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 桜吹雪が舞い散る保伊やすい高等学校の校門前で、片桐尋史かたぎりひろふみは期待に大きく胸を膨らませていた。

 今日から高校一年生。

 市内にある極普通レベルの一般ピープルが通う高校ではあるが、尋史にとっては『高校

生』になることがたまらなくうれしかったのだ。


 この右足を一歩踏み込んでしまえば……。


 心の中で何度も呟く。その間に尋史の横を何人もの新入生がとっとと入っていく。


 よし、行くぞ。


 感無量といった感じで、尋史は待ちに待ってた右足を踏み出した。

 その時。

「君」

 呼び止められた。同じ学制服を着ていることから、保伊高校の生徒であることは間違い

ないだろう。

「ここは高校だぞ。中学校なら」

 と、アスリートタイプの青年は右方向を指差した。

「あっちだ」

「あ、いえ、僕は」

「早く行かないと、入学式に遅れるぞ」

「は、はい。ありがとうございます」

 尋史の言葉に青年は満足そうにうんうんとうなずいてさわやかな笑顔を見せた。


 僕は高校生です!


 と、言い返すことのできなかった尋史は、青年が温かく見守る中をてくてくと中学校に

向けて歩きだす。一ヵ月程前にめでたく卒業した母校へと。

 はっきり言って、尋史の顔は童顔だった。

 背丈もまだ発育途中だ。メガネを掛ければ少しは大人びて見えるかと思ってわざわざコン

タクトからメガネに変えたというのに、全く効果はなかった。ましてや、ここの高校は中

学時代と同じ詰襟学制服。間違えられても仕方ないこととはいえ、ショックはそれなりに

大きなかった。


 僕ってそんなに幼く見えるのかなぁ。


 ちゃんと否定できなかった自分が情けなかった。

 しばらくして振り返ってみると、青年はまだこっちを見ていた。これでは横道にそれる

こともできない。そんなことを目の前ですれば、「道が違うぞ」って走りよって来るに違

いない。そういうおせっかいなタイプなのだ、彼は。似たタイプの人間を尋史はよく知って

いた。


 早く校内に入ってくれないかなぁ。


 心の中でひたすら念じて、ゆっくりゆっくりと歩いていく。

 と。

「おーい」

 背後から声がした。幻聴でなければ、その声はきっと校門前にいた青年だ。尋史は恐る

恐る振り向くと、彼はもう尋史の目の前まで走ってきていた。

「もしかして、方向オンチか?」

 なわけがなかった。しかし、青年はものの見事に勘違いしてくれた。

「よし、オレがつれてってやるよ」

「あ、いえ、いいんです」

「いいっていいって。遠慮すんなよ。せっかくの入学式に遅刻しちゃ何にもならんだろう。

オレ? オレは三年生だからな、別にいてもいなくても関係ねぇんだよ」

 尋史が断っても断っても、いいからいいからと勝手な解釈をして青年は尋史を中学校へ

と引っ張っていく。

 誤解を解くきっかけを失ってしまった尋史はなされるがままに、中学校へと向かうのだ

った。

 尋史はこの時ほど自分の童顔を恨めしく思ったことはなかった。

「もうここまでくれば大丈夫だろう」

 中学校まで目と鼻の先までやってきたところで、青年は立ち止まった。

「これからも色々あるだろうと思うが、お父さんお母さんを恨んじゃダメだぞ。お前のた

めに一生懸命働いてるんだからな」

「はい?」

「がんばって強く生きていくんだぞ」

 両肩をがしっと力強くつかみ、青年は慈悲に満ちた表情を浮かべていた。

「は、はぁ」

 青年はまたしても大きな勘違いをしているようだった。入学式に一人でやってきた尋史

の両親は仕事が忙しくて来てくれないのだと思ったらしい。しかし、実際のところは尋史

の両親は息子のためなら仕事も平気で休むような親バカだった。ただ昨夜尋史の入学前祝

いと大宴会したあげくの二日酔いで少し遅れてくるだけのことだった。おそらく、両親は

もう入学式会場に入っている頃だろう。

 しかし、今の尋史にはそのことを一から説明するだけの気力は残っていなかった。もっ

とも言える隙もなかったが。

「それじゃな」

 青年はさわやかな笑顔を残して、保伊高校へと戻っていった。

 尋史はそれをぼう然と見送った。

 そして、尋史が入学式に遅刻したのは言うまでもなかった。





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