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解剖台の上で

六話目です。謎の奇病の変化の速さに、作者である私自身が追いついてませんw

 次の検体はまだか。


 私は送り込まれてくるはずの遺体の到着を今か今かと待ちわびていた。


 あの奇病が蔓延をはじめてから三週間と四日目、これまで三百を超える感染者の遺体を解剖してきた。

 昼夜を分かたず働きづめのお陰で、身体はすっかり寝不足と過労の極致だが、そんなことを言っていられなかった。


 死者、およそ三百万人。概定感染者数は全く特定できず。


 日本での推定死者だけでもこれだけの被害だ。感染者の数の特定ができない以上、死亡者の数は右肩上がりに増えていくことはまず間違いないだろう。


 しかも日本より悲惨なのは世界の方だ。



 推定死者数、七千万から一億人。



 ほんの三日前までは五百万から一千万人とされていたのに、実際はこれだ。


 奇病の感染力が尋常じゃないのを別にしても、感染が分かるのが発症と共にやって来る死。だけだというのが通常の伝染病では、いや、どんな病気でもあり得ない。


 とてもではないが、これが自然に生み出された伝染病のカテゴリーとは思えないのだ。


 ならば、どこかの国か組織で作り出された新種の病原体ではないかとも考え、検体から採取したあらゆる部位の組織や血液体液を調査してみたが、どの体からも、それらしい病原体に関するデータは一つとして得られなかった。


 つまり、現在把握されているどのBC(生物・化学)兵器とも、また、それから派生する可能性の高い予想上の病原体とも、一切合致しなかったのだ。


 アメリカやイギリス、EUをはじめ、相手がだれであれ、お互い得るものしかない大変な時期である。


どの国も情報を欲し、上辺はどうあれ、実質上の敵対関係であっても秘密裡に人員を派遣し合っており、どんな些細なデータであっても議論し合い補い合っているような状況だ。もちろん政府が受け入れたWHOの派遣団とも緊密な協力関係を築き、情報もサンプルも共有しながらこの未知の病と戦っている。



 世界中が謎の奇病の根絶と云う目標に向かって一つとなろうとしていたのだ。



 とは云うものの、矢張りというべきか協力関係を築けない国々もあるにはあったのが。どことは云いたくはないが、今は気にしないでおくのが懸命だ。


 こういうのは政治家か外交官僚あたりにでも対応させておこう。

 それよりは先ず、新たな検体だ。



四日前の話だ。



 一からやり直そう。


 皆に、こう言わざるを得ないくらいに、奇病の解明は行き詰っていた。


 それには五体が満足。とは言えないまでも、ちゃんと人の形が残った最初期の感染者の遺骸が必要だ。

 そう宣言したオレの意をくんだ仲間の学者や学生たちが、一斉に各地の医療機関に電話をかけメールを発信する。


 どれ、オレも政府のお偉方に掛け合い、生きのいい遺体の優先調達の手続きと、安全な運搬を行える組織にでも依頼しておこうか。


 

 そんなこんなをしていたのが四日前、ようやく依頼していたモノが届いたのだ。



 二週間ほど前に亡くなった十代前半の女性か。



 ついさっき自衛隊の装輪装甲車と、二台の軽装甲機動車に分乗した1個分隊の護衛付きで運び込まれたのた。


隊長とおぼしき厳つい人物から手渡された、遺体の身元が映し出されたタフパットを覗き込み、病歴や既往症の有無をチェックする。


 素晴らしいくらい教科書の見本のような健康体だな。


 オリーブドラブ色の遺体収納袋に包まれた、解凍されたばかりの遺体と対面する。


 生前は、若さ溢れ将来の期待に満ちた楽しい生活を送っていたのだろうな。


 シミひとつない色白の少女の裸身を眺め、オレは嘆息する。


 此処のところ送り込まれる検体は手足だけの者や、手首だけ足首だけ指だけ、極めつけは緩いゼリー状の液体に化けてしまった防護服を纏った機動隊員だったという遺体だけだったからなあ。


 これらを調査して分かったのは、謎の奇病を発症させる病原体が凄まじい勢いで変化しているという、誰でも気付きそうな事実だけであった。


 いくら何でも変化スピードが速すぎる。


 初めの感染者は腹が裂け、臓器と共に血液と体液を周囲に撒き散らせて奇病を伝させていた。


 だが、一週間後に発生した案件では、腹どころか頭部すらも一気に膨張して破砕し、中身と共に周囲に飛散。感染者は初めのに比べ格段に増える結果をもたらした。


 その後も、上半身の皮が腕部だけを残して表皮が透けるまで膨張して破裂。


次は腕部と脚部のみを残して炸裂。


次には手首と足首を残して、噴煙を上げるくらいの爆発。


最初期に比較すると考えられないほどの広範囲にまで感染源を放出させ、感染者を増加させることに成功していたのだ。


だが最近は、何故だかわからないが病原体に何らかの、例えば人体環境に適応しようとするための変化があったようで、上手くいっていた人体の爆発行為を止めてしまい、人体を組織ごとゼリー化させる方向性へと切り替えてしまった。


 これは病原体の進化と云うべきだろう。であれば、それには何らかの理由がある筈だ。

 


 ヒントをくれたのは、オレの恩師のひ孫にあたる大学院生の女の子だった。



 それは五日前、研究室の裏手に設置された完全に密閉管理と空調管理が施された一室で、皆と遅い夕食を取っていた時だ。


先生、あれってゾンビみたいになったりはしませんよね?


彼女はさっき検体した、頭から胴体が裂け中身もすっぽり抜け、手足も筋肉に沿ってザクザクにささくれてしまった若い男性の遺体が、もしかしてゾンビみたいに蘇りはしないかと、真剣な顔で心配していた。


なったら面白いな。


でもでも、何かおかしくありませんか?体中の血液が飛び散って抜けきったにしては、生々しいっていうか、変に瑞々しくて……。むくって起きたりしませんよね?おっかないなぁ~。



この言葉を聞いてオレはハッとなった。



 言われてみれば確かにそうだ。


 これまで運ばれてきた遺体は、一人残らず体内の血液と体液の多くを体外に他の組織ごと噴出させているのが普通だった。なにより、通常であれば出てくるはずの死班さえ出て来ないのだ。


 ならば、遺体が瑞々しいわけがない。


 最初期に運ばれてきた遺体の数々は、まだ噴出させる量も大したことなく、その体には水分が多分に含まれていた。


 次第に病原体の仕様(しざま)の変化によって、放出される液量が増えてはいったが、あくまでも次第次第の変化であって、徐々に増え続ける液量の変化には注意を払ってはいたものの、それらと共に最も注意を払っていた病原体の発見に、あらゆる手段を用いたアプローチを繰り返してはデータに纏めて関係各所に送信して閲覧しながらの討議、必要ならば同様の作業を幾度も繰り返すといった毎日を過ごして来ていて、その上、送られてくる検体も多い日だと六十体以上にも上り、これらの処理にも忙殺される日々であった。


 

そして肝心の遺体の様々な観察と云った基本を、つい疎かにしてしまっていた。



 故に、病原体が行っているであろう噴出の仕方の変更点・改善点と、病原体の正体の予想と確認作業にばかり気を取られてしまうという愚を犯した結果。本来ならば早期に気付かなければならなかった遺体そのものの異常点を、オレたちは見逃していたのだ。



 だからこその、最初からやり直しだった。

 


 やっとの思いで手に入れた検体は、中学校の体育館での全校集会の際に、頭部と腹部を一挙に破損破裂させ、同じ学校の生徒と先生を感染させながら亡くなった学生たちの一人で、少女であった。


彼女は解剖台から30センチほど吊り下げられた状態で浮いている。


 オレ達は、いつもの様に水中作業用に開発された除染済みの潜水服に身を包み、法医学教室の解剖台の脇で、酸素チューブに繋がれた状態で立っていた。


 滑稽な話じゃないか。まさか病理解剖学を教えているオレが白衣でも手術着でもなくなんだって、毎日毎日こんな不格好なさまで遺体の解剖を実施しなくちゃいけないんだ。


 先生。


 ヒントを与えてくれた女の子が、可愛らしい顔に似合わないしかめっ面で睨んで来る。


 それを見た仲間たちが潜水服の中でニヤニヤ笑っているように見えた。


 では、始めようか。


 はいっ!と頷いた彼らは、事前に決めておいた所定の手順に従って遺体の傷口を器具で大いに開き、各部の動脈と静脈を探り裂け開いた口を露わにしていく。


 差し込むチューブは足りているか?

 大丈夫です。

 OKです!

 よし。差し込め!ただし、再確認は忘れるなよ。

 はいっ‼

 一斉に透明色の輸血用チューブが少女の動脈と静脈に繋がれていく。

 各所確認……よし!

 全て挿入(そうにゅう)されました!

 流し込め!

 人工心肺装置に蓄えられた、この時期にとっては貴重で新鮮なB型の血液が規則正しいリズムに乗り、既に亡くなってから久しい少女の身体に注がれていく。

 どうか?

 変化なし。

 血流、静脈を通って人工心肺に戻ります。

 形を生前のままの状態で保っている腕部と脚部、それに下腹部を駆け巡った血液が幾つかの濾過(ろか)装置(そうち)を潜り抜ける間に清められ、また人工心肺に戻ってくる。そしてリズムに乗って送り出されていく。


 フィルターの交換は時間を記録しながら小まめに行うように、コイツも後で役立つかもしれないのだからな。


 仲間に指示を出しながら少女の様子を窺うが、未だ変化はないように見えた。


 先生、これ。


 女の子がオレに少女のある一点を指差し話しかける。

 左の太ももの付け根だ。


 なにかあったか?


 赤いブツブツが表面に浮いて来ました。


 鬱血ではないのか。


 付け根から膝にかけて目視で確認しながら指先を皮膚に沈めてみる。


 先生こっちにも!

 ここもです先生!


 なんだっていうんだ。


 声を掛けてきたのは右腕部を担当するチームと、皮膚と肉が状態よく残っている背部からだった。


 鬱血でも死班でもない。


 全ての部位で発見された赤い斑点は、ブヨつきながら範囲を徐々に拡大させていく。


 これまで何度測っても異常無しの所見でだったDNA鑑定や、それ以外の結果を越えた何かが始まろうとしている予感で、武者震いとやらが全身を駆け巡り止まらなくなっていた。


 先生危ない!


 金属と金属がぶつかり合う甲高い音がした。


 誰かに突然力任せに抱き着かれる様にして床に倒れた。


 耳には大量の爆竹が爆ぜたみたいに鼓膜を激しくドラムしている。


 なんだ。


 輿にまとわりついたソレを押しのけ少女を見る。


 残されていた身体が、小噴火口をたくさん作り溶岩を噴き上げていた。


 さっきの斑点か。


 溶岩に見えたのは、鮮血と細胞の溶けた塊が入り交じったドロッとしたゼリー状の物体であった。


 これは機動隊員の遺体の様子と同じじゃないか。


 部屋中を紅く染め上げた噴火活動は、やがて人工心肺装置内の血液を使い果たして終息に移った途端、少女の肉体をみるみるゼリー状の物質へと変化させて落ち着いた。


 再現に成功した。


 この喜びを誰に伝えたらいい?人類に希望が生まれた瞬間を作り上げたんだぞ!


 はち切れんばかりの笑顔を浮かべ、オレは誰彼構わず握手を求め抱きしめた。


 そして、この至福の瞬間を与えてくれた女の子を抱きしめる為に彼女の姿を捜した。


 いない、どこだ!



 せん…せい。



 女の子の声が聞こえた。


 声の在処(ありか)はオレがさっきまで倒れていた場所だった。


 女の子はそこに居た。


 空気が勢いよく抜ける乾いた音を、酸素チューブとヘルメットとを繫ぐバルブから響かせ彼女は床にペタリと座っていた。


 テープを!なんでもいい、バルブを塞ぐテープを早く!


 酸素の流失を止めなければ!!


 オレは転がるような勢いで女の子に飛びつき、思わず僅かに歪んだバルブを手で塞ごうとしたがやめた。


 こんな汚染された潜水服に包まれた手で塞いだら、この子が感染してしまう。


 どうする事も出来ずに、ただ女の子を力いっぱい抱きしめる以外に、するべきことが思い浮かばない。

 せい…こうです……ね。


 潜水服内の酸素が足りないらしく、女の子の息がヘルメット越しでも苦しげなのが痛いくらいに判る。


 せんせい。


 はっきりとした口調で女の子は静かに呟いた。


 あまりしゃべるなと、彼女に訴えたかったが声が出てこない。



 キボ…ゥ…ギャ…ア



 オレに囁きかける女の子の顔は表情筋を露わにさせ、すぐ崩れて溶けた。





 この瞬間、病原体の進化がまた加速したのが確認された。



  地球・RESET。 人体熔解


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