の魔力が流れているのは、左目が変換器として機能しているからだ。それを現象へと再び変換する際に最も効率のいい場所といえば、同じ悪魔の目に他ならない。だから中二病ではない。断じて。
熊がくぐもった雄たけびを上げるのを見ながら、俺はその充填された雷の因子を術式へと流した。
可視化された文字が白く発光する。同時に魔力が収束して、大気中のマナに干渉する。
常ならざる力を用いて、神秘の力を引き起こす。
魔術の第一原則でもあるマナの形状変化と指向性。あらゆる魔力へと変わる可能性をもったマナに属性を持たせるのは考えてみれば簡単な話で、それを思い通りに計算して導くのも慣れてしまえばそれほど難しいことでもない。
魔術のルートを計算しもう一度術式を微調整する。そして後は、起動するだけだ。
「Klinge blitz」
言の葉に込めた魔力をトリガーに、術式が稲妻のような音を立て発光する。
目も眩むような白光が煌めき、集った魔力が形作るのは稲妻の刃。白く輝く雷は一瞬にして消え去り──次の瞬間には電光の軌跡を残して暴れ熊の首を切り落としていた。
どさり、胴体が倒れる。赤毛を自らの血で染める様を見て、終わったと俺は体から力が抜けるのを感じていた。
「疲れた……」
「キュー」
独り言のつもりで零した言葉に返事が返ってくる。上を見ると茶色の小さい毛玉みたいなのが飛んできていた。
二日前から共にサバイバルしてる妖精のキュロだ。
「キュキューっ(いやー楽勝だったなあ。楽して手に入るお肉はさぞ美味しかろう)」
「そりゃお前は大したことしてないからな。ほんとその体のどこに入るんだか……」
「キュキュウ!(僕は妖精だからね! 食べたものは直接魔力になるから、いくらでも食べられるってわけ)」
だからうんこもしないよ! と。
鳥がうんこしようがしまいが俺の頭に糞を落とさないならどうでもいいのだが、なぜかドヤ顔でキュロは言った。アイドルは排泄をしないとかそういう話だろうか。なおさら鳥には関係ないだろ。
相変わらずうるさい妖精を無視して、今しがた殺したばかりの獲物へと歩み寄る。首を失ってしばらくは勢いよく吹き出していた血もほとんど勢いを失くしていた。
俺は無感動にそれを眺めながらさっさと臭いを遮断する結界を張った。血の匂いで余計なものが釣れてしまうなんてごめんだ。
それから軽く傷口に手を触れると死体に自分の魔力を循環させ、体内に残っていた血液を搾り取るようにして押し出していく。
魔力もコントロールを意識さえすれば、質量のある物を動かすこともできたりもする。自分の怪我を治すときに嫌という程練習したから、これに関してはかなりの自信がある。
「取り分は今まで通り、お前が内臓で俺がその他だ。少しも食べ残すなよ」
「キュー(別にいいけど、イッド僕のこと都合のいい処理係だと思ってるでしょ)」
「臭い死体を掻っ捌く手間かけなくていいからな。そこはマジでお前拾ってよかったと思ってる」
「キュロ……(素直に肯定されんのもなんか癪だなあ……)」
そしてなんだかんだ、この小生意気な妖精とも気安い軽口を叩けるくらいには距離が縮まっていた。出会った当初は絶対に契約を破棄すると意気込んでいたのに、と自分の単純さに目が遠くなるのも仕方ない。
結局のところ、この一人と一匹の生活の中で絆されてしまったらしい。今日が終われば帰れるというのに、使い魔と主との関係を続けるかを未だ考えていることが何より頭が痛いことだ。
俺は流れ出る血を眺めながら大きくため息を吐いた。
サバイバル三日目。最終日ともなれば樹海での身の潜め方や獲物の選び方も何となく分かるようになってきた。
当たり前の話だが、魔物には二種類ある。強いから群れない奴と、弱いから群れる奴だ。そしてほとんどの場合俺たちが獲物にするのは前者である。簡単な話、個の強さは絡め手でどうとでもなるが、数の強さは純粋な力でなければどうにもならないから。
そもそも弱いと言っても緑竜の住まう樹海の生き物だ。当然異世界一年目温室育ちの俺より全然強い。計算と詠唱、術式の構築で発動に時間がかかる魔術師と闇魔法しか使えない鳥では一匹相手にするのが精々なのだ。
ついでに、空いた時間にキュロから妖精について教えてもらった。
帰ってからカルウェイドに聞こうと思ってたけど、本人がいるんだから後回しするより実際に聞いた方が早い。暇だったし。聞いた途端「そんなことも知らないのー? イッドってば馬鹿だなあ」と鼻で笑ってきた鳥野郎はぶん殴ってやったが。
曰く、妖精とは精霊を除けば唯一魔力だけで身体を構成する魔力生命体である。
空気中のマナが一か所に集まるマナ溜まりから突然変異的に生まれるらしく、多くの妖精はキュロのように形を持つことなく空気中を漂って消えていくらしい。
それでも何体かは消えることなく意思を持つ。純粋な意思を持った魔力である彼らのことは「いたずら妖精」と呼ぶのだと。まんま、いたずらばかりするからだ。しかも子供のいたずらよりもかなり質の悪いものを。
「でもお前は違うよな。魔力生命体ではあるけど形あるし」
「キキュウ!(僕はホントのホントにレアケースなの! そもそもそこらの妖精とは発生の仕方から違うのだ)」
と、自慢げに語るキュロ。こいつが言うには、姿形を持っている妖精のことを「概念妖精」という。
マナ溜まりで凝り固まった魔力にある種の概念が付与されることで、その概念が形を持って存在するようになるのだとか。
「キュー、キュキュ(簡単に言うなら言霊かな。人々がこうだろうと想像し、語り継いできた噂話が形になったもの。それが妖精に変質しかけている魔力と融合したのが、僕のような「概念妖精」なのさ)」
「へえ。じゃあお前はどんな話を元にされてるんだ?」
「キュ(知らないよ。気付いたらここにいたんだよ? 自分が何者かなんて知る手段があるわけないじゃんか)」
つまりこの鳥は自分で自分が何者なのかも分かってないということか。妖精も難儀だな。
「それにしては、知識だけはあるように見えるけど」
「……キュゥー(……使い魔契約をしたら主の知識や知能が使い魔に譲渡されるって、僕はイッドの中の知識から学んだんだけど。本当に大丈夫?)」
「ああ、そんなのもあったな……」
その言葉にこの妖精と契約を結んだことを思い出した俺は再び落ちこんだ。
抜ききった血液を浄化したあとは適当な空き地を探して結界を何重にもガチガチにかけまくる。キュロには神経質すぎと言われるが、何事も警戒しすぎるくらいが丁度いい。
結界を張り終えたら、全長三メートルはある巨大熊の解体だ。本来なら綺麗に皮を剥いで骨と肉と内臓を分ける必要があるわけだが、あいにくと俺たちは今日の分の食事ができればいい。だからそこまで十全にやる必要はない。
ナイフに変換させた右手でさっさと腹を切ると、一塊分の肉だけ切り出して後はキュロにやることにした。
「食べ残すなとは言ったが、本当にこれ全部食べれるか? 無理なら燃やして灰にするけど」
「キュ?(そんな勿体ないことするわけ? イッドはもっと食べ物に敬意を払うべきだよ。心配しなくても僕が骨まで食べるからね)」
「いや骨は食べ物じゃないだろ。お前本当にどうなってんだ?」
小さい身体とは裏腹にガツガツと食べ始めた鳥を見て首を傾げる。
食べたものは全部魔力に変換されるから見た目以上に食べられるのは百歩譲っても分かるが、くちばしで骨をバリボリ砕いてんのはどう考えてもおかしいだろ。お前の口に付いてんのはドリルなのか? 魔法なんて使わないでドリル使った方がいいんじゃないのか?
と思ったが、どうやらこれは《悪食》スキルの効果らしい。
「如何なるものも食べることができる」という、一体何をしたら手に入るのか分からないようなスキルだ。
「お前の元になったの、絶対ろくでもない奴だぞ。何十年も拾い食いし続けなきゃこんなスキル手に入らない」
「キュロロ(ほとんどの鳥は拾い食いしかしないでしょ。それよりなんか特別なもの食べ続けたんじゃない? 石とか)」
「石を食べる鳥はそれなりにいるだろ」
食べるというより消化するためだけども。
「キュウ(てかその前に本当に僕が鳥かどうかも分からないじゃん。キュートでチャーミングなこの僕がただの鳥とか、もしそうだったら世界が間違ってるよ)」
「…………キュートでチャーミング」
「キュキュ(なんだよその顔は)」
俺の反応が不満だったのか、目の前のデブ鳥はジト目で睨みつけてきた。くちばし周りに臓物をくっつけながら。どこの世界にモツ食い散らかして肉食獣の骨を煎餅のように噛み砕く性別不詳のちんちくりんを可愛いと思う人間がいるというのか。
どうも俺とこいつの間では言葉の齟齬があるように思えてならない。こいつの知識は俺から与えられたもののはずなんだけどな。おかしいなあ。
はあ、とわざとらしくため息を吐いて、腹立ち紛れに近くにあった野草を引っ込抜いた。そのまま何となく《鑑定》してみる。
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エムリ:春~夏にかけて温暖な地に生息する野草。
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うーん、毒はないけど食用でもないか。抜いてしまったし食べるけど。
水で適当に洗って再び右手に埋め込まれた術式に魔力を流すと、手首から先がナイフに切り替わる。それで根を切り落としたあと適当にエムリの葉を切り刻んだ。野草はただでさえ消化に悪いから小さくしておく必要がある。
それを昨日採っておいた食べられる野草類と和えてからノクの実をすりつぶしたソースをかければ、簡単なサラダの完成だ。
どの野草もしなしなで細かく切り刻まれてる上に、苦みを消すため辛みの強いノクの実を使っているから決して美味しいわけではないが、栄養を取らなけらばならない身としては贅沢は言えない。俺はカルウェイドのように錬金術で体内のエネルギーを誤魔化すことなんてできないからな。
「キキュー(うわー、よくそんなの食べれるよね)」
「そっくりそのまま返してやろうか? よくそんなの食べれるな。見てるだけで吐き気がする」
「キュキュキュ!(僕は野菜が嫌いなの! てかイッドだって蟹味噌食べるくせに)」
「蟹味噌は内臓だ。頭骨カチ割って啜るミソとは別モンなんだよ」
「キュゥ(イッドって細かくない? 僕からしたら脳みそも内臓も変わんないよ)」
俺に限らず大抵の人間はそうだと思うんだが。てか脳を食べるということを忌避するのは当然の心情じゃないか?
妖精の価値観は分かんねーな。
俺は変わらずにガツガツと食べ続けるキュロからそっと視線を反らした。