白昼の浮月
「好きです! 付き合ってください」
昼休み。紫がいつものように中庭で一人、弁当を食べていた時のことだった。懇願するような女の声が聞こえてきて、紫は反射的に声の聞こえた方へと顔をを向ける。
紫は告白されている人物を見て思わず顔を顰める。図らずも告白されている人物も紫と同じく顔を歪ませ、溜息をつく。何が悲しくて、兄の告白現場に遭遇しなくてはならないのだろう。遭遇する度に紫が思うことである。
紫が陽の告白現場に遭遇するのは初めてのことではない。不思議に思った紫は幼馴染である晴子にこのことを話したことがあった。どういう経緯で晴子に話すことになったのかは紫もよく覚えていないのだが。その後のことはハッキリと紫の記憶に残っていた。
「やっぱり双子だからじゃないの? 二人は運命的なもので、繋がってるんだよ!」
そんな答えが返ってきて、紫は「あ、間違えた」とすぐに悟る。よく考えてみれば、こんなことは簡単に分かるはずだった。晴子は何でも運命に結びつける花畑で、そんな晴子にマトモな返しを期待する方がおかしいというのに。頭を抱えている紫のことなど気にせずに晴子は運命について話し続けていて、思わず殴りたくなってしまったことを紫はよく覚えている。
紫はハッと我に返り、食べるのを再開する。鬱々とした気分になりながらも、モクモクと食べる。残してあった好物のミートボールをゆっくりと咀嚼しながら、紫は心の中で合掌する。どうせ彼女も振られる。何故なら彼には…
そんな紫の思考を遮るように、ばちんと酷く重い音がした。女は陽の頬に平手打ちをかましたようだった。そして気が済んだのか、女は耳障りな悲鳴をあげて走り去って行った。
どうして、陽を好きになる女たちは。こうもヒステリックなのだろうか。紫は暗澹たる気持ちになりながら弁当の蓋をそっと閉めて手を合わせる。
「ごちそうさまでした」
その様子に気づいた陽は何も言わずに紫の隣にストンと腰をかける。紫は食べ終わった弁当箱を巾着に入れてから、ペットボトルのお茶を飲む。それをぼんやり見ていた陽はポツリと「相変わらず、食うの遅いな」と呟く。紫はそれに返事をせず、「あんたは昼食べたの?」と気になっていたことを問うと、陽は「あぁ」と短く肯定する。
少しの沈黙。そんな空間を破るように、バサバサと一際大きい羽音をたてて、鳥の群れが空を横切っていく。その様をぼんやりと紫が見ていると隣から、すぅーっと息を吸う音が聞こえた。そして、ふっ、と短く息を吐いて、陽がぽつりと呟く。
「晴子に好きな奴が出来た」
突然、何を言うのかと思えば。そんなことか。と紫は心の中で毒づく。告白されて、平手打ちをくらっても。陽の目には、心には、晴子しかいないのだ。今も、昔も。
「そんなの、いつものことじゃん。どうせ振られるでしょ」
しかし、そんな紫の雑な慰めは。当然のごとく届くはずもなく。陽の顔は暗く、曇ったまま。陽はゆっくりと首を横に振り、紫の言葉を否定する。
「…晴子のあんな嬉しそうな顔。初めて見た」
陽の顔には表情がなかった。紫は額に手を当てて、深い溜息をつく。「そもそも」と、語調を強めてから紫は話し始める。
「いつまで晴子のことを思えば気がすむの? もう良い加減、諦めなよ。晴子があんたの気持ちに気づくことも…いや、例え気づくことがあったとしても、よ。あんたを好きになることは…」
紫は言葉を一度切ってから、ない、と断言する。そして、続ける。
「それに、陽。あんたが晴子のこと好きなのって。晴子が、あんたを好きじゃないからで…」
「違う!」
陽は紫の言葉を遮り反論する。そんな陽を紫は気の毒そうな目で見る。
「まっ、あんたの気持ち。分かんなくもないけどさ。晴子はあんたが何をしても幻滅とかしたりしないだろうしね」
花畑で、ネジ抜けてるけどね。と言いながら、紫がすっと、立ち上がった所で、昼休みの終わりを告げる鐘が響く。
「お前…もうちょっとオブラートに包む、とか出来ねぇの」
「必要があれば、包むよ。ちゃあんとね」
紫は鼻で、フッと笑いながら言葉を連ねる。きちんと人を選んでいるのだ、と。
「ほんと、ムカつくな」
「その言葉、そっくりそのまま返す」
紫は陽に背を向け、ひらひらと手を振り、その場から歩き去る。
「ほんと、バカ」
陽から少し離れた場所で、ぽつりと小さな声で呟かれた紫のそれには誰も気づけない。陽も、紫自身にも。
浮月は造語。読みはふづき。深い意味はない。字の通りの意味しかない。