ありふれた一日に、ありふれたダンスを。
暇なので書きました。ご賞味ください!!
八の月。太陽はさんさんと大地を照らし、今日も燦然と中空に輝いていた。
そんな太陽の下で、堪らないとばかりに魔法で生み出した水を飲んでいる男がいた。
ふぅ、と一つ息を吐いて、日時計のほうを見る男。時刻だけで言えば夕方に差し掛かっていた。
「……まだ来ないのか、遅いな」
焦燥交じりに吐いた言葉だった。約束の時間も迫ってきているのに、まだ姿を見せない後輩。男――グレンは、せわしなく目を配るばかりだ。
何よりこれが初デートであることが、一層グレンの心をそぞろにしていた。
いい加減こちらから迎えに行くか、と堪え切れない様子のグレンだったが、次の瞬間広場に響いた声に、動きを止めた。
「グレン先輩――!」
噂をすれば何とやら。大手を振りながら、街道を疾走してくる影をグレンは見つけた。
跳ねる銀の髪、弾む声。眉尻を下げてグレンを見る翡翠の瞳には、喜びの色が浮かんでいた。
「おーい、あんまり走るとこけるぞ――!」
「こーけーまーせーん!」
跳躍して、空中で回転。そのまま、美しいまでのフォームでグレンの前にぴたりと制止する。
頭頂部に生えた狼の耳を自慢げに揺らしながら、敬礼する少女。
「……髪、乱れてるぞ」
「いつものことじゃないですか」
スカートを軽くはたきながら、少女はつぶやく。その様子に、少しだけ呆れたような顔を浮かべて、グレンは少女を見る。
両サイドに黒いラインが入ったノースリーブのシャツが、ほっそりとした体を包んでいる。シンプルめにまとめているのか、下はホットパンツとラフな格好であった。
「……あの、じろじろと見つめられると少しだけ恥ずかしいです」
「あ、その。……すまん」
恥ずかしさをごまかすために、頬をかくグレン。そんなグレンに対して少女は、にっこりと笑顔を浮かべて、くるりとその場で回った。
「じゃあ、一緒に行きましょうか、先輩」
「……よろしく頼む」
◇
「先輩――私と付き合ってください!」
教室で魔法の自主練習をしていたグレンにそう声がかけられたのは、まだ雪が残る二の月だった。
まるで教室に舞い降りた銀雪のような少女。身目麗しい少女から放たれた言葉は、教室にいた生徒を騒然とさせるに易いものだった。
アルカ、と呼ばれる少女は、グレンが所属する学校の中でも、一二を争う見目の麗しさを誇る。
……グレンからすると、高嶺の花と言っても過言ではないほどの存在である。
疑問に思ったグレンは、告白への返事は保留し、まずはその理由を問うことにした。
「えっと、なんで俺なんだ?」
「……その、グレン先輩って、いっつもここで魔法の自主練してますよね?」
「ああ、やってるな」
グレンは学院に入学してから二年経過しているが、その間ずっと、この部屋で魔法の自主練をしている。
この学院に所属している人間なら誰もが知っている情報であり、それはグレンも知るところだった。
しかし、それが何になるのだろう、とグレンは疑問を深くした。
「私、グレン先輩が頑張ってる姿を見てて、すごいなーって思ってて……」
「ふむ……」
「ついつい先輩のことを目で追うようになっちゃってたんですよね」
アルカは、人の目があるこの場で説明することを恥ずかしく思っているのか、頬を赤くしていた。
……しかし、グレンの疑問は氷解していない。きっかけはわかったが、理由がまだ不明瞭だからだ。
続きは? と言うように目線を送ると、アルカは頬をさらに赤らめて、話を続けた。
「最初は、プライドが高い人なのかな……って思ってたんですけど、どんな人にも親身になって魔法を教えてあげたりする姿を見てて、素敵だな、って思ったんです」
「……ぉぅ」
「あと、もしかして覚えてらっしゃらないかも知れませんが、私も一回だけ、グレン先輩に魔法を教えていただいたことがあるんです」
もちろんグレンは覚えていた。
おずおずと教室に入ってきて、小さな声で「魔法を教えてくださいませんか……」と囁いてきた時など、心が跳ねてしまったことも。
「あの時、かなり遅くまで付き合ってくださって――。あの時に、好きだな……なんて気持ちが出てきちゃったんです」
そしてここに至ります。そう締めくくったアルカの頬は、まるで夕焼けの太陽のようだった。
理由はわかったグレン。アルカのひたむきな心に、グレンの心が動かされたのも確かであり――断る理由は、グレンの中で消失していた。
「……わかった。喜んで」
「――――! ありがとう……ございます!!」
満面の笑みを浮かべたアルカは、そのままの勢いでグレンの両手を包み込むようにして握った。
触れた手の柔らかさに、そしてアルカの太陽を思わせる素朴な匂いに、グレンは大いに赤面する。
「……っと、もう夜に差し掛かってますね」
「うお、もうそんな時間か。そろそろ帰らないとな」
「ですね。……先輩、また明日、です」
ニッコリと笑って、アルカは教室を出ていく。その表情に柄にもなくグレンは見とれ――アルカが自分の彼女になった、驚くべき事実に、今更ながら悶絶するのであった。
教室の、怨嗟のこもった視線がグレンを貫いていたのは、グレンの知るところではなかった。
□
――しかして、今に至る。
付き合い始めて一週間。それまで、まとまった時間を取ることが出来なかったグレンは、この休日に、ようやくアルカとデートの約束をすることに成功した。
もちろん、アルカとて忙しい学生の身だ。こうしてデートできるのは、それなりに貴重なことである。
グレンは、この機を逃さず、アルカとの仲を深めるつもりであった。
「なんだか、魔法の自主練をしていない先輩って、新鮮さを感じますね」
「……俺だって、魔法以外のこともするさ」「あはは、そうですよね。じゃあ、普段はどんなことをしているんですか?」
「うーむ……例えば、読書とか?」
「へー……。どんな本を読まれるんですか?」
そう質問されて、グレンはしばし考えこむ。読んではいないが、有名な本をあげた方がいいのか、それとも読んではいるが、あまり有名ではない本をあげた方がいいのか――。
もし感想などを求められては、ボロが出てしまう気がして。グレンは、後者を選択した。
「レッカー、という著者の《氷の姫君と火の勇者》とかかな」
「わわ、奇遇ですね! 私もそれ好きで、何度も読んでますよ!」
「ふぁ、本当か?! ……何処が好き?」
「氷の姫君が、自らの心を犠牲にして、勇者を救うところ――でしょうか。あそこの描写が素敵で……」
「――『慴るるなかれ、姫君よ。高潔なりし魂は、しかして救われるだろう』」
「そこです、そこ! はぁ、いいですよね……」
「ああ……いい……」
グレンの心は沸き立っていた。よもや、このような会話ができるとは思っていなかったからだ。
「先輩は、どこが好きなんですか?」
「俺か……。恥ずかしながら――『氷の心は溶かすために。炎の気配は沈めるために。故に互いは求め合い、故に互いは愛を知る』――ってところが好きだな」
「告白のシーンですね……。あそこ、ロマンチックで私も好きです。――『相反する二つの性質。だからこそ、支えられる』、っていうところも私は好きです」
そうやって、ニコニコと笑うアルカ。その表情に、グレンは心底この物語を好んでいる気配を感じた。
そんな同志の存在に心が躍るし――アルカのことが、ますます魅力的になってきて、直視が難しくなりつつある。
そんなこともあってか、知らず知らずのうちに、顔と顔との距離が近づいているのを認識すると、嫌でも頬は赤くなる。
パッチリとした、まん丸で綺麗な翡翠の瞳。スっと通った鼻梁に、桃色に薄く色づく頬。
銀の髪からは、草原を思わせる、爽やかな香りがうっすらと香る。おまけに、近いせいか、高めの体温をしっかりと感じられる。
グレンの心はドキドキしっぱなしである。ついに爆発しそうな程に、心臓の鼓動が加速し始めた時――。
「あ、先輩。出店がたくさんありますよ! 行ってみませんか?」
「ぉ……ぉう。そうだな、行ってみよう」
にぱ、と太陽のような笑みを浮かべて、アルカが離れる。そのことを少しだけ残念に思いながら、グレンはアルカの隣に立った。
こうしていると、少しだけ恋人っぽい気がして、グレンの心拍数は、勝手に上昇していく。
「あ、先輩。あそこに豚の丸焼きがありますよ」
「流石収穫祭、と言ったところだな。色々とスケールが大きい」
「普段なら、豚足だけですもんね。あそこに吊るされてるの」
あれこれと言い合いながら、アルカとグレンは豚の丸焼きの方へと近づいていく。香ばしい匂いが漂ってきて、空腹が刺激される。
早く食わせろ、と腹の虫が激昂しているのか、グレンの腹からは少しだけ音が鳴った。
「ふふ、先輩でもそんな可愛らしいとこ、あるんですね」
「……誰だってあるさ」
そっぽを向くグレン。小さく笑うアルカ。そこには列記とした、恋人らしい甘やかな雰囲気が流れていた。
その後、豚を切り分けていたので、お金を払って肉をもらった。もちろん代金はグレン持ちである。
「……ありがとうございます、先輩」
「先輩としてはこれくらいしか出来ることがないからな。任せとけ」
グレンがそんな言葉を吐くと、アルカは少しだけ不機嫌そうな顔をした。
どうしたのだろうと、グレンが首を傾げると、アルカは口先を尖らせながら、グレンへと不満を漏らした。
「《先輩》として……ですか」
「……どうしたんだ?」
「先輩、先輩は――私の恋人ですよね?」
「も、もちろんさ。俺はアルカの……その、こ、恋人だ」
グレンがどもりながらもそう言うと、アルカは表情を一転させ、小悪魔的な笑みを浮かべながら手を差し出した。
それが意味するところをグレンは理解出来ず、ただ不思議そうな目をアルカへと向けていた。
「先輩……いいえ、グレンさん。《恋人》であると言うならば、それらしい行動で示してくださいませんか?」
「…………。えっと」
「……握って、くれないんですか?」
わざとらしい、大げさな表情を浮かべて、アルカはそう言った。そこまで言われると、グレンとしても、握らざるを得ない。
アルカの、小さな手の上に自分の手を重ねて、やんわりと握る。強く握ってしまえば、それだけで折れてしまいそうな手だった。
「……これでいいか」
「……はい、グレンさん」
グレンがちらりとアルカの方を見ると、先程までの小悪魔的な表情はなりを潜め、本当に緊張しているような表情をしていた。
目は見開き、口は半開きで……耳としっぽは、アルカの緊張を表すように小さく、弱々しく揺れていた。
そのまま、初々しいまでの様子で、アルカとグレンは街を回った。
□
グレンは嘆いていた。折角のデートなのに、昼から夕方にかけての記憶が全くないのだ。
手を握っただけで、こんなになってしまうんだから、これから恋人を続けていくのに少しだけ心配な気持ちが芽生えてくる。
「……もう、夕方ですね」
「……ああ」
アルカの方からも、残念そうな声が響いた。グレンと同じく、アルカも記憶が飛んでいるのだろう。
それでも手を繋いでいた二人は、どうしようもなく恋人であり、周囲に微笑ましさと嫉妬とを振りまいていた。
「じゃあ、そろそろ――」
流石にこれより遅くなる訳にはいかない。日の傾き具合を見て、グレンはそろそろ帰るべきだ、と判断した。
アルカも、その判断は適切であると判断したようで、頷いた。――耳としっぽは、無念そうに伏せられていた。
「はい、また明日、学校で――」
そう、アルカが切り出した瞬間だった。
――金管楽器の優美な音が、二人の耳へと響く。
グレンが音のした方へと視線を送ると、そこにはステージが存在していた。
楽器を演奏している人が居て、壇上では、男女が優雅に踊っている。それらは、グレンの心に、深い憧憬を刻みつけた。
緩やかに、優雅に。繰り広げられるダンスと演奏。どうやらアルカも見とれているらしい。グレンの手を、強く握りしめていた。
そんなアルカの表情は、何よりも雄弁に「あそこで踊ってみたい」と語っているようで――。グレンは、ゆっくりと、アルカの手を握る力を強くしていった。
「……グレンさん?」
「アルカ、踊ってみないか?」
グレンのその言葉に、アルカが息を飲んだ。しかし、表情はいくらか明るいものになり、尻尾はゆっくりと、されど力強く振られていた。
もう一押しするように、グレンはつぶやく。
「言い直そう。――踊ってくれないか」
「…………。ええ、ええ。踊ってください――私と!」
夕焼けに浮かぶ月のように、美しい笑みを浮かべるアルカ。その表情にグレンは、また違う魅力を感じた。
……まるで、そんな二人を待ち構えていたかのように、音楽はなりやんだ。盛大な拍手が壇上で踊っていた人達に送られ、照れくさそうに壇上から降りる。
司会役らしい男が、次の曲のタイトルを述べ、壇上で踊る人達を募集していた。
曲のタイトルは――『烈火の心と氷の慈愛』。アルカとグレンが、先ほど話題に出していた書籍をモチーフに作曲された、情熱的な一曲だ。
「――行きましょう!!」
「ああ――!」
壇上に飛び上がったグレンとアルカ。光の魔法が飛び交うステージの中、夕焼けの空がどこまでも鮮やかに、二人を包んでいた。
人、人、人。広場の敷地が一切見えないほどの人の集まりに、アルカとグレンは一瞬尻込みをする。
アルカの姿を見て見惚れる人や、グレンに関して何か口を開く人、あるいは両者に対して何かを噂する人。それらが二人の視界いっぱいに映る。
中には、学院の生徒もいるようで、興奮した様子で二人の方向を見ていた。
グレンは、恥ずかしさで胸がいっぱいになった。アルカも同じようで、握るグレンの手を、やはり少しだけ強く握りしめていた。
「……おっと、まさかの一組だけか?! 可愛らしいカップルのご登壇だ!」
そして、そんな羞恥に拍車をかけるように、司会の男は言葉を紡いだ。
グレンとアルカが周辺を見渡せば、そこには誰もおらず、壇上には二人の姿以外には司会者しか見えない。
まさか、この場で二人だけで踊るのか――そう考えると、グレンの胸の中には、否応なく恥ずかしさがこみ上げてきた。
「……アルカ」
「ななな、なんでしょう、グレンさん」
「お、おりようか……?」
そんな羞恥の中で、アルカの心配ができたグレンは、そんな言葉をアルカに投げかける。
アルカは、しばし考え込んだ後に――。
「いいえ」
頭を降った。
そのことに驚きつつも、表情が何かを決めたことに気づいたグレンは、ほほ笑みを浮かべた。
教室に直接乗り込んで告白したこともそうだが、このような場において、退くことなく、何かを伝えられる姿に、心動かされたからだ。
……そして、二人の決然とした様子を後押しするように、音楽は律動する。重厚で、烈火の切っ先を思わせるような始まりだ。
「アルカ、しっかりと手を」
「ええ、グレンさん!」
ぎゅっと握られた手を離さないように、グレンは強く手を握りしめた。弦楽器が奏でる、勇壮な音色に合わせて、力強いステップを踏むためだ。
光が舞い、銀色が舞い、汗が舞う。尻尾がなびき、耳が動き、大きな手が華奢な腰をつかむ。
かと思えば、二人は指先だけで触れ合うほどに離れ――次の瞬間には、蜜月の時を思わせるほどに近づく。
中天に楚々としてきらめく月も、グレンとアルカが作り出す熱狂に揺らめいていた。もちろん、それを見ていた衆目も――。
「楽しい……ですね!」
「ああ……!!」
曲は次第に苛烈に、勇壮になっていく。それに釣られるように、アルカとグレンの踊りも力強く、互いを高め合うような激しいものになっていく。
客の興奮も絶頂へといたり、ステージ上へと、花が放り込まれ、歓声が上がる。
……そうして、炎の勇者のような音楽は、氷の女王のような静かなものへと変わっていく。
まるで、先程の熱狂を思い返し、微笑むようなダンスに移行していく二人。まさに、この時こそが蜜月だ、と客に思わせるほどに、二人の距離は近く――雰囲気は甘い。
そうして曲は終局を迎えていく。力強い低音と、透き通る高音。混ざり合うそれらは、物語を彷彿とさせ、最後には、圧倒的なまでの余韻を残して締めくくられた。
「…………」
誰もが、終了した瞬間、熱に浮かされたように黙り込んでいた。しかし、それが一時たって――。
爆発的な熱狂へと、姿を変えた。
「……うるさっ」
「ええ、そうですね……! でも、心地いいうるささですっ!」
微笑むアルカの表情には、少しの疲れが見えていた。しかしそれ以上に、晴れやかであった。
そんな表情に見とれるようにして、グレンはアルカとつないだ手を高く掲げた。
これからも、掲げられた手のように、繋がれた手は解かれない。そう、誰もが思った。
ありふれた日、ダンスの時――ずっとずっと、永遠に。