研究室の顕微鏡で
終わりが見えてきました。
どうも、暑さでなんも、いや、水物しかほしくない私です。
皆様生きて寝ますか?
私は寝たいです。
では、お楽しみくださいませ。終末を。
もう、どうにもできないのか。
オレはこれまで何があっても逃げ出さなっなかったスタッフと、今なお厳重に保護され続ける研究室の中で項垂れていた。
助手でもあった大学院生の彼女を事故で失ってからも、オレは怯まず奇病の解明に全身全霊をかけ遺体と向き合い挑み続けていた。
それを良識ある有識者なる輩や、人道を重んじると自称して憚らない科学者や医療に携わる者の中から、オレの所業を非難する声明が発せられ、即座に停止するように要求されもした。
それがどうした。
現実が見えない者達は口先ばかりだ。非難している暇があるなら奇病をこの世から消し去る術を研究しやがれ。
既に、世界人口は半分を切った。
この過酷すぎる現実を前に、いったい彼らは何をしているのだろうか。
こんな役立たずの彼らの代わりに、懸命に、懸命にオレは奇病に挑み続けた。
その結果がこれだ。
冷凍ケースに収められた四角い仕切りの中の、美しいくらいに透き通た氷塊状をしたものを、強化ガラスのカバー越しに指先で弾き、オレは机に頭を打ち付けて、ひとり泣いた。
そう、オレは、彼女を無残な死に様で失っても尚、無我夢中で活きのいい死体を漁り続けた。
人でも犬でもネコでも死体を刻み、バラシ、肉と骨を細胞単位で分離したりもした。
だが、どれもこれも新鮮な血液や栄養素を与えると、どろりと溶け出してゼリー状になるか、またはとろみの付いた水状になるばかりで、それらを多角的に検査しても、元は動物の体組織でしたという以上の結果は得られなかった。
行き詰った。
行き詰ってしまった。
彼女のお陰で奇病の人体破壊のプロセスの解明に俺は王手をかけた。そう思っていた。
しかし、あれ以上の結果は出せず、奇病の進化過程も目的も掴めずにいた。
どころか、正体すら不明であったのだ。
そんな折、生き残りの海外の研究機関から最後となるメールがもたらされた。
河川の生態系が溶けだした。
こんな内容だった。
オレはどういう具合に溶けだしたのだ? こう問い質すメールを送り付けたが、それっきり返事はなかった。
送信されて来た僅かばかりのデータを整理し、未だにしぶとく奇病の解明に勤しむ世界中の研究機関に向け一斉送信を行った。
そして気付かされた。
オレが、今も変わらず稼働しているとばかり思っていた研究機関は余りにも少なく、著名な研究者はそれ以上に少なかったことに。
だが、そんな中で、命を賭して表に出た一人のしがない研究員が、紅く染まった工業廃水みたいな川の水をすくい上げ、そればかりか実況付きで河川の状態を汚染された水に浸かりながら知らせてくれたのだ。
彼はやがて防護衣の中に侵入した水にやられ、やがて川の一部になって流れ去ったが、一つのヒントを与えてくれた。
もしかしたら、奇病の正体は水みたいな生物ではないか。と。
結論から言えば、正解だった。
集めていた遺体の一部をミキサーにかけ漉し水分を分離、また漉しては濾過機にかけ水分を抜き取る。
これを飽くことなく繰り返し、1リットルの水を得た。
成分的には、まごうことなき飲料にも適した清水だ。
オレは息を飲み、実験用に飼育されていたマウスを一匹、水へ投入した。
思った通りだ。
マウスは水に浸かりしばらくは泳いでいたが、やがて急激に膨張したかと思った途端弾け、しかも飛び散った肉片まで解けるように溶けだしたのだ。
奇病に喰われている。
それは奇病が盛んにマウスを捕食していると言っていい光景だった。
やっと正体を現しやがった。
勢い込んだオレは寝るのも忘れて仲間を激励し、10リットルにも及ぶ奇病の原液を抽出することに成功した。
これ以上は濾過機や遠心分離機が汚染され過ぎて作成する事は出来なかったが、奇病の正体を解明するには十分な量には間違いなかった。
見えた。
細胞膜どころか壁も中身もなにもない、電子顕微鏡の解像度を最大にしてもなお、余りにも小さすぎる核が一個、これのみしか発見できなかったのだ。
これが電子顕微鏡で走査して掴めた奇病の正体だった。
水を分ける、顕微鏡をのぞく、核が一個。
また水を分ける、のぞく、核が一個。
水を合わせる、のぞく、核が一個。
どうなっているんだ、一体。
これまでこの様な生物は見たことがない。いや、そもそも生物なのか?
餌を与えればたちまち食らい付き、骨すら残さず一切合切食べきる恐るべき存在。
なのに自らは動かず、捕食した生物の構造を利用して繁殖する奇妙な物体。
わからない。
そもそも水を分けても併せても、細胞核が一個しか見つからないのはどういう訳だ。
もしかすると、何かの拍子に別れさせれば、自然と分裂してしまう生き物なのか?
疲れ果てた研究員が寝静まった中、たった一人で実験を行う。
オレは細切れにした遺体の一部と残りのマウスを用意して、一滴づつ水を垂らし飲ませた。
一滴づつではあっても、間違いなく小さな細胞核を備えた奇病の原液だ。
結果は三時間余りで出た。
人体の欠片は水泡を浮き上がらせ膨み弾け、傷口はとろみを帯びたゼリー状になり、水分が染み出した。
マウスは最初期に感染した人間の如く、腹か頭部か若しくはその両方が膨らんで弾け、水分だけが染み出した。
そうなのだ。こいつらは総ての生命を分解して水に戻そうと働いているのだ。
知るべきではなかったのかもしれない。
絶望するしかなかったのだから。
こんな生物が相手ではどうにもならない。
地球上になんであれ、水が存在しない土地など在りはしないのだから。
やがて海ですら奇病に喰いつくされ、水に戻されてしまうに違いない。
それどころか陸地ですらも……。
ザーッと微かに雨音が聞こえる。
恐らくあらゆる生命の痕跡が混じった紅い雨だろう。
それは空気に混ざりつつ、地球を完全なる浄化に導く始まりの雨だ。
彼とスタッフの消息はここで終わりを迎える。
余りに多くの実験を屋内で繰り返したため、研究室の浄化装置すら汚染されてしまったのだ。
彼らは水になり、やがて蒸発して消えた。
地球・RESET。 終末開幕




